応仁の乱が足利の体制を砕いた後、戦国の一世紀はほとんどすべての国を武装させた。この時代は選ぶ目に報いる。並の作は多いが、その傍らには第一級の注文打ちが立っている。
ITEM# UJKA468 – Catalogue 46 – 販売中 千代鶴守弘 試し斬り銘 刀 (千代鶴守弘) 千代鶴派の源流は、山城伝の名工・来国俊の門人である来国安に遡ります。延元二年(1337年)頃、国安は作刀に適した良質な水を求めて越前国へと下り、武生の地に定住して鍛冶場を構えました。その際、自ら「千代鶴」と号したことが、後に「越前来」と呼ばれる系統の始まりとなりました。 千代鶴守弘は、国安の子または直弟子と伝えられ、南北朝時代末期から室町時代初期の応永年間(1394-1428)にかけて活躍しました。守弘の名はその後も代々継承され、越前鍛冶の礎を築いています。なお、藤代義雄氏の評価(藤代刀工辞典)において、守弘は「上作」に列せられています。 本作は、腰反りが深く、踏ん張りのある優美な姿から、南北朝時代末期(1390年頃)の製作と推測されます。日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、本作の時代背景と格調高い出来映えを高く評価し、無銘ながら「特別保存刀剣」に指定しました。協会が室町以前の製作と確証を持てる無銘作品にのみ与える、価値ある鑑定結果と言えます。 地鉄は、板目肌に木目が交じり、地景が豊富に入る黒味を帯びた力強い肌合いで、北陸道(越前)特有の鍛錬の伝統を色濃く反映しています。刃文は明るく冴えた直刃調に小乱れが交じり、逆がかった足、砂流し、金筋、二重刃などが盛んに働き、帽子は力強く燃え上がるような火炎帽子となっています。 さらに本作の希少性を高めているのが、茎(なかご)に施された金象嵌銘です。草書体のひらがなと漢字を交えた金象嵌により、試し斬りにおいて腋下を一撃で断ち切ったことを示す「かりかねおとし(雁金落とし)」の裁断銘が刻まれています。 古刀期において、これほど詳細な裁断銘が残る個体は極めて稀であり……
無銘 · Chiyôzuru (echizen Rai) · Kotô – Late nambokuchô Period (c. 1390-1394) · 長さ 69.2cm · 反り 1.4cm

山城伝 · 越前 · 1384-1387頃
刀剣大鑑 上位37%
現在1点販売中
山城伝 · 越前
現在12点販売中
千代鶴派は越前を本拠とした一門である。説示によれば、その祖は来国安に求められる。来国安は生国を山城とし、一説に来国末の孫といい、のちに越前へ移住して千代鶴派の祖となったと伝え、銘鑑はその年代を貞治の頃とする。あわせて越前には来国安の弟子と伝える千代鶴国安なる工があり[[c:1]]、これを祖とする伝えもあって、時代を同じく貞治の頃という。いずれにせよ一門は山城の来派を源流に置き、これを越前の地に移したものとして説示は位置づけている。以後この派は室町期まで続き、国安系の守弘が現れる。守弘は同名に複数代があり、銘鑑は初代を応永、二代を嘉吉あるいは文安の頃とし、藤左衛門尉と称した者もあるという。さらに越前敦賀の光行のごとく[[c:2]]、一説に越前国行の門と伝える年紀作の工も説示に名を連ねる。 作風は、来派を承けた地刃に越前という地方色が加わる点に特徴がある。鍛えは板目に杢目や流れ肌を交え、総じて肌立ちごころとなり、地沸が厚くつき、地景がしきりに入り、白けごころを帯び、鉄色がやや黒みがかるものがある。刃文は来国安に擬せられる一類では中直刃を基調に小互の目を交え、足が入り、刃縁にほつれ・喰違刃・二重刃が現れ、沸がよくついて匂口が明るい。一方、守弘ら国安系の作では互の目調の乱れ刃となり、丁子ごころや尖りごころの刃を交え、飛焼が入り、棟焼がしきりにかかり、砂流し・金筋がかかって地刃ともによく沸づくものが目立つ。帽子は直ぐごころに小丸となるもの、乱れ込んで掃きかけるもの、焼き詰めるものなど作により変化する。見分けにあたっては、肌立ちと白けごころ、黒みがかる鉄色、帽子に見える野趣ある働きなどが手掛かりとなる。 鑑定では、一見すると山城本国の来国光あたりにも見えるが、注視すれば地刃の出来に一歩を譲り、肌立ちが強く帽子の働きが本国以上に野趣を示すところに、来国安の極めが首肯される、と説示はくり返し述べる。守弘の作は互の目調の乱れ刃で地刃ともによく沸え、来風とは趣を異にするとされ、有銘作が珍重される。代表的な遺例としては、無銘ながら身幅広く大鋒に結ぶ南北朝期の姿を示す来国安極めの刀、互の目調の乱れ刃を焼いた守弘の太刀や年紀ある脇指、越前敦賀の光行の年紀短刀などが説示に挙げられる。現存する作刀は少なく、来派の正系を越前に伝えた一門として位置づけられている。 詳しく見る →
応仁の乱が足利の体制を砕いた後、戦国の一世紀はほとんどすべての国を武装させた。この時代は選ぶ目に報いる。並の作は多いが、その傍らには第一級の注文打ちが立っている。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトAll swords come with a three-day inspection period beginning from the date of delivery. If not satisfied, the sword may be returned within this period for a full refund of the purchase price. Outside of this period, all sales are final. Swords purchased on a layaway payment plan are not eligible for the three-day inspection period.
ITEM# UJKA468 – Catalogue 46 – 販売中 千代鶴守弘 試し斬り銘 刀 (千代鶴守弘) 千代鶴派の源流は、山城伝の名工・来国俊の門人である来国安に遡ります。延元二年(1337年)頃、国安は作刀に適した良質な水を求めて越前国へと下り、武生の地に定住して鍛冶場を構えました。その際、自ら「千代鶴」と号したことが、後に「越前来」と呼ばれる系統の始まりとなりました。 千代鶴守弘は、国安の子または直弟子と伝えられ、南北朝時代末期から室町時代初期の応永年間(1394-1428)にかけて活躍しました。守弘の名はその後も代々継承され、越前鍛冶の礎を築いています。なお、藤代義雄氏の評価(藤代刀工辞典)において、守弘は「上作」に列せられています。 本作は、腰反りが深く、踏ん張りのある優美な姿から、南北朝時代末期(1390年頃)の製作と推測されます。日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、本作の時代背景と格調高い出来映えを高く評価し、無銘ながら「特別保存刀剣」に指定しました。協会が室町以前の製作と確証を持てる無銘作品にのみ与える、価値ある鑑定結果と言えます。 地鉄は、板目肌に木目が交じり、地景が豊富に入る黒味を帯びた力強い肌合いで、北陸道(越前)特有の鍛錬の伝統を色濃く反映しています。刃文は明るく冴えた直刃調に小乱れが交じり、逆がかった足、砂流し、金筋、二重刃などが盛んに働き、帽子は力強く燃え上がるような火炎帽子となっています。 さらに本作の希少性を高めているのが、茎(なかご)に施された金象嵌銘です。草書体のひらがなと漢字を交えた金象嵌により、試し斬りにおいて腋下を一撃で断ち切ったことを示す「かりかねおとし(雁金落とし)」の裁断銘が刻まれています。 古刀期において、これほど詳細な裁断銘が残る個体は極めて稀であり……
無銘 · Chiyôzuru (echizen Rai) · Kotô – Late nambokuchô Period (c. 1390-1394) · 長さ 69.2cm · 反り 1.4cm

山城伝 · 越前 · 1384-1387頃
刀剣大鑑 上位37%
現在1点販売中
山城伝 · 越前
現在12点販売中
千代鶴派は越前を本拠とした一門である。説示によれば、その祖は来国安に求められる。来国安は生国を山城とし、一説に来国末の孫といい、のちに越前へ移住して千代鶴派の祖となったと伝え、銘鑑はその年代を貞治の頃とする。あわせて越前には来国安の弟子と伝える千代鶴国安なる工があり[[c:1]]、これを祖とする伝えもあって、時代を同じく貞治の頃という。いずれにせよ一門は山城の来派を源流に置き、これを越前の地に移したものとして説示は位置づけている。以後この派は室町期まで続き、国安系の守弘が現れる。守弘は同名に複数代があり、銘鑑は初代を応永、二代を嘉吉あるいは文安の頃とし、藤左衛門尉と称した者もあるという。さらに越前敦賀の光行のごとく[[c:2]]、一説に越前国行の門と伝える年紀作の工も説示に名を連ねる。 作風は、来派を承けた地刃に越前という地方色が加わる点に特徴がある。鍛えは板目に杢目や流れ肌を交え、総じて肌立ちごころとなり、地沸が厚くつき、地景がしきりに入り、白けごころを帯び、鉄色がやや黒みがかるものがある。刃文は来国安に擬せられる一類では中直刃を基調に小互の目を交え、足が入り、刃縁にほつれ・喰違刃・二重刃が現れ、沸がよくついて匂口が明るい。一方、守弘ら国安系の作では互の目調の乱れ刃となり、丁子ごころや尖りごころの刃を交え、飛焼が入り、棟焼がしきりにかかり、砂流し・金筋がかかって地刃ともによく沸づくものが目立つ。帽子は直ぐごころに小丸となるもの、乱れ込んで掃きかけるもの、焼き詰めるものなど作により変化する。見分けにあたっては、肌立ちと白けごころ、黒みがかる鉄色、帽子に見える野趣ある働きなどが手掛かりとなる。 鑑定では、一見すると山城本国の来国光あたりにも見えるが、注視すれば地刃の出来に一歩を譲り、肌立ちが強く帽子の働きが本国以上に野趣を示すところに、来国安の極めが首肯される、と説示はくり返し述べる。守弘の作は互の目調の乱れ刃で地刃ともによく沸え、来風とは趣を異にするとされ、有銘作が珍重される。代表的な遺例としては、無銘ながら身幅広く大鋒に結ぶ南北朝期の姿を示す来国安極めの刀、互の目調の乱れ刃を焼いた守弘の太刀や年紀ある脇指、越前敦賀の光行の年紀短刀などが説示に挙げられる。現存する作刀は少なく、来派の正系を越前に伝えた一門として位置づけられている。 詳しく見る →
応仁の乱が足利の体制を砕いた後、戦国の一世紀はほとんどすべての国を武装させた。この時代は選ぶ目に報いる。並の作は多いが、その傍らには第一級の注文打ちが立っている。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトAll swords come with a three-day inspection period beginning from the date of delivery. If not satisfied, the sword may be returned within this period for a full refund of the purchase price. Outside of this period, all sales are final. Swords purchased on a layaway payment plan are not eligible for the three-day inspection period.