応仁の乱が足利の体制を砕いた後、戦国の一世紀はほとんどすべての国を武装させた。この時代は選ぶ目に報いる。並の作は多いが、その傍らには第一級の注文打ちが立っている。
Ordering Number: 25392Tachi in Shirasaya (22nd NBTHK Juyo Token)Signature: Morihiro守弘Sayagaki: Echizen Chiyozuru MorihiroBlade Length: 2 shaku 3 sun 9.5 buWritten in September, Showa 49 (1974)Written by KunzanChukoto: Jyo Saku: EchizenWe divide 4 sections for each sword as Saijyo Saku, Jyojyo Saku, Jyo Saku and Regular Saku.This work is ranked as Saijyo Saku for the smith Morihiro.Blade Length: 72.6 cm (28.58 in)Curvature: 2.1 cm (0.83 in)Mekugi Hole: 2Width at Base (Motohaba): 3.06 cm (1.20 in)Width at Tip (Sakihaba): 1.90 cm (0.75 in)Thickness of rim (Kasane): 0.84 cm (0.33 in)Sword Weight: 845 gEra: Nanbokucho periodShape: Standard width, thick kasane, and deep curvature.A mostly ubu piece with signature engraved in tachi-mei style.Jigane: Itame hada with flowing grain pattern, standing out with ji-nie.There is a Kitae Ware(forging crack) near the habaki, but it is mostly hidden beneath the habaki.Hamon: Made in nie-deki, deep nioikuchi with small gunome-midare, including ashi and yo, with active kinsuji and sunagashi.The boshi is midare and yakitsume.Features: Morihiro was a son of Chiyozuru Kuniyasu, also residing in Kaga and known as Kamo Saburo.This sword is recorded in Kantō Hibi-shō Zoku (p.127 copy included) and Koto Taikan (p.609 copy included).This work features a high koshizori and firm shape.Jihada includes chikei and fine ji-nie.The hamon is small gunome-midare with well-inserted ashi.A bohi with kakudome is carved on both sides.The nakago is mostly ubu, with rounded mune and shallow katte-sagari yasurime.The clearly cut two-character signature is a hallmark of swords from the Nanbokucho period in northern Japan.There are several works by Morihiro with different mei styles, suggesting this may be by the first generation, while others might be second generation.This piece shows a faint utsuri and has mitsumune.It is a dignified work with a solid signature, deep curvature, and slightly extended kissaki—an excellent piece that we highly recommend.Kantō H
越前には来国安の弟子と伝える千代鶴国安なるものが貞治頃にいて千代鶴派の祖となった、守弘はこの国安系の刀工 で銘鑑によれば初代を応永頃、二代を嘉吉頃としているが、現存するものには応永る溯るものと思われるものがあり、そ の作風は互の目調の乱れ刃で地刃共によく沸えて来風とは趣を異にしている。この太刀も互の目調の乱れ刃で沸がよくつ いた作であるが銘振が多少相異している。 恐らく代の少し下ったものであろう。







山城伝 · 越前 · 1394-1428頃
刀剣大鑑 上位21%
現在1点販売中
守弘の位置づけを、日本刀全体および伝法・時代・時期ごとに示します。各区分(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
山城伝 · 越前
現在9点販売中
千代鶴派は越前を本拠とした一門である。説示によれば、その祖は来国安に求められる。来国安は生国を山城とし、一説に来国末の孫といい、のちに越前へ移住して千代鶴派の祖となったと伝え、銘鑑はその年代を貞治の頃とする。あわせて越前には来国安の弟子と伝える千代鶴国安なる工があり[[c:1]]、これを祖とする伝えもあって、時代を同じく貞治の頃という。いずれにせよ一門は山城の来派を源流に置き、これを越前の地に移したものとして説示は位置づけている。以後この派は室町期まで続き、国安系の守弘が現れる。守弘は同名に複数代があり、銘鑑は初代を応永、二代を嘉吉あるいは文安の頃とし、藤左衛門尉と称した者もあるという。さらに越前敦賀の光行のごとく[[c:2]]、一説に越前国行の門と伝える年紀作の工も説示に名を連ねる。 作風は、来派を承けた地刃に越前という地方色が加わる点に特徴がある。鍛えは板目に杢目や流れ肌を交え、総じて肌立ちごころとなり、地沸が厚くつき、地景がしきりに入り、白けごころを帯び、鉄色がやや黒みがかるものがある。刃文は来国安に擬せられる一類では中直刃を基調に小互の目を交え、足が入り、刃縁にほつれ・喰違刃・二重刃が現れ、沸がよくついて匂口が明るい。一方、守弘ら国安系の作では互の目調の乱れ刃となり、丁子ごころや尖りごころの刃を交え、飛焼が入り、棟焼がしきりにかかり、砂流し・金筋がかかって地刃ともによく沸づくものが目立つ。帽子は直ぐごころに小丸となるもの、乱れ込んで掃きかけるもの、焼き詰めるものなど作により変化する。見分けにあたっては、肌立ちと白けごころ、黒みがかる鉄色、帽子に見える野趣ある働きなどが手掛かりとなる。 鑑定では、一見すると山城本国の来国光あたりにも見えるが、注視すれば地刃の出来に一歩を譲り、肌立ちが強く帽子の働きが本国以上に野趣を示すところに、来国安の極めが首肯される、と説示はくり返し述べる。守弘の作は互の目調の乱れ刃で地刃ともによく沸え、来風とは趣を異にするとされ、有銘作が珍重される。代表的な遺例としては、無銘ながら身幅広く大鋒に結ぶ南北朝期の姿を示す来国安極めの刀、互の目調の乱れ刃を焼いた守弘の太刀や年紀ある脇指、越前敦賀の光行の年紀短刀などが説示に挙げられる。現存する作刀は少なく、来派の正系を越前に伝えた一門として位置づけられている。 詳しく見る →
室町時代
応仁の乱が足利の体制を砕いた後、戦国の一世紀はほとんどすべての国を武装させた。この時代は選ぶ目に報いる。並の作は多いが、その傍らには第一級の注文打ちが立っている。
特別保存刀剣の中から、特に出来が優れ、国認定の重要美術品に準ずると判断された名品です。年に一度の重要刀剣審査で選ばれます。
極めて選別的で、日本に登録された約250万口の刀剣のうち、重要刀剣に達したものは12,348口(約202口に1口)にすぎません。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイト返品をご希望の場合、お客様が受領されてから3日以内にお知らせください。この期間を過ぎますとキャンセルはお受けできかねますので何卒ご了承ください。なお当社へのご返送は、5営業日以内の発送をお願いしております。なおキャンセルは販売した当時の状態がそのまま保持されている事が条件となりますのでお取り扱いには十分ご注意下さい。