赤銅魚子地 高彫 金銀色絵 裏哺金 後藤家は、足利義政に使えた初代祐乗から十七代典乗まで、将軍家の御用を務め役400年もの長き繁栄した。初代祐乗は美濃彫様式を集大成して精巧で格式高い後藤彫(家彫)を確立した。後藤家上三代、初代祐乗、二代宗乗、三代乗真の作を古後藤と呼称する。 後藤宗家十代廉乗は、八代即乗の四男1627年京都生まれる。名は光侶。1646年家督を相続して、1662年幕府の命を受け京都から江戸に出府した。歴代中の上手工。以後十七代典乗まで江戸に在住した。1708年逝去。


後藤廉乗
江戸
備前
保存 (NBTHK)
家彫 · 山城 · 1627-1708頃
現在4点販売中
後藤廉乗(ごとうれんじょう)は、後藤家十代目として知られる金工家である。寛永五年(1628年)に八代即乗(そくじょう)の四男として京都に生まれ、幼名を亀市、俗名を源四郎と称した。正保二年(1645年)、十八歳で宗家の名乗りである四郎兵衛を襲名し、名を光侶(みつとも)と改めた。承応元年(1652年)に二十五歳で宗家十代目を相続した。後藤宗家は代々京都に居住してきたが、幕命によって廉乗が寛文二年(1662年)にはじめて江戸へ移住し、以後十七代典乗光則に至るまで江戸に居住している。天和三年(1683年)五十六歳の時、剃髪して廉乗と号し、元禄十年(1697年)に養子の光寿(通乗)へ宗家十一代目を譲って京都に隠居した。
廉乗の作風は、先代程乗(ていじょう)の彫法をよく継承して上手であると評される。家伝の獅子、龍の彫はもとより、人物も得意とし、地金も新たに四分一を用いたり、毛彫の作品も作るなど新味を出している。作域は広く、刀装具の意匠としては、武者絵、故事人物、動物、植物、器物など森羅万象あらゆるものを図柄として取り入れている。特に七夕図は最も高い評価がなされている。作風の特色として、高彫、色絵、魚子地などが挙げられ、金、銀、赤銅などの素材を巧みに用いる。また、大小柄においては「画面いっぱいの波地に巨巌を配し、激しく波立ち渦巻く海を大胆な構図を以て表している」[[c:1]]と評されるように、構図にも工夫が見られる。銘については、光侶銘が多く廉乗銘は少ないとされる。
廉乗の作品は、後藤家の格式を伝える格調高い仕上がりを見せる。その作は「濃やかで、金銀の色絵も的確に施しており、後藤家の高い品格をあらわしている」[[c:2]]と評されるように、技術の高さと品格を兼ね備えている。後藤家作品の鐔は少ないが、大小揃いの鐔となると更に少なくなる。後藤家は代々折紙を発行しており、廉乗の作品にも後代の当主による折紙が付属することがある。これらの折紙は、作品の真偽を保証するだけでなく、当時の鑑定や評価を知る上で貴重な資料となる。
後藤廉乗の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
家彫 · 山城
時期区分: 後藤宗家· 1573–1900
現在282点販売中
銘が正しい、または無銘でも年代・流派を指摘でき、美術工芸的価値が認められる、保存に値する真正の刀装具と鑑定されたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイト商品発送後の返品・交換・キャンセルには、基本的に対応しておりません。商品に重大な瑕疵がある場合のみ、当サイトでご購入いただいた商品到着後3日以内であれば返品•交換が可能です。
赤銅魚子地 高彫 金銀色絵 裏哺金 後藤家は、足利義政に使えた初代祐乗から十七代典乗まで、将軍家の御用を務め役400年もの長き繁栄した。初代祐乗は美濃彫様式を集大成して精巧で格式高い後藤彫(家彫)を確立した。後藤家上三代、初代祐乗、二代宗乗、三代乗真の作を古後藤と呼称する。 後藤宗家十代廉乗は、八代即乗の四男1627年京都生まれる。名は光侶。1646年家督を相続して、1662年幕府の命を受け京都から江戸に出府した。歴代中の上手工。以後十七代典乗まで江戸に在住した。1708年逝去。


後藤廉乗
江戸
備前
保存 (NBTHK)
家彫 · 山城 · 1627-1708頃
現在4点販売中
後藤廉乗(ごとうれんじょう)は、後藤家十代目として知られる金工家である。寛永五年(1628年)に八代即乗(そくじょう)の四男として京都に生まれ、幼名を亀市、俗名を源四郎と称した。正保二年(1645年)、十八歳で宗家の名乗りである四郎兵衛を襲名し、名を光侶(みつとも)と改めた。承応元年(1652年)に二十五歳で宗家十代目を相続した。後藤宗家は代々京都に居住してきたが、幕命によって廉乗が寛文二年(1662年)にはじめて江戸へ移住し、以後十七代典乗光則に至るまで江戸に居住している。天和三年(1683年)五十六歳の時、剃髪して廉乗と号し、元禄十年(1697年)に養子の光寿(通乗)へ宗家十一代目を譲って京都に隠居した。
廉乗の作風は、先代程乗(ていじょう)の彫法をよく継承して上手であると評される。家伝の獅子、龍の彫はもとより、人物も得意とし、地金も新たに四分一を用いたり、毛彫の作品も作るなど新味を出している。作域は広く、刀装具の意匠としては、武者絵、故事人物、動物、植物、器物など森羅万象あらゆるものを図柄として取り入れている。特に七夕図は最も高い評価がなされている。作風の特色として、高彫、色絵、魚子地などが挙げられ、金、銀、赤銅などの素材を巧みに用いる。また、大小柄においては「画面いっぱいの波地に巨巌を配し、激しく波立ち渦巻く海を大胆な構図を以て表している」[[c:1]]と評されるように、構図にも工夫が見られる。銘については、光侶銘が多く廉乗銘は少ないとされる。
廉乗の作品は、後藤家の格式を伝える格調高い仕上がりを見せる。その作は「濃やかで、金銀の色絵も的確に施しており、後藤家の高い品格をあらわしている」[[c:2]]と評されるように、技術の高さと品格を兼ね備えている。後藤家作品の鐔は少ないが、大小揃いの鐔となると更に少なくなる。後藤家は代々折紙を発行しており、廉乗の作品にも後代の当主による折紙が付属することがある。これらの折紙は、作品の真偽を保証するだけでなく、当時の鑑定や評価を知る上で貴重な資料となる。
後藤廉乗の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
家彫 · 山城
時期区分: 後藤宗家· 1573–1900
現在282点販売中
銘が正しい、または無銘でも年代・流派を指摘でき、美術工芸的価値が認められる、保存に値する真正の刀装具と鑑定されたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイト商品発送後の返品・交換・キャンセルには、基本的に対応しておりません。商品に重大な瑕疵がある場合のみ、当サイトでご購入いただいた商品到着後3日以内であれば返品•交換が可能です。