説明

日本美術刀剣保存協会(NBTHK)保存刀剣鑑定書:兼先 本作の体配から、室町中期から末期(1429-1573年頃)の制作と推定されます。 同時代に活躍した兼先には、以下の諸工が挙げられます。 ・兼先:永享頃(1429-1441)美濃。赤坂千手院派。国長の子と伝えられ、応永から永享にかけて活躍。 ・兼先:文亀頃(1501-1504)美濃。「濃州関住兼先」と銘を切る。通称、右衛門四郎。永享頃の赤坂千手院兼先の子、あるいは門人とされる。後に関へ移り善定兼重の門に入ったが、二代善定兼吉の子とする説もある。互の目乱れ、直刃を焼き、切味は「和歌物(ワザモノ)」、位列は「中上作」に列せられる。 ・兼先:大永頃(1521-1528)美濃。「濃州関住兼先作」と銘を切る。右衛門四郎兼先の子。後に佐渡へ移住した兼先と同一人物と伝えられる。槍の制作も多く、肌は板目に流れ肌(柾目)が交じり、刃文は直刃、互の目のほか、兼房の「兼房乱れ」を彷彿とさせる互の目乱れを焼く。 銘:兼先(保存刀剣鑑定書による) 時代:室町中期〜末期(1429-1573) 刃長:49.5 cm 反り:22 mm 元幅:31.7 mm 先幅:35 mm 元重:8.7 mm 先重:6 mm 目釘穴:5個 鑑定書:日本美術刀剣保存協会 保存刀剣鑑定書(第3030176号) 登録証:申請中 附属品:申請中 www.tsuba-no-kake.com 2025 価格:お問い合わせください

Naginata Kanesaki Mumei 無銘 NBTHK Hozon Kanesaki

Naginata Kanesaki Mumei 無銘 NBTHK Hozon Kanesaki

薙刀

€3,650

世界81社の刀剣商を横断追跡 · 価格履歴 · 売却アーカイブ

仕様

長さ

93.5 cm

反り

2.2 cm

元幅

3.17 cm

先幅

3.5 cm

流派について

Mino Senjuin School美濃千手院派

1 重要刀剣

美濃千手院は赤坂千手院とも呼ばれ、大和千手院派の流れを汲む一派である。説示によれば、大和千手院の刀工が美濃国赤坂へ移住して興ったもので、その移住期は建武の頃と伝える国重をはじめとして南北朝末葉に及ぶとされ、室町時代に殊に繁栄した。校正古刀銘鑑はこの派の祖を国長とし、貞和頃から延文・永徳を経て明応に至るまで複数の国長がいたことを記す。説示が扱う工には、二字銘の太刀を残す国重、貞治頃と銘鑑にある国行、応安元年紀の短刀を遺す国長、室町の弘長と弘重、さらに後代の道永や道印、康道、ただ千手院とのみ切る者がある。これとは別に、越前敦賀から美濃へ移った越州藤原国行があり、応安六年から翌年八月までの間に濃州入りしたと押形所載の銘から推測されている。 作風は板目に柾がかり、あるいは柾目の強い鍛えに大和の特色が濃く現れる点を共通の語法とする。説示は肌立ちごころとなって地沸がつき、地景が入り、総体に白けごころを帯び、鉄色に黒みのあることを繰り返し記す。刃文は直刃や小のたれを基調に互の目や小乱れを交え、刃縁にほつれや喰違いを見せ、砂流しと金筋がかかって匂口締まりごころに小沸がつく。帽子は乱れ込んで掃きかけ、尖りごころに返るものが多い。一般の関物と比べて大和気質が一段と濃く、刃文の出来に隔たりがあることが見分けの手がかりとされる。越州国行に限っては別の作域を示し、板目に柾を交えて荒めの沸がつき、湯走りや飛焼、棟焼を交えて皆焼状となり、相州伝を思わせる沸出来を強調する。 鑑定の要点は、地鉄に大和の根を残しつつ刃に美濃色への移行を読むことにあり、地刃が他の美濃物と争い難い一致を見せる一方、刃文の傾きで識別される。個名を切る作は頗る少なく、千手院とのみ銘するものが多いため、有銘の国行や国重、国長の作は貴重な資料とされる。代表作には佩表に二字銘を有する国行の太刀、南北朝期の国重の太刀、応安元年紀の国長短刀、弘長と弘重の合作槍、千手院作の大身槍があり、銘鑑や光山押形と銘振りを照合して極めの根拠とする。越州国行の濃州住の在銘作は、移住後の作例として、また細直刃という新たな作域を示す点で資料性が高い。室町後期まで命脈を保ったこの一派は、大和から美濃へ流れた刀工の足跡を地刃に刻む系統として位置づけられる。

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