後藤光乗 笄 KK0 054 売約済 愛好家垂涎の逸品。後藤家四代目、光乗による笄です。 漆黒の赤銅地に極めて精緻な魚子(ななこ)が施されており、保存状態も極めて良好です。 本作はロバート・ヘインズ氏の旧蔵品であり、1960年代初頭に飯田高遠堂より氏の手へと渡りました。その後、R.B.コールドウェル氏のコレクションに加わった由緒ある伝来を有しています。 鳥越一太郎博士(号:一湖)による昭和36年(1961年)7月付の箱書が付随します。花押に記された暗号、および朱印は、本作が光乗の作品の中でも特に優れた「上出来」であることを示しています。 四代目光乗(1529-1620)は長命であり、その生涯は十代目廉乗(1628-1708)の時代にまで及ぶ後藤家中興の祖です。 鳥越一湖博士による箱書付(整理番号296)




後藤光乗
室町
在銘
家彫 · 山城 · 1529-1620頃
現在3点販売中
後藤光乗は諱を光家といい、後藤宗家の四代目で、三代乗真の嫡男として享禄二年に生まれた。はじめ足利将軍家に仕え、同家の滅亡後は嫡男光基(五代徳乗)と共に織田信長に仕え、天正九年には信長の命によって、二人で世界最大の金貨である無印の大判(拾両)を造った。後藤家は装剣金工の宗家として室町時代から江戸時代にかけて代々の将軍家の御用をつとめ、その作は一般の需めに応じた町彫と区別して家彫と呼ばれる。その中での光乗の位置は明快に記され、「名工の誉れが高く、祐乗に次ぐ腕利だともいわれている」[[c:1]]とされる。
光乗の作には本工ならではの二つの特色が挙げられる。説明書は、光乗の作品は「狩野元信や永徳などの下絵を用いたところから絵風のものが多く見られる」[[c:2]]とし、また「後藤家では武者彫や竜虎の意匠をあらわしたのも彼がはじめてであるといわれている」[[c:3]]とする。竜に虎豹の親子を配し、斑文を赤銅の平象嵌とした金無垢容彫の目貫はその好例であり、虎豹図目貫は親子五疋を山高く谷低く彫り、眼玉と斑文に金象嵌を施す。
素材は家彫の最も豪華なものである。目貫は容彫で、しばしば金無垢とし、裏の陰陽根を後代の鑑者は時代と作者の見どころとした。小柄・笄は赤銅魚子地に高彫の図を据え、金紋に裏哺金とし、金・銀の色絵を加える。玄宗楊貴妃図の金無垢三所物について説明書は、「金一色で、これほど抑揚を効かせた濃やかで減り張りある肉取りを表現する腕前は、まさに名工の為せる技といえる」[[c:4]]と評する。獅子は独得の姿をとり、「この姿は上三代及び光乗に多いとされている」[[c:5]]とされ、龍虎図小柄では「紋の肉置が優れ、三角鏨もよく効いて力強く」[[c:6]]と評される。題材は獅子・虎豹、十二支、牛馬、倶利迦羅龍、釣鐘、黄石公張良、二十四孝に及ぶ。
記録の多くは無銘で、その極めは宗家の後代に拠る。十三代光孝は小柄・笄に「紋光乗光孝」の極め銘を切って折紙を発行し、ほかに程乗・寿乗・光守の折紙が附く。二十四孝図の二所物については「色絵物の代付としては最高のものであろう」[[c:7]]とされる。自身銘の作は僅かである。光乗は自身銘を残した最初の後藤宗家で、後藤に花押を添えた金象嵌銘を切り、その二所物について説明書は「同一の花押によって光乗の作品であることがわかり」と記す。この金象嵌銘を持つ特別重要刀装具の牛若弁慶図小柄を、説明書は「貴重な金象嵌銘の資料性も含めて同工の中でも傑出した優品である」[[c:8]]とする。
本工を分かつのは、家彫の格に桃山の大きさを持ち込んだところにある。説明書は「桃山の気風と家彫の格調を示して豪華で力強く」[[c:9]]と記し、横長大振りで裏から強く打ち出した目貫の作風を「家中でも初代祐乗に迫る技術と称された」[[c:10]]光乗のものとする。獅子の姿を共有する上三代と、時に一組の中に並ぶ子の徳乗との間に立つ工である。
指定を受けた作は三〇口で、特別重要刀装具一口・重要刀装具二九口である。伝来は島津家・蜂須賀家・津軽家、倶利迦羅龍の目貫に藩主忠徳筆の上包紙を附す庄内酒井家、そして三口を伝えた大坂の豪商鴻池家に及ぶ。初期後藤の中でも最も記録の厚い手の一つであり、上位二指定に三〇口を数えるのみであるから、極めを伴う一口が世に出るのは折々のことで、自身銘の作は最も稀である。
後藤光乗の位置づけを、日本刀全体および伝法・時代・時期ごとに示します。各区分(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
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家彫 · 山城
現在327点販売中
後藤派は、室町時代中期に初代祐乗が将軍足利義政に仕えて創始した彫金の宗家であり、「日本彫物の元祖」と仰がれ、「古今独歩の鏨師」と賞賛される祐乗を祖として十五代にわたり嫡流の技を継承した。祐乗の作品は東山御物として数多く取り上げられ、後世に名を残した名工は挙って後藤家の祐乗に範をとっている。四代光乗・五代徳乗は織田信長、次いで豊臣秀吉に仕え、大判・分銅・彫物の三役を担い、桃山時代の豪華美を格調高く表示した。幕末には一乗が「後藤家の掉尾を飾る名工」として家風を大成し、門下の荒木東明・中川一勝らが一派の技を継承した。 後藤派の作域は三所物・縁頭・鐔・揃金具と多岐にわたり、赤銅魚子地を基調とした高彫金色絵を家風の根幹とする。金紋裏哺金仕立の小柄笄、金無垢地容彫の目貫など、素材と技法の選択に一貫した格式が認められる。三代乗真は「大振りで力強く、量感の豊かな彫技」[[c:1]]を特徴とし、紋の肉取りが豊かで鏨使いが手強く、赤銅の色相も漆黒で麗わしい。桃山期の作には鋤出高彫に金・銀・素銅の象嵌色絵を駆使した豪華絢爛の大名道具が見られ、近世には四分一磨地や朧銀地に甲鋤毛彫・平象嵌を組み合わせた多彩な表現も展開された。龍・獅子・鶏・犀・鯰といった動物意匠から、松竹梅・桐紋・粟穂・四季草花に至るまで画題は広範であり、各代が武家好みの吉祥意匠を格調高く仕上げている。 後藤派に帰せられる作品には「気品があって格調が高く」[[c:2]]「力漲る」と評される一貫した品格が通底する。歴代の折紙制度によって初代祐乗以来の作が厳格に鑑定・伝承され、「家彫の誇りは確実に後代に伝わっている」[[c:3]]と繰り返し認められる。後藤流に熟達した門弟の作が「後藤家御家彫と見紛うまでの出来」[[c:4]]と称されることからも、その規範性の高さが窺える。日本金工史において、後藤派は赤銅魚子地高彫金色絵という技法体系を確立し、室町から明治に至る四百余年の間、彫金の最高規範として君臨した一門である。 詳しく見る →
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