説明

長光は、備前長船鍛冶の祖である光忠の子で、父の後を継ぎ、父が築いた長船派の礎を盤石なものとした名工です。名物『大般若長光』、『津田遠江長光』『熊野三所権現長光』など国宝六口、重要文化財二十九口、重要美術品四十一口、計七十六口もの国指定品が現存しており、これは全刀工中最多、その他にも数々の名物、名作を残しており、名実共に備前長船鍛冶の最高峰です。 作風は、前期は光忠風を継承した華やかな丁子乱れ、後期は刃縁の締まった直刃に、小足や丁子足を交える穏やかな作が主体となり、長光の弟と伝わる真長や、子の景光に近い作風へ移行していきます。 年紀作に見る活躍期は、弘安(一二七八~八八)から、嘉元(一三〇二~〇六)までですが、年紀がないものの中には、前述の名物のように、弘安よりも明らかに古いと鑑せられる作もあります。 銘は『長光』、『備前国長船住長光』、『備前国長船住長光作』、『備前国長船住左近将監長光造』などと切りますが、年紀入りは長銘の場合のみで、二字銘にはありません。 本作は、大磨り上げ無銘ながら、『長船長光』と極められた優品です。 寸法二尺四寸二分弱、先反りやや浅めながら、腰反り付いて踏ん張りのある美しいスタイルを未だに留めており、地刃健やかで姿の崩れもありません。 小板目肌が良く詰んだ美しい備前地鉄は、地色明るく、鮮明な乱れ映りが現れており、互の目、小互の目、焼き頭の丸い丁子、湾れを交えた焼き刃は、刃縁匂い勝ちに明るく締まり、刃中葉、小足入り、繊細な金筋、砂流しが掛かっています。 刃形からして、鎌倉後期永仁(一二九三~九九)頃、華やかな丁子乱れから作風が移行していく過渡期の作と鑑せられます。 探山先生鞘書きには、『この刀は、精妙なる鍛えに乱れ映りが鮮明に立ち、刃文は出入りを抑えて丁子頭を丸く如何にもむっくりと焼き、刃縁柔らかく明るく冴えるなど、同工の特色を明らかに示す優品也。』とあります。 鞘書きにもある『焼き頭が丸くむっくりとした丁子』は、同工の手癖であり、大きな見所、また鎌倉期の作ですので、当然時代相応の研ぎ減りはあるはずですが、本作の刃は元から先まで健やか、染みたような箇所もありません。 加えて、各務(かがみ)弦太氏による最上研磨が施されて間もないため、地刃の輝きが違います。 各務氏は、岐阜市出身の現在三十七歳、毎年開催の刀剣研磨技術発表会に於いて、 鎬造の部で特賞四回、優秀賞三回、努力賞七回、平造の部で優秀賞、努力賞三回受賞した実績を持つ、今や若手の筆頭であり、無鑑査候補最右翼の名人です。 備前長船筆頭鍛冶の自信作、100%押さえて下さい。

刀 長船長光(無銘)
売切れ
Tokuho売切れ

刀 長船長光(無銘)

売却済

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流派

Osafune

時代

Kamakura

仕様

長さ

73.3 cm

反り

1.4 cm

元幅

2.95 cm

先幅

1.75 cm

作者について

Osafune Nagamitsu長光

6 国宝26 重要文化財40 重要美術品9 御物28 特別重要刀剣144 重要刀剣

長光の在銘作は、鎌倉時代の刀工の中で他の何人よりも多く遺る。説明書はその記録を「現存する在銘の作品は鎌倉時代の刀工の中でも最も多い」という一文で開き、続けて、いずれも「出来にむらがなく」、技術の充実していたことが知られると記す。長船派の祖・光忠の子にして長船二代目であり、「父光忠と並ぶ名手」と評される。ここに集う記録では在銘一七三口に対し無銘六三口、銘は「二字銘が最も多く」、永仁二年紀の「備前国長船住左近将監長光造」銘の生ぶ太刀のような年紀作が、同時代の刀工にはまず許されぬ確かさでその年代を定める。 作風について説明書は、数十年の指定を通じて同じ二様を繰り返す。一は父光忠風を継承した感のある豪壮な造込みに、華やかな丁子主調の乱れを焼いたもの。他は身幅尋常か細身の姿に、直刃調に丁子足の入った比較的穏和な出来口である。華やかな手では丁子乱れに互の目が交じり、足・葉が盛んに入る。匂勝ちに小沸がつき、金筋・砂流しが細かにかかり、匂口は明るい。出典が彼独自のものとして挙げるのは「頭の丸いむっくりとした丁子」であり、このふくらみのある焼頭は父の作には見られない。帽子は小丸が圧倒的に多く、説明書は繰り返し「帽子浅くのたれ、先小丸に短く返る」と記す。動きの強い作では「帽子乱れ込み」と入ってから返り、一部には「焼き詰める」ものもあり、全体として「いわゆる三作帽子の風情を呈す」。 鍛えは板目、処々肌立ちごころとなり、多くの作では小板目につんで精美となる。地沸が微塵に厚くつき、地景が細かに入り、鮮明な乱れ映りが立つ。映りは作の大半に現れ、最も頼りになる見どころの一つである。在銘の後期太刀について説明書は、よくつんだ板目に微塵の地沸と細かな地景を交えた「精緻と美麗とを兼ね備えた鍛え」と特筆し、地刃の明るく冴えることを繰り返し記している。 この記録には三つの段階が辿れる。最初期は父に最も近く、丁子主調の焼刃に蛙子を交え、「まさに光忠を髣髴とさせる出来ばえ」と評される。典型期は前述の頭の丸い丁子に互の目、鮮やかな映りと三作帽子を備える。穏やかな直刃調の手は後期に集まり、左近将監の官銘や長銘の作の周りに見られる。室町・江戸期の伝書類は初二代を分かち、将監銘を二代としたが、NBTHKは「銘字の上から初二代の差異を見出すことはできず」と観じ、近時は「将監長光は長光の後期から晩年作と考える説が浮上し有力視されている」。この後期の短刀には片落ち互の目の萌芽が現れ、子・景光がこれを完成する。 備前の中で、その華やかな作は一見一文字派にも紛れるが、説明書は彼自身の特徴によって線を引く。すなわち「丁子主調となる一文字派の乱れに比しては互の目が目立ち」、物打より上で乱れが穏やかになって焼が一段と低くなり、帽子は三作の形に収まる。父との別も同じ仕方で立つ。頭の丸いふくらみのある丁子と、初期作の華やぎに対して落ち着きを保つ焼刃である。下流では、晩年の直刃調と短刀の片落ちの萌芽がそのまま景光に開き、光忠・長光・景光の三代が長船嫡流の背骨をなす。長光はその広く安定した中核である。 藤代の極めで最上作。重要文化財二十六口は全刀工中最も多く、国宝六口がこれに並び、その下に特別重要刀剣二十八口・重要刀剣百四十四口、両級で百七十二口を数え、指定を受けた作は二百五十三口に及ぶ。伝来は国を握った者の手を経る。名物『大般若長光』は足利義輝から三好長慶を経て織田信長・徳川家康に渡り、ひろく明智光秀・豊臣秀吉、芸州浅野家・肥後細川家・備前池田家・上杉家・前田家、水戸・尾張・紀州の徳川家、皇室の名が録される。国宝・重要文化財の作は、東京国立博物館・京都国立博物館・徳川美術館・熱田神宮・厳島神社などに護られた文化財である。しかし銘を惜しまなかったがゆえに、特別重要刀剣・重要刀剣の級の遺例は厚い。在銘の長光が市に現れることは稀で、常にその頂にあるとはいえ、大磨上無銘でのみ伝わる名工たちとは異なり、忍耐ある蒐集家にとって全く手の届かぬものではない。一口が現れるとき、それは出来事である。

刀剣商

コレクション情報

samurai-nippon.net

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