我が国の草創神話を題に得た利壽(としなが)の目貫である。このような作品に出会うと、まず我が国土の成り立ちに思いが広がる。思想や宗教、政治的な諸問題は棚の上に置いておこう。遺跡や遺物はもちろん、『古事記』や『日本書紀』などの記録などを、偏ることのない昔語りといった見方をすれば、科学的に未知と言わざるを得ない古代人の自然観などを感じ取ることができる。 伝承の節々に、神が生み出されるに至った背景にある自然への恐れ。海に囲まれている環境など、我が国土の特質が示されていることが理解できよう。伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と伊弉冉尊(いざなみのみこと)による国生み神話は、その本質を示しているのである。 この目貫に描かれているのは、天津(あまつ)神(かみ)より国土を創造すべく命を受けた伊弉諾尊と伊弉冉尊両神の姿。剣を背負っている伊弉諾尊は、左手を天に向け、右手を腹にし、伊弉冉尊は両手を腹部で組んでいる。両神に大海の波が寄せ、空には雲が湧いている様子を彫り描き、天地の境界を未だ定めていないことを表現している。 この後、両神は天浮橋に至り、天津神より与えられた天沼矛(あまのぬぼこ)を用いて混沌の海を掻き混ぜ、滴り落ちた泥土で淤能碁呂島(おのころしま)を造り出した。この淤能碁呂島に降り立った両神は、初めて男女の違いを認識することとなり、天御柱(あまのみはしら)を廻って万物諸神を生み出すのである。最も重要なのが大八島(おおやしま)と呼ばれる、淡道之穂之狭別島(あわじのほのさわけのしま)(淡路島)、伊予之二名島(いよのふたなのしま)(四国)、隠伎之三子島(おきのみつごのしま)(隠岐島)、筑紫島(つくしのしま)(九州)、伊伎島(いきのしま)(壱岐島)、津島(つしま)(対馬)、佐度島(さどのしま)(佐渡島)、大倭豊秋津島(おおやまととよあきつしま)(本州)の我が国土。次いで天(あま)照(てらす)大(おお)神(みかみ)、月読(つくよみの)命(みこと)、建速須佐之男(たけはやすさのおの)命(みこと)といった、天の動きと大地や気象に関わる諸神を生み、人間世界との関りを明確にしていくのである。 赤銅(しゃくどう)地をわずかに歪んだ丸形に造り込み、その周囲に刻みを設け、上部には雲を、下には波を彫り描き、微細な魚子(ななこ)を打ち施した中央に二神を厳かな姿に彫り表わしている。色金を用いない赤銅地黒一色の素材もまた厳かであり、両神の存在を尊いものとしている。殊に円周状に打たれた魚子地の様子は神々しい光背のようにも、あるいは日輪をも想わせ、神威を明確に表現している。両神の姿は極めて小さな空間ながら精密で、彫口も鋭く立体感に富み、顔つきと目の表情もわずかに違えている点は巧みである。 江戸時代にはこの場面が多くの絵師によって絵画表現されている(写真例)。本作は、大画面に細筆を用いて細部まで描き表したそれら絵画とは異なる黒一色の赤銅のみからなる高彫で、しかも一寸に満たない空域に立体表現するという技術的な側面も、魅力の大きな要因となっている。 さて、江戸時代における思想的な面では、この目貫の作者利壽が活躍していた時代にはまだ『古事記伝』を著した本居宣長(もとおりのりなが)は登場しておらず、同時代の思想家を挙げるとすれば『古史通』の新井(あらい)白石(はくせき)ぐらいであろう。新井白石は、天照大神は男神であるといったような中世的な考え方をしており、この目貫が表現している世界観との距離については興味深いところである。 伊弉諾尊と伊弉冉尊の二神を彫り描いた装剣小道具は、類例が極めて少なく貴重である。制作の時代背景から利壽がこれら近世の思想から影響を受けていないことは明らか。むしろ古典的な自然観に近い認識でこの二神を捉えていたと考えられ、江戸時代に大きく進化した神学とは少々離れて鑑賞すべき作品ともいえるであろう。 江戸の松沢家に伝来したこの目貫は、本阿弥琳雅氏が大正三、四年頃に譲り受けて其日庵杉山茂丸翁に納めたものだが、杉山翁が赤星鉄馬氏に自慢したところ懇望されて贈ることとなり、さらに後の昭和初期に青木鉄太郎氏の所有となったもの。小道具に通じた阿弥屋惣右衛門がこれを買い受けたことを記した便箋が遺されており、箱書には「神品」と記されている。





Nara Toshinaga (利寿)
江戸
武蔵
在銘
町彫 · Edo
奈良利寿は寛文七年に生まれ、通称を太兵衛といい、元文元年、七十歳で歿した。説明書の一は、彼を江戸奈良利永(奈良派四代目)の門人とし、江戸本所に住したとする。土屋安親・杉浦乗意と並んで奈良三作と称され、説明書は三人の中で彼を第一に置く。年齢的に最も年輩であり、「三人の中では技量が優れ」[[c:1]]たとされる。ある説明書は彼を「奈良派第一と称賛された名工」[[c:2]]とし、別の説明書は「奈良派の頂点に位置し」[[c:3]]とする。
説明書が繰り返し挙げるのは、その鏨の力である。瀑布に猛虎図小柄について「隅々にまで力の漲った彫口」[[c:4]]と記し、獅子図縁頭については飛び出るような獅子の高彫を刮目に価するとし、「これが利寿の見どころの一つである」[[c:5]]とする。高彫・鋤出高彫により図を地から浮き立たせ、金・銀・素銅・四分一の色絵象嵌を加える。藤戸渡合戦図小柄では、鉄地に絶妙な差のある鋤出高彫で荒れた波を表し、人物をさらに高彫して浮き上がらせ、色絵は最小限にとどめている。
素材は幅広い。赤銅・鉄・四分一・朧銀・素銅荒らし地を用い、しばしば説明書の言う「利寿独自の石目」を打つ。とりわけ真鍮が挙げられ、亀乗寿老図縁頭について「真鍮や鋤出の同工得意の手法」[[c:7]]とする。部分的に漆をかけて朧銀や素銅を黒味がからせる仕立もあり、奈良派らしい趣を添える。作は縁頭が大半を占め、縁は一文字で腰の低い、やや竪長の形で、説明書は「鐔や小柄は僅少で、縁頭の作品が多い」[[c:8]]と繰り返す。鐔は皆部厚のもので、初期の説明書は十点を出でぬであろうとし、その中で大森彦七図・牟礼高松図の鐔が名高い。
画題は二つの調子に分かれる。第一は人物である。鐘馗と鬼は彼の得意とした図で、説明書は「鐘馗と鬼の表情が独特」[[c:9]]とする。寿老に蓑亀を配した図も得意の題材で、類似の構図の鐔・縁頭が数点現存する。ほかに毘沙門天、三国志、藤戸渡、宇治川先陣がある。騎馬の武者について説明書は、後藤風でありながら「後藤家の武者よりは一段と写生的というか、真実性を多分に有している点に見どころがある」[[c:10]]とする。第二は鳥獣で、ひよこを添えた闘鶏、瀑布の岩上に蹲る虎、激流を泳ぐ親虎と川岸の子虎、牡丹に獅子、そして真鍮地を滑らかに鋤出した天空に舞い降りる帰雁に及ぶ。
両方の調子を貫くのは動と静の対照である。瀑布に猛虎図小柄では、説明書は瀧を「動」、岩上に蹲る虎を「静」と読み、虎視眈々として今にも動に移らんとする姿とする。ある軍鶏図縁頭では、嘴を閉じ翼を収め頸の羽根も逆立たず、故事の木鶏のごとき「静」の姿とされ、他の作の戦闘態勢の「動」の軍鶏と対をなす。宇治川先陣図縁頭は、利寿の縁に幕末の東龍斎清寿が頭を彫り足したものである。
指定を受けた作は三十口で、重要文化財三口、特別重要刀装具四口、重要刀装具二十口、さらに戦前の重要美術品三口である。重要文化財の三口は国の文化財であって世に出ることはない。戦前の記録には細川護立(現在は永青文庫の所蔵)と古河虎之助の名が見え、寿老蓑亀図縁頭は龍獅堂光村利藻の旧蔵で、明治三十七年の海野勝珉の箱書を伴う。特別重要刀装具・重要刀装具の縁頭は時折世に出るが、鐔・小柄はさらに稀である。
利寿の位置づけを、日本刀全体および伝法・時代・時期ごとに示します。各区分(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
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町彫 · Edo
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奈良派は、江戸時代中期に隆盛を見た刀装金工の一流派である。後藤家の格式に拠らず、独立した町彫の伝統として発展し、奈良一門の歴代の手を経てその名跡を伝えた。流派の声価を不動のものとしたのは、奈良利寿・土屋安親・杉浦乗意のいわゆる「奈良三作」である。三作の筆頭たる利寿は寛文七年に生まれ、安親はこれに次ぎ、乗意は元禄十四年の生まれにして三人の中では最も若い。安親は出羽国庄内藩士の子として生まれ、若くして正阿弥珍久に学んだ後、元禄十六年江戸へ出て奈良辰政に師事し、天性の才を開花させた。乗意は信州松本の人で、江戸に出て奈良利治門の寿永に学んだと伝えられる。かくして各地より集う才人を糾合し、奈良派は江戸金工の独立した諸流の中にあって最高峰の一角を占めるに至った。 作風においては、流派の標識として彫技と素材の幅広さが挙げられる。地鉄は赤銅・鉄・真鍮・朧銀・四分一・素銅など多様であり、これに石目地・槌目地・磨地などの地荒らしを施す。彫技は鋤出彫・高彫・毛彫・片切彫を基調とし、金・銀・赤銅・四分一・素銅といった色金を象嵌・色絵として的確に配して画題を生かす。三作はこの共通の語彙のうちに各々独自の境地を拓いた。利寿は人物図を得意とし、縁頭の製作に抜群の技を示し、鋤出高彫を基調として隅々にまで力の漲る重厚な彫口を見せる。安親は構図の取り方、色金の配し方、空間の表現において追随を許さぬ均衡を示し、人物・動物・山水・故事と多岐にわたる題材に詩情と物語性を込めた。乗意は朧銀磨地を地金とし、僅かな高低差を活かして対象の表情を豊かに表出する肉合彫の新技を編み出し、象嵌や色絵をあまり用いず鏨の力量のみで意匠を彫り上げた点に独壇場を示す。 評価と伝承においては、奈良派の諸工が刀装具という限られた画面のうちに装飾の域を超えた真の芸術的表現を達成した点が、その名声の根幹を成す。利寿の作は豪壮の気が自然に溢れる品格を備え、僅かな空間を最大限に活用して躍動感を与える技量に特色がある。安親の作には「安親ならでは」「安親の世界」といった文言が繰り返し用いられ、その独創性と芸術性の高さが讃えられ、晩年には古銭を意匠に取り入れた枯淡の作風も見られる。乗意の児落獅子図小柄は、肉合彫を駆使して千尋の谷に我が子を投げ込む獅子を彫り上げた会心の作として重要刀装具に指定され、落下する児獅子の力強さと崖上に見守る親獅子の表情に臨場感が溢れる。これら三作を頂点とする奈良派は、構図の卓抜、全幅にわたる技量の冴え、そして優品を芸術の高みへと昇華させる表現の深さによって、江戸金工の世界に確固たる地位を築き、後世に多大な影響を与えた名門である。 詳しく見る →
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