山城守国清 大小(849) 山城守藤原国清は、島田助宗の子として信州松本に生まれました。後に堀川国広の門下に入り、名を国清と改めます。寛永4年に山城大掾を受領、後に山城守へと進みました。師である国広の没後、信州松本を経て、徳川将軍家の命により越前へ移封となった松平家の御用鍛冶として越前国へ移住しました。この越前移住後の時代が、彼の作刀における最盛期とされています。慶安2年、60歳で没しました。 国清は直刃の妙手として名高く、その地鉄は肥前忠吉を彷彿とさせ、時に肥前刀の最上作と見紛うほどです。地肌は肥前特有の小糠肌に似ますが、そこに堀川派伝来の風味が加わっているのが特徴です。本作は、上級コレクターが探し求め、秘蔵するに相応しい格調高い大小であります。 元日本美術刀剣保存協会(日美刀保)会長の佐藤貫山博士は、その著書『日本刀』の中で、山城守国清を「新刀期において茎に十六葉菊紋を刻むことを許された最も著名な工の一人」として紹介しています。 国清は当初、駿河から京に上り、巨匠・堀川国広の門人で筆頭格となりました。師より「国」の一字を授かり、国清と名乗ります。1614年の師の没後に京を離れ、1624年には名君として知られる大名・松平忠昌に召し抱えられ、福井へと移りました。これほどの名門に仕えることができたのは、一握りの卓越した刀工のみでした。1627年に山城大掾を受領し、この時期から菊紋の刻銘が許されたとされています。翌1628年には、より上位の受領名である山城守を称しました。 国清は端厳な直刃で知られますが、本作の刀においては、堀川門下で培った技量を遺憾なく発揮した、沸出来の厚い匂口に互目乱れを焼き、働きに富んだ相州伝の傑作を見せています。 本品は、製作当時のオリジナルの大小拵に収められています。長年、片面を陽の当たる場所で展示されていたため、鞘の片側に僅かな退色が見られますが、完全に当時のままの姿を残した高品質な拵であり、その価値を損なうものではありません。 大小を差すことは武士階級の特権であり、身分の象徴でした。大小の形式は室町末期から流行し、1629年の幕府の規定により、武士の正装として義務付けられました。明治4年の廃刀令、さらに明治9年の帯刀禁止令により、武士の象徴としての大小の歴史は幕を閉じました。 本拵は、上品な黒呂色塗鞘で統一されています。鐔は鉄地透かしの鶴図で揃えられ、縁頭は赤銅地に金の色絵を施した名工作の銘と花押がございます。目貫もまた格別で、花枝に鳥の図。柄巻は当時のままの優雅な金茶の平巻で、下げ緒も当時の黒色のものが付属しています。 【刀】 銘:山城国国清(菊紋)一 時代:江戸時代(17世紀) 長さ:27-1/4 インチ(約69.2cm) 反り:15.0 mm 元幅:32.2 mm 先幅:21.7 mm 元重:6.7 mm 造り込み:鎬造 棟:庵棟 茎:生茎 鍛え:板目肌 刃文:直刃 帽子:丸 状態:研磨良好 【脇差】 銘:山城国国清(菊紋)一 時代:江戸時代(17世紀) 長さ:17-7/8 インチ(約45.4cm) 反り:13.8 mm 元幅:29.5 mm 先幅:22.6 mm 元重:7.4 mm 造り込み:鎬造 棟:庵棟 茎:生茎 鍛え:板目肌 刃文:直刃 帽子:丸 状態:研磨良好 ※刀身は白鞘に収められており、拵にはつなぎが付属します。 山城守藤原国清 刃長 二尺二寸八分 1980年 為ロバートAコールマン氏 薫山誌「花押」 (本間順治(薫山)先生による1980年の揮毫) 鑑定書:日本刀剣保存会(NTHK)正真鑑定書 第6113号 平成三十一年三月一日 黒呂色塗り大小拵 銘文:正真












國清
新刀
山城
在銘
NTHK (NTHK)
Awataguchi (Yamashiro) · 山城 · 1201-1204頃
藤代 最上作 · 刀剣大鑑 上位2%
国清は鎌倉時代初頭の山城粟田口派、その名高い六人兄弟の四番目にあたる工である。説明書はその位置を一門のうちに置く。国家の子にして、国友・久国・国安を兄に、有国・国綱を弟にもち、この六人は皆そろって後鳥羽院の御番鍛冶に列したと伝える。本工自身の作は在銘のものが甚だ少なく、ある重要刀剣は端的に「在銘の現存するものは少なく二口を数えるのみ」[[c:1]]と記す。それゆえその名は今日、本工と極められた大磨上無銘の刀の一群と、稀な在銘の太刀とによって主に伝わる。
その手は明るく静かな初期粟田口の作域である。地鉄はよくつんだ小板目で、処々流れごころとなりあるいは大肌を交じえ、地沸厚くつき、最上手には頻りに地景が入る。説明書は鉄をいかにも明るいと評し、処々に淡く乱れ映りが立つとする。その地に対して焼くのは備前の華やかな丁子ではなく、直刃調の小乱れであって、浅くのたれ、小丁子・小互の目・互の目を交じえ、足入り、匂深く匂口明るく、沸よくつき、細かに砂流し・金筋がかかる。帽子は直ぐに小丸あるいは大丸となって返る。
この直刃調の刃中にあって、極めが取り立てて挙げる景色が一つある。物打辺に湯走りがかかって二重刃風の二重の線をなすところで、説明書が複数の大磨上の作に認める見どころである。これは抑えた見どころであって、総じて華やかならず静かな本工の性格にかなうものである。
説明書は国清を最も兄国安に近いものと読む。雲州松平家伝来の在銘の太刀について、その刃を「総じて国安に似ている」[[c:2]]とし、大磨上の刀の一口については、乱れの間のつまった処と匂口のうるみごころが「国安に一脈通じるものがあり」[[c:3]]とする。まさにこの国安への親近が、特色ある明るい粟田口の小板目地の上に置かれて、銘の失われた作の極めを支え、説明書はかかる作を「一見して鎌倉初期の粟田口物と鑑せられる出来である」[[c:4]]と首肯する。本工は一派後年の開花に先立つ初期粟田口本流に立ち、静かな直刃調の小乱れとうるみのある匂口とがその一家の手の印である。
収集の観点では、国清は稀な初期粟田口の名であり、藤代の格付けは最上作にあたる。国宝はなく、その記録は重要文化財一口(青山家伝来の在銘太刀)に、雲州松平家伝来の戦前の重要美術品在銘太刀、および重要刀剣・特別重要刀剣に及ぶ大磨上無銘の刀の一群を加え、指定を受けた作は併せて五口に過ぎない。特別重要刀剣の刀は播州姫路酒井家に伝わり、説明書はこれを出来優れた一口とし、「殊に刃中のひかり輝く沸は見事である」[[c:5]]と評する。所在の知れる作は福山美術館に蔵され、その来歴は大名家・皇室の旧蔵を通じる。記録に残る作が僅かでその多くが長く伝えられている以上、在銘の国清が世に出ることは稀であり、在銘の太刀にせよ極めの刀にせよ、私蔵の一口は初期山城を蒐める者にとって注目すべき出会いである。
國清の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
山城伝 · 山城
現在6点販売中
かねに潤いがあってよく冴える、という一語が、この一門の解説に幾度も立ち返る。よく約んだ小板目を極くつめて地沸を微塵に厚く均しく敷き、細かな地景を入れて沸映りを立てる手は、古来「梨子地肌」と称され、本流派の名を負う精錬の極みである。山城国粟田口、すなわち京都から近江へ通じる街道筋に居を構えた鍛冶の集まりであり、その地に鍛冶が住したことは鎌倉初頭の説話集『宇治拾遺物語』にも見える。祖は国家といい、その子に国友・久国・国安・国清・有国・国綱の六人兄弟があって、いずれも揃って名を成した。長兄国友をはじめ、久国・国安らは後鳥羽院の番鍛冶、すなわち院に月番で仕えた工に召され、活躍期は承久(一二一九〜二二)の頃にあたる。末弟国綱は後に北条氏の招きで鎌倉へ下向し、相州鍛冶草創の一人に数えられる。長兄国友の子則国を経て、左兵衛尉国吉、その子または弟子の藤四郎吉光へと、御番鍛冶の世代から短刀の名手の世代へと一門は続き、別流の新藤五国光は相州伝の事実上の創始者として行光・正宗・則重を育てた。 作域の核は、備前の華やかな丁子の対極にある、静かで抑えた直刃にある。よく約んだ小板目に地沸を厚くつけた精美な地の上へ、小沸出来の細直刃ないし直刃調の小乱れを匂深く焼き、小互の目・小丁子・小足・葉を交え、金筋・砂流しを細かにかける。匂口は締りごころに明るく冴え、帽子は穏やかな小丸に返り、しばしば掃きかけを伴う。表裏には護摩箸・素剣・梵字を彫り、その護摩箸は間隔狭く棟に寄せて彫るのが一門共通の手癖である。同じ作風の中にも工ごとの標識が宿る。久国は兄弟の中で最も沸が強く、国友・国安は匂口がうるみ、国安は連れごころの小互の目に押し詰まった小乱れを守って一派の乱れの手を担い、則国は国吉・吉光に通じつつ比較的沸が強い。国吉・吉光に至って刃は明るい直刃へ傾き、二重刃や帽子下の沸の喰下がりがその手癖となる。来時代へ下るにつれ穏雅な細直刃の比重が増す一方、国綱のみは板目が肌立って刃沸の目立つ剛壮な異風を見せ、来たるべき相模の力強い作風へ傾く。 鑑定の拠りどころは明快である。梨子地状の精美な小板目地、潤って冴えるかね、締まって明るい直刃調の刃に細かくかかる金筋・砂流し、これらが揃えば初期粟田口と鑑せられる。各工は解説中の物差しによって分かたれる。久国は格調の高さで、国安は安の字の崩しと連れごころの小互の目で、国清は兄国安への親近で、則国は子国吉に近い国の字で読まれる。そして一門を貫く対比は来派との別である。粟田口の地刃の沸は来物より一段と厚く強く感じられ、寸法の割に身幅狭く重ね厚い造込みは来にまず見ない。位置づけの頂点には、相模国の新藤五国光と並ぶ短刀の名人吉光が立ち、江戸期には正宗・江と共に天下三作の筆頭に挙げられた。流暢な二字銘そのものが鑑識の対象である。代表作の重みは伝来に表れ、名物鬼丸国綱は天下五剣の一つとして皇室に納まり、一期一振藤四郎は太閤秀吉の蔵刀、陸奥新藤五は奥州伊達家重代として伝わる。山城の精錬な沸の直刃は来の名工が汲んだ源であり、ひいては新藤五国光から相州伝へと展開する源流でもあって、本流派は日本刀の地鉄の最高峰を示すとともに、後世の二大潮流の発端に立つ。
NTHKの中心的な鑑定書で、相応の出来を備えた作に発行されます。在銘作は銘の正真を、無銘作は審査員による刀工・流派の極めを示します。点数を記す詳細な審査表が付されます。
NTHK(日本刀剣保存会)は、NBTHK(1948年設立)に先立つ1910年に創立された、日本で最も古い刀剣鑑定団体です。長く会を率いた会長の没後、NTHKとNTHK-NPOの二つに分かれ、いずれも審査を続けています。NTHKの鑑定書は、点数と審査員の所見を併記する詳細な審査表が特徴で、特に無銘作の極めに定評があります。
We offer a 48 hour inspection period for all Antique items shipped within the United States only. If the item is not to your satisfaction, we will gladly refund your money less any shipping and handling fees. All sales are final after the 48 hour inspection period. Please note that all discounted items are a final sale and not returnable.
山城守国清 大小(849) 山城守藤原国清は、島田助宗の子として信州松本に生まれました。後に堀川国広の門下に入り、名を国清と改めます。寛永4年に山城大掾を受領、後に山城守へと進みました。師である国広の没後、信州松本を経て、徳川将軍家の命により越前へ移封となった松平家の御用鍛冶として越前国へ移住しました。この越前移住後の時代が、彼の作刀における最盛期とされています。慶安2年、60歳で没しました。 国清は直刃の妙手として名高く、その地鉄は肥前忠吉を彷彿とさせ、時に肥前刀の最上作と見紛うほどです。地肌は肥前特有の小糠肌に似ますが、そこに堀川派伝来の風味が加わっているのが特徴です。本作は、上級コレクターが探し求め、秘蔵するに相応しい格調高い大小であります。 元日本美術刀剣保存協会(日美刀保)会長の佐藤貫山博士は、その著書『日本刀』の中で、山城守国清を「新刀期において茎に十六葉菊紋を刻むことを許された最も著名な工の一人」として紹介しています。 国清は当初、駿河から京に上り、巨匠・堀川国広の門人で筆頭格となりました。師より「国」の一字を授かり、国清と名乗ります。1614年の師の没後に京を離れ、1624年には名君として知られる大名・松平忠昌に召し抱えられ、福井へと移りました。これほどの名門に仕えることができたのは、一握りの卓越した刀工のみでした。1627年に山城大掾を受領し、この時期から菊紋の刻銘が許されたとされています。翌1628年には、より上位の受領名である山城守を称しました。 国清は端厳な直刃で知られますが、本作の刀においては、堀川門下で培った技量を遺憾なく発揮した、沸出来の厚い匂口に互目乱れを焼き、働きに富んだ相州伝の傑作を見せています。 本品は、製作当時のオリジナルの大小拵に収められています。長年、片面を陽の当たる場所で展示されていたため、鞘の片側に僅かな退色が見られますが、完全に当時のままの姿を残した高品質な拵であり、その価値を損なうものではありません。 大小を差すことは武士階級の特権であり、身分の象徴でした。大小の形式は室町末期から流行し、1629年の幕府の規定により、武士の正装として義務付けられました。明治4年の廃刀令、さらに明治9年の帯刀禁止令により、武士の象徴としての大小の歴史は幕を閉じました。 本拵は、上品な黒呂色塗鞘で統一されています。鐔は鉄地透かしの鶴図で揃えられ、縁頭は赤銅地に金の色絵を施した名工作の銘と花押がございます。目貫もまた格別で、花枝に鳥の図。柄巻は当時のままの優雅な金茶の平巻で、下げ緒も当時の黒色のものが付属しています。 【刀】 銘:山城国国清(菊紋)一 時代:江戸時代(17世紀) 長さ:27-1/4 インチ(約69.2cm) 反り:15.0 mm 元幅:32.2 mm 先幅:21.7 mm 元重:6.7 mm 造り込み:鎬造 棟:庵棟 茎:生茎 鍛え:板目肌 刃文:直刃 帽子:丸 状態:研磨良好 【脇差】 銘:山城国国清(菊紋)一 時代:江戸時代(17世紀) 長さ:17-7/8 インチ(約45.4cm) 反り:13.8 mm 元幅:29.5 mm 先幅:22.6 mm 元重:7.4 mm 造り込み:鎬造 棟:庵棟 茎:生茎 鍛え:板目肌 刃文:直刃 帽子:丸 状態:研磨良好 ※刀身は白鞘に収められており、拵にはつなぎが付属します。 山城守藤原国清 刃長 二尺二寸八分 1980年 為ロバートAコールマン氏 薫山誌「花押」 (本間順治(薫山)先生による1980年の揮毫) 鑑定書:日本刀剣保存会(NTHK)正真鑑定書 第6113号 平成三十一年三月一日 黒呂色塗り大小拵 銘文:正真












國清
新刀
山城
在銘
NTHK (NTHK)
Awataguchi (Yamashiro) · 山城 · 1201-1204頃
藤代 最上作 · 刀剣大鑑 上位2%
国清は鎌倉時代初頭の山城粟田口派、その名高い六人兄弟の四番目にあたる工である。説明書はその位置を一門のうちに置く。国家の子にして、国友・久国・国安を兄に、有国・国綱を弟にもち、この六人は皆そろって後鳥羽院の御番鍛冶に列したと伝える。本工自身の作は在銘のものが甚だ少なく、ある重要刀剣は端的に「在銘の現存するものは少なく二口を数えるのみ」[[c:1]]と記す。それゆえその名は今日、本工と極められた大磨上無銘の刀の一群と、稀な在銘の太刀とによって主に伝わる。
その手は明るく静かな初期粟田口の作域である。地鉄はよくつんだ小板目で、処々流れごころとなりあるいは大肌を交じえ、地沸厚くつき、最上手には頻りに地景が入る。説明書は鉄をいかにも明るいと評し、処々に淡く乱れ映りが立つとする。その地に対して焼くのは備前の華やかな丁子ではなく、直刃調の小乱れであって、浅くのたれ、小丁子・小互の目・互の目を交じえ、足入り、匂深く匂口明るく、沸よくつき、細かに砂流し・金筋がかかる。帽子は直ぐに小丸あるいは大丸となって返る。
この直刃調の刃中にあって、極めが取り立てて挙げる景色が一つある。物打辺に湯走りがかかって二重刃風の二重の線をなすところで、説明書が複数の大磨上の作に認める見どころである。これは抑えた見どころであって、総じて華やかならず静かな本工の性格にかなうものである。
説明書は国清を最も兄国安に近いものと読む。雲州松平家伝来の在銘の太刀について、その刃を「総じて国安に似ている」[[c:2]]とし、大磨上の刀の一口については、乱れの間のつまった処と匂口のうるみごころが「国安に一脈通じるものがあり」[[c:3]]とする。まさにこの国安への親近が、特色ある明るい粟田口の小板目地の上に置かれて、銘の失われた作の極めを支え、説明書はかかる作を「一見して鎌倉初期の粟田口物と鑑せられる出来である」[[c:4]]と首肯する。本工は一派後年の開花に先立つ初期粟田口本流に立ち、静かな直刃調の小乱れとうるみのある匂口とがその一家の手の印である。
収集の観点では、国清は稀な初期粟田口の名であり、藤代の格付けは最上作にあたる。国宝はなく、その記録は重要文化財一口(青山家伝来の在銘太刀)に、雲州松平家伝来の戦前の重要美術品在銘太刀、および重要刀剣・特別重要刀剣に及ぶ大磨上無銘の刀の一群を加え、指定を受けた作は併せて五口に過ぎない。特別重要刀剣の刀は播州姫路酒井家に伝わり、説明書はこれを出来優れた一口とし、「殊に刃中のひかり輝く沸は見事である」[[c:5]]と評する。所在の知れる作は福山美術館に蔵され、その来歴は大名家・皇室の旧蔵を通じる。記録に残る作が僅かでその多くが長く伝えられている以上、在銘の国清が世に出ることは稀であり、在銘の太刀にせよ極めの刀にせよ、私蔵の一口は初期山城を蒐める者にとって注目すべき出会いである。
國清の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
山城伝 · 山城
現在6点販売中
かねに潤いがあってよく冴える、という一語が、この一門の解説に幾度も立ち返る。よく約んだ小板目を極くつめて地沸を微塵に厚く均しく敷き、細かな地景を入れて沸映りを立てる手は、古来「梨子地肌」と称され、本流派の名を負う精錬の極みである。山城国粟田口、すなわち京都から近江へ通じる街道筋に居を構えた鍛冶の集まりであり、その地に鍛冶が住したことは鎌倉初頭の説話集『宇治拾遺物語』にも見える。祖は国家といい、その子に国友・久国・国安・国清・有国・国綱の六人兄弟があって、いずれも揃って名を成した。長兄国友をはじめ、久国・国安らは後鳥羽院の番鍛冶、すなわち院に月番で仕えた工に召され、活躍期は承久(一二一九〜二二)の頃にあたる。末弟国綱は後に北条氏の招きで鎌倉へ下向し、相州鍛冶草創の一人に数えられる。長兄国友の子則国を経て、左兵衛尉国吉、その子または弟子の藤四郎吉光へと、御番鍛冶の世代から短刀の名手の世代へと一門は続き、別流の新藤五国光は相州伝の事実上の創始者として行光・正宗・則重を育てた。 作域の核は、備前の華やかな丁子の対極にある、静かで抑えた直刃にある。よく約んだ小板目に地沸を厚くつけた精美な地の上へ、小沸出来の細直刃ないし直刃調の小乱れを匂深く焼き、小互の目・小丁子・小足・葉を交え、金筋・砂流しを細かにかける。匂口は締りごころに明るく冴え、帽子は穏やかな小丸に返り、しばしば掃きかけを伴う。表裏には護摩箸・素剣・梵字を彫り、その護摩箸は間隔狭く棟に寄せて彫るのが一門共通の手癖である。同じ作風の中にも工ごとの標識が宿る。久国は兄弟の中で最も沸が強く、国友・国安は匂口がうるみ、国安は連れごころの小互の目に押し詰まった小乱れを守って一派の乱れの手を担い、則国は国吉・吉光に通じつつ比較的沸が強い。国吉・吉光に至って刃は明るい直刃へ傾き、二重刃や帽子下の沸の喰下がりがその手癖となる。来時代へ下るにつれ穏雅な細直刃の比重が増す一方、国綱のみは板目が肌立って刃沸の目立つ剛壮な異風を見せ、来たるべき相模の力強い作風へ傾く。 鑑定の拠りどころは明快である。梨子地状の精美な小板目地、潤って冴えるかね、締まって明るい直刃調の刃に細かくかかる金筋・砂流し、これらが揃えば初期粟田口と鑑せられる。各工は解説中の物差しによって分かたれる。久国は格調の高さで、国安は安の字の崩しと連れごころの小互の目で、国清は兄国安への親近で、則国は子国吉に近い国の字で読まれる。そして一門を貫く対比は来派との別である。粟田口の地刃の沸は来物より一段と厚く強く感じられ、寸法の割に身幅狭く重ね厚い造込みは来にまず見ない。位置づけの頂点には、相模国の新藤五国光と並ぶ短刀の名人吉光が立ち、江戸期には正宗・江と共に天下三作の筆頭に挙げられた。流暢な二字銘そのものが鑑識の対象である。代表作の重みは伝来に表れ、名物鬼丸国綱は天下五剣の一つとして皇室に納まり、一期一振藤四郎は太閤秀吉の蔵刀、陸奥新藤五は奥州伊達家重代として伝わる。山城の精錬な沸の直刃は来の名工が汲んだ源であり、ひいては新藤五国光から相州伝へと展開する源流でもあって、本流派は日本刀の地鉄の最高峰を示すとともに、後世の二大潮流の発端に立つ。
NTHKの中心的な鑑定書で、相応の出来を備えた作に発行されます。在銘作は銘の正真を、無銘作は審査員による刀工・流派の極めを示します。点数を記す詳細な審査表が付されます。
NTHK(日本刀剣保存会)は、NBTHK(1948年設立)に先立つ1910年に創立された、日本で最も古い刀剣鑑定団体です。長く会を率いた会長の没後、NTHKとNTHK-NPOの二つに分かれ、いずれも審査を続けています。NTHKの鑑定書は、点数と審査員の所見を併記する詳細な審査表が特徴で、特に無銘作の極めに定評があります。
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