日本刀の買取歓迎致します。お気軽にお電話ください。TEL:03-3980-1461 営業時間 10:00〜17:30(毎週火、水曜日定休日) 本造り庵棟 うぶ茎 板目肌、杢交じりやや肌立ち心によく練れ詰む。地沸微塵に厚くつき、細かな地景よく入り、淡く沸映り立つ。刃紋は湾れに互の目、丁字、尖り心の刃交じる。匂い口やや深めに沸、小沸よくつく。湯走りかかり、沸足、葉盛んに働く。金筋、砂流し頻りにかかり、匂い口明るく見事に冴える。表裏に棒樋の彫刻。本名は京三郎、のち清左衛門。初銘兼房。善斎兼房の三男。織田信長抱工。美濃、のち尾張に移住。黒石目変塗鞘略太刀拵付き☆☆第16回重要刀剣☆☆ 刀剣は、日本の長い歴史と豊かな風土が生み出した鉄の芸術です。質も価格も万別ですが、どのような刀剣にもどこか必ず見所がある、と私は信じています。その刀剣の美しいポイントを見つけ、皆様と一緒に味わってゆくこと、それが私の願いです。
氏房は、室町末期の美濃鍛冶として、技術が優れているが、現存するものは比較的に少く、しかもこれ程までに出 来の優れたものは稀れである。打刀も元亀の頃となると太刀にかわって長大となり、両手で使用されたものであること が、この作によっても首肯される。








































Seki (late-Mino Sue-Seki; Wakasa no Kami line, son of Kanefusa) · 美濃 · 1571-1592頃
現在3点販売中
若狭守氏房は十六世紀後半の元亀・天正年間に美濃の関で鍛刀した工で、説明書は彼を美濃の伝統の最後で最大の一群たる末関を代表する刀工の一人に数える。関兼房の子であり、説明書はその名にまつわる一事を伝える。始めは父の兼房を襲名し、後に氏房と改めたのは、今川氏真から「氏」の一字を賜ったものともいうのである。若狭守の受領は永禄十三年といい、令和に指定されたある刀には今なお「尾州清須住」の居住地銘があって、晩年に関から尾州清須へ移居した記録を留める。この移居は彼自身の作にとどまらぬ意味を持つ。その子が尾張氏房派の祖たる飛騨守氏房、尾張新刀の三祖の一人であり、父は古い美濃の伝統が新たな尾張の作へと移る蝶番に立つ。
その代表作は大らかな刀で、元亀年紀の一口がその典型である。鎬造・庵棟、身幅広く中鋒あるいは大鋒、延びるものや僅かに磨上げたものもあり、説明書はこの体配を、元亀の頃には打刀が太刀に替って長大となり両手で使用されたことの証と読む。この姿にのたれあるいは大互の目を焼き、美濃の尖り刃を交え、足・葉入り、匂口は締り沈みごころから明るきに至り、小沸ついて砂流し・処々飛焼を交える。大らかな乱れに交える尖り刃は平生の刀の美濃の見どころで、彼を関の本流に据える特徴である。説明書はかかる一口を「この刀は氏房の代表作で、豪壮な造込で大どかな刃文を焼き」[[c:1]]と評し、出来がよいとする、説明書が惜しんで用いる静かな賛である。
地鉄も同じ関の性を帯びる。板目は緊まらず肌立ちごころとなり、処々流れて流れ肌となり鎬地は柾に流れ、地沸つき、力強い作には地景も入る。この肌立って流れた地が末関の地であり、彼の沸や飛焼を載せる床である。近年の刀に説明書は元亀・天正の力強い体配に豪快な乱れ刃を読み、匂口明るく沸よくつき、地刃の保存も頗る良いとする。帽子は下の刃に応じて多く乱れ込んで小丸となり、尖りごころに掃きかけるものもあるが、焼が帽子全体へ及んで一枚となるものも少なからずあり、令和指定の一口を説明書は「帽子一枚となり返りを長く焼下げる」[[c:2]]とし、昭和指定の一口を「帽子殆んど一枚風に乱れ込み、先小丸」[[c:3]]と読む。彫物は棒樋を掻通す。これらは工房平均の冷たく整った関物ではなく、伝統のより豪快で奔放な端であり、ゆえに説明書はこの出来のものを稀れとする。
この大らかな刀の手に対し、第二の稀な面が短刀に見える。山城物写しである。天正年紀の平造の短刀がその遺例で、寸に比して身幅やや広く重ね厚く内反りとなり、総体に流れた小板目に指表は殊に柾気つよく、地沸細かにつき、地に白気を帯びたうつりが立つ。刃文は細直刃、匂勝ちに匂口締まりごころとなって小沸つき、帽子は直ぐに静かな小丸、彫物は表に護摩箸、裏に腰樋。この手について説明書は「この期の関物にはよく山城物写しがみられる」[[c:4]]とし、本作を「いかにも品よくまとまっており、氏房中の上々作」[[c:5]]と評する。彫物は造込みに連動し、刀が棒樋を掻通すのに対し、護摩箸や腰樋は平造の短刀に属する。
その一門の中の位置は、借りた比較よりも彼自身の地に即した特徴から取るのがよい。彼は末関の工で、その手は肌立った板目、大らかなのたれ・大互の目に折り込んだ尖り刃、時に錬れた山城物写しの直刃に認められる。明るい乱れと棒樋の刀がその背骨、静かな白け映りの短刀がその風情である。系譜は彼を通って清らかに流れる。父兼房より美濃の体を受け、清須への移居とともにそれを尾張の閾へと運び、子飛騨守氏房がその大らかなのたれを落ち着いた尾張新刀の手に錬り上げ、政常・信高と共に同派の三祖の一人に数えられる。説明書は同名数代続いたことを記し、父はその出自の根である。
氏房はすべて重要刀剣の格に残り、国宝も重要文化財も記録されず、その作は美術館の群よりは数寄者の手の届く側にある。指定の記録は在銘の刀九口と在銘の短刀一口をその指定作に擁し、いずれも極めではなく在銘の作で、元亀・天正の年紀を有するものが幾口かあり、一口は説明書が晩年の尾張期研究の好資料として貴ぶ「尾州清須住」の居住地銘を帯びる。これらの刀に大名の伝来も所蔵機関も記録されず、説明書はその現存作、就中打刀が比較的に少く、これ程までに出来の優れたものは稀れと率直に記す。在銘年紀の大らかな元亀・天正型の若狭守氏房の刀に出会うのは稀なことで、数寄者はこれを折にふれ、忍耐をもって、その最も優れたものを末関の領分の頂で見るに過ぎない。説明書はその佳品を平らかに評し、ある一口を豪壮な造込の代表作とし、ある一口を「室町末期の関物の典型的且つ代表作の一口」[[c:6]]とし、品よき直刃の短刀を上々作とする。
氏房の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
在銘年紀作が示す、確実に活動していた年代
美濃伝 · 美濃
現在150点販売中
美濃国の関は、南北朝より室町、新刀期に至るまで日本刀の一大生産地として栄えた鍛冶の地である。その源流は二つに発し、説明書は金重と志津兼氏とを並べて美濃鍛冶の祖とする。金重は『古今銘尽』に法名道阿、越前敦賀の住人と伝えられ、敦賀より関へ越えて住したといい、相州正宗十哲の一に数えられて、沸の厚い穏やかな手を美濃の地鉄に持ち込んだ。兼氏に発する志津の系は、尖り互の目に走る乱調をもって、いま一つの根をなす。この二流が南北朝の美濃伝を形づくり、金行のごとく金重に続く工、室町に入って善定派の兼吉のように大和手掻の血を関に運んだ工が加わって、流れは広がった。室町後期には兼元・兼定の二名を頂点とする末関の隆盛を迎え、孫六兼元の名と和泉守兼定の受領とが、地方の量産地にとどまらぬ関の格を世に示した。大和と相州の二つの源流に、備前を意識した白け映りの地が結ばれて、美濃伝という一個の伝法が立ったのである。 関物を貫くのは、工と系統の差を越えて繰り返される美濃の共通語法である。地鉄は板目に柾を交えてしばしば肌立ち、刃寄りに柾がかり、鎬地は柾に流れる。その地に立つ映りは備前の明るい乱れ映りではなく、淡く白ける美濃鉄の靄のような白け映りで、説明書はこれを終始、備前と作を分かつ見どころとして掲げる。刃文は互の目を主調に尖り刃を交え、兼元にあっては整然と並ぶ尖り刃の三本杉となり、兼定や兼之にあっては頭の丸い互の目とのたれを交えて変化に富む。沸は乾いて締まり、匂口は冴え、足入り、砂流し・細かな金筋が刃中を走る。帽子は乱れ込んで先尖りごころとなり、あるいは丸く地蔵風に返る。これらは関の背骨をなす型であって、工により濃淡を異にする。金重・金行の手は穏やかで地が肌立ち、善定兼吉は大和の血を負って締った直刃と柾がかる板目を見せ、末関の氏房は大らかなのたれに尖り刃を折り込み、兼房は頭の丸い互の目の兼房乱れを得意とする。同じ語法のうちに、それぞれの工の手が読み分けられる。 収集家が関物を求めるのは、その鑑定が手応えを伴う一個の眼の修練だからである。映りが白く沸が乾いて締まる美濃の地刃は、備前の華やかな映りとも、山城の長く澄んだ直刃とも異なり、これを見分けることが関を識る勘所となる。主要工の格は説明書の評にそのまま現れる。孫六兼元は三本杉の創始者として名を成し、和泉守兼定すなわちノサダは、白ける板目に焼いた賑やかな美濃の刃と来国俊風の細直刃の双方を能くして、古刀期に珍しい受領を許され、刀剣書が「すぐれたる上手」と評する当代第一の手とされる。兼之は末関中最もよく練れた鍛えを見せて作域広く、永正・大永のノサダとして賞玩が厚い。これらの名は将軍家・大名家の伝来を負い、ノサダの太刀には武田信虎のために打たれた一口があり、菊花紋を切った刀は皇室との関わりを示し、徳川将軍家への献上を経た金重の短刀も伝わる。末関の氏房一門は清須・名古屋へ移って尾張新刀三祖の一を生み、古い美濃の手が新たな伝統へ移る蝶番に立った。切れ味をもって武用に応えた量産の地でありながら、孫六兼元らの最上手の作は美術的価値においても高く評され、その白け映りと乾いた沸の手を識ることが、美濃伝いかに始まり継がれたかを語る証となる。
特別保存刀剣の中から、特に出来が優れ、国認定の重要美術品に準ずると判断された名品です。年に一度の重要刀剣審査で選ばれます。
極めて選別的で、日本に登録された約250万口の刀剣のうち、重要刀剣に達したものは12,307口(約203口に1口)にすぎません。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイト商品到着後、一週間以内(日本国内のみクーリングオフ可能です)。購入条件と違う瑕疵は商品の返品並びに代金を返還致します。その他海外の場合は、別途ご相談させて頂きます。
日本刀の買取歓迎致します。お気軽にお電話ください。TEL:03-3980-1461 営業時間 10:00〜17:30(毎週火、水曜日定休日) 本造り庵棟 うぶ茎 板目肌、杢交じりやや肌立ち心によく練れ詰む。地沸微塵に厚くつき、細かな地景よく入り、淡く沸映り立つ。刃紋は湾れに互の目、丁字、尖り心の刃交じる。匂い口やや深めに沸、小沸よくつく。湯走りかかり、沸足、葉盛んに働く。金筋、砂流し頻りにかかり、匂い口明るく見事に冴える。表裏に棒樋の彫刻。本名は京三郎、のち清左衛門。初銘兼房。善斎兼房の三男。織田信長抱工。美濃、のち尾張に移住。黒石目変塗鞘略太刀拵付き☆☆第16回重要刀剣☆☆ 刀剣は、日本の長い歴史と豊かな風土が生み出した鉄の芸術です。質も価格も万別ですが、どのような刀剣にもどこか必ず見所がある、と私は信じています。その刀剣の美しいポイントを見つけ、皆様と一緒に味わってゆくこと、それが私の願いです。
氏房は、室町末期の美濃鍛冶として、技術が優れているが、現存するものは比較的に少く、しかもこれ程までに出 来の優れたものは稀れである。打刀も元亀の頃となると太刀にかわって長大となり、両手で使用されたものであること が、この作によっても首肯される。








































Seki (late-Mino Sue-Seki; Wakasa no Kami line, son of Kanefusa) · 美濃 · 1571-1592頃
現在3点販売中
若狭守氏房は十六世紀後半の元亀・天正年間に美濃の関で鍛刀した工で、説明書は彼を美濃の伝統の最後で最大の一群たる末関を代表する刀工の一人に数える。関兼房の子であり、説明書はその名にまつわる一事を伝える。始めは父の兼房を襲名し、後に氏房と改めたのは、今川氏真から「氏」の一字を賜ったものともいうのである。若狭守の受領は永禄十三年といい、令和に指定されたある刀には今なお「尾州清須住」の居住地銘があって、晩年に関から尾州清須へ移居した記録を留める。この移居は彼自身の作にとどまらぬ意味を持つ。その子が尾張氏房派の祖たる飛騨守氏房、尾張新刀の三祖の一人であり、父は古い美濃の伝統が新たな尾張の作へと移る蝶番に立つ。
その代表作は大らかな刀で、元亀年紀の一口がその典型である。鎬造・庵棟、身幅広く中鋒あるいは大鋒、延びるものや僅かに磨上げたものもあり、説明書はこの体配を、元亀の頃には打刀が太刀に替って長大となり両手で使用されたことの証と読む。この姿にのたれあるいは大互の目を焼き、美濃の尖り刃を交え、足・葉入り、匂口は締り沈みごころから明るきに至り、小沸ついて砂流し・処々飛焼を交える。大らかな乱れに交える尖り刃は平生の刀の美濃の見どころで、彼を関の本流に据える特徴である。説明書はかかる一口を「この刀は氏房の代表作で、豪壮な造込で大どかな刃文を焼き」[[c:1]]と評し、出来がよいとする、説明書が惜しんで用いる静かな賛である。
地鉄も同じ関の性を帯びる。板目は緊まらず肌立ちごころとなり、処々流れて流れ肌となり鎬地は柾に流れ、地沸つき、力強い作には地景も入る。この肌立って流れた地が末関の地であり、彼の沸や飛焼を載せる床である。近年の刀に説明書は元亀・天正の力強い体配に豪快な乱れ刃を読み、匂口明るく沸よくつき、地刃の保存も頗る良いとする。帽子は下の刃に応じて多く乱れ込んで小丸となり、尖りごころに掃きかけるものもあるが、焼が帽子全体へ及んで一枚となるものも少なからずあり、令和指定の一口を説明書は「帽子一枚となり返りを長く焼下げる」[[c:2]]とし、昭和指定の一口を「帽子殆んど一枚風に乱れ込み、先小丸」[[c:3]]と読む。彫物は棒樋を掻通す。これらは工房平均の冷たく整った関物ではなく、伝統のより豪快で奔放な端であり、ゆえに説明書はこの出来のものを稀れとする。
この大らかな刀の手に対し、第二の稀な面が短刀に見える。山城物写しである。天正年紀の平造の短刀がその遺例で、寸に比して身幅やや広く重ね厚く内反りとなり、総体に流れた小板目に指表は殊に柾気つよく、地沸細かにつき、地に白気を帯びたうつりが立つ。刃文は細直刃、匂勝ちに匂口締まりごころとなって小沸つき、帽子は直ぐに静かな小丸、彫物は表に護摩箸、裏に腰樋。この手について説明書は「この期の関物にはよく山城物写しがみられる」[[c:4]]とし、本作を「いかにも品よくまとまっており、氏房中の上々作」[[c:5]]と評する。彫物は造込みに連動し、刀が棒樋を掻通すのに対し、護摩箸や腰樋は平造の短刀に属する。
その一門の中の位置は、借りた比較よりも彼自身の地に即した特徴から取るのがよい。彼は末関の工で、その手は肌立った板目、大らかなのたれ・大互の目に折り込んだ尖り刃、時に錬れた山城物写しの直刃に認められる。明るい乱れと棒樋の刀がその背骨、静かな白け映りの短刀がその風情である。系譜は彼を通って清らかに流れる。父兼房より美濃の体を受け、清須への移居とともにそれを尾張の閾へと運び、子飛騨守氏房がその大らかなのたれを落ち着いた尾張新刀の手に錬り上げ、政常・信高と共に同派の三祖の一人に数えられる。説明書は同名数代続いたことを記し、父はその出自の根である。
氏房はすべて重要刀剣の格に残り、国宝も重要文化財も記録されず、その作は美術館の群よりは数寄者の手の届く側にある。指定の記録は在銘の刀九口と在銘の短刀一口をその指定作に擁し、いずれも極めではなく在銘の作で、元亀・天正の年紀を有するものが幾口かあり、一口は説明書が晩年の尾張期研究の好資料として貴ぶ「尾州清須住」の居住地銘を帯びる。これらの刀に大名の伝来も所蔵機関も記録されず、説明書はその現存作、就中打刀が比較的に少く、これ程までに出来の優れたものは稀れと率直に記す。在銘年紀の大らかな元亀・天正型の若狭守氏房の刀に出会うのは稀なことで、数寄者はこれを折にふれ、忍耐をもって、その最も優れたものを末関の領分の頂で見るに過ぎない。説明書はその佳品を平らかに評し、ある一口を豪壮な造込の代表作とし、ある一口を「室町末期の関物の典型的且つ代表作の一口」[[c:6]]とし、品よき直刃の短刀を上々作とする。
氏房の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
在銘年紀作が示す、確実に活動していた年代
美濃伝 · 美濃
現在150点販売中
美濃国の関は、南北朝より室町、新刀期に至るまで日本刀の一大生産地として栄えた鍛冶の地である。その源流は二つに発し、説明書は金重と志津兼氏とを並べて美濃鍛冶の祖とする。金重は『古今銘尽』に法名道阿、越前敦賀の住人と伝えられ、敦賀より関へ越えて住したといい、相州正宗十哲の一に数えられて、沸の厚い穏やかな手を美濃の地鉄に持ち込んだ。兼氏に発する志津の系は、尖り互の目に走る乱調をもって、いま一つの根をなす。この二流が南北朝の美濃伝を形づくり、金行のごとく金重に続く工、室町に入って善定派の兼吉のように大和手掻の血を関に運んだ工が加わって、流れは広がった。室町後期には兼元・兼定の二名を頂点とする末関の隆盛を迎え、孫六兼元の名と和泉守兼定の受領とが、地方の量産地にとどまらぬ関の格を世に示した。大和と相州の二つの源流に、備前を意識した白け映りの地が結ばれて、美濃伝という一個の伝法が立ったのである。 関物を貫くのは、工と系統の差を越えて繰り返される美濃の共通語法である。地鉄は板目に柾を交えてしばしば肌立ち、刃寄りに柾がかり、鎬地は柾に流れる。その地に立つ映りは備前の明るい乱れ映りではなく、淡く白ける美濃鉄の靄のような白け映りで、説明書はこれを終始、備前と作を分かつ見どころとして掲げる。刃文は互の目を主調に尖り刃を交え、兼元にあっては整然と並ぶ尖り刃の三本杉となり、兼定や兼之にあっては頭の丸い互の目とのたれを交えて変化に富む。沸は乾いて締まり、匂口は冴え、足入り、砂流し・細かな金筋が刃中を走る。帽子は乱れ込んで先尖りごころとなり、あるいは丸く地蔵風に返る。これらは関の背骨をなす型であって、工により濃淡を異にする。金重・金行の手は穏やかで地が肌立ち、善定兼吉は大和の血を負って締った直刃と柾がかる板目を見せ、末関の氏房は大らかなのたれに尖り刃を折り込み、兼房は頭の丸い互の目の兼房乱れを得意とする。同じ語法のうちに、それぞれの工の手が読み分けられる。 収集家が関物を求めるのは、その鑑定が手応えを伴う一個の眼の修練だからである。映りが白く沸が乾いて締まる美濃の地刃は、備前の華やかな映りとも、山城の長く澄んだ直刃とも異なり、これを見分けることが関を識る勘所となる。主要工の格は説明書の評にそのまま現れる。孫六兼元は三本杉の創始者として名を成し、和泉守兼定すなわちノサダは、白ける板目に焼いた賑やかな美濃の刃と来国俊風の細直刃の双方を能くして、古刀期に珍しい受領を許され、刀剣書が「すぐれたる上手」と評する当代第一の手とされる。兼之は末関中最もよく練れた鍛えを見せて作域広く、永正・大永のノサダとして賞玩が厚い。これらの名は将軍家・大名家の伝来を負い、ノサダの太刀には武田信虎のために打たれた一口があり、菊花紋を切った刀は皇室との関わりを示し、徳川将軍家への献上を経た金重の短刀も伝わる。末関の氏房一門は清須・名古屋へ移って尾張新刀三祖の一を生み、古い美濃の手が新たな伝統へ移る蝶番に立った。切れ味をもって武用に応えた量産の地でありながら、孫六兼元らの最上手の作は美術的価値においても高く評され、その白け映りと乾いた沸の手を識ることが、美濃伝いかに始まり継がれたかを語る証となる。
特別保存刀剣の中から、特に出来が優れ、国認定の重要美術品に準ずると判断された名品です。年に一度の重要刀剣審査で選ばれます。
極めて選別的で、日本に登録された約250万口の刀剣のうち、重要刀剣に達したものは12,307口(約203口に1口)にすぎません。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイト商品到着後、一週間以内(日本国内のみクーリングオフ可能です)。購入条件と違う瑕疵は商品の返品並びに代金を返還致します。その他海外の場合は、別途ご相談させて頂きます。