戦国の関は一つの産業であった。春日神社を氏神と仰ぐ鍛冶たちが、中部日本の軍勢を武装させた。孫六兼元の三本杉と之定の最上作は、量産の町に第一級の技が息づいていたことの証である。
造り込み:両刃造りの短刀。長さは6寸(約18.1 cm)の中程なサイズ。ふくら枯れごころに刺突を意識した体配。 地鉄:板目肌立ち、流れごころの肌を交えた力強い鍛えで、微細な地沸つき、地景が青く浮かび上がる。 刃文:区より短く焼き落とし、広めの直刃調となる。刃境は明るい沸が厚くつき、足しきりに入り、砂流し、沸筋かかり、全体に輝くような冴えを見せる。 帽子:激しく掃き掛け、中丸ごころを呈する。 茎:生で銘受穴1個。栗尻。刃長に対して茎は比較的長く、表に逆鷹の羽、裏に鷹の羽の鑢目。銘受穴の上方に、古雅な「兼延」の二字銘がある。 これは15世紀後半、室町時代の尾張の兼延(読み方はカネノブとも)の、見事に古典的な短刀である。 「兼延」は『日本刀銘鑑』において、応安頃(1368~)の直江志津系として記録されている。 兼友、兼俊、兼延といった一般に直江志津派と呼ばれる工たちは、直江の地に拠点を築き、南北両朝が50年間にわたり戦った南北朝時代の需要の急増に応えて繁栄した。 南北朝の最盛期、直江志津の刀工たちは、相州伝と大和伝の技術を融合させた美濃伝の黎明期の作風を完成させた。 直江派は、南北朝合流後の需要減退や度重なる河川の氾濫により、本来の直江の地を離れ、関や赤坂、あるいは大山へと移り住んだ。 明応頃(1492~)の「兼延」は、大山に住んだ「兼在」の子と言われ、後に尾張地方へ移住した。兼延、兼次、国次といった志賀(現在の名古屋市北区金城町)や山田庄(西春日井郡山田村)の北部に住んだこの系統は、「志賀関」あるいは「山田関」と呼ばれ、尾張作刀の基礎を築いた。 本作の短刀は、両刃造りの刺突に適した堅牢な体配を特徴とし、打刀の添え差しとして重宝された。地鉄は深みのある青黒い色調に杢目や流れ肌が混じり、深淵から湧き出るような力強い鍛えに地沸の微粒子が輝く。刃文は上方にいくほど焼きが強く、帽子は激しく力強い掃き掛けとなり、堅牢かつダイナミックな焼入れの構造を示している。この短刀の全体的な印象は生命感に満ちている。 刀身は年代の割に非常に良好な状態として賞賛され、茎には500年以上の歳月を経た優れた錆味がある。 (附)金石目地塗鞘馬手差風合口拵 右腰用の合口拵は、縁頭、小口、返角のすべてが角製で、目貫は狛犬の形をしている。柄は白い鮫革を「柳生」スタイルで巻き、紺の漆塗りの革で片手巻きにされている。この右腰用拵の最大の特徴は、瞬時の刺突を意図した設計にある。右手の裏側にあたる返角と小口の間が削り取られており、鞘を帯の右腰に密着させて固定できるようになっている。鞘の補強金具は小口から指一本分の位置に配置されており、片手での保持と瞬時の抜き放ちを可能にしている。 この右腰用の装着スタイルは、柳生流の忍びが「間剣」と呼ばれる隠し武器として身近に携帯したことに由来すると言われている。 山銅地一重払木、白鞘入り 最近の良質な研ぎ/状態評価:very good(mint-excellent-very good-good-fair-poorの尺度による) 参考文献: 本間薫山/石井正国『日本刀銘鑑』雄山閣、1975年 本間薫山/佐藤貫一『日本刀大鑑 古刀三』大塚巧藝社、1969年 鈴木卓夫/杉浦良幸『室町期美濃刀工の研究』里文出版、2006年




販売店の記載のまま
店舗の英語原文からの機械翻訳・誤りを含む場合があります ·
美濃伝 · 尾張 · 1492-1501頃
藤代 上作 · 刀剣大鑑 上位49%
現在2点販売中
兼延の位置づけを、日本刀全体および伝法・時代・時期ごとに示します。各区分(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
美濃伝 · 美濃
現在129点販売中
美濃国の関は、南北朝より室町、新刀期に至るまで日本刀の一大生産地として栄えた鍛冶の地である。その源流は二つに発し、説明書は金重と志津兼氏とを並べて美濃鍛冶の祖とする。金重は『古今銘尽』に法名道阿、越前敦賀の住人と伝えられ、敦賀より関へ越えて住したといい、相州正宗十哲の一に数えられて、沸の厚い穏やかな手を美濃の地鉄に持ち込んだ。兼氏に発する志津の系は、尖り互の目に走る乱調をもって、いま一つの根をなす。この二流が南北朝の美濃伝を形づくり、金行のごとく金重に続く工、室町に入って善定派の兼吉のように大和手掻の血を関に運んだ工が加わって、流れは広がった。室町後期には兼元・兼定の二名を頂点とする末関の隆盛を迎え、孫六兼元の名と和泉守兼定の受領とが、地方の量産地にとどまらぬ関の格を世に示した。大和と相州の二つの源流に、備前を意識した白け映りの地が結ばれて、美濃伝という一個の伝法が立ったのである。 関物を貫くのは、工と系統の差を越えて繰り返される美濃の共通語法である。地鉄は板目に柾を交えてしばしば肌立ち、刃寄りに柾がかり、鎬地は柾に流れる。その地に立つ映りは備前の明るい乱れ映りではなく、淡く白ける美濃鉄の靄のような白け映りで、説明書はこれを終始、備前と作を分かつ見どころとして掲げる。刃文は互の目を主調に尖り刃を交え、兼元にあっては整然と並ぶ尖り刃の三本杉となり、兼定や兼之にあっては頭の丸い互の目とのたれを交えて変化に富む。沸は乾いて締まり、匂口は冴え、足入り、砂流し・細かな金筋が刃中を走る。帽子は乱れ込んで先尖りごころとなり、あるいは丸く地蔵風に返る。これらは関の背骨をなす型であって、工により濃淡を異にする。金重・金行の手は穏やかで地が肌立ち、善定兼吉は大和の血を負って締った直刃と柾がかる板目を見せ、末関の氏房は大らかなのたれに尖り刃を折り込み、兼房は頭の丸い互の目の兼房乱れを得意とする。同じ語法のうちに、それぞれの工の手が読み分けられる。 収集家が関物を求めるのは、その鑑定が手応えを伴う一個の眼の修練だからである。映りが白く沸が乾いて締まる美濃の地刃は、備前の華やかな映りとも、山城の長く澄んだ直刃とも異なり、これを見分けることが関を識る勘所となる。主要工の格は説明書の評にそのまま現れる。孫六兼元は三本杉の創始者として名を成し、和泉守兼定すなわちノサダは、白ける板目に焼いた賑やかな美濃の刃と来国俊風の細直刃の双方を能くして、古刀期に珍しい受領を許され、刀剣書が「すぐれたる上手」と評する当代第一の手とされる。兼之は末関中最もよく練れた鍛えを見せて作域広く、永正・大永のノサダとして賞玩が厚い。これらの名は将軍家・大名家の伝来を負い、ノサダの太刀には武田信虎のために打たれた一口があり、菊花紋を切った刀は皇室との関わりを示し、徳川将軍家への献上を経た金重の短刀も伝わる。末関の氏房一門は清須・名古屋へ移って尾張新刀三祖の一を生み、古い美濃の手が新たな伝統へ移る蝶番に立った。切れ味をもって武用に応えた量産の地でありながら、孫六兼元らの最上手の作は美術的価値においても高く評され、その白け映りと乾いた沸の手を識ることが、美濃伝いかに始まり継がれたかを語る証となる。 詳しく見る →
室町時代の美濃
戦国の関は一つの産業であった。春日神社を氏神と仰ぐ鍛冶たちが、中部日本の軍勢を武装させた。孫六兼元の三本杉と之定の最上作は、量産の町に第一級の技が息づいていたことの証である。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイト返品は商品到着後7日以内に当社までご連絡ください。お客様のご指定による寸法などの仕様の変更を行った際はご返品を受けかねます。送料および振込み手数料はお客様のご負担とさせていただきます。
¥600,000