美濃伝は、伝えによれば移住者が開いた。大和手掻系の出と伝えられる兼氏が志津に住し、新しい相州風で鍛えて、後世の鑑定家にその最上作は誰よりも正宗に近いと言わしめている。
番号:AS26431 白鞘入り、拵え付き(日本美術刀剣保存協会 特別保存刀剣) 銘:無銘(伝 直江志津) (弊社では刀剣の出来映えにより、最上作、上々作、上作、普通作と4段階にランク分けしております。本作は無銘(直江志津)と鑑定された作品の中でも、上々作にランクされる逸品です。) ハバキ:金着一重ハバキ 長さ:72.3 cm (2.38尺) 反り:2.0 cm (6.6分) 目釘穴:3個(内2個埋め) 元幅:3.01 cm 先幅:1.86 cm 重ね:0.66 cm 刀身重量:720 g 時代:南北朝時代初期 体配:身幅やや広く、反り深く、大切っ先となる延びやかな体配。 地鉄:小板目肌よく練れ、詰んで精良な地金となる。 刃文:匂口深く、丸みを帯びた互の目乱れが連なり、足よく働く。帽子は丸く返る。 特徴:志津とは元来、美濃国の地名です。正宗十哲の一人に数えられる名工・兼氏がこの地に移り住み、「志津三郎兼氏」と称したことに始まります。その後、兼友・兼次・兼重・兼信といった門下らが美濃の直江に移住したことから、彼ら一派の作は総称して「直江志津」と呼ばれています。 拵:半太刀拵 鍔:太刀鍔 縁頭:鉄地(縁、頭、鐺、その他金具) 鞘:黒石目地塗鞘 目抜き:葵紋の図、金色絵 葵美術正真鑑定書 特別保存刀剣鑑定書 葵美術評価:本作は研磨も丁寧になされており、美しい地鉄と優れた体配を兼ね備えています。自信を持ってお薦めできる一振りです。 歴史的背景:南北朝時代初期の延元元年(1336年)、後醍醐天皇による建武の新政が崩壊。足利尊氏が京都に光明天皇を擁立して北朝を立てる一方、後醍醐天皇は現在の奈良県吉野へと逃れ、南朝を樹立しました。
無銘 · Naoe Shizu · 南北朝 · 長さ 72.3cm · 反り 2cm






美濃伝 · 美濃
現在20点販売中
美濃国直江の地に興った一門で、その名は移住に由来する。元来、志津は美濃の地名であり、ここに大和より正宗の門人たる兼氏が来住して鍛えたことから、地名をとって志津三郎兼氏と呼ばれた。正宗十哲の一に数えられる兼氏は、相州伝を基調としつつ大和手掻の血を負い、尖りごころの互の目に走る乱調をもって美濃伝のいま一つの根をなした工である。その門人たち、兼友・兼信・兼次らは、はじめ志津に作り、後に同国直江に移って鍛えたため、この一門を直江志津と総称する。年代は南北朝の延文・貞治より応安頃に及び、本流は兼氏に発する志津の血を一代を隔てて承けた工の群である。同時代に越中呉服郷の江則重の流れを北陸道より美濃に運んだ為継のごとき手も加わって、相州伝が内陸へ運ばれ美濃の地鉄に根を下ろした姿を、この一門は最もよく伝える。 直江志津を貫くのは、工の差を越えて繰り返される共通の語法である。地鉄は板目に杢を交え、処々流れて柾がかり、肌立ちごころとなって地沸厚くつき、地景がよく入って鉄を縫い、北国の趣濃く黒みをおびる。その地に立つ刃文は、相州伝の影響を負った浅いのたれ・小のたれに、美濃の尖り刃を交えた互の目を連ね、沸は強く深く、砂流しが頻りにかかって長く金筋を伴う。匂口は深く、優品では明るく冴え、激しめの作では迫力を、穏やかな作では穏雅な作位を示す。帽子は乱れ込んで掃きかけ、小丸に返るか焼詰め風となる。同じ型のうちに各工の手が読み分けられ、為継は則重風の湿ったのたれに美濃の鋭い尖りを与えて黒く沸豊かな地に焼き、兼友は頭の丸い互の目を連れて小沸出来に穏やかに焼き、兼次は逆がかった小のたれ調の互の目を匂深く焼く。大和・相州・美濃を融合したこの地刃が一門の背骨であり、師たる兼氏その人と比べれば、より穏やかで実直に、また地肌の冴えにおいて控えめに収まる点が、門流の手を分かつ。 鑑定にあっては、まず黒ずむ板目に地沸厚く沸出来で匂口の沈む地刃をもって直江志津と読み、本流に直刃がないことを否定の見どころとする。次に、より大きく揺れるのたれ乱れと頭の丸い互の目の連れる態をもって、これを志津・金重の手から、また下る末関の同名工から分かつ。主要工の格は説明書の評にそのまま現れ、為継は江則重に直結する黒い沸の手として藤代の上工に列し、兼友は鍛えの質によって上々作に位置づけられて、いずれも国宝・重要文化財を持たぬ南北朝の名である。現存の大半は作風から極められた大磨上無銘の刀であり、在銘・年紀作は極めて稀で、説明書はこれを頗る貴重とし、無銘極めにこそよい出来が多いと率直に評する。為継には応安年紀の作、兼友・兼次には在銘の短刀が伝承の拠り所として立つ。所伝は乏しいながら確かで、熱田神宮に伝わる作や、戦前の蒐集を経て今に伝わる短刀が記録される。極められた無銘の一刀が市に現れるのは折にふれ、忍耐をもってのことであって、在銘・年紀の作はそれとは別格の、名を定める証として遇される。 詳しく見る →
美濃伝は、伝えによれば移住者が開いた。大和手掻系の出と伝えられる兼氏が志津に住し、新しい相州風で鍛えて、後世の鑑定家にその最上作は誰よりも正宗に近いと言わしめている。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイト返品をご希望の場合、お客様が受領されてから3日以内にお知らせください。この期間を過ぎますとキャンセルはお受けできかねますので何卒ご了承ください。なお当社へのご返送は、5営業日以内の発送をお願いしております。なおキャンセルは販売した当時の状態がそのまま保持されている事が条件となりますのでお取り扱いには十分ご注意下さい。
番号:AS26431 白鞘入り、拵え付き(日本美術刀剣保存協会 特別保存刀剣) 銘:無銘(伝 直江志津) (弊社では刀剣の出来映えにより、最上作、上々作、上作、普通作と4段階にランク分けしております。本作は無銘(直江志津)と鑑定された作品の中でも、上々作にランクされる逸品です。) ハバキ:金着一重ハバキ 長さ:72.3 cm (2.38尺) 反り:2.0 cm (6.6分) 目釘穴:3個(内2個埋め) 元幅:3.01 cm 先幅:1.86 cm 重ね:0.66 cm 刀身重量:720 g 時代:南北朝時代初期 体配:身幅やや広く、反り深く、大切っ先となる延びやかな体配。 地鉄:小板目肌よく練れ、詰んで精良な地金となる。 刃文:匂口深く、丸みを帯びた互の目乱れが連なり、足よく働く。帽子は丸く返る。 特徴:志津とは元来、美濃国の地名です。正宗十哲の一人に数えられる名工・兼氏がこの地に移り住み、「志津三郎兼氏」と称したことに始まります。その後、兼友・兼次・兼重・兼信といった門下らが美濃の直江に移住したことから、彼ら一派の作は総称して「直江志津」と呼ばれています。 拵:半太刀拵 鍔:太刀鍔 縁頭:鉄地(縁、頭、鐺、その他金具) 鞘:黒石目地塗鞘 目抜き:葵紋の図、金色絵 葵美術正真鑑定書 特別保存刀剣鑑定書 葵美術評価:本作は研磨も丁寧になされており、美しい地鉄と優れた体配を兼ね備えています。自信を持ってお薦めできる一振りです。 歴史的背景:南北朝時代初期の延元元年(1336年)、後醍醐天皇による建武の新政が崩壊。足利尊氏が京都に光明天皇を擁立して北朝を立てる一方、後醍醐天皇は現在の奈良県吉野へと逃れ、南朝を樹立しました。
無銘 · Naoe Shizu · 南北朝 · 長さ 72.3cm · 反り 2cm






美濃伝 · 美濃
現在20点販売中
美濃国直江の地に興った一門で、その名は移住に由来する。元来、志津は美濃の地名であり、ここに大和より正宗の門人たる兼氏が来住して鍛えたことから、地名をとって志津三郎兼氏と呼ばれた。正宗十哲の一に数えられる兼氏は、相州伝を基調としつつ大和手掻の血を負い、尖りごころの互の目に走る乱調をもって美濃伝のいま一つの根をなした工である。その門人たち、兼友・兼信・兼次らは、はじめ志津に作り、後に同国直江に移って鍛えたため、この一門を直江志津と総称する。年代は南北朝の延文・貞治より応安頃に及び、本流は兼氏に発する志津の血を一代を隔てて承けた工の群である。同時代に越中呉服郷の江則重の流れを北陸道より美濃に運んだ為継のごとき手も加わって、相州伝が内陸へ運ばれ美濃の地鉄に根を下ろした姿を、この一門は最もよく伝える。 直江志津を貫くのは、工の差を越えて繰り返される共通の語法である。地鉄は板目に杢を交え、処々流れて柾がかり、肌立ちごころとなって地沸厚くつき、地景がよく入って鉄を縫い、北国の趣濃く黒みをおびる。その地に立つ刃文は、相州伝の影響を負った浅いのたれ・小のたれに、美濃の尖り刃を交えた互の目を連ね、沸は強く深く、砂流しが頻りにかかって長く金筋を伴う。匂口は深く、優品では明るく冴え、激しめの作では迫力を、穏やかな作では穏雅な作位を示す。帽子は乱れ込んで掃きかけ、小丸に返るか焼詰め風となる。同じ型のうちに各工の手が読み分けられ、為継は則重風の湿ったのたれに美濃の鋭い尖りを与えて黒く沸豊かな地に焼き、兼友は頭の丸い互の目を連れて小沸出来に穏やかに焼き、兼次は逆がかった小のたれ調の互の目を匂深く焼く。大和・相州・美濃を融合したこの地刃が一門の背骨であり、師たる兼氏その人と比べれば、より穏やかで実直に、また地肌の冴えにおいて控えめに収まる点が、門流の手を分かつ。 鑑定にあっては、まず黒ずむ板目に地沸厚く沸出来で匂口の沈む地刃をもって直江志津と読み、本流に直刃がないことを否定の見どころとする。次に、より大きく揺れるのたれ乱れと頭の丸い互の目の連れる態をもって、これを志津・金重の手から、また下る末関の同名工から分かつ。主要工の格は説明書の評にそのまま現れ、為継は江則重に直結する黒い沸の手として藤代の上工に列し、兼友は鍛えの質によって上々作に位置づけられて、いずれも国宝・重要文化財を持たぬ南北朝の名である。現存の大半は作風から極められた大磨上無銘の刀であり、在銘・年紀作は極めて稀で、説明書はこれを頗る貴重とし、無銘極めにこそよい出来が多いと率直に評する。為継には応安年紀の作、兼友・兼次には在銘の短刀が伝承の拠り所として立つ。所伝は乏しいながら確かで、熱田神宮に伝わる作や、戦前の蒐集を経て今に伝わる短刀が記録される。極められた無銘の一刀が市に現れるのは折にふれ、忍耐をもってのことであって、在銘・年紀の作はそれとは別格の、名を定める証として遇される。 詳しく見る →
美濃伝は、伝えによれば移住者が開いた。大和手掻系の出と伝えられる兼氏が志津に住し、新しい相州風で鍛えて、後世の鑑定家にその最上作は誰よりも正宗に近いと言わしめている。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイト返品をご希望の場合、お客様が受領されてから3日以内にお知らせください。この期間を過ぎますとキャンセルはお受けできかねますので何卒ご了承ください。なお当社へのご返送は、5営業日以内の発送をお願いしております。なおキャンセルは販売した当時の状態がそのまま保持されている事が条件となりますのでお取り扱いには十分ご注意下さい。