戦国の関は一つの産業であった。春日神社を氏神と仰ぐ鍛冶たちが、中部日本の軍勢を武装させた。孫六兼元の三本杉と之定の最上作は、量産の町に第一級の技が息づいていたことの証である。
日本刀 兼延(保存刀剣鑑定書付属) 【解説】 本作は、室町時代中期から後期(約500年前)にかけて尾張国(現在の愛知県)で活躍した「兼延」による一振りです。兼延は尾張関の鍛冶として分類されますが、その系譜は美濃国(現在の岐阜県)の「直江志津」派に連なります。 鎌倉時代末期(14世紀初頭)、大和国(現在の奈良県)より兼氏が美濃国志津の地に移り住み、志津派を興しました。南北朝時代に入ると、兼氏の子や門人である兼友、兼俊、そして兼延らが同国直江へと移住します。彼らはその居住地から「直江志津」と呼称されるようになりました。 兼延の名は数代にわたって受け継がれており、初代兼延は流祖・兼氏の次男として南北朝中期(延文頃・1358年〜)に活躍、二代は南北朝末期(明徳頃・1390年〜)に活躍しました。志賀関の兼延は、この名門の系譜を継ぐ末流にあたります。 兼延および同派の作風は、実用性と鋭い切れ味で知られる「美濃伝」の影響を強く受けています。美濃伝の特色は、尖り刃を交える刃文や、直刃調に乱れが混じる構成、そして時に現れる白神がかった「映り」にあります。鎌倉末期の大和伝を源流とし、室町時代を通じて隆盛を極め、江戸時代までその伝統は受け継がれました。 美濃および尾張の刀工の繁栄は、武器の需要が急増した戦国時代の動乱と密接に関係しています。当時、織田信長(尾張)、明智光秀(美濃)、徳川家康(隣接する駿河・三河)といった有力大名が中日本を支配していました。京都と関東を結ぶ要所に位置する美濃は、諸大名へ刀剣を供給する上で理想的な立地であり、兼延の系譜を含む多くの美濃鍛冶が各地の諸侯に招かれ、その作風を広めることとなりました。 本刀は、公益財団法人 日本美術刀剣保存協会(NBTHK)により「保存刀剣」として鑑定された確かな御品です。この鑑定書は、保存状態が良く、美術的価値の高い真筆の日本刀にのみ与えられるものです。 ※棟(むね)に僅かな鍛え傷がございます。詳細なコンディションについては、お気軽にお問い合わせください。 【刀身】 長さ(Nagasa):74.4 cm 反り(Sori):2.4 cm 刃文(Hamon):焼入れによって刃先に現れる結晶構造。 地文(Jihada):折り返し鍛錬によって生じる鋼の表面模様。 切先(Kissaki):刀身の先端部分。 茎(Nakago):柄に収まる中心(なかご)部分。 日本刀の茎に残された黒錆は、柄内部での赤錆の発生を防ぐ役割があります。経年による茎の変色は、専門家が制作年代を推定する際の重要な指標となります。 【拵】 拵(Koshirae):鞘、柄、鍔などを含めた外装一式。 縁頭(Fuchi-Kashira):柄の両端を保護する一対の金具。 本作の縁頭の図案は「唐草文様」です。 唐草は、植物の茎や葉が絡み合い、曲線を描く文様です。蔦は生命力が強く、途切れることなく伸び続けることから、繁栄や長寿の象徴として尊ばれてきました。


























美濃伝 · 尾張 · 1492-1501頃
藤代 Jo saku · 刀剣大鑑 上位49%
現在2点販売中
兼延の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
美濃伝 · 美濃
現在165点販売中
美濃国の関は、南北朝より室町、新刀期に至るまで日本刀の一大生産地として栄えた鍛冶の地である。その源流は二つに発し、説明書は金重と志津兼氏とを並べて美濃鍛冶の祖とする。金重は『古今銘尽』に法名道阿、越前敦賀の住人と伝えられ、敦賀より関へ越えて住したといい、相州正宗十哲の一に数えられて、沸の厚い穏やかな手を美濃の地鉄に持ち込んだ。兼氏に発する志津の系は、尖り互の目に走る乱調をもって、いま一つの根をなす。この二流が南北朝の美濃伝を形づくり、金行のごとく金重に続く工、室町に入って善定派の兼吉のように大和手掻の血を関に運んだ工が加わって、流れは広がった。室町後期には兼元・兼定の二名を頂点とする末関の隆盛を迎え、孫六兼元の名と和泉守兼定の受領とが、地方の量産地にとどまらぬ関の格を世に示した。大和と相州の二つの源流に、備前を意識した白け映りの地が結ばれて、美濃伝という一個の伝法が立ったのである。 関物を貫くのは、工と系統の差を越えて繰り返される美濃の共通語法である。地鉄は板目に柾を交えてしばしば肌立ち、刃寄りに柾がかり、鎬地は柾に流れる。その地に立つ映りは備前の明るい乱れ映りではなく、淡く白ける美濃鉄の靄のような白け映りで、説明書はこれを終始、備前と作を分かつ見どころとして掲げる。刃文は互の目を主調に尖り刃を交え、兼元にあっては整然と並ぶ尖り刃の三本杉となり、兼定や兼之にあっては頭の丸い互の目とのたれを交えて変化に富む。沸は乾いて締まり、匂口は冴え、足入り、砂流し・細かな金筋が刃中を走る。帽子は乱れ込んで先尖りごころとなり、あるいは丸く地蔵風に返る。これらは関の背骨をなす型であって、工により濃淡を異にする。金重・金行の手は穏やかで地が肌立ち、善定兼吉は大和の血を負って締った直刃と柾がかる板目を見せ、末関の氏房は大らかなのたれに尖り刃を折り込み、兼房は頭の丸い互の目の兼房乱れを得意とする。同じ語法のうちに、それぞれの工の手が読み分けられる。 収集家が関物を求めるのは、その鑑定が手応えを伴う一個の眼の修練だからである。映りが白く沸が乾いて締まる美濃の地刃は、備前の華やかな映りとも、山城の長く澄んだ直刃とも異なり、これを見分けることが関を識る勘所となる。主要工の格は説明書の評にそのまま現れる。孫六兼元は三本杉の創始者として名を成し、和泉守兼定すなわちノサダは、白ける板目に焼いた賑やかな美濃の刃と来国俊風の細直刃の双方を能くして、古刀期に珍しい受領を許され、刀剣書が「すぐれたる上手」と評する当代第一の手とされる。兼之は末関中最もよく練れた鍛えを見せて作域広く、永正・大永のノサダとして賞玩が厚い。これらの名は将軍家・大名家の伝来を負い、ノサダの太刀には武田信虎のために打たれた一口があり、菊花紋を切った刀は皇室との関わりを示し、徳川将軍家への献上を経た金重の短刀も伝わる。末関の氏房一門は清須・名古屋へ移って尾張新刀三祖の一を生み、古い美濃の手が新たな伝統へ移る蝶番に立った。切れ味をもって武用に応えた量産の地でありながら、孫六兼元らの最上手の作は美術的価値においても高く評され、その白け映りと乾いた沸の手を識ることが、美濃伝いかに始まり継がれたかを語る証となる。 詳しく見る →
室町時代の美濃
戦国の関は一つの産業であった。春日神社を氏神と仰ぐ鍛冶たちが、中部日本の軍勢を武装させた。孫六兼元の三本杉と之定の最上作は、量産の町に第一級の技が息づいていたことの証である。
銘が正しい、または無銘でも年代・国・系統を確実に指摘できる、保存に値する真正の作と鑑定されたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトReturns/exchanges limited to defects caused by shipping (except willful misconduct or gross negligence by the company); customers must contact within 72 hours of receiving the product.
日本刀 兼延(保存刀剣鑑定書付属) 【解説】 本作は、室町時代中期から後期(約500年前)にかけて尾張国(現在の愛知県)で活躍した「兼延」による一振りです。兼延は尾張関の鍛冶として分類されますが、その系譜は美濃国(現在の岐阜県)の「直江志津」派に連なります。 鎌倉時代末期(14世紀初頭)、大和国(現在の奈良県)より兼氏が美濃国志津の地に移り住み、志津派を興しました。南北朝時代に入ると、兼氏の子や門人である兼友、兼俊、そして兼延らが同国直江へと移住します。彼らはその居住地から「直江志津」と呼称されるようになりました。 兼延の名は数代にわたって受け継がれており、初代兼延は流祖・兼氏の次男として南北朝中期(延文頃・1358年〜)に活躍、二代は南北朝末期(明徳頃・1390年〜)に活躍しました。志賀関の兼延は、この名門の系譜を継ぐ末流にあたります。 兼延および同派の作風は、実用性と鋭い切れ味で知られる「美濃伝」の影響を強く受けています。美濃伝の特色は、尖り刃を交える刃文や、直刃調に乱れが混じる構成、そして時に現れる白神がかった「映り」にあります。鎌倉末期の大和伝を源流とし、室町時代を通じて隆盛を極め、江戸時代までその伝統は受け継がれました。 美濃および尾張の刀工の繁栄は、武器の需要が急増した戦国時代の動乱と密接に関係しています。当時、織田信長(尾張)、明智光秀(美濃)、徳川家康(隣接する駿河・三河)といった有力大名が中日本を支配していました。京都と関東を結ぶ要所に位置する美濃は、諸大名へ刀剣を供給する上で理想的な立地であり、兼延の系譜を含む多くの美濃鍛冶が各地の諸侯に招かれ、その作風を広めることとなりました。 本刀は、公益財団法人 日本美術刀剣保存協会(NBTHK)により「保存刀剣」として鑑定された確かな御品です。この鑑定書は、保存状態が良く、美術的価値の高い真筆の日本刀にのみ与えられるものです。 ※棟(むね)に僅かな鍛え傷がございます。詳細なコンディションについては、お気軽にお問い合わせください。 【刀身】 長さ(Nagasa):74.4 cm 反り(Sori):2.4 cm 刃文(Hamon):焼入れによって刃先に現れる結晶構造。 地文(Jihada):折り返し鍛錬によって生じる鋼の表面模様。 切先(Kissaki):刀身の先端部分。 茎(Nakago):柄に収まる中心(なかご)部分。 日本刀の茎に残された黒錆は、柄内部での赤錆の発生を防ぐ役割があります。経年による茎の変色は、専門家が制作年代を推定する際の重要な指標となります。 【拵】 拵(Koshirae):鞘、柄、鍔などを含めた外装一式。 縁頭(Fuchi-Kashira):柄の両端を保護する一対の金具。 本作の縁頭の図案は「唐草文様」です。 唐草は、植物の茎や葉が絡み合い、曲線を描く文様です。蔦は生命力が強く、途切れることなく伸び続けることから、繁栄や長寿の象徴として尊ばれてきました。


























美濃伝 · 尾張 · 1492-1501頃
藤代 Jo saku · 刀剣大鑑 上位49%
現在2点販売中
兼延の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
美濃伝 · 美濃
現在165点販売中
美濃国の関は、南北朝より室町、新刀期に至るまで日本刀の一大生産地として栄えた鍛冶の地である。その源流は二つに発し、説明書は金重と志津兼氏とを並べて美濃鍛冶の祖とする。金重は『古今銘尽』に法名道阿、越前敦賀の住人と伝えられ、敦賀より関へ越えて住したといい、相州正宗十哲の一に数えられて、沸の厚い穏やかな手を美濃の地鉄に持ち込んだ。兼氏に発する志津の系は、尖り互の目に走る乱調をもって、いま一つの根をなす。この二流が南北朝の美濃伝を形づくり、金行のごとく金重に続く工、室町に入って善定派の兼吉のように大和手掻の血を関に運んだ工が加わって、流れは広がった。室町後期には兼元・兼定の二名を頂点とする末関の隆盛を迎え、孫六兼元の名と和泉守兼定の受領とが、地方の量産地にとどまらぬ関の格を世に示した。大和と相州の二つの源流に、備前を意識した白け映りの地が結ばれて、美濃伝という一個の伝法が立ったのである。 関物を貫くのは、工と系統の差を越えて繰り返される美濃の共通語法である。地鉄は板目に柾を交えてしばしば肌立ち、刃寄りに柾がかり、鎬地は柾に流れる。その地に立つ映りは備前の明るい乱れ映りではなく、淡く白ける美濃鉄の靄のような白け映りで、説明書はこれを終始、備前と作を分かつ見どころとして掲げる。刃文は互の目を主調に尖り刃を交え、兼元にあっては整然と並ぶ尖り刃の三本杉となり、兼定や兼之にあっては頭の丸い互の目とのたれを交えて変化に富む。沸は乾いて締まり、匂口は冴え、足入り、砂流し・細かな金筋が刃中を走る。帽子は乱れ込んで先尖りごころとなり、あるいは丸く地蔵風に返る。これらは関の背骨をなす型であって、工により濃淡を異にする。金重・金行の手は穏やかで地が肌立ち、善定兼吉は大和の血を負って締った直刃と柾がかる板目を見せ、末関の氏房は大らかなのたれに尖り刃を折り込み、兼房は頭の丸い互の目の兼房乱れを得意とする。同じ語法のうちに、それぞれの工の手が読み分けられる。 収集家が関物を求めるのは、その鑑定が手応えを伴う一個の眼の修練だからである。映りが白く沸が乾いて締まる美濃の地刃は、備前の華やかな映りとも、山城の長く澄んだ直刃とも異なり、これを見分けることが関を識る勘所となる。主要工の格は説明書の評にそのまま現れる。孫六兼元は三本杉の創始者として名を成し、和泉守兼定すなわちノサダは、白ける板目に焼いた賑やかな美濃の刃と来国俊風の細直刃の双方を能くして、古刀期に珍しい受領を許され、刀剣書が「すぐれたる上手」と評する当代第一の手とされる。兼之は末関中最もよく練れた鍛えを見せて作域広く、永正・大永のノサダとして賞玩が厚い。これらの名は将軍家・大名家の伝来を負い、ノサダの太刀には武田信虎のために打たれた一口があり、菊花紋を切った刀は皇室との関わりを示し、徳川将軍家への献上を経た金重の短刀も伝わる。末関の氏房一門は清須・名古屋へ移って尾張新刀三祖の一を生み、古い美濃の手が新たな伝統へ移る蝶番に立った。切れ味をもって武用に応えた量産の地でありながら、孫六兼元らの最上手の作は美術的価値においても高く評され、その白け映りと乾いた沸の手を識ることが、美濃伝いかに始まり継がれたかを語る証となる。 詳しく見る →
室町時代の美濃
戦国の関は一つの産業であった。春日神社を氏神と仰ぐ鍛冶たちが、中部日本の軍勢を武装させた。孫六兼元の三本杉と之定の最上作は、量産の町に第一級の技が息づいていたことの証である。
銘が正しい、または無銘でも年代・国・系統を確実に指摘できる、保存に値する真正の作と鑑定されたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトReturns/exchanges limited to defects caused by shipping (except willful misconduct or gross negligence by the company); customers must contact within 72 hours of receiving the product.