説明

長船倫光の重要刀剣在銘太刀、兼光一門の筆頭、地刃冴え渡る優品、南北朝盛期の長船鍛冶代表作です。 倫光は、南北朝中期に活躍した備前長船派の代表工、兼光門下の筆頭鍛冶で、一説によると子とも弟とも云います。文保二年(一三一八)生まれ、康暦元年(一三七九)、六十二歳没と伝わり、一般的に『倫』の字を音訓読みにして『リントモ』と呼称されます。 現存する年紀作に見る活躍期は、貞和(一三四五~五〇)から永和(一三七五~七九)頃まで、国宝一口、重要文化財二口、重要美術品二口を数える名工です。 一門にあって最も兼光に近い作風を示しており、技術的にも、作位的にも師に迫るものがあります。 同工最高傑作と言えば、前述した国宝指定の大太刀、古来より栃木県の日光二荒山(ふたらさん)神社に伝わる名刀中の名刀、生ぶ在銘で『備州長船倫光 貞治五年二月日(一三六六)』と銘があり、大切っ先で刃長四尺二寸弱、反り二寸弱、元幅一寸五分弱もある大太刀です。 同工には短刀や平脇差しの在銘作は現存しているものの、太刀は時代的に長尺のものが多いため、国宝を除いては、殆どが大磨り上げ無銘となっています。 また同工の作には、兼光同様、簡素な樋から濃厚な倶利伽羅まで、何らかの彫り物が見られるのも特徴です。 本作は、倫光の貴重な在銘太刀、昭和三十八年(一九六三)、第十一回の重要刀剣に指定された名品です。 寸法二尺四寸六分弱、切っ先延び心、身幅しっかりとした勇壮な造り込み、一番下が生ぶ穴、通常ハバキ上にくる梵字、銘の位置からして、二寸半程磨り上がっており、元来は二尺六寸近くあったことが分かります。 良く練られた地鉄は、上品に肌立ち、乱れ映り鮮明に立ち、小湾れ、互の目、小互の目、角張った刃、尖り風の刃、小乱れを交えた刃は、刃縁明るく締まり、細かなほつれ、飛び焼き、二重刃、湯走り掛かり、刃中小足、葉入り、僅かに金筋、砂流し掛かるなど、在銘品ながら、地刃健やかで、綺麗な状態が保たれています。 図譜には、『この太刀は、地刃に兼光一門の作風が顕著であり、如何にもこの時代、この派の典型的なものである。倫光在銘太刀は極めて少ない。』とあり、探山先生鞘書きにも、『本作は、幅広で切っ先延びる延文貞治姿を呈し、小湾れ主調で互の目交じりの刃文、乱れ映り立つ地鉄、湾れて尖る帽子など、同工の持ち味を顕現する優品也。』とあります。 南北朝盛期に於ける備前長船物の代表作、且つ『リントモ』の在銘典型作の優品としてお薦め致します。

太刀 備州長船倫光 Tachi:Bishu Osafune Tomomitsu
売切れ
Jūyō売切れ

太刀 備州長船倫光 Tachi:Bishu Osafune Tomomitsu

太刀

売却済

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仕様

長さ

74.5 cm

反り

2.1 cm

元幅

3.14 cm

先幅

2.15 cm

作者について

Osafune Tomomitsu倫光

1 国宝2 重要文化財2 重要美術品8 特別重要刀剣51 重要刀剣

長船倫光は南北朝時代の備前長船派正系の刀工である。説明書は必ず「兼光門下の一人であり、一説に兼光の弟とも伝えている」と書き起こし、近年の定型は年紀作を「貞和から永和に及んでいる」とし、古い説明は文和からとする。公の指定記録に実在する年紀は文和から応安に及び、延文・貞治の頃に最も厚い。一門内の位置づけも定型が言い切る。「一門にあっては兼光の作風に最も近く、作位的にも師に迫るものがある」。藤代の極めで上々作。在銘最大の作が日光二荒山神社所蔵の国宝の大太刀(貞治五年紀)であり、第一回重要刀剣の説明が早くも「有銘中最大のものが二荒山神社所蔵の国宝の大太刀である」と記し、近年の説明は同作を「長船倫光の最高峰と位置づけられる」と評して、新規指定作の彫物の極めの拠り所とする。 得意とするのは「おおどかなのたれ主調の乱れ」である。多くは小のたれを基調に互の目・小互の目・尖り刃・角ばる刃を交え、足・葉が入り、匂勝ちに小沸がつき、金筋・砂流しがかかる。鑑定基準は明文で与えられ、「のたれの頭がやや尖る点から倫光と鑑すべき」という。帽子は乱れ込んで先が尖るものが多く、まま掃きかける。彫物の多さも一門内の判別点であり、棒樋のほか梵字・護摩箸・二筋樋・三鈷剣・倶利迦羅が頻りに見られ、「草の倶利迦羅の彫物は此の工と兼光以外にはあまり経眼しない独得なもの」と明記され、二荒山神社の大太刀と黒川古文化研究所所蔵の在銘太刀がその類例として引かれる。 鍛えは板目に杢を交え、地沸がつき、地景が細かに入り、太刀・刀には乱れ映り、平造の作には直ぐ状の映りや棒映りが立つ。地鉄こそ師との分かれ目であって、最古の説明は「倫光は兼光に比して地がねが劣り、やや肌立つものが多い」と率直に記し、近年の説明も兼光に近似しつつ地鉄が肌立ちごころとなり、ゆったりとしたのたれを基調とする点をもって倫光と分ける。 遺例の偏りは第一回の説明が言い切る。「短刀、小脇指は比較的多く有銘のものが現存するが、太刀は殆ど無銘物である」。太刀は延文・貞治型の長大なものが多かったために大磨上無銘の刀として伝わり、在銘・年紀作は身幅広く寸延びた平造の短刀・脇指に集中し、うち二口に「八幡大菩薩」の彫字がある。銘は「備州長船倫光」の六字長銘で、小振りにまま細鏨、棟寄りに切り、裏に年紀を添える。指定刀のうち在銘二十八口、無銘三十一口。大磨上の刀に見る金象嵌銘・金粉銘(本阿弥光常・光勇・寒山・光遜)は後世の鑑定家による極め銘であって在銘ではなく、一口は折返銘によって原銘を留める。初期の一説明は「同名二代あるもののごとく」と代別の問題を残している。 のたれの傍らに二つの別手が立つ。貞治・応安の在銘作には片落ち互の目や角張る互の目を主調とする手があり、説明はこれを「同工の作域の広さと技術の確かさを窺うことのできる好資料」と結び、小振りの片落互の目の短刀は「一見鎌倉期のものにも見紛う」という。無銘極めには「同工極めでも一段と沸の強い出来口」の一群があって、湯走り・飛焼を見せ、尖る帽子と相俟って「相伝備前の特色」を成す。その象徴が靖國神社蔵の庖丁形大脇指で、松平定信編『集古十種』に拵と共に鎌倉荏柄天満宮の刀として所載され、古来「正宗作」と所伝、固山宗次の写しも残る「古来世に喧伝された名品」であり、鮮明な映りとのたれ主体の乱れ、尖る帽子、二荒山神社の大太刀に近似する倶利迦羅の彫から倫光極めが首肯されている。師に対しては逆向きの指標も働く。景光・兼光を定義する片落ち互の目は倫光では退き、直刃は殆ど見られず、師が互の目を角張らせ静かな刃を引くところを、倫光はおおどかなのたれに置き換える。説明は秀光・政光・基光ら兼光門下と並べて記し、後継の系は引かれない。 公の指定記録に残る作は六十四口。国宝一口(二荒山神社の大太刀)、重要文化財二口、特別重要刀剣八口、重要刀剣五十一口を数える。伝来は大名家を貫く。第一回重要刀剣の応安六年紀の太刀はもと土佐藩主山内家伝来であり、金象嵌銘の特別重要刀剣の刀は越前松平家に伝来して松平春岳の指料といわれ、元禄七年本阿弥光常の折紙が添う。ほかに井伊直政の属将鈴木石見守重好が拝領して後に水戸徳川家へ献上された一口、小田原藩主大久保家、伊東巳代治の旧蔵が記録される。国宝・重要文化財の三口は社頭と公の手に永く守られて市に出ることはない。蒐集家が現実に相見えるのは特別重要・重要の五十九口であり、その多くは大太刀を磨り上げた大磨上無銘の刀である。在銘年紀の短刀・脇指は折々に現れるに過ぎず、倫光の一口が市に出ることは稀である。

刀剣商

コレクション情報

samurai-nippon.net

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