戦国の世、一派は第二の主家に仕えた。小田原の後北条氏である。その庇護のもと綱広系は打刀の時代の皆焼を鍛え続け、1590年の落城とともに新刀の時代へ散った。
刃文は互の目丁子を焼き、華やかで魅力的な出来映えです。肌は板目肌が立ち、地景も明瞭に現れています。銘は磨上げにより一部が残る状態です。この短刀には彫物があり、茎の磨上げによって下部が一部隠れていますが、その大部分は健在です。彫物は「草の倶利伽羅(剣に巻き付く龍)」で、古刀らしい簡略化された意匠ながら、非常に力強く表現されています。拵は古い指し裏の書かれた白鞘に収められており、金着のハバキも非常に重厚で高級感があります。古色豊かな名品ながら、大変お求めやすい価格となっております。 銘:相(州)以下切 時代:室町時代(16世紀) 長さ:1尺3寸強(約40.0cm) 反り:10.5mm 元幅:32.9mm 元重:6.4mm 造り:平造り 棟:庵棟 茎:生茎(磨上げあり) 鍛え:板目肌 刃文:互の目乱れ 帽子:丸 状態:古研ぎ 【相州伝について】 今から約700年前の正応年間、執権・北条貞時は全国から名工を鎌倉に招き、相州鍛冶の基礎を築きました。相州伝の祖とされる五郎入道正宗は、京都・粟田口出身の行光の子と伝えられています。彼は当時の伝統的な作刀技術をさらに発展させ、独自の相州スタイルを確立しました。正宗から五代後の広正は小田原北条氏に仕え、二代氏綱より「綱」の字を賜って綱広と改名。後に徳川家の御用鍛冶としても繁栄しました。 室町時代に入ると、史上最高の名工とされる正宗の末流である相州鍛冶も、かつての輝きを失い、鍛錬技術に陰りが見え始めます。この時期には、それまでにない身幅の広い先反りのついた短刀や脇差が制作されるようになります。末相州の鍛冶は、島田派と同様に匂出来の皆焼(ひたつら)を焼くようになり、鎌倉・南北朝期の巨匠たちに見られた煌びやかな沸(にえ)主体の刃文は影を潜めます。広光、秋広、正広、広正といった銘は代々継承され、さらに広次、冬広、助広、高広らが活躍しました。高広を除き、これらの銘には数代の変遷があるようです。『古今銘尽』によれば、広次と助広は南北朝末期に大和国から移住した義広の系統とされていますが、その系譜の確定にはさらなる検証が必要です。 島田義助の門人である綱家の弟子とされる綱広は、その中でも技量に優れ、古名工を彷彿とさせる相州伝の作風を示しています。末相州の鍛冶は短刀や脇差に彫物を施すことを好み、中でも綱広は彫物の名手として知られ、その名は江戸時代まで受け継がれました。また、同時期には島田派の流れを汲む康国、康春、泰春の三名が活躍しました。特に康春は彫物を施した小振りの短刀を好んで制作しています。彼らは後北条氏に抱えられ、城下町である小田原に住したことから「小田原相州」と呼ばれました。末相州の刀剣には彫物が頻繁に見られますが、中でも房宗は精巧な彫物を得意とし、綱家との合作も残されています。末相州は通常乱れ刃を焼きますが、永正年間に活躍した国次は、短刀に直刃や細直刃を焼くなど独自の作風を示しました。国次の系譜については未だ詳らかではありません。 (本間順治 博士 記) 最新情報をご希望の方はこちら Nihonto Antiquesのメールマガジンにご登録ください。 【登録する】 ご登録ありがとうございました。 ご入力いただいたメールアドレスは厳重に管理され、当サイトからの更新情報の送信のみに使用されます。





相州伝 · 相模
現在19点販売中
末相州は、相模国に興った相州伝が、正宗とその後を継いだ広光・秋広らの南北朝の頂点を過ぎた後、室町期に至ってなお同地に伝えられた一群を指す。その手は鎌倉と小田原の二つの面に分かれ、室町中期には広正の名が南北朝期から数代にわたって連綿と切られて系の中核をなし、室町後期には後北条氏の庇護のもとに小田原へ拠点が移る。説明書は、天文年間に活躍した初代綱広を広正の子孫と伝え、初銘を正広といい、北条氏綱に召されて小田原に住し綱の一字を賜って改銘したと記す。以後、綱広・綱家らが小田原八幡山に代々続いて後北条氏に仕え、相州住の五字銘を低く切る在銘・生ぶの作を遺した。鎌倉に残って正宗以来の地に鍛えた正広のごとき手と、小田原に移って北条のもとに鍛えた一群とが併存し、後者を総称して小田原相州と呼ぶ。説明書はこの一派を、相州伝の掉尾を飾る工として位置づける。 作風は、肌立った板目に杢目・流れ肌を交えた相州の地鉄に、皆焼を本領とする点を共通の語法とする。互の目乱れに丁子・矢筈の刃・尖り刃・小のたれを交え、先へ刃幅を増して焼き、飛焼・湯走り・棟焼を地に及ぼして総体に皆焼となる態で、匂口は締まりごころに小沸よくつき、足・葉入り、砂流しを交える。この皆焼は広光・秋広以来の手と伝えられ、説明書は綱広をその系譜に置きつつ、現存作にあって彼らとは形状を異にすると明記して、襲ぐ名手その人とその手とを区別する。彫物もまた一派を貫く見どころで、真および草の倶利迦羅、梵字、三鈷剣、護摩箸、蓮台、八幡大菩薩や南無妙法蓮華経の陰刻文字を表裏に密に施し、樋中・櫃中の浮彫を得意とする。中でも総宗は彫の巧緻において長く名があり、末相州独特の構図の倶利伽羅を据える。古典相州の頂点と分かつのは、沸の深さと鉄の冴えにおける差であって、小田原の手は締まりごころの匂勝ちの匂口に角がかる互の目を複式・腰開きの態に焼き、地は肌立ちながらも締まる傾きを見せ、姿は短寸に先反りつくものが多い。一派のうちでも振れ幅があり、皮焼の手前の互の目交りの小乱れに控える静かな作から、棟焼まで覆う厚い華やかな皆焼に開く作までを含む。 鑑定の勘どころは、この一群を古典相州の名作から分かつところにある。すなわち、沸の冴えにおいて南北朝の頂点に一歩を譲りつつ、肌立つ板目杢に角がかり複式に傾く互の目乱れと、信仰に基づく緻密な彫物とを併せ持つ点を読む。主要工としては、室町中期に系の中核を定めた広正、相州伝の最末に立って皆焼と矢筈の刃を本領とし知名度も技量も高いとされる初代綱広、これと並び称せられて皆焼と彫物に優れた綱家が挙げられ、彫の巧緻によって一派から分かたれる総宗がこれに続く。鎌倉の面に立つ正広は南北朝以来の系を室町に伝え、皆焼風の乱れと彫物を遺す。なお江戸期の清平は加州兼若の系から稲葉家の抱工として小田原に転じた工で、相州在住の点で一派の名に連なるが、その作風は柾がかる加州物を基盤として別系をなす。伝来は概して大名家や寺社の格別な来歴を伴わず、その品位を支えるのは名高い由緒よりも、説明書が一口ごとに称える彫と鉄の質、そして在銘・生ぶに達した室町相州の稀少にある。在銘年紀の作はことに各代を読み分ける基準作となり、末期相州を学ぶ者にとって、相州伝の室町の様相を一口のうちに収める手がかりとなる。 詳しく見る →
戦国の世、一派は第二の主家に仕えた。小田原の後北条氏である。その庇護のもと綱広系は打刀の時代の皆焼を鍛え続け、1590年の落城とともに新刀の時代へ散った。
販売店の出品ページで鑑定書を確認できませんでした。日本刀および刀装具は通常、NBTHK(または NTHK)の鑑定を受けます。鑑定書がない場合、極めは販売店の見解にとどまり、第三者による確認は行われていません。ご購入前に販売店へ鑑定書の有無をお問い合わせのうえ、慎重にご判断ください。
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刃文は互の目丁子を焼き、華やかで魅力的な出来映えです。肌は板目肌が立ち、地景も明瞭に現れています。銘は磨上げにより一部が残る状態です。この短刀には彫物があり、茎の磨上げによって下部が一部隠れていますが、その大部分は健在です。彫物は「草の倶利伽羅(剣に巻き付く龍)」で、古刀らしい簡略化された意匠ながら、非常に力強く表現されています。拵は古い指し裏の書かれた白鞘に収められており、金着のハバキも非常に重厚で高級感があります。古色豊かな名品ながら、大変お求めやすい価格となっております。 銘:相(州)以下切 時代:室町時代(16世紀) 長さ:1尺3寸強(約40.0cm) 反り:10.5mm 元幅:32.9mm 元重:6.4mm 造り:平造り 棟:庵棟 茎:生茎(磨上げあり) 鍛え:板目肌 刃文:互の目乱れ 帽子:丸 状態:古研ぎ 【相州伝について】 今から約700年前の正応年間、執権・北条貞時は全国から名工を鎌倉に招き、相州鍛冶の基礎を築きました。相州伝の祖とされる五郎入道正宗は、京都・粟田口出身の行光の子と伝えられています。彼は当時の伝統的な作刀技術をさらに発展させ、独自の相州スタイルを確立しました。正宗から五代後の広正は小田原北条氏に仕え、二代氏綱より「綱」の字を賜って綱広と改名。後に徳川家の御用鍛冶としても繁栄しました。 室町時代に入ると、史上最高の名工とされる正宗の末流である相州鍛冶も、かつての輝きを失い、鍛錬技術に陰りが見え始めます。この時期には、それまでにない身幅の広い先反りのついた短刀や脇差が制作されるようになります。末相州の鍛冶は、島田派と同様に匂出来の皆焼(ひたつら)を焼くようになり、鎌倉・南北朝期の巨匠たちに見られた煌びやかな沸(にえ)主体の刃文は影を潜めます。広光、秋広、正広、広正といった銘は代々継承され、さらに広次、冬広、助広、高広らが活躍しました。高広を除き、これらの銘には数代の変遷があるようです。『古今銘尽』によれば、広次と助広は南北朝末期に大和国から移住した義広の系統とされていますが、その系譜の確定にはさらなる検証が必要です。 島田義助の門人である綱家の弟子とされる綱広は、その中でも技量に優れ、古名工を彷彿とさせる相州伝の作風を示しています。末相州の鍛冶は短刀や脇差に彫物を施すことを好み、中でも綱広は彫物の名手として知られ、その名は江戸時代まで受け継がれました。また、同時期には島田派の流れを汲む康国、康春、泰春の三名が活躍しました。特に康春は彫物を施した小振りの短刀を好んで制作しています。彼らは後北条氏に抱えられ、城下町である小田原に住したことから「小田原相州」と呼ばれました。末相州の刀剣には彫物が頻繁に見られますが、中でも房宗は精巧な彫物を得意とし、綱家との合作も残されています。末相州は通常乱れ刃を焼きますが、永正年間に活躍した国次は、短刀に直刃や細直刃を焼くなど独自の作風を示しました。国次の系譜については未だ詳らかではありません。 (本間順治 博士 記) 最新情報をご希望の方はこちら Nihonto Antiquesのメールマガジンにご登録ください。 【登録する】 ご登録ありがとうございました。 ご入力いただいたメールアドレスは厳重に管理され、当サイトからの更新情報の送信のみに使用されます。





相州伝 · 相模
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末相州は、相模国に興った相州伝が、正宗とその後を継いだ広光・秋広らの南北朝の頂点を過ぎた後、室町期に至ってなお同地に伝えられた一群を指す。その手は鎌倉と小田原の二つの面に分かれ、室町中期には広正の名が南北朝期から数代にわたって連綿と切られて系の中核をなし、室町後期には後北条氏の庇護のもとに小田原へ拠点が移る。説明書は、天文年間に活躍した初代綱広を広正の子孫と伝え、初銘を正広といい、北条氏綱に召されて小田原に住し綱の一字を賜って改銘したと記す。以後、綱広・綱家らが小田原八幡山に代々続いて後北条氏に仕え、相州住の五字銘を低く切る在銘・生ぶの作を遺した。鎌倉に残って正宗以来の地に鍛えた正広のごとき手と、小田原に移って北条のもとに鍛えた一群とが併存し、後者を総称して小田原相州と呼ぶ。説明書はこの一派を、相州伝の掉尾を飾る工として位置づける。 作風は、肌立った板目に杢目・流れ肌を交えた相州の地鉄に、皆焼を本領とする点を共通の語法とする。互の目乱れに丁子・矢筈の刃・尖り刃・小のたれを交え、先へ刃幅を増して焼き、飛焼・湯走り・棟焼を地に及ぼして総体に皆焼となる態で、匂口は締まりごころに小沸よくつき、足・葉入り、砂流しを交える。この皆焼は広光・秋広以来の手と伝えられ、説明書は綱広をその系譜に置きつつ、現存作にあって彼らとは形状を異にすると明記して、襲ぐ名手その人とその手とを区別する。彫物もまた一派を貫く見どころで、真および草の倶利迦羅、梵字、三鈷剣、護摩箸、蓮台、八幡大菩薩や南無妙法蓮華経の陰刻文字を表裏に密に施し、樋中・櫃中の浮彫を得意とする。中でも総宗は彫の巧緻において長く名があり、末相州独特の構図の倶利伽羅を据える。古典相州の頂点と分かつのは、沸の深さと鉄の冴えにおける差であって、小田原の手は締まりごころの匂勝ちの匂口に角がかる互の目を複式・腰開きの態に焼き、地は肌立ちながらも締まる傾きを見せ、姿は短寸に先反りつくものが多い。一派のうちでも振れ幅があり、皮焼の手前の互の目交りの小乱れに控える静かな作から、棟焼まで覆う厚い華やかな皆焼に開く作までを含む。 鑑定の勘どころは、この一群を古典相州の名作から分かつところにある。すなわち、沸の冴えにおいて南北朝の頂点に一歩を譲りつつ、肌立つ板目杢に角がかり複式に傾く互の目乱れと、信仰に基づく緻密な彫物とを併せ持つ点を読む。主要工としては、室町中期に系の中核を定めた広正、相州伝の最末に立って皆焼と矢筈の刃を本領とし知名度も技量も高いとされる初代綱広、これと並び称せられて皆焼と彫物に優れた綱家が挙げられ、彫の巧緻によって一派から分かたれる総宗がこれに続く。鎌倉の面に立つ正広は南北朝以来の系を室町に伝え、皆焼風の乱れと彫物を遺す。なお江戸期の清平は加州兼若の系から稲葉家の抱工として小田原に転じた工で、相州在住の点で一派の名に連なるが、その作風は柾がかる加州物を基盤として別系をなす。伝来は概して大名家や寺社の格別な来歴を伴わず、その品位を支えるのは名高い由緒よりも、説明書が一口ごとに称える彫と鉄の質、そして在銘・生ぶに達した室町相州の稀少にある。在銘年紀の作はことに各代を読み分ける基準作となり、末期相州を学ぶ者にとって、相州伝の室町の様相を一口のうちに収める手がかりとなる。 詳しく見る →
戦国の世、一派は第二の主家に仕えた。小田原の後北条氏である。その庇護のもと綱広系は打刀の時代の皆焼を鍛え続け、1590年の落城とともに新刀の時代へ散った。
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