番号:AS25039 刀:白鞘入り、拵付き(日本美術刀剣保存協会 特別保存刀剣) 銘:無銘(来国安) 弊社では刀工の出来を最上作、上々作、上作、普通作の四段階に分類しております。 本作、来国安と鑑定された刀は、その中でも「上々作」にランクされる逸品です。 ハバキ:金着二重ハバキ 長さ:71.1 cm (2.35尺) 反り:2.0 cm (0.66寸) 目釘穴:3個 元幅:2.98 cm 先幅:2.16 cm 重ね:0.53 cm 刀身重量:g 時代:南北朝時代初期 体配:大磨上無銘。表裏に棒樋を掻き通し、反り深く、大切っ先となる。 地鉄:小板目肌よく詰み、精良な肌合いとなる。 刃文:直刃調に小足入り、上部に向かって乱れが目立つ。 帽子は長く、乱れ込んで返る。 特徴: 来国安は来一派から越前へ移住した刀工で、来派の伝統に越前刀工の特色を融合させた作風で知られます。 古書には鎌倉末期とする説もありますが、本作の体配から南北朝後期から応永頃の製作と推測されます。 一般に明るい冴えた刃を焼き、肌立ち、映りが現れるのが特徴です。 拵: 鍔:鉄地縦丸形、透かし彫りに金の色絵を施す。 縁頭:赤銅地、文様を刻む。 鞘:黒呂色塗り鞘。 目釘:鳥の図、金象嵌。 日本美術刀剣保存協会 特別保存刀剣鑑定書 葵美術評価鑑定書 全身押し形 ※送料は価格に含まれておりません。 オークション開始価格:1,250,000円 入札する 関連作品: 刀:(金象嵌銘) 来国俊 本阿弥(花押) (朱銘) (光忠) (朱銘不詳) (第25回特別重要刀剣) 刀:無銘 (伝綾小路) (特別保存刀剣) (拵付き)





Chiyozuru (Echizen), Rai-derived · 越前 · 1345-1350頃
刀剣大鑑 上位17%
現在1点販売中
千代鶴国安と朱銘を帯びた大太刀が熱田神宮に伝えられている。この工の名が最も直截に遺るのはこうした奉納の大太刀においてであって、指定の遺品はそのほとんどが大磨上無銘で、来国安と伝える刀だからである。公刊資料は国安を生国山城の人とし、一説に来国末の孫として、「のち越前に移住し千代鶴派の祖となった」[[c:1]]と伝える。銘鑑はその年代を南北朝期の貞治・貞治頃に置き、「銘鑑はその年代を貞治ころとしている」[[c:2]]と記す。その作風は山城本国から越前へ移された来として、これを受けた地の地方色を帯びて鑑せられ、一見すれば「一見山城本国の来国光あたりにも見える」[[c:3]]が、注視すれば僅かに一歩を譲るのみで、ゆえに公刊の記録の言う通り「所伝は認められる」[[c:4]]。
本国と分かつ見どころは地鉄にある。山城来派がよくつんだ精美な板目を鍛えるのに対し、国安の板目は杢目・処々流れ肌を交え、やや肌立つ。この肌立ちごころを公刊資料はその地方色と読む。肌立つ地に地沸が厚く、時に微塵につき、地景が頻りに入り、鉄色はやや黒みがかって白けごころとなる。公刊の評はこれを極めの決め手とし、地鉄が肌立ち白けごころとなり黒みがかるがゆえに「ここに来国安の極めが首肯される」[[c:5]]とし、その作を本国のものにあらず彼のものと判ずる。
刃文は中直刃に小互の目を交え、基調に極く浅くのたれごころを帯びることもある。刃縁の働きは本国以上に変化に富み、ほつれ・喰違刃・処々二重刃が現われ、足・葉が入り、沸厚くつき部分的に一際光の強い荒めの沸を交え、明るい匂口に金筋・砂流しが細かにかかる。帽子は静かに小丸へ掃きかけるものから、表が沸崩れ状となり裏に盛んに掃きかけて火焰風に返るものまでがある。ある南北朝期の刀について公刊資料は、これらの特色が「地刃に南北朝期の来派の特色をよく現わしている」[[c:6]]と記し、地方色の下になお来の血脈が読み取れるとする。
この一様の典型作域の中で、遺品は静から動への一軸に沿って広がる。静の側には、中直刃が殆ど直ぐに焼かれ、働きが刃縁の僅かなほつれと喰違刃ごころに留まる作が立つ。動の側に立つのが、銘鑑が貞治頃とする第六十一回重要刀剣の刀で、明るい刃中に「一際光の強い荒めの沸」[[c:7]]がきらめき、帽子が火焰風に返る。この刀について公刊資料は、「帽子にも山城本国以上に野趣ある働きが目立って」[[c:8]]と評し、働きの過剰そのものを地方の工房の印として挙げる。遺品は殆ど例外なく大磨上無銘であり、その極めは在銘ではなくこの地刃の読みに拠る。唯一の例外が、かの朱銘の大太刀である。
公刊資料は国安を、対比によってではなく、類似と僅かな距離によってその一派の中に位置づける。上には山城来派があり、来国光と一見見紛うほどに近い。その差は精美の度であって、本国の地刃が一段の冴えを保つところを彼は譲る。下には千代鶴派があり、彼はその祖、すなわち越前千代鶴の工房が出づる工であって、彼の作を本国と分かつ肌立つ地鉄・黒みがかり白けごころとなる鉄色・野趣ある刃縁と帽子こそが、その地方伝を開く地方色である。明るい乱れの働きと最も動く作の荒く光る沸とは、彼自身の地刃の言葉によって彼を際立たせる、北国に野趣を帯びた来の手である。
藤代に格付の記載はなく、指定も多くはない。重要刀剣五口、うち国宝・重要文化財・特別重要刀剣はなく、五口のうち四口が来国安の極めの大磨上無銘の刀、一口は別人の手にかかる在銘の美濃物である。これらの刀に大名家への古い伝来は記録されない。公の社に遺るのは熱田神宮蔵の朱銘の大太刀であり、これは流通する物としてではなく社宝として護られた一口で、彼の名が最も平明に読まれるのは市中ではなくこの奉納の大太刀においてである。彼の指定作はいずれも不可譲の文化財として留め置かれてはおらず、僅かな重要刀剣の刀は流通の級にある。とはいえ、千代鶴派の祖に確かに極められた一口に出会うことは稀であり、これに出会う蒐集家は、越前の鉄を通して読まれる来の血脈に出会うのである。
國安の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
山城伝 · 越前
現在10点販売中
千代鶴派は越前を本拠とした一門である。説示によれば、その祖は来国安に求められる。来国安は生国を山城とし、一説に来国末の孫といい、のちに越前へ移住して千代鶴派の祖となったと伝え、銘鑑はその年代を貞治の頃とする。あわせて越前には来国安の弟子と伝える千代鶴国安なる工があり[[c:1]]、これを祖とする伝えもあって、時代を同じく貞治の頃という。いずれにせよ一門は山城の来派を源流に置き、これを越前の地に移したものとして説示は位置づけている。以後この派は室町期まで続き、国安系の守弘が現れる。守弘は同名に複数代があり、銘鑑は初代を応永、二代を嘉吉あるいは文安の頃とし、藤左衛門尉と称した者もあるという。さらに越前敦賀の光行のごとく[[c:2]]、一説に越前国行の門と伝える年紀作の工も説示に名を連ねる。 作風は、来派を承けた地刃に越前という地方色が加わる点に特徴がある。鍛えは板目に杢目や流れ肌を交え、総じて肌立ちごころとなり、地沸が厚くつき、地景がしきりに入り、白けごころを帯び、鉄色がやや黒みがかるものがある。刃文は来国安に擬せられる一類では中直刃を基調に小互の目を交え、足が入り、刃縁にほつれ・喰違刃・二重刃が現れ、沸がよくついて匂口が明るい。一方、守弘ら国安系の作では互の目調の乱れ刃となり、丁子ごころや尖りごころの刃を交え、飛焼が入り、棟焼がしきりにかかり、砂流し・金筋がかかって地刃ともによく沸づくものが目立つ。帽子は直ぐごころに小丸となるもの、乱れ込んで掃きかけるもの、焼き詰めるものなど作により変化する。見分けにあたっては、肌立ちと白けごころ、黒みがかる鉄色、帽子に見える野趣ある働きなどが手掛かりとなる。 鑑定では、一見すると山城本国の来国光あたりにも見えるが、注視すれば地刃の出来に一歩を譲り、肌立ちが強く帽子の働きが本国以上に野趣を示すところに、来国安の極めが首肯される、と説示はくり返し述べる。守弘の作は互の目調の乱れ刃で地刃ともによく沸え、来風とは趣を異にするとされ、有銘作が珍重される。代表的な遺例としては、無銘ながら身幅広く大鋒に結ぶ南北朝期の姿を示す来国安極めの刀、互の目調の乱れ刃を焼いた守弘の太刀や年紀ある脇指、越前敦賀の光行の年紀短刀などが説示に挙げられる。現存する作刀は少なく、来派の正系を越前に伝えた一門として位置づけられている。
販売店の出品ページで鑑定書を確認できませんでした。日本刀および刀装具は通常、NBTHK(または NTHK)の鑑定を受けます。鑑定書がない場合、極めは販売店の見解にとどまり、第三者による確認は行われていません。ご購入前に販売店へ鑑定書の有無をお問い合わせのうえ、慎重にご判断ください。
返品をご希望の場合、お客様が受領されてから3日以内にお知らせください。この期間を過ぎますとキャンセルはお受けできかねますので何卒ご了承ください。なお当社へのご返送は、5営業日以内の発送をお願いしております。なおキャンセルは販売した当時の状態がそのまま保持されている事が条件となりますのでお取り扱いには十分ご注意下さい。
番号:AS25039 刀:白鞘入り、拵付き(日本美術刀剣保存協会 特別保存刀剣) 銘:無銘(来国安) 弊社では刀工の出来を最上作、上々作、上作、普通作の四段階に分類しております。 本作、来国安と鑑定された刀は、その中でも「上々作」にランクされる逸品です。 ハバキ:金着二重ハバキ 長さ:71.1 cm (2.35尺) 反り:2.0 cm (0.66寸) 目釘穴:3個 元幅:2.98 cm 先幅:2.16 cm 重ね:0.53 cm 刀身重量:g 時代:南北朝時代初期 体配:大磨上無銘。表裏に棒樋を掻き通し、反り深く、大切っ先となる。 地鉄:小板目肌よく詰み、精良な肌合いとなる。 刃文:直刃調に小足入り、上部に向かって乱れが目立つ。 帽子は長く、乱れ込んで返る。 特徴: 来国安は来一派から越前へ移住した刀工で、来派の伝統に越前刀工の特色を融合させた作風で知られます。 古書には鎌倉末期とする説もありますが、本作の体配から南北朝後期から応永頃の製作と推測されます。 一般に明るい冴えた刃を焼き、肌立ち、映りが現れるのが特徴です。 拵: 鍔:鉄地縦丸形、透かし彫りに金の色絵を施す。 縁頭:赤銅地、文様を刻む。 鞘:黒呂色塗り鞘。 目釘:鳥の図、金象嵌。 日本美術刀剣保存協会 特別保存刀剣鑑定書 葵美術評価鑑定書 全身押し形 ※送料は価格に含まれておりません。 オークション開始価格:1,250,000円 入札する 関連作品: 刀:(金象嵌銘) 来国俊 本阿弥(花押) (朱銘) (光忠) (朱銘不詳) (第25回特別重要刀剣) 刀:無銘 (伝綾小路) (特別保存刀剣) (拵付き)





Chiyozuru (Echizen), Rai-derived · 越前 · 1345-1350頃
刀剣大鑑 上位17%
現在1点販売中
千代鶴国安と朱銘を帯びた大太刀が熱田神宮に伝えられている。この工の名が最も直截に遺るのはこうした奉納の大太刀においてであって、指定の遺品はそのほとんどが大磨上無銘で、来国安と伝える刀だからである。公刊資料は国安を生国山城の人とし、一説に来国末の孫として、「のち越前に移住し千代鶴派の祖となった」[[c:1]]と伝える。銘鑑はその年代を南北朝期の貞治・貞治頃に置き、「銘鑑はその年代を貞治ころとしている」[[c:2]]と記す。その作風は山城本国から越前へ移された来として、これを受けた地の地方色を帯びて鑑せられ、一見すれば「一見山城本国の来国光あたりにも見える」[[c:3]]が、注視すれば僅かに一歩を譲るのみで、ゆえに公刊の記録の言う通り「所伝は認められる」[[c:4]]。
本国と分かつ見どころは地鉄にある。山城来派がよくつんだ精美な板目を鍛えるのに対し、国安の板目は杢目・処々流れ肌を交え、やや肌立つ。この肌立ちごころを公刊資料はその地方色と読む。肌立つ地に地沸が厚く、時に微塵につき、地景が頻りに入り、鉄色はやや黒みがかって白けごころとなる。公刊の評はこれを極めの決め手とし、地鉄が肌立ち白けごころとなり黒みがかるがゆえに「ここに来国安の極めが首肯される」[[c:5]]とし、その作を本国のものにあらず彼のものと判ずる。
刃文は中直刃に小互の目を交え、基調に極く浅くのたれごころを帯びることもある。刃縁の働きは本国以上に変化に富み、ほつれ・喰違刃・処々二重刃が現われ、足・葉が入り、沸厚くつき部分的に一際光の強い荒めの沸を交え、明るい匂口に金筋・砂流しが細かにかかる。帽子は静かに小丸へ掃きかけるものから、表が沸崩れ状となり裏に盛んに掃きかけて火焰風に返るものまでがある。ある南北朝期の刀について公刊資料は、これらの特色が「地刃に南北朝期の来派の特色をよく現わしている」[[c:6]]と記し、地方色の下になお来の血脈が読み取れるとする。
この一様の典型作域の中で、遺品は静から動への一軸に沿って広がる。静の側には、中直刃が殆ど直ぐに焼かれ、働きが刃縁の僅かなほつれと喰違刃ごころに留まる作が立つ。動の側に立つのが、銘鑑が貞治頃とする第六十一回重要刀剣の刀で、明るい刃中に「一際光の強い荒めの沸」[[c:7]]がきらめき、帽子が火焰風に返る。この刀について公刊資料は、「帽子にも山城本国以上に野趣ある働きが目立って」[[c:8]]と評し、働きの過剰そのものを地方の工房の印として挙げる。遺品は殆ど例外なく大磨上無銘であり、その極めは在銘ではなくこの地刃の読みに拠る。唯一の例外が、かの朱銘の大太刀である。
公刊資料は国安を、対比によってではなく、類似と僅かな距離によってその一派の中に位置づける。上には山城来派があり、来国光と一見見紛うほどに近い。その差は精美の度であって、本国の地刃が一段の冴えを保つところを彼は譲る。下には千代鶴派があり、彼はその祖、すなわち越前千代鶴の工房が出づる工であって、彼の作を本国と分かつ肌立つ地鉄・黒みがかり白けごころとなる鉄色・野趣ある刃縁と帽子こそが、その地方伝を開く地方色である。明るい乱れの働きと最も動く作の荒く光る沸とは、彼自身の地刃の言葉によって彼を際立たせる、北国に野趣を帯びた来の手である。
藤代に格付の記載はなく、指定も多くはない。重要刀剣五口、うち国宝・重要文化財・特別重要刀剣はなく、五口のうち四口が来国安の極めの大磨上無銘の刀、一口は別人の手にかかる在銘の美濃物である。これらの刀に大名家への古い伝来は記録されない。公の社に遺るのは熱田神宮蔵の朱銘の大太刀であり、これは流通する物としてではなく社宝として護られた一口で、彼の名が最も平明に読まれるのは市中ではなくこの奉納の大太刀においてである。彼の指定作はいずれも不可譲の文化財として留め置かれてはおらず、僅かな重要刀剣の刀は流通の級にある。とはいえ、千代鶴派の祖に確かに極められた一口に出会うことは稀であり、これに出会う蒐集家は、越前の鉄を通して読まれる来の血脈に出会うのである。
國安の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
山城伝 · 越前
現在10点販売中
千代鶴派は越前を本拠とした一門である。説示によれば、その祖は来国安に求められる。来国安は生国を山城とし、一説に来国末の孫といい、のちに越前へ移住して千代鶴派の祖となったと伝え、銘鑑はその年代を貞治の頃とする。あわせて越前には来国安の弟子と伝える千代鶴国安なる工があり[[c:1]]、これを祖とする伝えもあって、時代を同じく貞治の頃という。いずれにせよ一門は山城の来派を源流に置き、これを越前の地に移したものとして説示は位置づけている。以後この派は室町期まで続き、国安系の守弘が現れる。守弘は同名に複数代があり、銘鑑は初代を応永、二代を嘉吉あるいは文安の頃とし、藤左衛門尉と称した者もあるという。さらに越前敦賀の光行のごとく[[c:2]]、一説に越前国行の門と伝える年紀作の工も説示に名を連ねる。 作風は、来派を承けた地刃に越前という地方色が加わる点に特徴がある。鍛えは板目に杢目や流れ肌を交え、総じて肌立ちごころとなり、地沸が厚くつき、地景がしきりに入り、白けごころを帯び、鉄色がやや黒みがかるものがある。刃文は来国安に擬せられる一類では中直刃を基調に小互の目を交え、足が入り、刃縁にほつれ・喰違刃・二重刃が現れ、沸がよくついて匂口が明るい。一方、守弘ら国安系の作では互の目調の乱れ刃となり、丁子ごころや尖りごころの刃を交え、飛焼が入り、棟焼がしきりにかかり、砂流し・金筋がかかって地刃ともによく沸づくものが目立つ。帽子は直ぐごころに小丸となるもの、乱れ込んで掃きかけるもの、焼き詰めるものなど作により変化する。見分けにあたっては、肌立ちと白けごころ、黒みがかる鉄色、帽子に見える野趣ある働きなどが手掛かりとなる。 鑑定では、一見すると山城本国の来国光あたりにも見えるが、注視すれば地刃の出来に一歩を譲り、肌立ちが強く帽子の働きが本国以上に野趣を示すところに、来国安の極めが首肯される、と説示はくり返し述べる。守弘の作は互の目調の乱れ刃で地刃ともによく沸え、来風とは趣を異にするとされ、有銘作が珍重される。代表的な遺例としては、無銘ながら身幅広く大鋒に結ぶ南北朝期の姿を示す来国安極めの刀、互の目調の乱れ刃を焼いた守弘の太刀や年紀ある脇指、越前敦賀の光行の年紀短刀などが説示に挙げられる。現存する作刀は少なく、来派の正系を越前に伝えた一門として位置づけられている。
販売店の出品ページで鑑定書を確認できませんでした。日本刀および刀装具は通常、NBTHK(または NTHK)の鑑定を受けます。鑑定書がない場合、極めは販売店の見解にとどまり、第三者による確認は行われていません。ご購入前に販売店へ鑑定書の有無をお問い合わせのうえ、慎重にご判断ください。
返品をご希望の場合、お客様が受領されてから3日以内にお知らせください。この期間を過ぎますとキャンセルはお受けできかねますので何卒ご了承ください。なお当社へのご返送は、5営業日以内の発送をお願いしております。なおキャンセルは販売した当時の状態がそのまま保持されている事が条件となりますのでお取り扱いには十分ご注意下さい。