奈良利寿は寛文七年に生まれ、通称を太兵衛といい、元文元年、七十歳で歿した。説明書の一は、彼を江戸奈良利永(奈良派四代目)の門人とし、江戸本所に住したとする。土屋安親・杉浦乗意と並んで奈良三作と称され、説明書は三人の中で彼を第一に置く。年齢的に最も年輩であり、「三人の中では技量が優れ」たとされる。ある説明書は彼を「奈良派第一と称賛された名工」とし、別の説明書は「奈良派の頂点に位置し」とする。
説明書が繰り返し挙げるのは、その鏨の力である。瀑布に猛虎図小柄について「隅々にまで力の漲った彫口」と記し、獅子図縁頭については飛び出るような獅子の高彫を刮目に価するとし、「これが利寿の見どころの一つである」とする。高彫・鋤出高彫により図を地から浮き立たせ、金・銀・素銅・四分一の色絵象嵌を加える。藤戸渡合戦図小柄では、鉄地に絶妙な差のある鋤出高彫で荒れた波を表し、人物をさらに高彫して浮き上がらせ、色絵は最小限にとどめている。
素材は幅広い。赤銅・鉄・四分一・朧銀・素銅荒らし地を用い、しばしば説明書の言う「利寿独自の石目」を打つ。とりわけ真鍮が挙げられ、亀乗寿老図縁頭について「真鍮や鋤出の同工得意の手法」とする。部分的に漆をかけて朧銀や素銅を黒味がからせる仕立もあり、奈良派らしい趣を添える。作は縁頭が大半を占め、縁は一文字で腰の低い、やや竪長の形で、説明書は「鐔や小柄は僅少で、縁頭の作品が多い」と繰り返す。鐔は皆部厚のもので、初期の説明書は十点を出でぬであろうとし、その中で大森彦七図・牟礼高松図の鐔が名高い。
画題は二つの調子に分かれる。第一は人物である。鐘馗と鬼は彼の得意とした図で、説明書は「鐘馗と鬼の表情が独特」とする。寿老に蓑亀を配した図も得意の題材で、類似の構図の鐔・縁頭が数点現存する。ほかに毘沙門天、三国志、藤戸渡、宇治川先陣がある。騎馬の武者について説明書は、後藤風でありながら「後藤家の武者よりは一段と写生的というか、真実性を多分に有している点に見どころがある」とする。第二は鳥獣で、ひよこを添えた闘鶏、瀑布の岩上に蹲る虎、激流を泳ぐ親虎と川岸の子虎、牡丹に獅子、そして真鍮地を滑らかに鋤出した天空に舞い降りる帰雁に及ぶ。
両方の調子を貫くのは動と静の対照である。瀑布に猛虎図小柄では、説明書は瀧を「動」、岩上に蹲る虎を「静」と読み、虎視眈々として今にも動に移らんとする姿とする。ある軍鶏図縁頭では、嘴を閉じ翼を収め頸の羽根も逆立たず、故事の木鶏のごとき「静」の姿とされ、他の作の戦闘態勢の「動」の軍鶏と対をなす。宇治川先陣図縁頭は、利寿の縁に幕末の東龍斎清寿が頭を彫り足したものである。
指定を受けた作は三十口で、重要文化財三口、特別重要刀装具四口、重要刀装具二十口、さらに戦前の重要美術品三口である。重要文化財の三口は国の文化財であって世に出ることはない。戦前の記録には細川護立(現在は永青文庫の所蔵)と古河虎之助の名が見え、寿老蓑亀図縁頭は龍獅堂光村利藻の旧蔵で、明治三十七年の海野勝珉の箱書を伴う。特別重要刀装具・重要刀装具の縁頭は時折世に出るが、鐔・小柄はさらに稀である。