国内の戦乱と海外への貿易が、室町の備前を国内随一の刀剣産地にした。応仁の乱以後は戦国の需要が一世紀続き、遣明船は数万振の単位で刀を運んでいる。
長舩則光の寛正前後、即ち文安、宝徳、享徳、康正、長禄、寛正、文正、応仁、文明の約三十年間の作刀に出来の優れたものが多いことから「寛正則光」という言葉がある。享徳二年二月日の年紀を刻する本作は、まさにこの則光最盛期の一口。


備前伝 · 備前 · 1462-1487頃
藤代 上々作
現在4点販売中
則光は、備前長船派の刀工で、その初代は長光の門人とされる。現存する作刀には元亨の年紀を持つ短刀があり、室町時代末期まで十数代にわたり同名を称したと推測される。室町期における則光の作刀は、寛正頃を中心に数代にわたり作刀が確認されており、備前鍛冶研究において重要な位置を占める。
則光の作風は、時代によって変遷が見られる。応永備前に近い作風を示すものがある一方で、寛正頃の作刀は、応永備前の盛光、康光と、末備前の勝光、祐定との中間的な作風を示すとされる。地鉄は、板目肌に肌立ちごころが見られ、地沸つき、乱れ映りが立つものが多い。刃文は、腰開きの互の目乱れを基調とし、総体に小模様に乱れ、足・葉が入り、小沸が付く。帽子は乱れ込み、表は尖り、裏は丸く返る傾向がある。姿は、反りの高いものが多く、中鋒を備える。茎は生ぶのものが多く、先は栗尻、鑢目は勝手下りとなる。
則光の作刀は、生ぶ有銘のものが多く、地刃の出来が良いものが評価される。特に、文明年紀を持つ作刀は、室町期の刀剣研究において貴重な資料となる。槍の作例も存在し、室町時代の槍の典型的な姿を示すものとして評価が高い。ただし、槍の作刀においては、鍛が柾目となることや、刃文が沸ついた直刃ほつれとなることは、古来の槍の慣習的なものであり、長船物としての特色が生かされているとは言い難いとされる。浦上氏一族の為に打たれた短刀には添銘があり、歴史的資料として貴重である。
則光の位置づけを、日本刀全体および伝法・時代・時期ごとに示します。各区分(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
在銘年紀作が示す、確実に活動していた年代
備前伝 · 備前
時期区分: 末備前· 1441–1596
現在186点販売中
嘉吉から文禄に及ぶ室町時代後期、長船派の最末期を画するのが末備前である。応永備前が古作への復古を志して優美な太刀姿と丁子刃を甦らせたのに続き、この期の長船鍛冶は戦国の世の旺盛な武器需要に応じて作刀の規模を一段と広げ、長船の名のもとに膨大な数の刀剣を世に送り出した。説示にあらわれる主要工は、勝光、宗光、貞光、治光、忠光、清光、春光、祐定の一群である。勝光は宗光・忠光と並ぶ巧者で、右京亮・次郎左衛門尉・修理亮など様々な俗名を冠する同名工を擁し、貞光や子の治光との合作銘も伝わる。祐定にあっては与三左衛門尉・源兵衛尉・彦兵衛尉を冠する者がとりわけ技術が高く、与三左衛門尉祐定は名品の数多くその筆頭に挙げられ、彦兵衛尉はその父と伝えて慶長まで数代を数える。清光は五郎左衛門尉と孫右衛門尉が筆頭格、春光は文明から文禄に及ぶ長期に同名数工があって十郎左衛門が最も知られる。この期には播磨・備前・美作の守護赤松政則が宗光・勝光の一党を陣中に招いて鍛刀の技を学び為打を遺したことも説示に見え、注文打と数打物とが併存した末期の様相をよく伝えている。 体配はまず時代を映す。身幅広く寸のつまり、重ね一段と厚く、踏張りがあって先反りつき、中鋒、茎は片手打に適した短いものとなる、室町後期特有の打刀姿である。鍛えは小板目肌がよくつみ、地沸が微塵につき、地景が細かに入って、淡くあるいは鮮明に乱れ映りが立つ。刃文の中心をなすのは末備前固有の腰の開いた互の目で、焼頭が割れて複式に乱れる複式互の目を基調に、尖り刃・尖りごころの互の目・小互の目を交え、足・葉頻りに入り、匂勝ちに小沸がつき、金筋・砂流しがかかり、処々に小さな飛焼を交える。さらに飛焼・棟焼が頻りにかかって皆焼風となる作もあり、帽子は乱れ込んで先小丸に長く返る。これは光忠の蛙子丁子、長光の丸い頭の丁子、景光の片落ち互の目といった古長船・相伝備前の整然たる丁子主調とは趣を異にし、応永備前の腰開き互の目をさらに崩して量感と変化に向かわせた戦国期の姿である。同時に勝光のように乱れの中へ丁子を多く交えて一段と華やかに焼き、忠光や清光のように直刃の上手として定評を得る工もあり、作域は広い。 鑑定にあっては、まず乱れ映りで備前と読み、つまった寸と厚い重ね、先反り強き打刀姿で時代を末備前に定める。次に俗名と作風で工を分かつ。乱れの中に丁子を多く交えた華やかな出来は勝光、複式風の互の目に飛焼を交えてやや皆焼がかるは与三左衛門尉祐定、板目に杢を交えてやや肌立つ直刃は孫右衛門尉清光、直刃に佳作多きは彦兵衛尉祐定、というように看どころが工を指し示す。表裏に施された梵字・蓮台や棒樋連樋の刀身彫もまた末備前の特色をよく示し、長光景光以来の彫の伝統がこの期まで継承されたことを物語る。代表作には、勝光・貞光合作の明応八年紀の薙刀、勝光・治光父子合作の大永七年紀の短刀、与三左衛門尉二代の元亀元年紀の刀があり、合作銘や所持銘・添銘を伴う注文打は、末備前とそれを支えた三宅氏のごとき在地の氏族を知る上でも資料性が高い。 詳しく見る →
室町時代の備前
国内の戦乱と海外への貿易が、室町の備前を国内随一の刀剣産地にした。応仁の乱以後は戦国の需要が一世紀続き、遣明船は数万振の単位で刀を運んでいる。
弊社の過失により、本来の状態と著しく異なる場合には商品の返品が可能です。クーリングオフは商品到着後一週間以内です。