戦国の関は一つの産業であった。春日神社を氏神と仰ぐ鍛冶たちが、中部日本の軍勢を武装させた。孫六兼元の三本杉と之定の最上作は、量産の町に第一級の技が息づいていたことの証である。
日本刀 刀 兼春(日本美術刀剣保存協会 保存刀剣鑑定書付) 【説明】 本作は兼春(かねはる)と極められた一振りです。兼春の名は室町中期から江戸中期まで続きますが、本作の鑑定書には製作時期の明記がないものの、日本美術刀剣保存協会(NBTHK)への照会により、室町時代後期(16世紀初頭)の作であるとの回答を得ております。 兼春は「末関(すえぜき)」に分類される刀工です。末関とは、室町時代後期の美濃国(現在の岐阜県)で活躍した刀工群を指します。室町期(1459年〜1557年)には約7名の兼春を名乗る刀工が存在しました。兼春は、関鍛冶七流(せきかじしちりゅう)の一つである三阿弥(さんあみ)派に属しています。 美濃伝の作風は、直調のなかに尖り刃(とがりば)が交じる乱れ刃を焼き、白く霧がかったような「映り(うつり)」が立つのが特徴です。美濃伝は鎌倉時代末期(1280年〜1330年)に大和伝を源流として興り、室町時代に最盛期を迎え、江戸時代までその伝統を繋ぎました。 戦国時代、武器としての需要が高まる中で美濃伝は比類なき繁栄を遂げました。その要因の一つに地理的条件が挙げられます。美濃の明智光秀、尾張の織田信長、駿河の徳川家康といった有力大名やその家臣団からの需要が絶えませんでした。また、関東と京を結ぶ要所に位置していたため、各地の諸大名にとっても注文がしやすかったのです。美濃の刀は実戦的な造り込みと切れ味の良さで定評があり、多くの武将に愛用されました。 本刀は、日本美術刀剣保存協会(NBTHK)より「保存刀剣」に認定されています。この鑑定書は、保存状態が良く、美術品としての価値が高い本物の日本刀に対してのみ発行されるものです。 ※刀身には僅かな鍛え傷(きたえきず)がございます。詳細な状態については、お気軽にお問い合わせください。 【刀身】 長さ(長):70.6 cm 反り:1.2 cm 刃文(はもん):焼き入れによって刃縁に現れる結晶構造。 地紋(地肌):鍛錬の過程で現れる鋼の表面模様。 切先(きっさき):刀身の先端部分。 茎(なかご):柄に収まる中心(なかご)部分。 日本の刀工は、柄の中での赤錆を防ぐために茎に黒錆を残します。この錆色は年月を経て形成されるもので、専門家が製作年代を推定する際の重要な指標となります。 【外装】 拵(こしらえ):鞘、柄、鍔などから成る刀の外装。 縁頭(ふちがしら):柄の両端を保護し装飾する一対の金具。 この縁の図柄は、古来より親しまれている「竹虎図(たけとらず)」です。虎は勇猛な動物であり、邪気を払う魔除けの象徴とされてきました。また「虎」という漢字の成り立ちから、生命力の象徴とも見なされ、男児の健やかな成長を願う文様としても用いられました。 竹は天に向かって真っ直ぐに伸びる強い生命力から、高潔さと強さを象徴します。また「竹を割ったような」という言葉通り、潔い気風を表しています。




























美濃伝 · 美濃 · 1532-1555頃
美濃伝 · 美濃
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美濃国の関は、南北朝より室町、新刀期に至るまで日本刀の一大生産地として栄えた鍛冶の地である。その源流は二つに発し、説明書は金重と志津兼氏とを並べて美濃鍛冶の祖とする。金重は『古今銘尽』に法名道阿、越前敦賀の住人と伝えられ、敦賀より関へ越えて住したといい、相州正宗十哲の一に数えられて、沸の厚い穏やかな手を美濃の地鉄に持ち込んだ。兼氏に発する志津の系は、尖り互の目に走る乱調をもって、いま一つの根をなす。この二流が南北朝の美濃伝を形づくり、金行のごとく金重に続く工、室町に入って善定派の兼吉のように大和手掻の血を関に運んだ工が加わって、流れは広がった。室町後期には兼元・兼定の二名を頂点とする末関の隆盛を迎え、孫六兼元の名と和泉守兼定の受領とが、地方の量産地にとどまらぬ関の格を世に示した。大和と相州の二つの源流に、備前を意識した白け映りの地が結ばれて、美濃伝という一個の伝法が立ったのである。 関物を貫くのは、工と系統の差を越えて繰り返される美濃の共通語法である。地鉄は板目に柾を交えてしばしば肌立ち、刃寄りに柾がかり、鎬地は柾に流れる。その地に立つ映りは備前の明るい乱れ映りではなく、淡く白ける美濃鉄の靄のような白け映りで、説明書はこれを終始、備前と作を分かつ見どころとして掲げる。刃文は互の目を主調に尖り刃を交え、兼元にあっては整然と並ぶ尖り刃の三本杉となり、兼定や兼之にあっては頭の丸い互の目とのたれを交えて変化に富む。沸は乾いて締まり、匂口は冴え、足入り、砂流し・細かな金筋が刃中を走る。帽子は乱れ込んで先尖りごころとなり、あるいは丸く地蔵風に返る。これらは関の背骨をなす型であって、工により濃淡を異にする。金重・金行の手は穏やかで地が肌立ち、善定兼吉は大和の血を負って締った直刃と柾がかる板目を見せ、末関の氏房は大らかなのたれに尖り刃を折り込み、兼房は頭の丸い互の目の兼房乱れを得意とする。同じ語法のうちに、それぞれの工の手が読み分けられる。 収集家が関物を求めるのは、その鑑定が手応えを伴う一個の眼の修練だからである。映りが白く沸が乾いて締まる美濃の地刃は、備前の華やかな映りとも、山城の長く澄んだ直刃とも異なり、これを見分けることが関を識る勘所となる。主要工の格は説明書の評にそのまま現れる。孫六兼元は三本杉の創始者として名を成し、和泉守兼定すなわちノサダは、白ける板目に焼いた賑やかな美濃の刃と来国俊風の細直刃の双方を能くして、古刀期に珍しい受領を許され、刀剣書が「すぐれたる上手」と評する当代第一の手とされる。兼之は末関中最もよく練れた鍛えを見せて作域広く、永正・大永のノサダとして賞玩が厚い。これらの名は将軍家・大名家の伝来を負い、ノサダの太刀には武田信虎のために打たれた一口があり、菊花紋を切った刀は皇室との関わりを示し、徳川将軍家への献上を経た金重の短刀も伝わる。末関の氏房一門は清須・名古屋へ移って尾張新刀三祖の一を生み、古い美濃の手が新たな伝統へ移る蝶番に立った。切れ味をもって武用に応えた量産の地でありながら、孫六兼元らの最上手の作は美術的価値においても高く評され、その白け映りと乾いた沸の手を識ることが、美濃伝いかに始まり継がれたかを語る証となる。 詳しく見る →
室町時代の美濃
戦国の関は一つの産業であった。春日神社を氏神と仰ぐ鍛冶たちが、中部日本の軍勢を武装させた。孫六兼元の三本杉と之定の最上作は、量産の町に第一級の技が息づいていたことの証である。
銘が正しい、または無銘でも年代・国・系統を確実に指摘できる、保存に値する真正の作と鑑定されたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
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