
ko osafune kagemasa
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仕様
71.2 cm
2 cm
2.7 cm
1.8 cm
作者について
Osafune Kagemasa景政
長船景政は進士三郎と称した鎌倉時代末期の備前正系の刀工で、一門におけるその位置は、血脈よりもむしろ誰と轡を並べたかによって定まる。説明書はその系譜が明らかでないことを率直に記し、景光の弟子とも、その弟とも伝える。これを決するのが、正中・嘉暦の年紀のある景光との合作の太刀であり、うち一振りは御物、一振りは国宝である。これらの合作から景政は景光と極めて近い関係にあった刀工と目され、現存する年紀作は文保・正中・嘉暦・建武に及ぶことから、重要美術品の説明はこれを「明らかに景光一門の子弟」と言い切ることができる。その最も遅い暦応三年(一三四〇)の年紀は、彼の作を南北朝最初期の長船世代へと運んでいる。 作風は、景光の作域を僅か半歩だけ手前に置いたものである。よく錬れた小板目の上に、角互の目・片落ち風の互の目を基とし、小互の目・小尖り刃・小丁子をやや交えた乱れを焼き、総体に後期長船正系の逆がかりを示す。刃中には足・葉が入り、金筋・砂流しが細かにかかり、匂口は明るく小沸がつく。折返銘の特別重要刀剣の太刀において、説明書はこれらを一つの判断にまとめ、「地刃に景政の特色がよく現われている」と記す。第六十八回重要刀剣の太刀はこれを一段と鋭くし、まさに手本から離れるところにこの工の見どころを見出して、「景光以上に種々の刃を交えている」こと、また「乱れの変化がやや強い点などに景政の見どころ」が出ていることを挙げる。 地鉄は長船正系本来の鍛えであり、彼の同一性の最も確かな部分である。鍛えはつんだ小板目で、時に杢を交え、あるいはやや流れて柾がかり、地沸を微塵に厚く敷き、細かな地景がよく入り、その上に乱れ映りが鮮明に立つ。説明書はこれを鉄色明るくよく錬れた「長船正系らしい精美な鍛え」と呼ぶ。帽子は刃に応じ、乱れ込みあるいはのたれ込みて小丸に返り、年紀ある生ぶの太刀では一門に通じる三作状をなして、帽子もまた景光を想起させる。鉄色はやや黒みがかることもあるが、在銘・無銘を通じて変わらぬ常数は乱れ映りである。 作例は二様の作域と時代の幅を描く。太刀では角・片落ち互の目を核とする出来が主であり、短刀・剣では静かな直刃に転じる。嘉暦二年(一三二七)の重要美術品の短刀は、小沸ごころの揃った互の目が、景光と比べて「景光よりは大きく腰開き、肩落ちごころ交じる」と評され、信仰の彫物のうちに三鈷柄剣と護摩箸を伴う。在銘の剣は細直刃を焼き、金筋・砂流しと二重刃状の湯走りを交える。時代の上では年紀作が文保から暦応三年へと移り、後者は南北朝最初期に達する。説明書はそこに意図された抑えを読み、複数の刀において「刃がやや小づみごころを呈している点にも景政の見所」があると記す。 一門におけるその位置は、あらゆる局面で景光との対比によって定まり、その対比こそ鑑賞の核である。説明書は一貫して、作位の点では景光にやや譲るが、様式的にはよく似て上手・忠実であるとする。第四回特別重要刀剣の太刀は、「景」の字以下の銘が磨上げで欠けながらも、その出来が「景光に伯仲するほどの出来」であるがゆえに、紛れもなく景政の作と判ぜられる。極めを担うのはまさにこの僅かな差であり、景光風でありながらその精良さに僅かに及ばぬ無銘作は景政に極められ、現存の多くがこの理によって無銘極めとなる。公の記録では在銘十一口に対し無銘十一口である。説明書の言うところ、彼は景光が得意とした片落ち互の目と直刃に作り、それゆえ両者は分かちがたく、彼の鮮明な乱れ映りと、やや自在な乱れの変化とがその区別を担うのである。 藤代は彼を上々作とする。公の記録に指定作は二十口を数え、うち特別重要刀剣四口・重要刀剣十六口、その上に重要美術品の短刀がある。在銘作は極めて少なく、いずれも資料として貴ばれ、説明書は目釘孔一つの生ぶの暦応三年紀の太刀を同工研究上の好資料とし、稀な在銘の剣を「在銘品の少ない同工の作風を知る上でも」貴重とし、「古雅で気品に溢れた」一口と評する。伝来は三口に記録があり、東京の井手宏が蔵した短刀や、若州酒井家に伝来した太刀がある。在銘の太刀の一口は現在白鶴美術館にあり、他は所在の知られる個人の手にある。景政は国宝級の長船の名工ほど手の届かぬ存在ではなく、その作は国宝・重要文化財の級に封ぜられるのではなく特別重要刀剣・重要刀剣の級にある。とはいえ在銘作はかくも少なく、市に出るものも稀であるから、現れるのは時折にすぎず、在銘・年紀・生ぶの太刀ともなれば、それは画期的な出会いというべきものである。

