長船倫光の重要刀剣在銘太刀、兼光一門の筆頭、地刃冴え渡る優品、南北朝盛期の長船鍛冶代表作です。 倫光は、南北朝中期に活躍した備前長船派の代表工、兼光門下の筆頭鍛冶で、一説によると子とも弟とも云います。文保二年(一三一八)生まれ、康暦元年(一三七九)、六十二歳没と伝わり、一般的に『倫』の字を音訓読みにして『リントモ』と呼称されます。 現存する年紀作に見る活躍期は、貞和(一三四五~五〇)から永和(一三七五~七九)頃まで、国宝一口、重要文化財二口、重要美術品二口を数える名工です。 一門にあって最も兼光に近い作風を示しており、技術的にも、作位的にも師に迫るものがあります。 同工最高傑作と言えば、前述した国宝指定の大太刀、古来より栃木県の日光二荒山(ふたらさん)神社に伝わる名刀中の名刀、生ぶ在銘で『備州長船倫光 貞治五年二月日(一三六六)』と銘があり、大切っ先で刃長四尺二寸弱、反り二寸弱、元幅一寸五分弱もある大太刀です。 同工には短刀や平脇差しの在銘作は現存しているものの、太刀は時代的に長尺のものが多いため、国宝を除いては、殆どが大磨り上げ無銘となっています。 また同工の作には、兼光同様、簡素な樋から濃厚な倶利伽羅まで、何らかの彫り物が見られるのも特徴です。 本作は、倫光の貴重な在銘太刀、昭和三十八年(一九六三)、第十一回の重要刀剣に指定された名品です。 寸法二尺四寸六分弱、切っ先延び心、身幅しっかりとした勇壮な造り込み、一番下が生ぶ穴、通常ハバキ上にくる梵字、銘の位置からして、二寸半程磨り上がっており、元来は二尺六寸近くあったことが分かります。 良く練られた地鉄は、上品に肌立ち、乱れ映り鮮明に立ち、小湾れ、互の目、小互の目、角張った刃、尖り風の刃、小乱れを交えた刃は、刃縁明るく締まり、細かなほつれ、飛び焼き、二重刃、湯走り掛かり、刃中小足、葉入り、僅かに金筋、砂流し掛かるなど、在銘品ながら、地刃健やかで、綺麗な状態が保たれています。 図譜には、『この太刀は、地刃に兼光一門の作風が顕著であり、如何にもこの時代、この派の典型的なものである。倫光在銘太刀は極めて少ない。』とあり、探山先生鞘書きにも、『本作は、幅広で切っ先延びる延文貞治姿を呈し、小湾れ主調で互の目交じりの刃文、乱れ映り立つ地鉄、湾れて尖る帽子など、同工の持ち味を顕現する優品也。』とあります。 南北朝盛期に於ける備前長船物の代表作、且つ『リントモ』の在銘典型作の優品としてお薦め致します。
備前長船派の偏光の作で年紀はないが他には延文・貞治の年紀を見る。 地刃に兼光一門の作風が顕著であり、 地刃に多少の欠点はあるが、如何にもこの時代、この派の典型的なものである。 樋先が下がっているのも南北朝時 代の彫物に見る特色である。 倫光有銘の太刀は極めて少い。






備前長船派の偏光の作で年紀はないが他には延文・貞治の年紀を見る。 地刃に兼光一門の作風が顕著であり、 地刃に多少の欠点はあるが、如何にもこの時代、この派の典型的なものである。 樋先が下がっているのも南北朝時 代の彫物に見る特色である。 倫光有銘の太刀は極めて少い。
Osafune (Kanemitsu school) · 備前 · 1345-1370頃
藤代 Jo-jo saku · 刀剣大鑑 上位10%
現在2点販売中
長船倫光は南北朝時代の備前長船派正系の刀工である。説明書は必ず「兼光門下の一人であり、一説に兼光の弟とも伝えている」[[c:3]]と書き起こし、近年の定型は年紀作を「貞和から永和に及んでいる」[[c:18]]とし、古い説明は文和からとする。公の指定記録に実在する年紀は文和から応安に及び、延文・貞治の頃に最も厚い。一門内の位置づけも定型が言い切る。「一門にあっては兼光の作風に最も近く、作位的にも師に迫るものがある」[[c:19]]。藤代の極めで上々作。在銘最大の作が日光二荒山神社所蔵の国宝の大太刀(貞治五年紀)であり、第一回重要刀剣の説明が早くも「有銘中最大のものが二荒山神社所蔵の国宝の大太刀である」[[c:20]]と記し、近年の説明は同作を「長船倫光の最高峰と位置づけられる」[[c:21]]と評して、新規指定作の彫物の極めの拠り所とする。
得意とするのは「おおどかなのたれ主調の乱れ」[[c:5]]である。多くは小のたれを基調に互の目・小互の目・尖り刃・角ばる刃を交え、足・葉が入り、匂勝ちに小沸がつき、金筋・砂流しがかかる。鑑定基準は明文で与えられ、「のたれの頭がやや尖る点から倫光と鑑すべき」[[c:22]]という。帽子は乱れ込んで先が尖るものが多く、まま掃きかける。彫物の多さも一門内の判別点であり、棒樋のほか梵字・護摩箸・二筋樋・三鈷剣・倶利迦羅が頻りに見られ、「草の倶利迦羅の彫物は此の工と兼光以外にはあまり経眼しない独得なもの」[[c:23]]と明記され、二荒山神社の大太刀と黒川古文化研究所所蔵の在銘太刀がその類例として引かれる。
鍛えは板目に杢を交え、地沸がつき、地景が細かに入り、太刀・刀には乱れ映り、平造の作には直ぐ状の映りや棒映りが立つ。地鉄こそ師との分かれ目であって、最古の説明は「倫光は兼光に比して地がねが劣り、やや肌立つものが多い」[[c:24]]と率直に記し、近年の説明も兼光に近似しつつ地鉄が肌立ちごころとなり、ゆったりとしたのたれを基調とする点をもって倫光と分ける。
遺例の偏りは第一回の説明が言い切る。「短刀、小脇指は比較的多く有銘のものが現存するが、太刀は殆ど無銘物である」[[c:9]]。太刀は延文・貞治型の長大なものが多かったために大磨上無銘の刀として伝わり、在銘・年紀作は身幅広く寸延びた平造の短刀・脇指に集中し、うち二口に「八幡大菩薩」の彫字がある。銘は「備州長船倫光」の六字長銘で、小振りにまま細鏨、棟寄りに切り、裏に年紀を添える。指定刀のうち在銘二十八口、無銘三十一口。大磨上の刀に見る金象嵌銘・金粉銘(本阿弥光常・光勇・寒山・光遜)は後世の鑑定家による極め銘であって在銘ではなく、一口は折返銘によって原銘を留める。初期の一説明は「同名二代あるもののごとく」[[c:12]]と代別の問題を残している。
のたれの傍らに二つの別手が立つ。貞治・応安の在銘作には片落ち互の目や角張る互の目を主調とする手があり、説明はこれを「同工の作域の広さと技術の確かさを窺うことのできる好資料」[[c:25]]と結び、小振りの片落互の目の短刀は「一見鎌倉期のものにも見紛う」[[c:14]]という。無銘極めには「同工極めでも一段と沸の強い出来口」[[c:26]]の一群があって、湯走り・飛焼を見せ、尖る帽子と相俟って「相伝備前の特色」を成す。その象徴が靖國神社蔵の庖丁形大脇指で、松平定信編『集古十種』に拵と共に鎌倉荏柄天満宮の刀として所載され、古来「正宗作」と所伝、固山宗次の写しも残る「古来世に喧伝された名品」[[c:17]]であり、鮮明な映りとのたれ主体の乱れ、尖る帽子、二荒山神社の大太刀に近似する倶利迦羅の彫から倫光極めが首肯されている。師に対しては逆向きの指標も働く。景光・兼光を定義する片落ち互の目は倫光では退き、直刃は殆ど見られず、師が互の目を角張らせ静かな刃を引くところを、倫光はおおどかなのたれに置き換える。説明は秀光・政光・基光ら兼光門下と並べて記し、後継の系は引かれない。
公の指定記録に残る作は六十四口。国宝一口(二荒山神社の大太刀)、重要文化財二口、特別重要刀剣八口、重要刀剣五十一口を数える。伝来は大名家を貫く。第一回重要刀剣の応安六年紀の太刀はもと土佐藩主山内家伝来であり、金象嵌銘の特別重要刀剣の刀は越前松平家に伝来して松平春岳の指料といわれ、元禄七年本阿弥光常の折紙が添う。ほかに井伊直政の属将鈴木石見守重好が拝領して後に水戸徳川家へ献上された一口、小田原藩主大久保家、伊東巳代治の旧蔵が記録される。国宝・重要文化財の三口は社頭と公の手に永く守られて市に出ることはない。蒐集家が現実に相見えるのは特別重要・重要の五十九口であり、その多くは大太刀を磨り上げた大磨上無銘の刀である。在銘年紀の短刀・脇指は折々に現れるに過ぎず、倫光の一口が市に出ることは稀である。
倫光の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
在銘年紀作が示す、確実に活動していた年代
備前伝 · 備前
時期区分: 相伝備前· 1330–1394
現在231点販売中
相伝備前 相伝備前とは、南北朝時代の備前国長船派にあって、相州伝の作風を加味した一群の刀工およびその作風期を指す呼称である。景光に続く長船派の嫡流たる兼光をはじめ、兼光と並んで傑れた技術を示すとされる長義、その門と伝える兼長、兼光門下の一人にして一説に兼光の弟とも伝える倫光、さらに兼光や長義とは別系統で青江気質を窺わせる元重、長船傍系と目される義景など、多くの備前鍛冶がこの時期に活躍した。兼光の現存する年紀作は鎌倉時代末期の元亨元年から南北朝期の貞治に及ぶ約四十五年に亘り、その南北朝時代初期の康永頃までの作は姿が尋常で父景光風を踏襲した感があるが、貞和・観応頃から姿が大柄となり、それまでになかったのたれ主調の刃文が出現する。長義は「備前刀の中で最も備前ばなれした刀工は長義也」と古来称され、相州伝を強く加味した作風で知られる。長船における正系の技量を継承しつつ、隣国相模の作風を取り込んだ点に、この作風期の独自性が存する。 作風は、まず体配において南北朝期の時代色を色濃く反映する。身幅が広く元先の幅差が目立たず、重ね頃合、大鋒に結ぶ堂々たる姿で、延文・貞治頃を最盛期とする雄渾なる体配を示す。鍛えは板目に杢を交え、総じてよく錬れて地沸つき、地景入り、乱れ映りが立つのを常とする。この乱れ映りは、相州伝の色彩を帯びながらも備前気質を表出する標識であり、相伝備前と鑑する重要な拠所となる。刃文は兼光・倫光においてはおおどかなのたれを主調に互の目・小互の目・角ばる刃・尖りごころの刃などを交え、匂勝ちに小沸つき、単調とならず変化を見せる。一方、長義・兼長においては、のたれ基調に丁子風の刃や腰開きの刃を交えて大模様に華やかに乱れ、よく沸づき、金筋・砂流し頻りにかかり、湯走り・飛焼を見せるなど、地刃の沸が一段と強い出来口を示す。元重は鍛えに流れ柾や地斑を交え、刃文に角ばる互の目が目立ち、逆がかり、逆足・葉を交えて帽子が尖るなど、青江気質を窺わせる点に同工一派の見どころがある。 評価としては、相州伝の影響が単に備前の伝統を駆逐したのではなく、長船の作域を著しく拡大せしめた点に、この作風期の歴史的意義が認められる。精錬の良さは際立ち、肌模様に緩みや荒れが看取されず、長船派棟梁としての鍛錬の妙味が遺憾なく発揮されている。匂口は明るく冴え、保存状態の健全な作が多く、備前の華やかさと強さを存分に堪能できる。兼光が先駆けたおおどかな乱れ、長義の放胆にして個性的な大乱れは、いずれも南北朝期長船を代表する達成として賞される。在銘の年紀作に乏しく無銘の極め物が多いものの、年紀を有する生ぶ茎の遺存例は資料的価値が頗る高く、後世には『集古十種』所載の名品や本阿弥折紙を伴う伝来品も知られる。相伝備前は、備前と相州という二大伝法が融合した到達点として、日本刀の歴史に重きをなすものである。
特別保存刀剣の中から、特に出来が優れ、国認定の重要美術品に準ずると判断された名品です。年に一度の重要刀剣審査で選ばれます。
極めて選別的で、日本に登録された約250万口の刀剣のうち、重要刀剣に達したものは12,307口(約203口に1口)にすぎません。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイト刀剣、刀装具、骨董等1点ものにつきましては、キャンセル待ちのお客様がおられる場合がございますので、ご返品のご連絡は商品到着後3日以内、ご返送は8日以内にお願いいたします。ご返金は商品ご返送到着後即日に致します。
長船倫光の重要刀剣在銘太刀、兼光一門の筆頭、地刃冴え渡る優品、南北朝盛期の長船鍛冶代表作です。 倫光は、南北朝中期に活躍した備前長船派の代表工、兼光門下の筆頭鍛冶で、一説によると子とも弟とも云います。文保二年(一三一八)生まれ、康暦元年(一三七九)、六十二歳没と伝わり、一般的に『倫』の字を音訓読みにして『リントモ』と呼称されます。 現存する年紀作に見る活躍期は、貞和(一三四五~五〇)から永和(一三七五~七九)頃まで、国宝一口、重要文化財二口、重要美術品二口を数える名工です。 一門にあって最も兼光に近い作風を示しており、技術的にも、作位的にも師に迫るものがあります。 同工最高傑作と言えば、前述した国宝指定の大太刀、古来より栃木県の日光二荒山(ふたらさん)神社に伝わる名刀中の名刀、生ぶ在銘で『備州長船倫光 貞治五年二月日(一三六六)』と銘があり、大切っ先で刃長四尺二寸弱、反り二寸弱、元幅一寸五分弱もある大太刀です。 同工には短刀や平脇差しの在銘作は現存しているものの、太刀は時代的に長尺のものが多いため、国宝を除いては、殆どが大磨り上げ無銘となっています。 また同工の作には、兼光同様、簡素な樋から濃厚な倶利伽羅まで、何らかの彫り物が見られるのも特徴です。 本作は、倫光の貴重な在銘太刀、昭和三十八年(一九六三)、第十一回の重要刀剣に指定された名品です。 寸法二尺四寸六分弱、切っ先延び心、身幅しっかりとした勇壮な造り込み、一番下が生ぶ穴、通常ハバキ上にくる梵字、銘の位置からして、二寸半程磨り上がっており、元来は二尺六寸近くあったことが分かります。 良く練られた地鉄は、上品に肌立ち、乱れ映り鮮明に立ち、小湾れ、互の目、小互の目、角張った刃、尖り風の刃、小乱れを交えた刃は、刃縁明るく締まり、細かなほつれ、飛び焼き、二重刃、湯走り掛かり、刃中小足、葉入り、僅かに金筋、砂流し掛かるなど、在銘品ながら、地刃健やかで、綺麗な状態が保たれています。 図譜には、『この太刀は、地刃に兼光一門の作風が顕著であり、如何にもこの時代、この派の典型的なものである。倫光在銘太刀は極めて少ない。』とあり、探山先生鞘書きにも、『本作は、幅広で切っ先延びる延文貞治姿を呈し、小湾れ主調で互の目交じりの刃文、乱れ映り立つ地鉄、湾れて尖る帽子など、同工の持ち味を顕現する優品也。』とあります。 南北朝盛期に於ける備前長船物の代表作、且つ『リントモ』の在銘典型作の優品としてお薦め致します。
備前長船派の偏光の作で年紀はないが他には延文・貞治の年紀を見る。 地刃に兼光一門の作風が顕著であり、 地刃に多少の欠点はあるが、如何にもこの時代、この派の典型的なものである。 樋先が下がっているのも南北朝時 代の彫物に見る特色である。 倫光有銘の太刀は極めて少い。






備前長船派の偏光の作で年紀はないが他には延文・貞治の年紀を見る。 地刃に兼光一門の作風が顕著であり、 地刃に多少の欠点はあるが、如何にもこの時代、この派の典型的なものである。 樋先が下がっているのも南北朝時 代の彫物に見る特色である。 倫光有銘の太刀は極めて少い。
Osafune (Kanemitsu school) · 備前 · 1345-1370頃
藤代 Jo-jo saku · 刀剣大鑑 上位10%
現在2点販売中
長船倫光は南北朝時代の備前長船派正系の刀工である。説明書は必ず「兼光門下の一人であり、一説に兼光の弟とも伝えている」[[c:3]]と書き起こし、近年の定型は年紀作を「貞和から永和に及んでいる」[[c:18]]とし、古い説明は文和からとする。公の指定記録に実在する年紀は文和から応安に及び、延文・貞治の頃に最も厚い。一門内の位置づけも定型が言い切る。「一門にあっては兼光の作風に最も近く、作位的にも師に迫るものがある」[[c:19]]。藤代の極めで上々作。在銘最大の作が日光二荒山神社所蔵の国宝の大太刀(貞治五年紀)であり、第一回重要刀剣の説明が早くも「有銘中最大のものが二荒山神社所蔵の国宝の大太刀である」[[c:20]]と記し、近年の説明は同作を「長船倫光の最高峰と位置づけられる」[[c:21]]と評して、新規指定作の彫物の極めの拠り所とする。
得意とするのは「おおどかなのたれ主調の乱れ」[[c:5]]である。多くは小のたれを基調に互の目・小互の目・尖り刃・角ばる刃を交え、足・葉が入り、匂勝ちに小沸がつき、金筋・砂流しがかかる。鑑定基準は明文で与えられ、「のたれの頭がやや尖る点から倫光と鑑すべき」[[c:22]]という。帽子は乱れ込んで先が尖るものが多く、まま掃きかける。彫物の多さも一門内の判別点であり、棒樋のほか梵字・護摩箸・二筋樋・三鈷剣・倶利迦羅が頻りに見られ、「草の倶利迦羅の彫物は此の工と兼光以外にはあまり経眼しない独得なもの」[[c:23]]と明記され、二荒山神社の大太刀と黒川古文化研究所所蔵の在銘太刀がその類例として引かれる。
鍛えは板目に杢を交え、地沸がつき、地景が細かに入り、太刀・刀には乱れ映り、平造の作には直ぐ状の映りや棒映りが立つ。地鉄こそ師との分かれ目であって、最古の説明は「倫光は兼光に比して地がねが劣り、やや肌立つものが多い」[[c:24]]と率直に記し、近年の説明も兼光に近似しつつ地鉄が肌立ちごころとなり、ゆったりとしたのたれを基調とする点をもって倫光と分ける。
遺例の偏りは第一回の説明が言い切る。「短刀、小脇指は比較的多く有銘のものが現存するが、太刀は殆ど無銘物である」[[c:9]]。太刀は延文・貞治型の長大なものが多かったために大磨上無銘の刀として伝わり、在銘・年紀作は身幅広く寸延びた平造の短刀・脇指に集中し、うち二口に「八幡大菩薩」の彫字がある。銘は「備州長船倫光」の六字長銘で、小振りにまま細鏨、棟寄りに切り、裏に年紀を添える。指定刀のうち在銘二十八口、無銘三十一口。大磨上の刀に見る金象嵌銘・金粉銘(本阿弥光常・光勇・寒山・光遜)は後世の鑑定家による極め銘であって在銘ではなく、一口は折返銘によって原銘を留める。初期の一説明は「同名二代あるもののごとく」[[c:12]]と代別の問題を残している。
のたれの傍らに二つの別手が立つ。貞治・応安の在銘作には片落ち互の目や角張る互の目を主調とする手があり、説明はこれを「同工の作域の広さと技術の確かさを窺うことのできる好資料」[[c:25]]と結び、小振りの片落互の目の短刀は「一見鎌倉期のものにも見紛う」[[c:14]]という。無銘極めには「同工極めでも一段と沸の強い出来口」[[c:26]]の一群があって、湯走り・飛焼を見せ、尖る帽子と相俟って「相伝備前の特色」を成す。その象徴が靖國神社蔵の庖丁形大脇指で、松平定信編『集古十種』に拵と共に鎌倉荏柄天満宮の刀として所載され、古来「正宗作」と所伝、固山宗次の写しも残る「古来世に喧伝された名品」[[c:17]]であり、鮮明な映りとのたれ主体の乱れ、尖る帽子、二荒山神社の大太刀に近似する倶利迦羅の彫から倫光極めが首肯されている。師に対しては逆向きの指標も働く。景光・兼光を定義する片落ち互の目は倫光では退き、直刃は殆ど見られず、師が互の目を角張らせ静かな刃を引くところを、倫光はおおどかなのたれに置き換える。説明は秀光・政光・基光ら兼光門下と並べて記し、後継の系は引かれない。
公の指定記録に残る作は六十四口。国宝一口(二荒山神社の大太刀)、重要文化財二口、特別重要刀剣八口、重要刀剣五十一口を数える。伝来は大名家を貫く。第一回重要刀剣の応安六年紀の太刀はもと土佐藩主山内家伝来であり、金象嵌銘の特別重要刀剣の刀は越前松平家に伝来して松平春岳の指料といわれ、元禄七年本阿弥光常の折紙が添う。ほかに井伊直政の属将鈴木石見守重好が拝領して後に水戸徳川家へ献上された一口、小田原藩主大久保家、伊東巳代治の旧蔵が記録される。国宝・重要文化財の三口は社頭と公の手に永く守られて市に出ることはない。蒐集家が現実に相見えるのは特別重要・重要の五十九口であり、その多くは大太刀を磨り上げた大磨上無銘の刀である。在銘年紀の短刀・脇指は折々に現れるに過ぎず、倫光の一口が市に出ることは稀である。
倫光の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
在銘年紀作が示す、確実に活動していた年代
備前伝 · 備前
時期区分: 相伝備前· 1330–1394
現在231点販売中
相伝備前 相伝備前とは、南北朝時代の備前国長船派にあって、相州伝の作風を加味した一群の刀工およびその作風期を指す呼称である。景光に続く長船派の嫡流たる兼光をはじめ、兼光と並んで傑れた技術を示すとされる長義、その門と伝える兼長、兼光門下の一人にして一説に兼光の弟とも伝える倫光、さらに兼光や長義とは別系統で青江気質を窺わせる元重、長船傍系と目される義景など、多くの備前鍛冶がこの時期に活躍した。兼光の現存する年紀作は鎌倉時代末期の元亨元年から南北朝期の貞治に及ぶ約四十五年に亘り、その南北朝時代初期の康永頃までの作は姿が尋常で父景光風を踏襲した感があるが、貞和・観応頃から姿が大柄となり、それまでになかったのたれ主調の刃文が出現する。長義は「備前刀の中で最も備前ばなれした刀工は長義也」と古来称され、相州伝を強く加味した作風で知られる。長船における正系の技量を継承しつつ、隣国相模の作風を取り込んだ点に、この作風期の独自性が存する。 作風は、まず体配において南北朝期の時代色を色濃く反映する。身幅が広く元先の幅差が目立たず、重ね頃合、大鋒に結ぶ堂々たる姿で、延文・貞治頃を最盛期とする雄渾なる体配を示す。鍛えは板目に杢を交え、総じてよく錬れて地沸つき、地景入り、乱れ映りが立つのを常とする。この乱れ映りは、相州伝の色彩を帯びながらも備前気質を表出する標識であり、相伝備前と鑑する重要な拠所となる。刃文は兼光・倫光においてはおおどかなのたれを主調に互の目・小互の目・角ばる刃・尖りごころの刃などを交え、匂勝ちに小沸つき、単調とならず変化を見せる。一方、長義・兼長においては、のたれ基調に丁子風の刃や腰開きの刃を交えて大模様に華やかに乱れ、よく沸づき、金筋・砂流し頻りにかかり、湯走り・飛焼を見せるなど、地刃の沸が一段と強い出来口を示す。元重は鍛えに流れ柾や地斑を交え、刃文に角ばる互の目が目立ち、逆がかり、逆足・葉を交えて帽子が尖るなど、青江気質を窺わせる点に同工一派の見どころがある。 評価としては、相州伝の影響が単に備前の伝統を駆逐したのではなく、長船の作域を著しく拡大せしめた点に、この作風期の歴史的意義が認められる。精錬の良さは際立ち、肌模様に緩みや荒れが看取されず、長船派棟梁としての鍛錬の妙味が遺憾なく発揮されている。匂口は明るく冴え、保存状態の健全な作が多く、備前の華やかさと強さを存分に堪能できる。兼光が先駆けたおおどかな乱れ、長義の放胆にして個性的な大乱れは、いずれも南北朝期長船を代表する達成として賞される。在銘の年紀作に乏しく無銘の極め物が多いものの、年紀を有する生ぶ茎の遺存例は資料的価値が頗る高く、後世には『集古十種』所載の名品や本阿弥折紙を伴う伝来品も知られる。相伝備前は、備前と相州という二大伝法が融合した到達点として、日本刀の歴史に重きをなすものである。
特別保存刀剣の中から、特に出来が優れ、国認定の重要美術品に準ずると判断された名品です。年に一度の重要刀剣審査で選ばれます。
極めて選別的で、日本に登録された約250万口の刀剣のうち、重要刀剣に達したものは12,307口(約203口に1口)にすぎません。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイト刀剣、刀装具、骨董等1点ものにつきましては、キャンセル待ちのお客様がおられる場合がございますので、ご返品のご連絡は商品到着後3日以内、ご返送は8日以内にお願いいたします。ご返金は商品ご返送到着後即日に致します。