1333年に鎌倉は落ちたが、一派の最大の時代はその後に来た。師の水準で鍛える貞宗、皆焼を大成した広光と秋広。相州風は軍勢とともに広がり、一時は国じゅうの様式となった。
永禄三年五月、桶狭間の戦で今川義元を討った織田信長は、義元の佩刀「筑州(ちくしゅうの)住(じゅう)左(さ)」を自らのものとし、磨り上げた茎に「織田尾張守信長永禄三年五月十九日義元討捕刻(うちとるのきざみ)彼(かれ)所持(しょじの)刀(かたな)」と金象嵌銘を入れて佩刀(注1)とし、天下に名乗りを上げた。筑州住左は名を左衛門三郎といい、南北朝期の筑前刀工で、茎に細鑚で「左」或いは「筑州住左」と刻した。正宗にも劣らぬ明るい地刃、激しく乱れ込み突き上げて返る帽子等の際立つ個性に魅了された戦国武将や幕政期の武士、そして現代の愛刀家は「左(さ)文字(もんじ)」と称して珍重している。秀吉遺愛の短刀(国宝)、紀州徳川家伝来の江(こう)雪(せつ)左文字の太刀(国宝)等は余りにも有名である。 表題の大磨上無銘の刀も左文字の特色を顕著に示す一振。時代に応じて重ねやや薄く、反り浅く、鋒が延びた堂々の姿。柾肌を交じえた板目鍛えの地鉄は肌起って淡く黒みを帯び、地沸(じにえ)厚く付いて沸(にえ)映(うつ)りが立つ。小互の目に小丁子を交えた刃文は浅く湾れ、僅かに逆がかり、帽子は激しく乱れ込んで突き上げて浅く返る掟通りの形状。刃(は)縁(ぶち)は沸で明るく、玉状、筋状の湯走り、小形の金線が掛かり、物打辺は二重刃となり、小足が入り、刃中も沸で明るく冴えた、左文字として伝来したであろう優刀。因みに今日の鑑定では左一門(注2)の作と極められている。 注1...武田信虎‐今川義元‐織田信長‐豊臣秀吉‐徳川家康と伝えられた。京都・建勲神社蔵。 注2...安吉、行弘、弘行、國弘ら優工を擁していた。










相州伝 · 筑前
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左派は、筑前国に興った相州伝の一門である。通称を大左、また左文字と呼ぶ祖がこの一派を起こした。室町以来の刀剣書はその名を正宗の門人の一人に列ね、相州十哲の数えるところに置く。茎に切る「左」の一字が、左衛門三郎の略と読まれ、一派の名となった。大左は西蓮・実阿の系を承けた筑前の刀工であって、それまでの九州物は地刃の沈んだ鄙びた直刃を主とし、大和から承けた地味な作柄に終始していた。大左はこれを大きく塗り替え、地刃ともに澄んで明るく冴えた乱れ刃の作域を創り、筑前物をかつてない上位へと引き上げた。その活躍は南北朝前期、元弘・建武の頃に当たる。周りには大きな門葉が生まれ、安吉・行弘・吉貞・国弘・弘安・弘行・貞吉らが師風をそれぞれに受け継ぎ、後の九州刀の歴史へと伝えた。 一派に通う語法は、まず地鉄にある。旧来の暗く沈んだ九州物の地に対し、左の地は明るく冴える。よく錬れた板目に小板目・杢を交えてやや肌立ち、地沸が微塵に厚くつき、地景が細かに頻りに入って、刃に沿って淡く沸映りが立つ。その上に焼かれる刃は、のたれを基調に互の目・小互の目を交え、沸は深く匂口は明るく、足・葉が入り、刃中に細かな金筋・砂流しが走る。帽子は突き上げて先尖り、長く掃きかけて返るのが一門に通じる見どころで、個名を定め難い作においてすら、この力強さと長い返りを拠りどころとする。九州物の革新としてこの作風は読まれ、開祖と門人の手は技倆ほぼ伯仲して、個々の鑑別は容易でない。そのなかで世代と門人の差はおのずから現れる。大左の在銘作は小振りの短刀に留まって地刃の冴えに勝り、子の安吉は身幅広く寸延びて、匂勝ちに小沸つき備前気質を交える。國弘はのたれ主調の大模様に最も華やかに乱れ、弘安は互の目の目立つ手、弘行はその互の目が連れて穏やかに目立つ手、吉貞は刃文が小模様に締まる点、貞吉は直刃を基調とする抑えた手として、それぞれ資料の支持する範囲で読み分けられる。行弘は現存する年紀が最も古く、作柄が大左に最も接近する弟子とされ、末左と総称される一群の頭に立つ。 蒐集家が左文字を求める理由は、その鑑定の勘所と祖の格、そして伝来にある。明るく冴えた地と突き上げて尖る帽子が一門を束ね、この二つを見落とさぬことが、相州の同門と分かち、九州の旧作と分かつ要となる。とりわけ大左は藤代の位列で最上作に当たり、現存唯一の在銘太刀である国宝「江雪左文字」を筆頭に、三口の国宝がその格を裏づける。名物は大名家を貫いて伝わり、上杉景勝が秘した弾正左文字、尾張徳川家の重宝、伊達・酒井・立花・松平の諸家に伝えられた数々があり、ある一口は秀吉その人の手を経た。国宝・重要文化財は公けと旧家に守られた遺産であって、市に出るものではない。末左の安吉・吉貞・国弘・弘安・弘行・貞吉らは、祖ほど手の届かぬものではなく、それぞれ近代の上位指定級に名を連ねるが、在銘作は一様に頗る稀で、その多くは大磨上無銘の極めを通じて世に伝わる。在銘の短刀や確かに伝左と極められた刀が市に現れることは少なく、現れた時には、相州伝を九州のものたらしめたこの一門の作風を伝える得難い一振りとなる。 詳しく見る →
南北朝時代の相州
1333年に鎌倉は落ちたが、一派の最大の時代はその後に来た。師の水準で鍛える貞宗、皆焼を大成した広光と秋広。相州風は軍勢とともに広がり、一時は国じゅうの様式となった。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
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