戦国の関は一つの産業であった。春日神社を氏神と仰ぐ鍛冶たちが、中部日本の軍勢を武装させた。孫六兼元の三本杉と之定の最上作は、量産の町に第一級の技が息づいていたことの証である。
販売価格 (税込) ¥980,000 在庫状態 : 在庫有り 数量 振 B4111 98万円 千手院 さび、刃こぼれなし。板目流れて柾がかる。互の目乱れ続く。小切先。磨り上茎。金色二重ハバキ。黒塗ツヤ鞘。覆輪付丸形鉄ツバ。「無銘(美濃千手院)」。日本美術刀剣保存協会 保存刀剣鑑定書。 刀番 B4111 万円 98万円 銘 千手院 長さcm 69.2 反り 2.4 目釘 2 時代 室町時代中期 刃文 乱 元幅 2.8 元重 0.5 先幅 1.6 先重 0.3 重g 556 登録番号 東京245337 登録年 昭和63年

美濃伝 · 美濃
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美濃千手院は赤坂千手院とも呼ばれ、大和千手院派の流れを汲む一派である。説示によれば、大和千手院の刀工が美濃国赤坂へ移住して興ったもので、その移住期は建武の頃と伝える国重をはじめとして南北朝末葉に及ぶとされ、室町時代に殊に繁栄した。校正古刀銘鑑はこの派の祖を国長とし、貞和頃から延文・永徳を経て明応に至るまで複数の国長がいたことを記す。説示が扱う工には、二字銘の太刀を残す国重、貞治頃と銘鑑にある国行、応安元年紀の短刀を遺す国長、室町の弘長と弘重、さらに後代の道永や道印、康道、ただ千手院とのみ切る者がある。これとは別に、越前敦賀から美濃へ移った越州藤原国行があり、応安六年から翌年八月までの間に濃州入りしたと押形所載の銘から推測されている。 作風は板目に柾がかり、あるいは柾目の強い鍛えに大和の特色が濃く現れる点を共通の語法とする。説示は肌立ちごころとなって地沸がつき、地景が入り、総体に白けごころを帯び、鉄色に黒みのあることを繰り返し記す。刃文は直刃や小のたれを基調に互の目や小乱れを交え、刃縁にほつれや喰違いを見せ、砂流しと金筋がかかって匂口締まりごころに小沸がつく。帽子は乱れ込んで掃きかけ、尖りごころに返るものが多い。一般の関物と比べて大和気質が一段と濃く、刃文の出来に隔たりがあることが見分けの手がかりとされる。越州国行に限っては別の作域を示し、板目に柾を交えて荒めの沸がつき、湯走りや飛焼、棟焼を交えて皆焼状となり、相州伝を思わせる沸出来を強調する。 鑑定の要点は、地鉄に大和の根を残しつつ刃に美濃色への移行を読むことにあり、地刃が他の美濃物と争い難い一致を見せる一方、刃文の傾きで識別される。個名を切る作は頗る少なく、千手院とのみ銘するものが多いため、有銘の国行や国重、国長の作は貴重な資料とされる。代表作には佩表に二字銘を有する国行の太刀、南北朝期の国重の太刀、応安元年紀の国長短刀、弘長と弘重の合作槍、千手院作の大身槍があり、銘鑑や光山押形と銘振りを照合して極めの根拠とする。越州国行の濃州住の在銘作は、移住後の作例として、また細直刃という新たな作域を示す点で資料性が高い。室町後期まで命脈を保ったこの一派は、大和から美濃へ流れた刀工の足跡を地刃に刻む系統として位置づけられる。 詳しく見る →
室町時代の美濃
戦国の関は一つの産業であった。春日神社を氏神と仰ぐ鍛冶たちが、中部日本の軍勢を武装させた。孫六兼元の三本杉と之定の最上作は、量産の町に第一級の技が息づいていたことの証である。
銘が正しい、または無銘でも年代・国・系統を確実に指摘できる、保存に値する真正の作と鑑定されたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
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