南朝が大和国吉野に都を置いたとき、大和の諸派は最盛期にあった。包永以後の手掻、尻懸則長、そして保昌の純然たる柾目である。その技はすでに諸国へ広がりつつあった。
刀剣番号:AS26236 白鞘入り大刀(第16回重要刀剣) 銘:無銘(大和志津) 刀工の技術評価に基づき、最上作、上々作、上作、普通作に分類しております。 本作は大和志津の無銘の中でも、最上作にランクされる名品です。 ハバキ:金着二重ハバキ 長さ:68.0 cm (2.24尺) 反り:1.8 cm (0.59寸) 目釘穴:3個(内2個埋め) 元幅:2.74 cm 先幅:1.84 cm 重ね:0.52 cm 刀身重量:575 g 時代:鎌倉時代末期から南北朝時代初期頃 体配:身幅、重ね共にしっかりとした姿。 地鉄:小板目肌が非常によく練れ、精緻な肌合いとなる。 刃文:低めの互の目乱れ。帽子は焼詰風となる。 特徴:本作は大和志津と鑑定された大磨上無銘の刀です。 「大和志津」とは、兼氏が相州正宗の門に入る以前、大和国で打っていた頃の作、あるいは兼氏が正宗に学び大成して美濃へ移り「美濃志津」となった後、大和に残った一派の作を指すとされています。 そのため鑑定は極めて困難を極めますが、本作のように志津の作風を示しながらも、大和伝の特色を色濃く残すものがそのように呼称されます。 製作年代は鎌倉末期から南北朝初期にわたり、大和伝の特質を存分に発揮した一振りです。 葵美術正真鑑定書 葵美術評価:最上作 葵美術コメント: ある著名な刀剣鑑定家から、「大和志津と直江志津、どちらが優れていると思うか」と問われたことがあります。 その方は「大和志津の方が格調が高い」と仰っていました。 それ以来、私も注意深く観察してまいりましたが、大和志津は刃文が思いのほか深く、一方で直江志津は刃文が広がる傾向にあると感じております。 本作は大和志津の真髄をよく捉えた、格調高い名品と言えるでしょう。
大磨上無銘の刀で大和志津と伝えている。大和志津は、兼氏が未だ相州正宗の門に学ぶ以前、大和で鍛刀していた 時代の作を意味するとも、また兼氏が正宗に師事して大成後美濃志津に定住したが、それとは別に大和に残存した一派 の刀工のことであるともいう。従ってその鑑定も頗る困難なものではあるが、この刀に見るように、同じ志津一派の作 と見えて、しかも大和伝の要素を多分に持っているものをかく名付けるのである。 大先栗尻、






大磨上無銘の刀で大和志津と伝えている。大和志津は、兼氏が未だ相州正宗の門に学ぶ以前、大和で鍛刀していた 時代の作を意味するとも、また兼氏が正宗に師事して大成後美濃志津に定住したが、それとは別に大和に残存した一派 の刀工のことであるともいう。従ってその鑑定も頗る困難なものではあるが、この刀に見るように、同じ志津一派の作 と見えて、しかも大和伝の要素を多分に持っているものをかく名付けるのである。 大先栗尻、
大和伝 · 大和
現在3点販売中
大和志津とは、本来、志津三郎兼氏が濃州多芸郡志津に移り住む以前、すなわち大和に在住して包氏と銘していた時代の作を指す呼称である[[c:1]]。兼氏は大和の手掻派に出自を持ちながら、相模の正宗の門に入って相州伝を修め、後に美濃志津へ移住して志津一門を樹立した工であり、その大和在住期の作が本来の意における大和志津に当たる。しかし兼氏が美濃へ去った後も、大和に残って同じ包氏の名跡を襲った者が存在しており、広義にはこれらの一門の作を含めて大和志津と総称している。本流派の現存作は大磨上無銘の刀・脇指として極められるものが多く、作者は大和国包氏と記される。南北朝期を中心とし、なかには兼氏の前身ではなく、その名跡を継承した南北朝の包氏と思われる在銘短刀も伝わって、年代が兼氏に接近する一面をうかがわせる。 地鉄は板目が総体に流れて柾がかり、とくに刃寄りに柾の目立つものが多く、杢目や大板目を交え、肌立ちごころとなって地沸が厚くつき、地景が入り、ものによっては淡く沸映りが立つ。すなわち大和本国に通じる柾がかった肌に、相州伝の錬れと沸づきが融合した鍛えである。刃文は直刃または浅いのたれを基調とし、互の目・小互の目・尖りごころの刃を交え、部分的に頭の丸い互の目が連れごころとなり、足・葉がよく入る。刃縁にはほつれ・二重刃・喰違刃・打のけ・湯走り・飛焼などがさかんに現われ、刃中には金筋・砂流しが頻りにかかって、匂口は明るく冴える。帽子は掃きかけて焼づめごころとなり、ものによっては火焔風を呈する。これらは大和気質に相州及び美濃風が混在した作柄として共通し、本流派の典型をなす。志津本流が相州色をより強く打ち出した放胆なのたれ刃を示すのに対し、大和志津は柾がかった肌と帽子の掃きかけ・焼づめなど大和の気質を色濃く残す点で見分けられ、また直江志津に比して刃取りが穏やかで地刃の沸の働きを身上とする。鎬高の造込みや刃縁のほつれ、火焔風の帽子といった大和味の混在こそが、志津と鑑しながらなお大和志津と極める理論的な拠りどころとなる。 鑑定にあたっては、柾がかって肌立つ鍛えに地沸厚く地景が入る地鉄、直刃ないし浅いのたれに小互の目を交えて二重刃・喰違刃・打のけ・湯走りを伴う刃縁の働き、掃きかけ焼づめごころの帽子という三点が要となる。代表作には、長門国長府毛利家に伝来した一口や、幕末の大村益次郎の指料、将軍家より牧野家に下賜され三睡の号を持つ包氏在銘の短刀[[c:2]]などがあり、後者は乱れの一部に名物分部志津を想起させるところがある。地刃の保存のよい優品も少なくなく、なかには鋒の延びごころを除けば大和本国の包永あたりを髣髴とさせるものもあって、本流派が大和と相州・美濃の伝統を橋渡しする位置にあることを示している。正宗十哲に数えられる兼氏の系を母胎としつつ、大和の根を保ち続けた一門として、南北朝期の作刀史にその名をとどめている。 詳しく見る →
| 刀工 | 時代 | 指定 |
|---|---|---|
| 包氏 | 1350-1375 | 19 |
南朝が大和国吉野に都を置いたとき、大和の諸派は最盛期にあった。包永以後の手掻、尻懸則長、そして保昌の純然たる柾目である。その技はすでに諸国へ広がりつつあった。
特別保存刀剣の中から、特に出来が優れ、国認定の重要美術品に準ずると判断された名品です。年に一度の重要刀剣審査で選ばれます。
極めて選別的で、日本に登録された約250万口の刀剣のうち、重要刀剣に達したものは12,307口(約203口に1口)にすぎません。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイト返品をご希望の場合、お客様が受領されてから3日以内にお知らせください。この期間を過ぎますとキャンセルはお受けできかねますので何卒ご了承ください。なお当社へのご返送は、5営業日以内の発送をお願いしております。なおキャンセルは販売した当時の状態がそのまま保持されている事が条件となりますのでお取り扱いには十分ご注意下さい。
刀剣番号:AS26236 白鞘入り大刀(第16回重要刀剣) 銘:無銘(大和志津) 刀工の技術評価に基づき、最上作、上々作、上作、普通作に分類しております。 本作は大和志津の無銘の中でも、最上作にランクされる名品です。 ハバキ:金着二重ハバキ 長さ:68.0 cm (2.24尺) 反り:1.8 cm (0.59寸) 目釘穴:3個(内2個埋め) 元幅:2.74 cm 先幅:1.84 cm 重ね:0.52 cm 刀身重量:575 g 時代:鎌倉時代末期から南北朝時代初期頃 体配:身幅、重ね共にしっかりとした姿。 地鉄:小板目肌が非常によく練れ、精緻な肌合いとなる。 刃文:低めの互の目乱れ。帽子は焼詰風となる。 特徴:本作は大和志津と鑑定された大磨上無銘の刀です。 「大和志津」とは、兼氏が相州正宗の門に入る以前、大和国で打っていた頃の作、あるいは兼氏が正宗に学び大成して美濃へ移り「美濃志津」となった後、大和に残った一派の作を指すとされています。 そのため鑑定は極めて困難を極めますが、本作のように志津の作風を示しながらも、大和伝の特色を色濃く残すものがそのように呼称されます。 製作年代は鎌倉末期から南北朝初期にわたり、大和伝の特質を存分に発揮した一振りです。 葵美術正真鑑定書 葵美術評価:最上作 葵美術コメント: ある著名な刀剣鑑定家から、「大和志津と直江志津、どちらが優れていると思うか」と問われたことがあります。 その方は「大和志津の方が格調が高い」と仰っていました。 それ以来、私も注意深く観察してまいりましたが、大和志津は刃文が思いのほか深く、一方で直江志津は刃文が広がる傾向にあると感じております。 本作は大和志津の真髄をよく捉えた、格調高い名品と言えるでしょう。
大磨上無銘の刀で大和志津と伝えている。大和志津は、兼氏が未だ相州正宗の門に学ぶ以前、大和で鍛刀していた 時代の作を意味するとも、また兼氏が正宗に師事して大成後美濃志津に定住したが、それとは別に大和に残存した一派 の刀工のことであるともいう。従ってその鑑定も頗る困難なものではあるが、この刀に見るように、同じ志津一派の作 と見えて、しかも大和伝の要素を多分に持っているものをかく名付けるのである。 大先栗尻、






大磨上無銘の刀で大和志津と伝えている。大和志津は、兼氏が未だ相州正宗の門に学ぶ以前、大和で鍛刀していた 時代の作を意味するとも、また兼氏が正宗に師事して大成後美濃志津に定住したが、それとは別に大和に残存した一派 の刀工のことであるともいう。従ってその鑑定も頗る困難なものではあるが、この刀に見るように、同じ志津一派の作 と見えて、しかも大和伝の要素を多分に持っているものをかく名付けるのである。 大先栗尻、
大和伝 · 大和
現在3点販売中
大和志津とは、本来、志津三郎兼氏が濃州多芸郡志津に移り住む以前、すなわち大和に在住して包氏と銘していた時代の作を指す呼称である[[c:1]]。兼氏は大和の手掻派に出自を持ちながら、相模の正宗の門に入って相州伝を修め、後に美濃志津へ移住して志津一門を樹立した工であり、その大和在住期の作が本来の意における大和志津に当たる。しかし兼氏が美濃へ去った後も、大和に残って同じ包氏の名跡を襲った者が存在しており、広義にはこれらの一門の作を含めて大和志津と総称している。本流派の現存作は大磨上無銘の刀・脇指として極められるものが多く、作者は大和国包氏と記される。南北朝期を中心とし、なかには兼氏の前身ではなく、その名跡を継承した南北朝の包氏と思われる在銘短刀も伝わって、年代が兼氏に接近する一面をうかがわせる。 地鉄は板目が総体に流れて柾がかり、とくに刃寄りに柾の目立つものが多く、杢目や大板目を交え、肌立ちごころとなって地沸が厚くつき、地景が入り、ものによっては淡く沸映りが立つ。すなわち大和本国に通じる柾がかった肌に、相州伝の錬れと沸づきが融合した鍛えである。刃文は直刃または浅いのたれを基調とし、互の目・小互の目・尖りごころの刃を交え、部分的に頭の丸い互の目が連れごころとなり、足・葉がよく入る。刃縁にはほつれ・二重刃・喰違刃・打のけ・湯走り・飛焼などがさかんに現われ、刃中には金筋・砂流しが頻りにかかって、匂口は明るく冴える。帽子は掃きかけて焼づめごころとなり、ものによっては火焔風を呈する。これらは大和気質に相州及び美濃風が混在した作柄として共通し、本流派の典型をなす。志津本流が相州色をより強く打ち出した放胆なのたれ刃を示すのに対し、大和志津は柾がかった肌と帽子の掃きかけ・焼づめなど大和の気質を色濃く残す点で見分けられ、また直江志津に比して刃取りが穏やかで地刃の沸の働きを身上とする。鎬高の造込みや刃縁のほつれ、火焔風の帽子といった大和味の混在こそが、志津と鑑しながらなお大和志津と極める理論的な拠りどころとなる。 鑑定にあたっては、柾がかって肌立つ鍛えに地沸厚く地景が入る地鉄、直刃ないし浅いのたれに小互の目を交えて二重刃・喰違刃・打のけ・湯走りを伴う刃縁の働き、掃きかけ焼づめごころの帽子という三点が要となる。代表作には、長門国長府毛利家に伝来した一口や、幕末の大村益次郎の指料、将軍家より牧野家に下賜され三睡の号を持つ包氏在銘の短刀[[c:2]]などがあり、後者は乱れの一部に名物分部志津を想起させるところがある。地刃の保存のよい優品も少なくなく、なかには鋒の延びごころを除けば大和本国の包永あたりを髣髴とさせるものもあって、本流派が大和と相州・美濃の伝統を橋渡しする位置にあることを示している。正宗十哲に数えられる兼氏の系を母胎としつつ、大和の根を保ち続けた一門として、南北朝期の作刀史にその名をとどめている。 詳しく見る →
| 刀工 | 時代 | 指定 |
|---|---|---|
| 包氏 | 1350-1375 | 19 |
南朝が大和国吉野に都を置いたとき、大和の諸派は最盛期にあった。包永以後の手掻、尻懸則長、そして保昌の純然たる柾目である。その技はすでに諸国へ広がりつつあった。
特別保存刀剣の中から、特に出来が優れ、国認定の重要美術品に準ずると判断された名品です。年に一度の重要刀剣審査で選ばれます。
極めて選別的で、日本に登録された約250万口の刀剣のうち、重要刀剣に達したものは12,307口(約203口に1口)にすぎません。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイト返品をご希望の場合、お客様が受領されてから3日以内にお知らせください。この期間を過ぎますとキャンセルはお受けできかねますので何卒ご了承ください。なお当社へのご返送は、5営業日以内の発送をお願いしております。なおキャンセルは販売した当時の状態がそのまま保持されている事が条件となりますのでお取り扱いには十分ご注意下さい。