Ginza Choshuya 東京都中央区銀座3-10-4 月–土 9:30–17:30 Shokatsu Koumei is explaining for "Sanbun war plan" 白狼山の戦いで河北(黄河の北岸地域)を平定した曹操は、中原地方(黄河流域を中心とする北方地域)に強大な力を示し、さらに中国全土を目指して南下の動きを強めていた。南の揚州には三代に亘って信頼を築いている孫権がいることから、劉備と、その遠縁に当たる荊州の劉表や益州の劉璋は、これら周囲の動きに敏感にならざるを得ない状況であった。 その頃、劉備は荊州の劉表の軍門に客分としてあり、新野城を居城としていた。荊州は軍事的な要衝であり、曹操もまた狙いを定めている地。 この時期、関羽や張飛といった武勇の志士や集まり来た多くの兵を手にしながらも、漢王朝再興を願う劉備には曹操と戦う良策が見出せない状況であった。そこで劉備は自らの頭脳となる軍師が必要であると考え、司馬徽と徐庶を介して隆中の山裾に隠れ棲む諸葛孔明を知ることとなる。




奈良
江戸
武蔵
在銘
重要 (NBTHK)
町彫 · Edo
奈良利寿は、寛文七年(1667)に生まれ、通称を太兵衛といい、元文元年(1736)、七十歳で歿した。安親・乗意と並んで『奈良三作』と称賛されている三人の中では年齢的に最も年輩であり、技術も優れている。奈良派の刀装具工として、その名跡は高く評価されている。
利寿の作風は、人物図を得意とし、縁頭の製作に抜群の技術を示している。鐔や小柄は僅少で、縁頭の作品が多い。地鉄は赤銅、鉄、真鍮、朧銀など多様であり、それぞれに趣向を凝らした作風を展開している。赤銅地には石目地を施すことが多く、鉄地には独特な石目を蒔く。真鍮地には石目地や荒らし地を用いる。朧銀地は部分的に漆をかけ、黒味を帯びた渋味のある作風を見せる。彫技は鋤出高彫を基調とし、高彫、据文象嵌、色絵を駆使する。金、銀、赤銅、四分一、素銅などの色金を象嵌し、鮮やかに画題を生かす。その彫口は隅々にまで力が漲り、巧みな色金使い、漆を使用した仕上げなど、利寿ならではの重厚な技芸が遺憾なく発揮されている。人物の表情は写実的であり、武者の図は後藤家の武者よりも真実性を多分に有している点に見どころがある。動物図においては、高彫の巧みさ・石目地の技巧性に彼の優れた技量が横溢としている。構図の取り方が実に巧みであり、地金の処理、紋の高彫、象嵌色金総てに卓越した技術が窺われる。
利寿の作品は、その豪壮の気が自然に溢れる品格が備わっていると評される。僅かな空間を最大限に活用し、躍動感を対象に与える技術の高さは特筆される。特に、鐘馗と鬼の表情が独特であり、眼を見開いて威容を調える鐘馗と辺りを警戒して落ち着きなく怯える鬼の姿を見事に表現している。また、寿老の柔和な表情には同工独特のものがあり、その微妙な肉取りと、しなやかな鏨行には目をみはるものがある。奈良派の頂点に位置し、奈良三作の筆頭に上げられている利寿の作品は、雅趣に富み、格調が高いと評価されている。
利寿の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
町彫 · Edo
現在83点販売中
奈良派は、江戸時代中期に隆盛を見た刀装金工の一流派である。後藤家の格式に拠らず、独立した町彫の伝統として発展し、奈良一門の歴代の手を経てその名跡を伝えた。流派の声価を不動のものとしたのは、奈良利寿・土屋安親・杉浦乗意のいわゆる「奈良三作」である。三作の筆頭たる利寿は寛文七年に生まれ、安親はこれに次ぎ、乗意は元禄十四年の生まれにして三人の中では最も若い。安親は出羽国庄内藩士の子として生まれ、若くして正阿弥珍久に学んだ後、元禄十六年江戸へ出て奈良辰政に師事し、天性の才を開花させた。乗意は信州松本の人で、江戸に出て奈良利治門の寿永に学んだと伝えられる。かくして各地より集う才人を糾合し、奈良派は江戸金工の独立した諸流の中にあって最高峰の一角を占めるに至った。 作風においては、流派の標識として彫技と素材の幅広さが挙げられる。地鉄は赤銅・鉄・真鍮・朧銀・四分一・素銅など多様であり、これに石目地・槌目地・磨地などの地荒らしを施す。彫技は鋤出彫・高彫・毛彫・片切彫を基調とし、金・銀・赤銅・四分一・素銅といった色金を象嵌・色絵として的確に配して画題を生かす。三作はこの共通の語彙のうちに各々独自の境地を拓いた。利寿は人物図を得意とし、縁頭の製作に抜群の技を示し、鋤出高彫を基調として隅々にまで力の漲る重厚な彫口を見せる。安親は構図の取り方、色金の配し方、空間の表現において追随を許さぬ均衡を示し、人物・動物・山水・故事と多岐にわたる題材に詩情と物語性を込めた。乗意は朧銀磨地を地金とし、僅かな高低差を活かして対象の表情を豊かに表出する肉合彫の新技を編み出し、象嵌や色絵をあまり用いず鏨の力量のみで意匠を彫り上げた点に独壇場を示す。 評価と伝承においては、奈良派の諸工が刀装具という限られた画面のうちに装飾の域を超えた真の芸術的表現を達成した点が、その名声の根幹を成す。利寿の作は豪壮の気が自然に溢れる品格を備え、僅かな空間を最大限に活用して躍動感を与える技量に特色がある。安親の作には「安親ならでは」「安親の世界」といった文言が繰り返し用いられ、その独創性と芸術性の高さが讃えられ、晩年には古銭を意匠に取り入れた枯淡の作風も見られる。乗意の児落獅子図小柄は、肉合彫を駆使して千尋の谷に我が子を投げ込む獅子を彫り上げた会心の作として重要刀装具に指定され、落下する児獅子の力強さと崖上に見守る親獅子の表情に臨場感が溢れる。これら三作を頂点とする奈良派は、構図の卓抜、全幅にわたる技量の冴え、そして優品を芸術の高みへと昇華させる表現の深さによって、江戸金工の世界に確固たる地位を築き、後世に多大な影響を与えた名門である。 詳しく見る →
特別保存刀装具の中から、特に出来が優れ、美術工芸的価値が極めて高く、国認定の重要美術品に準ずると判断されたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイト弊社の過失により、本来の状態と著しく異なる場合には商品の返品が可能です。クーリングオフは商品到着後一週間以内です。
Ginza Choshuya 東京都中央区銀座3-10-4 月–土 9:30–17:30 Shokatsu Koumei is explaining for "Sanbun war plan" 白狼山の戦いで河北(黄河の北岸地域)を平定した曹操は、中原地方(黄河流域を中心とする北方地域)に強大な力を示し、さらに中国全土を目指して南下の動きを強めていた。南の揚州には三代に亘って信頼を築いている孫権がいることから、劉備と、その遠縁に当たる荊州の劉表や益州の劉璋は、これら周囲の動きに敏感にならざるを得ない状況であった。 その頃、劉備は荊州の劉表の軍門に客分としてあり、新野城を居城としていた。荊州は軍事的な要衝であり、曹操もまた狙いを定めている地。 この時期、関羽や張飛といった武勇の志士や集まり来た多くの兵を手にしながらも、漢王朝再興を願う劉備には曹操と戦う良策が見出せない状況であった。そこで劉備は自らの頭脳となる軍師が必要であると考え、司馬徽と徐庶を介して隆中の山裾に隠れ棲む諸葛孔明を知ることとなる。




奈良
江戸
武蔵
在銘
重要 (NBTHK)
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奈良利寿は、寛文七年(1667)に生まれ、通称を太兵衛といい、元文元年(1736)、七十歳で歿した。安親・乗意と並んで『奈良三作』と称賛されている三人の中では年齢的に最も年輩であり、技術も優れている。奈良派の刀装具工として、その名跡は高く評価されている。
利寿の作風は、人物図を得意とし、縁頭の製作に抜群の技術を示している。鐔や小柄は僅少で、縁頭の作品が多い。地鉄は赤銅、鉄、真鍮、朧銀など多様であり、それぞれに趣向を凝らした作風を展開している。赤銅地には石目地を施すことが多く、鉄地には独特な石目を蒔く。真鍮地には石目地や荒らし地を用いる。朧銀地は部分的に漆をかけ、黒味を帯びた渋味のある作風を見せる。彫技は鋤出高彫を基調とし、高彫、据文象嵌、色絵を駆使する。金、銀、赤銅、四分一、素銅などの色金を象嵌し、鮮やかに画題を生かす。その彫口は隅々にまで力が漲り、巧みな色金使い、漆を使用した仕上げなど、利寿ならではの重厚な技芸が遺憾なく発揮されている。人物の表情は写実的であり、武者の図は後藤家の武者よりも真実性を多分に有している点に見どころがある。動物図においては、高彫の巧みさ・石目地の技巧性に彼の優れた技量が横溢としている。構図の取り方が実に巧みであり、地金の処理、紋の高彫、象嵌色金総てに卓越した技術が窺われる。
利寿の作品は、その豪壮の気が自然に溢れる品格が備わっていると評される。僅かな空間を最大限に活用し、躍動感を対象に与える技術の高さは特筆される。特に、鐘馗と鬼の表情が独特であり、眼を見開いて威容を調える鐘馗と辺りを警戒して落ち着きなく怯える鬼の姿を見事に表現している。また、寿老の柔和な表情には同工独特のものがあり、その微妙な肉取りと、しなやかな鏨行には目をみはるものがある。奈良派の頂点に位置し、奈良三作の筆頭に上げられている利寿の作品は、雅趣に富み、格調が高いと評価されている。
利寿の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
町彫 · Edo
現在83点販売中
奈良派は、江戸時代中期に隆盛を見た刀装金工の一流派である。後藤家の格式に拠らず、独立した町彫の伝統として発展し、奈良一門の歴代の手を経てその名跡を伝えた。流派の声価を不動のものとしたのは、奈良利寿・土屋安親・杉浦乗意のいわゆる「奈良三作」である。三作の筆頭たる利寿は寛文七年に生まれ、安親はこれに次ぎ、乗意は元禄十四年の生まれにして三人の中では最も若い。安親は出羽国庄内藩士の子として生まれ、若くして正阿弥珍久に学んだ後、元禄十六年江戸へ出て奈良辰政に師事し、天性の才を開花させた。乗意は信州松本の人で、江戸に出て奈良利治門の寿永に学んだと伝えられる。かくして各地より集う才人を糾合し、奈良派は江戸金工の独立した諸流の中にあって最高峰の一角を占めるに至った。 作風においては、流派の標識として彫技と素材の幅広さが挙げられる。地鉄は赤銅・鉄・真鍮・朧銀・四分一・素銅など多様であり、これに石目地・槌目地・磨地などの地荒らしを施す。彫技は鋤出彫・高彫・毛彫・片切彫を基調とし、金・銀・赤銅・四分一・素銅といった色金を象嵌・色絵として的確に配して画題を生かす。三作はこの共通の語彙のうちに各々独自の境地を拓いた。利寿は人物図を得意とし、縁頭の製作に抜群の技を示し、鋤出高彫を基調として隅々にまで力の漲る重厚な彫口を見せる。安親は構図の取り方、色金の配し方、空間の表現において追随を許さぬ均衡を示し、人物・動物・山水・故事と多岐にわたる題材に詩情と物語性を込めた。乗意は朧銀磨地を地金とし、僅かな高低差を活かして対象の表情を豊かに表出する肉合彫の新技を編み出し、象嵌や色絵をあまり用いず鏨の力量のみで意匠を彫り上げた点に独壇場を示す。 評価と伝承においては、奈良派の諸工が刀装具という限られた画面のうちに装飾の域を超えた真の芸術的表現を達成した点が、その名声の根幹を成す。利寿の作は豪壮の気が自然に溢れる品格を備え、僅かな空間を最大限に活用して躍動感を与える技量に特色がある。安親の作には「安親ならでは」「安親の世界」といった文言が繰り返し用いられ、その独創性と芸術性の高さが讃えられ、晩年には古銭を意匠に取り入れた枯淡の作風も見られる。乗意の児落獅子図小柄は、肉合彫を駆使して千尋の谷に我が子を投げ込む獅子を彫り上げた会心の作として重要刀装具に指定され、落下する児獅子の力強さと崖上に見守る親獅子の表情に臨場感が溢れる。これら三作を頂点とする奈良派は、構図の卓抜、全幅にわたる技量の冴え、そして優品を芸術の高みへと昇華させる表現の深さによって、江戸金工の世界に確固たる地位を築き、後世に多大な影響を与えた名門である。 詳しく見る →
特別保存刀装具の中から、特に出来が優れ、美術工芸的価値が極めて高く、国認定の重要美術品に準ずると判断されたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
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