長船忠光は、鎌倉末期からその作例が見られ、室町末期にかけて備前長船を代表する名跡の一つで、その中でも初代彦兵衛忠光や修理亮忠光などが上手である。この刀は、身幅反り尋常、備前茎となる片手打ちで、棒映りに乱れ映りが絡み、精良で美しい地鉄に、細かい小互の目が交じる中直刃を焼き、文明十三年の年紀が入る初代彦兵衛尉忠光の格調高い名品である。



Osafune (Sue-Bizen), Bizen · 備前 · 1469-1521頃
藤代 Jo-jo saku · 刀剣大鑑 上位17%
忠光は勝光・宗光と並ぶ、末備前と呼称される室町末期の長船を代表する刀工である。その名は古く、銘鑑は初代を正応あるいは元亨頃に置き、永禄・天正まで数代を数えるが、最初期の工には作例を見ず、経眠したかぎりでは貞治年紀のものが最古である。一般に著名で、年紀ある在銘作がその記録のほとんどを占めるのは、彦兵衛尉を冠する工であり、文明・延徳・明応(一四六九~一五〇一)に働いた。説明書はその位置を端的に記す。勝光・宗光と並んで末備前の代表鍛冶に忠光があり、同名の数工のうち「中でも彦兵衛尉を名乗る忠光が最も上手である」[[c:1]]とする。
説明書がその個性とするのは、何よりも一つの質である。本来華やかな丁子・互の目の刃で知られる一派のなかで、本工は直刃の名手なのである。説明書は端的に「忠光は末備前刀工中の直刃の名手であり」[[c:2]]と称え、この定評は年代を下って諸作に繰り返される。その典型作は、中直刃あるいは浅くのたれた広直刃を焼き、匂口締まって明るく、小沸つき、小足・葉を刃中に交え、金筋・僅かな砂流しがかかる。帽子は直ぐに小丸となり、時にやや長く焼下げる。静かで精緻な刃であり、収集家がその手にまず読むところである。
その静かな刃を支えるのは、下なる地鉄である。本工の地がねは小板目のよくつんだ地に地沸つき地景入り、処々やや肌立つもので、説明書はその清らかさに繰り返し立ち戻り、二つの作において「地がねが如何にも綺麗で」[[c:3]]と評する。大振りの作の広い板目には淡く棒映りが、最も華やかなものには地に乱れ映りが立つ。末備前のなかでも本工は「鍛上手」として古くから聞えていたと説明書は記し、この地の精錬こそ、その二つの刃の据わる不変の基である。
一手のみの工ではなく、いま一つの手が備前本来の乱れ刃である。説明書は「忠光には直刃の上手な作品が多い」[[c:5]]としつつ、ここに乱れ刃を焼いて勝光・宗光に劣らず、「備前本来の乱れ刃もまた得意」[[c:6]]とする。これには腰の開いた互の目に小互の目・小丁子を交え、足・葉よく入り、小沸つき、砂流し・金筋、時に飛焼を交え、帽子は乱れ込んで小丸あるいは尖りごころに返る。その作はほぼ室町末の作風に拠り、寸の詰まった片手打の打刀に先反りつき茎短く、ある説明書が言うように「片手の抜打に適するため」[[c:7]]に造られ、表裏には末備前の宗教的彫物、草の倶利迦羅・梵字・八幡大菩薩の神号を彫る。また則光と並んで備前の佳き槍の数少ない作者にも数えられ、その槍・大身槍は流れた板目によく錬れている。
彦兵衛尉忠光を分かつものは、それゆえ、借りものの比較ではなく、本工自身の作のうちから極めの言うところによって名指される。同じ長船の勝光・宗光が華やかな互の目と腰の開いた丁子の刃で読まれるのに対し、忠光は明るく締まった直刃と、説明書が上手の鍛冶の証と称える清い地鉄で読まれる。そして乱れに転ずれば、それは備前本来の線で、諸工に劣らぬものである。彼は両者と共に末長船の頭に立ち、数口は同名の工との合作で、一口は彦三郎との作で「忠光がその個名であることは判然としている」[[c:8]]とされ、一口は九郎左衛門との作で、忠光を銘する二人が一口を合作するという点が殊におもしろいとされる。延徳二年紀の刀には作州飯岡郷に出張して鍛えたことが記され、備前の工が国境を越えて美作で作刀している。
収集の観点では、稀にみる知り得る名であり、かつ手の届く名である。藤代の極めは上々作。国宝はなく重要文化財もない。その標は重要刀剣に列する二十二口にあり、刀・脇指・短刀・槍・大身槍にわたり広く年紀を見、在銘の短刀三口が御物に伝わり、一口は山野永久の截断金象嵌銘を有する。来歴の知られるものは僅かで、皇室、また所持銘の井手徳一・注文主の渡辺新左衛門の名が挙がる。封じられた指定を負う作が少ないがゆえに、在銘年紀の忠光は長船の大きな名のなかでも比較的世に出やすく、時に市場に姿を見せる。重要刀剣の一口は、ほとんど必ず在銘で、しばしば年まで切られており、その作者と月とを茎から直に読み得る、末備前最盛期の確かな証である。
忠光の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
在銘年紀作が示す、確実に活動していた年代
備前伝 · 備前
時期区分: 末備前· 1441–1596
現在231点販売中
嘉吉から文禄に及ぶ室町時代後期、長船派の最末期を画するのが末備前である。応永備前が古作への復古を志して優美な太刀姿と丁子刃を甦らせたのに続き、この期の長船鍛冶は戦国の世の旺盛な武器需要に応じて作刀の規模を一段と広げ、長船の名のもとに膨大な数の刀剣を世に送り出した。説示にあらわれる主要工は、勝光、宗光、貞光、治光、忠光、清光、春光、祐定の一群である。勝光は宗光・忠光と並ぶ巧者で、右京亮・次郎左衛門尉・修理亮など様々な俗名を冠する同名工を擁し、貞光や子の治光との合作銘も伝わる。祐定にあっては与三左衛門尉・源兵衛尉・彦兵衛尉を冠する者がとりわけ技術が高く、与三左衛門尉祐定は名品の数多くその筆頭に挙げられ、彦兵衛尉はその父と伝えて慶長まで数代を数える。清光は五郎左衛門尉と孫右衛門尉が筆頭格、春光は文明から文禄に及ぶ長期に同名数工があって十郎左衛門が最も知られる。この期には播磨・備前・美作の守護赤松政則が宗光・勝光の一党を陣中に招いて鍛刀の技を学び為打を遺したことも説示に見え、注文打と数打物とが併存した末期の様相をよく伝えている。 体配はまず時代を映す。身幅広く寸のつまり、重ね一段と厚く、踏張りがあって先反りつき、中鋒、茎は片手打に適した短いものとなる、室町後期特有の打刀姿である。鍛えは小板目肌がよくつみ、地沸が微塵につき、地景が細かに入って、淡くあるいは鮮明に乱れ映りが立つ。刃文の中心をなすのは末備前固有の腰の開いた互の目で、焼頭が割れて複式に乱れる複式互の目を基調に、尖り刃・尖りごころの互の目・小互の目を交え、足・葉頻りに入り、匂勝ちに小沸がつき、金筋・砂流しがかかり、処々に小さな飛焼を交える。さらに飛焼・棟焼が頻りにかかって皆焼風となる作もあり、帽子は乱れ込んで先小丸に長く返る。これは光忠の蛙子丁子、長光の丸い頭の丁子、景光の片落ち互の目といった古長船・相伝備前の整然たる丁子主調とは趣を異にし、応永備前の腰開き互の目をさらに崩して量感と変化に向かわせた戦国期の姿である。同時に勝光のように乱れの中へ丁子を多く交えて一段と華やかに焼き、忠光や清光のように直刃の上手として定評を得る工もあり、作域は広い。 鑑定にあっては、まず乱れ映りで備前と読み、つまった寸と厚い重ね、先反り強き打刀姿で時代を末備前に定める。次に俗名と作風で工を分かつ。乱れの中に丁子を多く交えた華やかな出来は勝光、複式風の互の目に飛焼を交えてやや皆焼がかるは与三左衛門尉祐定、板目に杢を交えてやや肌立つ直刃は孫右衛門尉清光、直刃に佳作多きは彦兵衛尉祐定、というように看どころが工を指し示す。表裏に施された梵字・蓮台や棒樋連樋の刀身彫もまた末備前の特色をよく示し、長光景光以来の彫の伝統がこの期まで継承されたことを物語る。代表作には、勝光・貞光合作の明応八年紀の薙刀、勝光・治光父子合作の大永七年紀の短刀、与三左衛門尉二代の元亀元年紀の刀があり、合作銘や所持銘・添銘を伴う注文打は、末備前とそれを支えた三宅氏のごとき在地の氏族を知る上でも資料性が高い。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイト商品発送後の返品・交換・キャンセルには、基本的に対応しておりません。商品に重大な瑕疵がある場合のみ、当サイトでご購入いただいた商品到着後3日以内であれば返品•交換が可能です。
長船忠光は、鎌倉末期からその作例が見られ、室町末期にかけて備前長船を代表する名跡の一つで、その中でも初代彦兵衛忠光や修理亮忠光などが上手である。この刀は、身幅反り尋常、備前茎となる片手打ちで、棒映りに乱れ映りが絡み、精良で美しい地鉄に、細かい小互の目が交じる中直刃を焼き、文明十三年の年紀が入る初代彦兵衛尉忠光の格調高い名品である。



Osafune (Sue-Bizen), Bizen · 備前 · 1469-1521頃
藤代 Jo-jo saku · 刀剣大鑑 上位17%
忠光は勝光・宗光と並ぶ、末備前と呼称される室町末期の長船を代表する刀工である。その名は古く、銘鑑は初代を正応あるいは元亨頃に置き、永禄・天正まで数代を数えるが、最初期の工には作例を見ず、経眠したかぎりでは貞治年紀のものが最古である。一般に著名で、年紀ある在銘作がその記録のほとんどを占めるのは、彦兵衛尉を冠する工であり、文明・延徳・明応(一四六九~一五〇一)に働いた。説明書はその位置を端的に記す。勝光・宗光と並んで末備前の代表鍛冶に忠光があり、同名の数工のうち「中でも彦兵衛尉を名乗る忠光が最も上手である」[[c:1]]とする。
説明書がその個性とするのは、何よりも一つの質である。本来華やかな丁子・互の目の刃で知られる一派のなかで、本工は直刃の名手なのである。説明書は端的に「忠光は末備前刀工中の直刃の名手であり」[[c:2]]と称え、この定評は年代を下って諸作に繰り返される。その典型作は、中直刃あるいは浅くのたれた広直刃を焼き、匂口締まって明るく、小沸つき、小足・葉を刃中に交え、金筋・僅かな砂流しがかかる。帽子は直ぐに小丸となり、時にやや長く焼下げる。静かで精緻な刃であり、収集家がその手にまず読むところである。
その静かな刃を支えるのは、下なる地鉄である。本工の地がねは小板目のよくつんだ地に地沸つき地景入り、処々やや肌立つもので、説明書はその清らかさに繰り返し立ち戻り、二つの作において「地がねが如何にも綺麗で」[[c:3]]と評する。大振りの作の広い板目には淡く棒映りが、最も華やかなものには地に乱れ映りが立つ。末備前のなかでも本工は「鍛上手」として古くから聞えていたと説明書は記し、この地の精錬こそ、その二つの刃の据わる不変の基である。
一手のみの工ではなく、いま一つの手が備前本来の乱れ刃である。説明書は「忠光には直刃の上手な作品が多い」[[c:5]]としつつ、ここに乱れ刃を焼いて勝光・宗光に劣らず、「備前本来の乱れ刃もまた得意」[[c:6]]とする。これには腰の開いた互の目に小互の目・小丁子を交え、足・葉よく入り、小沸つき、砂流し・金筋、時に飛焼を交え、帽子は乱れ込んで小丸あるいは尖りごころに返る。その作はほぼ室町末の作風に拠り、寸の詰まった片手打の打刀に先反りつき茎短く、ある説明書が言うように「片手の抜打に適するため」[[c:7]]に造られ、表裏には末備前の宗教的彫物、草の倶利迦羅・梵字・八幡大菩薩の神号を彫る。また則光と並んで備前の佳き槍の数少ない作者にも数えられ、その槍・大身槍は流れた板目によく錬れている。
彦兵衛尉忠光を分かつものは、それゆえ、借りものの比較ではなく、本工自身の作のうちから極めの言うところによって名指される。同じ長船の勝光・宗光が華やかな互の目と腰の開いた丁子の刃で読まれるのに対し、忠光は明るく締まった直刃と、説明書が上手の鍛冶の証と称える清い地鉄で読まれる。そして乱れに転ずれば、それは備前本来の線で、諸工に劣らぬものである。彼は両者と共に末長船の頭に立ち、数口は同名の工との合作で、一口は彦三郎との作で「忠光がその個名であることは判然としている」[[c:8]]とされ、一口は九郎左衛門との作で、忠光を銘する二人が一口を合作するという点が殊におもしろいとされる。延徳二年紀の刀には作州飯岡郷に出張して鍛えたことが記され、備前の工が国境を越えて美作で作刀している。
収集の観点では、稀にみる知り得る名であり、かつ手の届く名である。藤代の極めは上々作。国宝はなく重要文化財もない。その標は重要刀剣に列する二十二口にあり、刀・脇指・短刀・槍・大身槍にわたり広く年紀を見、在銘の短刀三口が御物に伝わり、一口は山野永久の截断金象嵌銘を有する。来歴の知られるものは僅かで、皇室、また所持銘の井手徳一・注文主の渡辺新左衛門の名が挙がる。封じられた指定を負う作が少ないがゆえに、在銘年紀の忠光は長船の大きな名のなかでも比較的世に出やすく、時に市場に姿を見せる。重要刀剣の一口は、ほとんど必ず在銘で、しばしば年まで切られており、その作者と月とを茎から直に読み得る、末備前最盛期の確かな証である。
忠光の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
在銘年紀作が示す、確実に活動していた年代
備前伝 · 備前
時期区分: 末備前· 1441–1596
現在231点販売中
嘉吉から文禄に及ぶ室町時代後期、長船派の最末期を画するのが末備前である。応永備前が古作への復古を志して優美な太刀姿と丁子刃を甦らせたのに続き、この期の長船鍛冶は戦国の世の旺盛な武器需要に応じて作刀の規模を一段と広げ、長船の名のもとに膨大な数の刀剣を世に送り出した。説示にあらわれる主要工は、勝光、宗光、貞光、治光、忠光、清光、春光、祐定の一群である。勝光は宗光・忠光と並ぶ巧者で、右京亮・次郎左衛門尉・修理亮など様々な俗名を冠する同名工を擁し、貞光や子の治光との合作銘も伝わる。祐定にあっては与三左衛門尉・源兵衛尉・彦兵衛尉を冠する者がとりわけ技術が高く、与三左衛門尉祐定は名品の数多くその筆頭に挙げられ、彦兵衛尉はその父と伝えて慶長まで数代を数える。清光は五郎左衛門尉と孫右衛門尉が筆頭格、春光は文明から文禄に及ぶ長期に同名数工があって十郎左衛門が最も知られる。この期には播磨・備前・美作の守護赤松政則が宗光・勝光の一党を陣中に招いて鍛刀の技を学び為打を遺したことも説示に見え、注文打と数打物とが併存した末期の様相をよく伝えている。 体配はまず時代を映す。身幅広く寸のつまり、重ね一段と厚く、踏張りがあって先反りつき、中鋒、茎は片手打に適した短いものとなる、室町後期特有の打刀姿である。鍛えは小板目肌がよくつみ、地沸が微塵につき、地景が細かに入って、淡くあるいは鮮明に乱れ映りが立つ。刃文の中心をなすのは末備前固有の腰の開いた互の目で、焼頭が割れて複式に乱れる複式互の目を基調に、尖り刃・尖りごころの互の目・小互の目を交え、足・葉頻りに入り、匂勝ちに小沸がつき、金筋・砂流しがかかり、処々に小さな飛焼を交える。さらに飛焼・棟焼が頻りにかかって皆焼風となる作もあり、帽子は乱れ込んで先小丸に長く返る。これは光忠の蛙子丁子、長光の丸い頭の丁子、景光の片落ち互の目といった古長船・相伝備前の整然たる丁子主調とは趣を異にし、応永備前の腰開き互の目をさらに崩して量感と変化に向かわせた戦国期の姿である。同時に勝光のように乱れの中へ丁子を多く交えて一段と華やかに焼き、忠光や清光のように直刃の上手として定評を得る工もあり、作域は広い。 鑑定にあっては、まず乱れ映りで備前と読み、つまった寸と厚い重ね、先反り強き打刀姿で時代を末備前に定める。次に俗名と作風で工を分かつ。乱れの中に丁子を多く交えた華やかな出来は勝光、複式風の互の目に飛焼を交えてやや皆焼がかるは与三左衛門尉祐定、板目に杢を交えてやや肌立つ直刃は孫右衛門尉清光、直刃に佳作多きは彦兵衛尉祐定、というように看どころが工を指し示す。表裏に施された梵字・蓮台や棒樋連樋の刀身彫もまた末備前の特色をよく示し、長光景光以来の彫の伝統がこの期まで継承されたことを物語る。代表作には、勝光・貞光合作の明応八年紀の薙刀、勝光・治光父子合作の大永七年紀の短刀、与三左衛門尉二代の元亀元年紀の刀があり、合作銘や所持銘・添銘を伴う注文打は、末備前とそれを支えた三宅氏のごとき在地の氏族を知る上でも資料性が高い。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイト商品発送後の返品・交換・キャンセルには、基本的に対応しておりません。商品に重大な瑕疵がある場合のみ、当サイトでご購入いただいた商品到着後3日以内であれば返品•交換が可能です。