戦国の関は一つの産業であった。春日神社を氏神と仰ぐ鍛冶たちが、中部日本の軍勢を武装させた。孫六兼元の三本杉と之定の最上作は、量産の町に第一級の技が息づいていたことの証である。
日本刀 刀:無銘 美濃千手院(日本美術刀剣保存協会 保存刀剣鑑定書付) 【解説】 本作は、南北朝時代後期から室町時代後期(14世紀半ば〜16世紀初頭)にかけて美濃国(現在の岐阜県)で隆盛した名門、「美濃千手院」と極められた一振りです。日本美術刀剣保存協会(日保)の鑑定によれば、本作の制作年代は室町時代中期から後期(15世紀後半〜16世紀初頭)と推定されます。 美濃千手院派は、古来より交通の要衝であり軍事拠点でもあった関ヶ原近郊の赤坂の地に居を構えました。その祖は、大和国千手院重弘の子である「泉水」と伝えられています。大和伝は平安後期から鎌倉時代にかけて屈指の勢力を誇った五ヶ伝の一つですが、南北朝時代、泉水が大和国(現在の奈良県)から美濃国赤坂へと移住したことで、美濃千手院の歴史が始まりました。 (大和千手院派について) 奈良の東大寺に属する千手堂には、千手観音菩薩が祀られており、その周辺に住した刀工集団が「千手院」と呼ばれました。流祖は平安後期(1086〜1107年頃)の行信とされ、東大寺の御抱え鍛冶として奉仕しました。本作の源流には、この大和伝の崇高な伝統が息づいています。 本刀は、日本美術刀剣保存協会(NBTHK)より「保存刀剣」の鑑定を受けております。これは、正真であることはもちろん、保存状態が良く、美術品としての価値が高い刀剣にのみ与えられる証です。 (太刀拵) 本作は格調高い太刀拵に収められています。太刀は平安時代から室町時代初期にかけて、主に騎馬武者が甲冑を着用した際に用いられました。刃を下に向けて腰に吊るす「佩用(はいよう)」の様式は、馬上から地上を狙う際に素早く抜き放つための合理的な形式です。その華やかな外装は、武士の社会的地位を象徴するステータスでもありました。 ※刀身には僅かに鍛え傷が見受けられます。詳細なコンディションについては、お気軽にお問い合わせください。 【刀身諸元】 長さ(刃長):71.6 cm 反り:2.2 cm 刃文:焼入れによって刃先に現れる結晶構造。 地紋(地肌):折り返し鍛錬によって生じる鋼の表面模様。 切先:刀身の先端部分。 茎(なかご):柄に収まる中心部分。 日本の刀工は、柄内部の赤錆を防ぐために茎の「黒錆」をあえて残します。この錆色(経年変化)は、専門家が制作年代を特定する際の重要な指標となります。 【拵】 拵(こしらえ):鞘、柄、鍔などから構成される外装一式。 縁頭(ふちがしら):柄の両端を保護し装飾する一対の金具。 本作の縁頭には、日本の伝統的な家紋である「藤紋」が施されています。藤はマメ科の落葉つる性植物で、古くから日本の山野に自生しています。 藤はその長い寿命と旺盛な生命力から、古来より吉祥の植物とされてきました。日本最古の歌集『万葉集』にも登場し、その優美な姿が讃えられています。 この象徴性の高さから、藤紋は家紋として広く普及しただけでなく、着物や漆器などの工芸品にも好んで用いられました。しなやかに垂れ下がる花房の意匠は、格別の気品を漂わせています。

























美濃伝 · 美濃
現在7点販売中
美濃千手院は赤坂千手院とも呼ばれ、大和千手院派の流れを汲む一派である。説示によれば、大和千手院の刀工が美濃国赤坂へ移住して興ったもので、その移住期は建武の頃と伝える国重をはじめとして南北朝末葉に及ぶとされ、室町時代に殊に繁栄した。校正古刀銘鑑はこの派の祖を国長とし、貞和頃から延文・永徳を経て明応に至るまで複数の国長がいたことを記す。説示が扱う工には、二字銘の太刀を残す国重、貞治頃と銘鑑にある国行、応安元年紀の短刀を遺す国長、室町の弘長と弘重、さらに後代の道永や道印、康道、ただ千手院とのみ切る者がある。これとは別に、越前敦賀から美濃へ移った越州藤原国行があり、応安六年から翌年八月までの間に濃州入りしたと押形所載の銘から推測されている。 作風は板目に柾がかり、あるいは柾目の強い鍛えに大和の特色が濃く現れる点を共通の語法とする。説示は肌立ちごころとなって地沸がつき、地景が入り、総体に白けごころを帯び、鉄色に黒みのあることを繰り返し記す。刃文は直刃や小のたれを基調に互の目や小乱れを交え、刃縁にほつれや喰違いを見せ、砂流しと金筋がかかって匂口締まりごころに小沸がつく。帽子は乱れ込んで掃きかけ、尖りごころに返るものが多い。一般の関物と比べて大和気質が一段と濃く、刃文の出来に隔たりがあることが見分けの手がかりとされる。越州国行に限っては別の作域を示し、板目に柾を交えて荒めの沸がつき、湯走りや飛焼、棟焼を交えて皆焼状となり、相州伝を思わせる沸出来を強調する。 鑑定の要点は、地鉄に大和の根を残しつつ刃に美濃色への移行を読むことにあり、地刃が他の美濃物と争い難い一致を見せる一方、刃文の傾きで識別される。個名を切る作は頗る少なく、千手院とのみ銘するものが多いため、有銘の国行や国重、国長の作は貴重な資料とされる。代表作には佩表に二字銘を有する国行の太刀、南北朝期の国重の太刀、応安元年紀の国長短刀、弘長と弘重の合作槍、千手院作の大身槍があり、銘鑑や光山押形と銘振りを照合して極めの根拠とする。越州国行の濃州住の在銘作は、移住後の作例として、また細直刃という新たな作域を示す点で資料性が高い。室町後期まで命脈を保ったこの一派は、大和から美濃へ流れた刀工の足跡を地刃に刻む系統として位置づけられる。 詳しく見る →
室町時代の美濃
戦国の関は一つの産業であった。春日神社を氏神と仰ぐ鍛冶たちが、中部日本の軍勢を武装させた。孫六兼元の三本杉と之定の最上作は、量産の町に第一級の技が息づいていたことの証である。
銘が正しい、または無銘でも年代・国・系統を確実に指摘できる、保存に値する真正の作と鑑定されたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトReturns/exchanges limited to defects caused by shipping (except willful misconduct or gross negligence by the company); customers must contact within 72 hours of receiving the product.
日本刀 刀:無銘 美濃千手院(日本美術刀剣保存協会 保存刀剣鑑定書付) 【解説】 本作は、南北朝時代後期から室町時代後期(14世紀半ば〜16世紀初頭)にかけて美濃国(現在の岐阜県)で隆盛した名門、「美濃千手院」と極められた一振りです。日本美術刀剣保存協会(日保)の鑑定によれば、本作の制作年代は室町時代中期から後期(15世紀後半〜16世紀初頭)と推定されます。 美濃千手院派は、古来より交通の要衝であり軍事拠点でもあった関ヶ原近郊の赤坂の地に居を構えました。その祖は、大和国千手院重弘の子である「泉水」と伝えられています。大和伝は平安後期から鎌倉時代にかけて屈指の勢力を誇った五ヶ伝の一つですが、南北朝時代、泉水が大和国(現在の奈良県)から美濃国赤坂へと移住したことで、美濃千手院の歴史が始まりました。 (大和千手院派について) 奈良の東大寺に属する千手堂には、千手観音菩薩が祀られており、その周辺に住した刀工集団が「千手院」と呼ばれました。流祖は平安後期(1086〜1107年頃)の行信とされ、東大寺の御抱え鍛冶として奉仕しました。本作の源流には、この大和伝の崇高な伝統が息づいています。 本刀は、日本美術刀剣保存協会(NBTHK)より「保存刀剣」の鑑定を受けております。これは、正真であることはもちろん、保存状態が良く、美術品としての価値が高い刀剣にのみ与えられる証です。 (太刀拵) 本作は格調高い太刀拵に収められています。太刀は平安時代から室町時代初期にかけて、主に騎馬武者が甲冑を着用した際に用いられました。刃を下に向けて腰に吊るす「佩用(はいよう)」の様式は、馬上から地上を狙う際に素早く抜き放つための合理的な形式です。その華やかな外装は、武士の社会的地位を象徴するステータスでもありました。 ※刀身には僅かに鍛え傷が見受けられます。詳細なコンディションについては、お気軽にお問い合わせください。 【刀身諸元】 長さ(刃長):71.6 cm 反り:2.2 cm 刃文:焼入れによって刃先に現れる結晶構造。 地紋(地肌):折り返し鍛錬によって生じる鋼の表面模様。 切先:刀身の先端部分。 茎(なかご):柄に収まる中心部分。 日本の刀工は、柄内部の赤錆を防ぐために茎の「黒錆」をあえて残します。この錆色(経年変化)は、専門家が制作年代を特定する際の重要な指標となります。 【拵】 拵(こしらえ):鞘、柄、鍔などから構成される外装一式。 縁頭(ふちがしら):柄の両端を保護し装飾する一対の金具。 本作の縁頭には、日本の伝統的な家紋である「藤紋」が施されています。藤はマメ科の落葉つる性植物で、古くから日本の山野に自生しています。 藤はその長い寿命と旺盛な生命力から、古来より吉祥の植物とされてきました。日本最古の歌集『万葉集』にも登場し、その優美な姿が讃えられています。 この象徴性の高さから、藤紋は家紋として広く普及しただけでなく、着物や漆器などの工芸品にも好んで用いられました。しなやかに垂れ下がる花房の意匠は、格別の気品を漂わせています。

























美濃伝 · 美濃
現在7点販売中
美濃千手院は赤坂千手院とも呼ばれ、大和千手院派の流れを汲む一派である。説示によれば、大和千手院の刀工が美濃国赤坂へ移住して興ったもので、その移住期は建武の頃と伝える国重をはじめとして南北朝末葉に及ぶとされ、室町時代に殊に繁栄した。校正古刀銘鑑はこの派の祖を国長とし、貞和頃から延文・永徳を経て明応に至るまで複数の国長がいたことを記す。説示が扱う工には、二字銘の太刀を残す国重、貞治頃と銘鑑にある国行、応安元年紀の短刀を遺す国長、室町の弘長と弘重、さらに後代の道永や道印、康道、ただ千手院とのみ切る者がある。これとは別に、越前敦賀から美濃へ移った越州藤原国行があり、応安六年から翌年八月までの間に濃州入りしたと押形所載の銘から推測されている。 作風は板目に柾がかり、あるいは柾目の強い鍛えに大和の特色が濃く現れる点を共通の語法とする。説示は肌立ちごころとなって地沸がつき、地景が入り、総体に白けごころを帯び、鉄色に黒みのあることを繰り返し記す。刃文は直刃や小のたれを基調に互の目や小乱れを交え、刃縁にほつれや喰違いを見せ、砂流しと金筋がかかって匂口締まりごころに小沸がつく。帽子は乱れ込んで掃きかけ、尖りごころに返るものが多い。一般の関物と比べて大和気質が一段と濃く、刃文の出来に隔たりがあることが見分けの手がかりとされる。越州国行に限っては別の作域を示し、板目に柾を交えて荒めの沸がつき、湯走りや飛焼、棟焼を交えて皆焼状となり、相州伝を思わせる沸出来を強調する。 鑑定の要点は、地鉄に大和の根を残しつつ刃に美濃色への移行を読むことにあり、地刃が他の美濃物と争い難い一致を見せる一方、刃文の傾きで識別される。個名を切る作は頗る少なく、千手院とのみ銘するものが多いため、有銘の国行や国重、国長の作は貴重な資料とされる。代表作には佩表に二字銘を有する国行の太刀、南北朝期の国重の太刀、応安元年紀の国長短刀、弘長と弘重の合作槍、千手院作の大身槍があり、銘鑑や光山押形と銘振りを照合して極めの根拠とする。越州国行の濃州住の在銘作は、移住後の作例として、また細直刃という新たな作域を示す点で資料性が高い。室町後期まで命脈を保ったこの一派は、大和から美濃へ流れた刀工の足跡を地刃に刻む系統として位置づけられる。 詳しく見る →
室町時代の美濃
戦国の関は一つの産業であった。春日神社を氏神と仰ぐ鍛冶たちが、中部日本の軍勢を武装させた。孫六兼元の三本杉と之定の最上作は、量産の町に第一級の技が息づいていたことの証である。
銘が正しい、または無銘でも年代・国・系統を確実に指摘できる、保存に値する真正の作と鑑定されたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトReturns/exchanges limited to defects caused by shipping (except willful misconduct or gross negligence by the company); customers must contact within 72 hours of receiving the product.