応仁の乱が足利の体制を砕いた後、戦国の一世紀はほとんどすべての国を武装させた。この時代は選ぶ目に報いる。並の作は多いが、その傍らには第一級の注文打ちが立っている。
刃長69.3センチ 反り2.1センチ 元幅28.9ミリ 元重ね6.5ミリ 物打幅21.7ミリ 物打重ね4.7ミリ 横手位置幅17.3ミリ 松葉先重ね2.9ミリ 裸身重量703グラム。 拵に納めて鞘を払った重量963グラム。 室町前期享徳頃(1452~)The early period of Muromachi era 平成4年9月10日 岡山県登録 附属 保存刀剣鑑定書、素銅地銀着二重はばき、白鞘 山城国了戒の末流である了戒能定が、南北朝時代応安の頃に筑後国に移住したのを初めとし、 能真・秀能・能次らの刀工達を筑紫了戒と総称しています。豊前と豊後の国境付近にある宇佐の地で繁栄したこの一派は、皆、『了戒』を屋号的に冠し、『能(よし)』の字を通字としました。 洗練味のある姿と精良な鍛え、端正な直刃出来の作は本国山城を彷彿とさせるものがあります。 この刀は茎の反りを見て頂ければ判るように、元は腰元から強く反った姿であり、磨り上げられた今尚、元先の幅差は開き、切先やや延びた優美な姿態を留めています。地鉄は小板目に杢が交じり、よく錬られて地景入って精美であり、淡く映りごころも見られ、刃文は直刃調に所々高低差少ない湾れを交えた刃取りで、刃中には足が入り、金筋現れ、古雅な雰囲気を漂わせています。鋩子は直ぐに先丸く返るように繕われていますが、長い年月愛用されて来たからでしょう。鋩子内の焼刃は抜けていますが、日本美術刀剣保存協会では古い九州物で特に出来優れた作品に了戒家能の個銘極めを行いますので、本刀の出来も美術鑑賞刀として申し分ない完成度です。
Certificate reading — 無銘(了戒家能)










山城伝 · 豊後 · 1469-1487頃
藤代 Chu-jo saku · 刀剣大鑑 上位49%
現在2点販売中
山城伝 · 山城
現在15点販売中
了戒派は鎌倉時代末期、京都山城に興った来の分派である。祖の了戒は古来来国俊の子あるいは門人と伝えられるが、現存する作刀に正応・永仁・嘉元・延慶の紀年銘があって来国俊とほぼ同年代に活躍したことが知られ、説明書はむしろ相弟子、あるいは二字国俊の子と見るのが自然とする。俗名を九郎左衛門尉と称し、子の久信が二代を継ぎ、嘉元二年の長銘年紀の太刀によってその実在と父子の関係が裏づけられる。来の山城風を一段やわらげた手をもって一門を率い、その名は下って数代続き、南北朝より室町にかけては九州に豊後・豊前の筑紫了戒が京の系統より分かれ出た。母体の来から枝分かれしながら、地刃に大和の柾気と相州風の沸の働きをあわせ持つところに一派の位置があり、その流れはのちの信国へと展開してゆく。 一派の作風は穏やかな山城の直刃を本領とする。鍛えは板目あるいは小板目がつみ、しばしば柾に流れてやや肌立ちごころとなり、地沸微塵によくつき、地景細かに入って、一派特有の白け映りが立つ。これが了戒系を母体の来から分かつ第一の見どころで、来の明るい乱れ映り・地斑映りに対し、了戒の映りはより淡く乾いた白けを呈する。刃文は穏やかな中直刃・細直刃を基調とし、処々小丁子・小互の目・小乱れを交え、小足・葉入り、京逆足を見せることもある。見どころは匂口にあって、来国俊より一段締まり、刃中淋しく、部分的にうるみごころを呈し、その内に金筋・砂流し細かにかかって刃縁僅かにほつれ、喰違刃を見せる。帽子は直ぐに小丸、しばしば掃きかける。来とは一見紛れるが、やわらかな地刃・柾気・白け・うるむ匂口によって極まり、姉妹の延寿が丸味の大きい大丸に返るのに対し、了戒は直ぐに小丸へ結んでその直刃はうるむ点で明快に分かれる。祖の了戒は藤代の極めで上作、二代久信は上上作に位し、いずれも父祖の手をほとんど変えずに継いで一派の典型を遺した。 遺例は二つの相に読み分けられる。在銘作は細身の生ぶ太刀と短刀に、棟寄りの第一目釘孔上へ大振りの二字銘「了戒」あるいは三字銘「了久信」を切り、太刀は腰反り高く小鋒に、短刀は内反りで重ね厚く、表に梵字・素剣、裏に護摩箸を彫るものがあって、いかにも鎌倉末期の京の典雅を示す。いま一つの相は大磨上無銘の刀で、輪反りと京風は一見来を想わせるが、締まって沈みうるむ匂口・流れる柾・白けによって了戒と極まる。久信の俳名を示す嘉元の年紀太刀は、かつて父単独の作と読まれた一口が実は父子の合作であることを明らかにした資料として重く、在銘の子は繰り返し極めて稀である。伝来には秋田了戒の短刀をはじめ、宮本武蔵佩刀との伝えを残す太刀、諫早・伊達・前田の各家を経た作があり、指定作の多くは東京国立博物館・佐野美術館・物部神社・徳川美術館などの公私の旧蔵に蔵される。市に現れるのは稀で、わけても在銘生ぶの了戒・久信の作は、京鎌倉物を蒐める者が接しうる最も稀な部類に属し、出会いには時を要する。 詳しく見る →
室町時代
応仁の乱が足利の体制を砕いた後、戦国の一世紀はほとんどすべての国を武装させた。この時代は選ぶ目に報いる。並の作は多いが、その傍らには第一級の注文打ちが立っている。
銘が正しい、または無銘でも年代・国・系統を確実に指摘できる、保存に値する真正の作と鑑定されたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトお求めになられた商品とは異なる商品をお届けしてしまった場合や、表記内容と現物とに大きな隔たりなどがあった場合を除き、基本的に返品はお受けいたしません。返品をご要望の場合は、商品到着後3日以内に御連絡の上ご返送下さい。
¥660,000
刃長69.3センチ 反り2.1センチ 元幅28.9ミリ 元重ね6.5ミリ 物打幅21.7ミリ 物打重ね4.7ミリ 横手位置幅17.3ミリ 松葉先重ね2.9ミリ 裸身重量703グラム。 拵に納めて鞘を払った重量963グラム。 室町前期享徳頃(1452~)The early period of Muromachi era 平成4年9月10日 岡山県登録 附属 保存刀剣鑑定書、素銅地銀着二重はばき、白鞘 山城国了戒の末流である了戒能定が、南北朝時代応安の頃に筑後国に移住したのを初めとし、 能真・秀能・能次らの刀工達を筑紫了戒と総称しています。豊前と豊後の国境付近にある宇佐の地で繁栄したこの一派は、皆、『了戒』を屋号的に冠し、『能(よし)』の字を通字としました。 洗練味のある姿と精良な鍛え、端正な直刃出来の作は本国山城を彷彿とさせるものがあります。 この刀は茎の反りを見て頂ければ判るように、元は腰元から強く反った姿であり、磨り上げられた今尚、元先の幅差は開き、切先やや延びた優美な姿態を留めています。地鉄は小板目に杢が交じり、よく錬られて地景入って精美であり、淡く映りごころも見られ、刃文は直刃調に所々高低差少ない湾れを交えた刃取りで、刃中には足が入り、金筋現れ、古雅な雰囲気を漂わせています。鋩子は直ぐに先丸く返るように繕われていますが、長い年月愛用されて来たからでしょう。鋩子内の焼刃は抜けていますが、日本美術刀剣保存協会では古い九州物で特に出来優れた作品に了戒家能の個銘極めを行いますので、本刀の出来も美術鑑賞刀として申し分ない完成度です。
Certificate reading — 無銘(了戒家能)










山城伝 · 豊後 · 1469-1487頃
藤代 Chu-jo saku · 刀剣大鑑 上位49%
現在2点販売中
山城伝 · 山城
現在15点販売中
了戒派は鎌倉時代末期、京都山城に興った来の分派である。祖の了戒は古来来国俊の子あるいは門人と伝えられるが、現存する作刀に正応・永仁・嘉元・延慶の紀年銘があって来国俊とほぼ同年代に活躍したことが知られ、説明書はむしろ相弟子、あるいは二字国俊の子と見るのが自然とする。俗名を九郎左衛門尉と称し、子の久信が二代を継ぎ、嘉元二年の長銘年紀の太刀によってその実在と父子の関係が裏づけられる。来の山城風を一段やわらげた手をもって一門を率い、その名は下って数代続き、南北朝より室町にかけては九州に豊後・豊前の筑紫了戒が京の系統より分かれ出た。母体の来から枝分かれしながら、地刃に大和の柾気と相州風の沸の働きをあわせ持つところに一派の位置があり、その流れはのちの信国へと展開してゆく。 一派の作風は穏やかな山城の直刃を本領とする。鍛えは板目あるいは小板目がつみ、しばしば柾に流れてやや肌立ちごころとなり、地沸微塵によくつき、地景細かに入って、一派特有の白け映りが立つ。これが了戒系を母体の来から分かつ第一の見どころで、来の明るい乱れ映り・地斑映りに対し、了戒の映りはより淡く乾いた白けを呈する。刃文は穏やかな中直刃・細直刃を基調とし、処々小丁子・小互の目・小乱れを交え、小足・葉入り、京逆足を見せることもある。見どころは匂口にあって、来国俊より一段締まり、刃中淋しく、部分的にうるみごころを呈し、その内に金筋・砂流し細かにかかって刃縁僅かにほつれ、喰違刃を見せる。帽子は直ぐに小丸、しばしば掃きかける。来とは一見紛れるが、やわらかな地刃・柾気・白け・うるむ匂口によって極まり、姉妹の延寿が丸味の大きい大丸に返るのに対し、了戒は直ぐに小丸へ結んでその直刃はうるむ点で明快に分かれる。祖の了戒は藤代の極めで上作、二代久信は上上作に位し、いずれも父祖の手をほとんど変えずに継いで一派の典型を遺した。 遺例は二つの相に読み分けられる。在銘作は細身の生ぶ太刀と短刀に、棟寄りの第一目釘孔上へ大振りの二字銘「了戒」あるいは三字銘「了久信」を切り、太刀は腰反り高く小鋒に、短刀は内反りで重ね厚く、表に梵字・素剣、裏に護摩箸を彫るものがあって、いかにも鎌倉末期の京の典雅を示す。いま一つの相は大磨上無銘の刀で、輪反りと京風は一見来を想わせるが、締まって沈みうるむ匂口・流れる柾・白けによって了戒と極まる。久信の俳名を示す嘉元の年紀太刀は、かつて父単独の作と読まれた一口が実は父子の合作であることを明らかにした資料として重く、在銘の子は繰り返し極めて稀である。伝来には秋田了戒の短刀をはじめ、宮本武蔵佩刀との伝えを残す太刀、諫早・伊達・前田の各家を経た作があり、指定作の多くは東京国立博物館・佐野美術館・物部神社・徳川美術館などの公私の旧蔵に蔵される。市に現れるのは稀で、わけても在銘生ぶの了戒・久信の作は、京鎌倉物を蒐める者が接しうる最も稀な部類に属し、出会いには時を要する。 詳しく見る →
室町時代
応仁の乱が足利の体制を砕いた後、戦国の一世紀はほとんどすべての国を武装させた。この時代は選ぶ目に報いる。並の作は多いが、その傍らには第一級の注文打ちが立っている。
銘が正しい、または無銘でも年代・国・系統を確実に指摘できる、保存に値する真正の作と鑑定されたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトお求めになられた商品とは異なる商品をお届けしてしまった場合や、表記内容と現物とに大きな隔たりなどがあった場合を除き、基本的に返品はお受けいたしません。返品をご要望の場合は、商品到着後3日以内に御連絡の上ご返送下さい。
¥660,000