二つの朝廷が争った六十年、刀身は長大化し、長船がその需要に応えた。兼光と長義の工房は実際に戦う国人層の武士に仕え、軍勢とともに相州風が届いて相伝備前が生まれた。
特別保存刀剣鑑定書付 伝・備州長船秀光 太刀 【解説】 概要 本作は、四代にわたってその名が受け継がれた長船秀光(おさふねひでみつ)の伝記作品です。 初代秀光は建武年間(1334-1336年:南北朝初期)に活躍し、二代から四代は応安から応永年間(1368-1394年:南北朝中期〜室町初期)にかけて活動しました。本作はその作風から、初代秀光への極めと推察されます。 秀光は備前国(現在の岡山県)を拠点とした「小反り(こぞり)」派に属する名工です。小反りとは、南北朝時代の備前長船派において、兼光などの主流派とは別に独自の活動を見せた一群を指します。秀光のほか、師光、康光、倫光などがこの一派の代表格として知られています。 備前長船派の歴史 長船派は鎌倉中期に活躍した光忠を始祖とします。備前国において最大の規模を誇り、時の有力武将や大名から数多くの注文を受けました。その作品は「長船物」として武士の間で絶大な信頼と人気を博しました。 同派の中でも長光、真長、景光は「長船三作」と称され、さらに長光、兼光、長義、元重の四名は「長船四天王」として、その名を歴史に刻んでいます。 備前国は中国山地に近く、刀剣制作に不可欠な砂鉄が豊富に産出されました。また、吉井川の良質な水と炭にも恵まれ、この地政学的な利点が、精緻で質の高い刀剣を生み出す背景となりました。平安時代末期には「古備前」と呼ばれる先駆的な工たちが現れ、その卓越した技術を継承することで、鎌倉中期以降の長船派の隆盛へと繋がっていったのです。 太刀拵 本作は、その姿から太刀として分類され、格調高い太刀拵に収められています。太刀は平安時代から室町初期にかけて、主に甲冑を着用した武士が馬上で片手操作するために用いられました。刃を下に向けて腰に吊るす「佩用(はいよう)」の形式をとることで、地上にいる敵を素早く斬り下ろすことが可能となります。その華やかな外装は、武士にとっての社会的地位(ステータス)の象徴でもありました。 最上大業物 江戸時代後期、幕府の御用試斬役を務めた山田浅右衛門による著書『懐宝剣尺』において、秀光の刀は「最上大業物(極めて優れた切れ味を持つ刀)」に列せられています。本作は、美術品としての価値のみならず、武器としての実用性においても最高峰の評価を得ています。 本作は、日本美術刀剣保存協会(NBTHK)により「特別保存刀剣」に鑑定されています。これは、保存状態が極めて良好であり、かつ美術的価値が高い真作に対してのみ与えられる格付けです。 【刀身】 長さ(Nagasa):65.1 cm 反り(Sori):2.0 cm 刃文(Hamon):焼入れによって刃先に現れる結晶構造 地文(Jihada):折り返し鍛錬によって生じる鋼の表面模様 茎(Nakago):刀身の柄に収まる部分。 日本の刀工は、柄内部の赤錆を防ぐためにあえて「黒錆」を茎に残します。この茎の経年変化(錆色)は、その刀が歩んできた歴史の証でもあります。






















備前伝 · 備前
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小反は、南北朝時代末期から室町時代初期にかけて備前長船の地に働いた一群の刀工を、血脈ではなく除外によって括った呼称である。すなわち兼光一門、長義、元重、大宮一門といった当時の長船の主立った系統のいずれにも直接の師弟関係を結ばぬ周縁の手を、まとめて一名のもとに集めたものであり、その名の意味するところは今日なお漠然としていると本会は率直に記す。秀光、家助、成家、家守、師光、守助らがこれに数えられ、銘鑑はおのおのを数代に立てて初代を鎌倉後期から建武・暦応の頃に置くが、確たる初代作を経眼せず、現存の有銘作はおおむね文和・貞治から永徳・明徳を経て応永一桁代に及ぶ。それゆえ各遺例は一手に確定的に帰すよりも、作風と年紀によって読まれるのを常とする。師光が倫光の子にして応永備前の盛光の父と伝えられ、家助が畠田派を承けて応永備前の一角をなすように、この一群は長船嫡流の華やかな本流とその次代の応永備前との間に、静かな周縁の地帯をなして横たわる。 この一派を貫く手は小模様の乱れである。兼光一門が太く円い互の目を焼くのに対し、小反の工はおおむね同じ趣を小さくこずんだ刃に収め、小のたれを本位として小互の目を連れごころに焼き、これに尖り刃、角ばる刃、腰の開いた互の目を交え、処々逆ごころを見せて、総じて小さくこずむ。足・葉よく入り、匂を主調にわずかに小沸つき、金筋・砂流しが細かに働き、丁子を交えてもなお控えめにとどまる。地鉄は板目に杢を交えて流れごころとなり、肌やや立って地沸細かにつき、地景が黒く沈み、時に地斑を交え、その上に淡い、あるいは鮮明な乱れ映りが立つ。短刀・平造の作では棒映り、直ぐ状の映りとなるものも見え、いずれにせよこの映りが、同時代の相州風の手から一派を分かち、備前の地に繋ぎ止める最も確かな標となる。帽子は刃文に従って乱れ込み尖りごころに掃きかけ、あるいは小丸に結ぶ。棒樋を掻き、梵字、護摩箸、倶利迦羅などを彫る作もある。一派の常を越えて、師光の至徳の太刀のように腰の開いた互の目に高低を見せて華やかに乱れ、応永備前を予兆させる作もあり、家守の応永の太刀のごとく重ね厚く先反りを加えて次代の姿に近づくものもある。 収集の観点から小反の物が求められるのは、何よりそれが資料として明瞭であるからである。鑑定の勘所は二つの敷居を分かつことにある。一つは兼光本流との別で、模様の小さくこずむ点と、やや控えめな作位とによってこれを読み、いま一つは応永備前との別で、腰の開いた互の目と棒映りのうちに次代の萌芽を見ながら、なお南北朝の古調の姿と抑えた焼きにとどまる点をもって分かつ。主要な工の格はおのずから別れ、師光は上々作に位し、秀光、家助、成家、守助、家守らは中上作の位を占める。在銘の作はおおむね生ぶで年紀を備えた太刀として遺り、成家のように大磨上無銘の刀によって主に知られる工もあるが、いずれの場合も、年紀の確かな南北朝の備前として頗る貴重とされる。伝来は概して薄いが確かで、黒田家、加賀前田家、庄内酒井家、皇室の手を経た作や、林原美術館、東京国立博物館、京都国立博物館、春日大社に伝わる作が知られ、その多くは伝持されて市場に現れることは稀である。在銘有年紀の小反物が世に出るのは折に触れてに過ぎず、根気を要するが、現れればそれは、長船派が南北朝の世をいかに閉じ、応永の再興へといかに身を運んだかを、一年一年読みうる確かな文書となる。 詳しく見る →
南北朝時代の備前
二つの朝廷が争った六十年、刀身は長大化し、長船がその需要に応えた。兼光と長義の工房は実際に戦う国人層の武士に仕え、軍勢とともに相州風が届いて相伝備前が生まれた。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
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