HOME » 日本刀 » 【販売済】【南北朝末期】 刀 無銘 伝 三原正信 古刀(保存刀剣鑑定書付) 拵え白鞘付き 【2尺0寸3分半 61.8cm 刀身602g・樋なし】 0万円 YK-25 【販売済】【南北朝末期】 刀 無銘 伝 三原正信 古刀(保存刀剣鑑定書付) 拵え白鞘付き 【2尺0寸3分半 61.8cm 刀身602g・樋なし】 0万円 YK-25 国・時代 備後 南北朝末~応永頃 スペック 刃長 61.8cm(2尺3分5厘) 反り 1.2 穴 4 刃文 直刃調小足入る 元幅 27.3mm 元重 7.2mm 物打幅 22.2mm 物打重 5.7mm 横手幅 17mm 横手重 4.5mm 裸身 602g 鞘払い 710g 備考: 茎長 棟マチから15cm5寸弱 付属 打刀拵え 白鞘 全長約95.5cm 金鍍金祐乗ハバキ 付属:保存刀剣鑑定書 【販売済】【南北朝末期】 刀 無銘 伝 三原正信 古刀(保存刀剣鑑定書付) 拵え白鞘付き 【2尺0寸3分半 61.8cm 刀身602g・樋なし】 0万円 YK-25 販売価格 0円(税込) 在庫 在庫切れ 返品についての詳細はこちら お客様の声を見る この商品について問い合わせる 友達にメールですすめる この商品のURLを携帯に送る 再入荷通知 シェア ツイート 状態評価 1 2 3 4 5 重心 2 先(切先) やや先 中間 やや手前 手前(鍔) 斬り 2 竹斬り 藁竹両様 藁斬り 藁良斬り 藁特良斬り 刃音 1 樋なし 音弱い 音並 音良い 音特良い 鑑賞 3.5 要鑑賞研ぎ ヒケ、鍛傷、 錆有 ヒケ、鍛傷、薄錆少有 ほぼキレイ >研ぎ上げ済 柄 4 要工作修理 巻きほつれ有 使用可能 使用感有 新規作成 鞘 4 要工作修理 使用可能 時代相応の塗り小傷有 鯉口内傷少有 塗美品 新規作成 ■コメント 本作は 約640年前 のお刀になります。 三原は、鎌倉末期から室町期にかけて備後国三原の地に栄えた一派になります。 鎌倉末期正和頃の正家を祖とすると伝え、代表工には正家・正広を始め、正光・政清・正信・政広らがおります。 備後国には大和の諸大寺の荘園があったため、大和鍛冶が移り住んでおり作風は大和物の影響が出ています。正信は南北朝時代永和頃から明徳にかけての年紀作が存在しています。 鎌倉から南北朝期は古三原、室町が三原、室町末を末三原と区分され、本作は南北朝末期の作品でその特徴からも 古三原 と言えます。 さて、本刀ですが元先身幅差が付いて、大すり上げの為現在はやや腰反り付いて打刀の体配、切先は小さ目で当時の面影を残しています。 刃紋は一見おとなしめの匂出来中直刃に見えますが、仔細に見ていくと刃沸に絡んで二重刃や小足が入り、なるほどそう言う事かと、見所も有り鑑定眼のある方には納得して頂けると思います。 地金は板目良く練れて刃寄りと鎬地には柾がかった肌が見て取れます。鎬筋に沿って淡い映りも見て取れます。 茎の4個の目釘穴を見るに、いったい何人の腰に収まってきたのでしょうか。 とにかくとても気に入られ、何度も拵え直し南北朝期、室町戦国時代、江戸期や幕末も生き残ってきたのでしょう。 廃刀令後も第一次世界大戦、第二次世界大戦、関東大震災など天災をも退けて、侍遺伝子を持つ方達によって可愛いがられ、640年もの時を紡いできた強運のお刀です。 家宝としてお守り刀として保存されるのも良いかと思います。 きっと受け継いだご子孫の心に響くと思います。 無銘の三原正信は特別保存が付いて70万円から80万円プラス税で取引されています。 保存刀剣、拵え付きであれば、お求めやすいのではないでしょうか。 ご連絡お待ちしております。 VISA Master JCB AMEX Diners カード各種、分割払い・ボーナス払い ローソン ファミマ ミニストップ コンビニ払い 楽天Edy VIZA 分割払い、現金+カード支払い、下取り刀+カード支払い等、 お支払方法の相談にも対応致します。 お気軽にご相談ください。 ※スペックについては手計の為、多少の誤差があります。 ※元幅はハバキのすぐ上を計測、物打は切先から約20cmで計測しています。斬りについては体配についての評価です。刀の状態によっては試斬研ぎを必要とする場合があります。(別途相談) ※状態評価については店主の主観です。状態を保証するものではありません。 ※鍔の変更による重心移動、樋の深彫による音の改善、重量軽減、柄の変更、鞘塗、鑑賞研ぎ、居合研ぎ、試斬抜刀研ぎ等、各種ご相談に応じます。お気軽にお問い合わせください。
無銘 · Mihara · 南北朝 · 長さ 61.8cm · 反り 1.2cm



Ko-Mihara (Bingo) · 備後 · 1376-1394頃
刀剣大鑑 上位26%
現在3点販売中
正信の作で年代の確かな拠り所は、指表に細鏨で長銘を切り、裏に年紀を留めた、「備州正信」銘・明徳五年すなわち一三九四年の太刀である。彼は備後国古三原派の刀工で、南北朝末期に活躍し、いま一口の作には更に遡る永和二年(一三七六)の年紀があって、現存する二口の年紀作がその活躍を南北朝最末の数十年に確と据える。説明書は彼を正家・正広と共に古三原の代表格に数え、同派の正宗と共に「正宗・正信等はその最後を飾る刀工であろう」[[c:1]]と、一派の最後を飾る工の一人に挙げる。三原派は鎌倉時代末期に興り室町時代末期に至るまで繁栄し、その鎌倉末期より南北朝期にかけてのものを古三原と総称する。その作に色濃い大和気質は、備後に存した東寺や蓮華王院など大和中央の社寺の荘園を介した、大和との交流に説かれる。
彼の手は一派の手であり、しかも静かな手である。板目に杢・流れ肌を交えて平らに臥さず立ち、刃寄りで柾へ流れる地鉄の上に、焼の低い穏やかな直刃を焼く。直刃あるいは中直刃で、処々に浅くのたれを帯び、乱れに作らず小互の目・小乱れを僅かに交える。刃縁にはほつれ・喰違刃・二重刃がかかり、小足が入り、金筋・砂流しが細かに刃中を走る。匂口に小沸がつき、締まって冴え立つよりはむしろ沈みごころとなるが、上出来の作では明るく冴える。説明書はその出来が地味であることに率直でありながら、「直刃の出来も地味ながら同派の持前をよく示して」[[c:2]]と、その直刃が地味なりに一派の持前をよく示し、すべてに無難な出来であるとする。彼は乱れに作らぬ直刃の抑制と均しさによって判ぜられる工であり、小互の目はその静かな線に繰り返し打たれる句読点である。
地鉄こそ、一派が最もよく己を標す処である。板目は立ち、肌目が細かに立って、かな色は青黒味を帯び、その上に白け映りが立つ。地沸が細かにつき、立つ鍛えに地斑・地景風のかねが入り、処々に地斑状の肌合を交える。この白く立つ地鉄に、柾へ転ずる流れ肌と、直ぐに掃きかけて小丸あるいは大丸ごころに返る穏やかな帽子を併せたものこそ、評者が三原物に行き渡る大和気質を読む際の念頭にあるところである。評者は一派の作風を端的に述べる。大和本国に比べ地刃の沸が一般に弱く、杢が目立って肌立ち、白け映りが立ち、刃文は匂口がしまりごころで、帽子も穏やかに丸く返る、と。正信の刀身もほぼ例外なくこの基調を守り、青黒味を帯びた地鉄は味わいが深く、匂口締まり心の直刃はその最も優れた一口で明るく冴える。
現存作は二つの作域に分かれ、その稀なる方が在銘である。在銘作は長銘「備州正信」と永和ないし明徳の年紀を帯びた、生ぶ茎または僅かに磨上の太刀であり、その数は極めて少ない。正信有銘、就中有年紀の作は古来その例の殆んどなかったものとされ、江戸時代以来の銘鑑の中には「この太刀のみを載せている」[[c:3]]ものがあるほどである。その一口は変った菖蒲造の造込みであり、説明書はこうした姿が大和の影響の濃い三原に間々見受けられるとする。今一つの作域は磨上・折返銘の作で、鎬造で鎬やや高く、三字の折返銘あるいは極めがその名を伝える。彼の作が多く出会われるのはこれらであって、肌立つ白けた板目、白け映り、彼と一派の共有する二重刃が、これを彼の作として留める。銘鑑は年紀作に基づいてその活躍を永和・明徳に置き、これを南北朝期に確と据える。
彼を分かつものは、他派との対比よりも彼自身の特色によって述べるのが最も良い。説明書は『新刊秘伝抄』が三原物の「面ぶり備中太刀に似たり」[[c:4]]とするのを引き、彼の作の一部が一見隣国の青江物に似ることを認めながら、「鎬高の造り込みや地に現われた白け映り、また刃中の二重刃・喰違刃等に一派の特色を見出し得る」[[c:5]]として、鎬高の造込み・地の白け映り・刃中の二重刃や喰違刃に一派の特色を見出し、これを三原物と決する。二重刃そのものは個性というより一派の習いであり、記録は正信に他にも二重刃を示した作例があり、同派の正家や正広にも同手のものが存することを指摘する。彼の作を賞する同じ文は、その個性については率直で、「地刃に同工の特色と云うよりも同派の特色が濃く」[[c:6]]、地刃に同工の個性よりも同派の特色が濃いとする。ゆえに彼はまず古三原の工として、次いで正信として判ぜられる。
正信は収集家の獲物というよりは鑑識家の名であり、その記録はその規模について率直である。刀工大鑑はこれを中位の数に評し、公の記録に載る彼の刀身は四口を数え、そのいずれもが重要刀剣の位である。国宝も重要文化財も特別重要も無い。残る作は第一級の伝来を帯びる。明徳五年の太刀は加賀百万石の前田家に伝わり、江戸中期の黒臘色塗の打刀拵を今に附属し、小太刀は彦根藩主井伊家に伝来して、説明書はこれを「現存稀な古三原正信の在銘作として資料的にも貴重である」[[c:7]]とする。この位の指定刀はその多くが伝えられて市場に出ず、現存僅少の在銘年紀の正信が市に現れることは極めて稀である。磨上・折返銘の作はその見出しやすい面であり、時折一口が現れて、古刀諸派を学ぶ忍耐強い者に、備後の大和の影響を受けた手の、健全で典型的な一例を、すなわち丁寧な鑑定を築くに足る確かな一口を供する。
正信の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
在銘年紀作が示す、確実に活動していた年代
大和伝 · 備後
時期区分: 古三原· 1288–1393
現在12点販売中
備後国三原派は鎌倉時代末期に興り、室町時代末期に至るまで連綿と作刀を続けたが、その一派のうち鎌倉末期より南北朝期にかけてのものを古三原と汎称し、正家・正広を双璧として、ほかに正信・親次らの工が知られる。同派の繁栄した三原の地には、東寺・蓮華王院をはじめとする大和中央の大社寺の荘園が多く置かれ、畿内中央との交流が頻繁に行われていた。それゆえ三原派の作風には大和気質が色濃く窺われ、初期の工はこの大和の影響を受けて南北朝の動乱期に一派の基礎を築いた。一方で隣国備中の青江風を示した出来も見られ、地理的な交わりのなかから独自の作域を養った点に、この区分の成り立ちがある。 この区分の作は、大和伝を母胎としながらも清雅かつ精良な初期の持ち味を備えている。鍛えは板目に杢目や流れ肌が交じって柾がかり、総体に肌立ちごころとなり、地沸が微塵によくつき、地景が細かに入って、淡く白け映りが立つ。刃文は中直刃を基調に小互の目や小乱れを交え、小足・葉がよく入り、刃縁には細かなほつれ・喰違い刃を交えて、洗練された直刃に変化を見せる。匂口は締まりごころに小沸がよくつき、金筋・砂流しがかかり、帽子は直ぐ調に焼詰め風あるいは掃きかけとなって穏やかに返るのが常である。大和本国のものに比して地刃の沸がやや弱く、白けごころを帯びる点も見どころとなる。後代の末三原が次第に作域を狭め質を落としていくのに対し、古三原は地刃の働きが豊かで、匂口の冴えと地鉄の精良さにおいて一段と清雅・精良であり、ここに両区分の差がはっきりとあらわれる。 鑑定にあたっては、まず大和奈良の諸派との別が要点となる。鎬の高い造込みや直刃調の作風は手白沢や保昌などと紛れやすいが、地鉄に杢が一際目立ち、白け映りが立ち、匂口が締まって沈みごころとなる点に三原物の見どころが示される。あわせて末三原との見極めも肝要で、初期の清雅な地刃と後代のやや緩んだ出来との差を読むことになる。主要工は正家と正広で、正家には豪壮な大鋒の作例が多く、正広には中鋒の尋常なものが多いと伝える。同派は大和気質ゆえに在銘の遺例が乏しく、無銘の大磨上げを正家・正広と極めたものが多く伝わり、本阿弥光徳の金象嵌銘を施した一口など、後世の鑑識を経て価値を保ってきた作が知られる。伝来の面でも靖國神社の蔵刀や伊達家旧蔵の作、近衛家を経て陽明文庫に伝わったものなどがあり、古三原が長く重んじられてきた一派であることを物語っている。
銘が正しい、または無銘でも年代・国・系統を確実に指摘できる、保存に値する真正の作と鑑定されたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトHOME » 日本刀 » 【販売済】【南北朝末期】 刀 無銘 伝 三原正信 古刀(保存刀剣鑑定書付) 拵え白鞘付き 【2尺0寸3分半 61.8cm 刀身602g・樋なし】 0万円 YK-25 【販売済】【南北朝末期】 刀 無銘 伝 三原正信 古刀(保存刀剣鑑定書付) 拵え白鞘付き 【2尺0寸3分半 61.8cm 刀身602g・樋なし】 0万円 YK-25 国・時代 備後 南北朝末~応永頃 スペック 刃長 61.8cm(2尺3分5厘) 反り 1.2 穴 4 刃文 直刃調小足入る 元幅 27.3mm 元重 7.2mm 物打幅 22.2mm 物打重 5.7mm 横手幅 17mm 横手重 4.5mm 裸身 602g 鞘払い 710g 備考: 茎長 棟マチから15cm5寸弱 付属 打刀拵え 白鞘 全長約95.5cm 金鍍金祐乗ハバキ 付属:保存刀剣鑑定書 【販売済】【南北朝末期】 刀 無銘 伝 三原正信 古刀(保存刀剣鑑定書付) 拵え白鞘付き 【2尺0寸3分半 61.8cm 刀身602g・樋なし】 0万円 YK-25 販売価格 0円(税込) 在庫 在庫切れ 返品についての詳細はこちら お客様の声を見る この商品について問い合わせる 友達にメールですすめる この商品のURLを携帯に送る 再入荷通知 シェア ツイート 状態評価 1 2 3 4 5 重心 2 先(切先) やや先 中間 やや手前 手前(鍔) 斬り 2 竹斬り 藁竹両様 藁斬り 藁良斬り 藁特良斬り 刃音 1 樋なし 音弱い 音並 音良い 音特良い 鑑賞 3.5 要鑑賞研ぎ ヒケ、鍛傷、 錆有 ヒケ、鍛傷、薄錆少有 ほぼキレイ >研ぎ上げ済 柄 4 要工作修理 巻きほつれ有 使用可能 使用感有 新規作成 鞘 4 要工作修理 使用可能 時代相応の塗り小傷有 鯉口内傷少有 塗美品 新規作成 ■コメント 本作は 約640年前 のお刀になります。 三原は、鎌倉末期から室町期にかけて備後国三原の地に栄えた一派になります。 鎌倉末期正和頃の正家を祖とすると伝え、代表工には正家・正広を始め、正光・政清・正信・政広らがおります。 備後国には大和の諸大寺の荘園があったため、大和鍛冶が移り住んでおり作風は大和物の影響が出ています。正信は南北朝時代永和頃から明徳にかけての年紀作が存在しています。 鎌倉から南北朝期は古三原、室町が三原、室町末を末三原と区分され、本作は南北朝末期の作品でその特徴からも 古三原 と言えます。 さて、本刀ですが元先身幅差が付いて、大すり上げの為現在はやや腰反り付いて打刀の体配、切先は小さ目で当時の面影を残しています。 刃紋は一見おとなしめの匂出来中直刃に見えますが、仔細に見ていくと刃沸に絡んで二重刃や小足が入り、なるほどそう言う事かと、見所も有り鑑定眼のある方には納得して頂けると思います。 地金は板目良く練れて刃寄りと鎬地には柾がかった肌が見て取れます。鎬筋に沿って淡い映りも見て取れます。 茎の4個の目釘穴を見るに、いったい何人の腰に収まってきたのでしょうか。 とにかくとても気に入られ、何度も拵え直し南北朝期、室町戦国時代、江戸期や幕末も生き残ってきたのでしょう。 廃刀令後も第一次世界大戦、第二次世界大戦、関東大震災など天災をも退けて、侍遺伝子を持つ方達によって可愛いがられ、640年もの時を紡いできた強運のお刀です。 家宝としてお守り刀として保存されるのも良いかと思います。 きっと受け継いだご子孫の心に響くと思います。 無銘の三原正信は特別保存が付いて70万円から80万円プラス税で取引されています。 保存刀剣、拵え付きであれば、お求めやすいのではないでしょうか。 ご連絡お待ちしております。 VISA Master JCB AMEX Diners カード各種、分割払い・ボーナス払い ローソン ファミマ ミニストップ コンビニ払い 楽天Edy VIZA 分割払い、現金+カード支払い、下取り刀+カード支払い等、 お支払方法の相談にも対応致します。 お気軽にご相談ください。 ※スペックについては手計の為、多少の誤差があります。 ※元幅はハバキのすぐ上を計測、物打は切先から約20cmで計測しています。斬りについては体配についての評価です。刀の状態によっては試斬研ぎを必要とする場合があります。(別途相談) ※状態評価については店主の主観です。状態を保証するものではありません。 ※鍔の変更による重心移動、樋の深彫による音の改善、重量軽減、柄の変更、鞘塗、鑑賞研ぎ、居合研ぎ、試斬抜刀研ぎ等、各種ご相談に応じます。お気軽にお問い合わせください。
無銘 · Mihara · 南北朝 · 長さ 61.8cm · 反り 1.2cm



Ko-Mihara (Bingo) · 備後 · 1376-1394頃
刀剣大鑑 上位26%
現在3点販売中
正信の作で年代の確かな拠り所は、指表に細鏨で長銘を切り、裏に年紀を留めた、「備州正信」銘・明徳五年すなわち一三九四年の太刀である。彼は備後国古三原派の刀工で、南北朝末期に活躍し、いま一口の作には更に遡る永和二年(一三七六)の年紀があって、現存する二口の年紀作がその活躍を南北朝最末の数十年に確と据える。説明書は彼を正家・正広と共に古三原の代表格に数え、同派の正宗と共に「正宗・正信等はその最後を飾る刀工であろう」[[c:1]]と、一派の最後を飾る工の一人に挙げる。三原派は鎌倉時代末期に興り室町時代末期に至るまで繁栄し、その鎌倉末期より南北朝期にかけてのものを古三原と総称する。その作に色濃い大和気質は、備後に存した東寺や蓮華王院など大和中央の社寺の荘園を介した、大和との交流に説かれる。
彼の手は一派の手であり、しかも静かな手である。板目に杢・流れ肌を交えて平らに臥さず立ち、刃寄りで柾へ流れる地鉄の上に、焼の低い穏やかな直刃を焼く。直刃あるいは中直刃で、処々に浅くのたれを帯び、乱れに作らず小互の目・小乱れを僅かに交える。刃縁にはほつれ・喰違刃・二重刃がかかり、小足が入り、金筋・砂流しが細かに刃中を走る。匂口に小沸がつき、締まって冴え立つよりはむしろ沈みごころとなるが、上出来の作では明るく冴える。説明書はその出来が地味であることに率直でありながら、「直刃の出来も地味ながら同派の持前をよく示して」[[c:2]]と、その直刃が地味なりに一派の持前をよく示し、すべてに無難な出来であるとする。彼は乱れに作らぬ直刃の抑制と均しさによって判ぜられる工であり、小互の目はその静かな線に繰り返し打たれる句読点である。
地鉄こそ、一派が最もよく己を標す処である。板目は立ち、肌目が細かに立って、かな色は青黒味を帯び、その上に白け映りが立つ。地沸が細かにつき、立つ鍛えに地斑・地景風のかねが入り、処々に地斑状の肌合を交える。この白く立つ地鉄に、柾へ転ずる流れ肌と、直ぐに掃きかけて小丸あるいは大丸ごころに返る穏やかな帽子を併せたものこそ、評者が三原物に行き渡る大和気質を読む際の念頭にあるところである。評者は一派の作風を端的に述べる。大和本国に比べ地刃の沸が一般に弱く、杢が目立って肌立ち、白け映りが立ち、刃文は匂口がしまりごころで、帽子も穏やかに丸く返る、と。正信の刀身もほぼ例外なくこの基調を守り、青黒味を帯びた地鉄は味わいが深く、匂口締まり心の直刃はその最も優れた一口で明るく冴える。
現存作は二つの作域に分かれ、その稀なる方が在銘である。在銘作は長銘「備州正信」と永和ないし明徳の年紀を帯びた、生ぶ茎または僅かに磨上の太刀であり、その数は極めて少ない。正信有銘、就中有年紀の作は古来その例の殆んどなかったものとされ、江戸時代以来の銘鑑の中には「この太刀のみを載せている」[[c:3]]ものがあるほどである。その一口は変った菖蒲造の造込みであり、説明書はこうした姿が大和の影響の濃い三原に間々見受けられるとする。今一つの作域は磨上・折返銘の作で、鎬造で鎬やや高く、三字の折返銘あるいは極めがその名を伝える。彼の作が多く出会われるのはこれらであって、肌立つ白けた板目、白け映り、彼と一派の共有する二重刃が、これを彼の作として留める。銘鑑は年紀作に基づいてその活躍を永和・明徳に置き、これを南北朝期に確と据える。
彼を分かつものは、他派との対比よりも彼自身の特色によって述べるのが最も良い。説明書は『新刊秘伝抄』が三原物の「面ぶり備中太刀に似たり」[[c:4]]とするのを引き、彼の作の一部が一見隣国の青江物に似ることを認めながら、「鎬高の造り込みや地に現われた白け映り、また刃中の二重刃・喰違刃等に一派の特色を見出し得る」[[c:5]]として、鎬高の造込み・地の白け映り・刃中の二重刃や喰違刃に一派の特色を見出し、これを三原物と決する。二重刃そのものは個性というより一派の習いであり、記録は正信に他にも二重刃を示した作例があり、同派の正家や正広にも同手のものが存することを指摘する。彼の作を賞する同じ文は、その個性については率直で、「地刃に同工の特色と云うよりも同派の特色が濃く」[[c:6]]、地刃に同工の個性よりも同派の特色が濃いとする。ゆえに彼はまず古三原の工として、次いで正信として判ぜられる。
正信は収集家の獲物というよりは鑑識家の名であり、その記録はその規模について率直である。刀工大鑑はこれを中位の数に評し、公の記録に載る彼の刀身は四口を数え、そのいずれもが重要刀剣の位である。国宝も重要文化財も特別重要も無い。残る作は第一級の伝来を帯びる。明徳五年の太刀は加賀百万石の前田家に伝わり、江戸中期の黒臘色塗の打刀拵を今に附属し、小太刀は彦根藩主井伊家に伝来して、説明書はこれを「現存稀な古三原正信の在銘作として資料的にも貴重である」[[c:7]]とする。この位の指定刀はその多くが伝えられて市場に出ず、現存僅少の在銘年紀の正信が市に現れることは極めて稀である。磨上・折返銘の作はその見出しやすい面であり、時折一口が現れて、古刀諸派を学ぶ忍耐強い者に、備後の大和の影響を受けた手の、健全で典型的な一例を、すなわち丁寧な鑑定を築くに足る確かな一口を供する。
正信の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
在銘年紀作が示す、確実に活動していた年代
大和伝 · 備後
時期区分: 古三原· 1288–1393
現在12点販売中
備後国三原派は鎌倉時代末期に興り、室町時代末期に至るまで連綿と作刀を続けたが、その一派のうち鎌倉末期より南北朝期にかけてのものを古三原と汎称し、正家・正広を双璧として、ほかに正信・親次らの工が知られる。同派の繁栄した三原の地には、東寺・蓮華王院をはじめとする大和中央の大社寺の荘園が多く置かれ、畿内中央との交流が頻繁に行われていた。それゆえ三原派の作風には大和気質が色濃く窺われ、初期の工はこの大和の影響を受けて南北朝の動乱期に一派の基礎を築いた。一方で隣国備中の青江風を示した出来も見られ、地理的な交わりのなかから独自の作域を養った点に、この区分の成り立ちがある。 この区分の作は、大和伝を母胎としながらも清雅かつ精良な初期の持ち味を備えている。鍛えは板目に杢目や流れ肌が交じって柾がかり、総体に肌立ちごころとなり、地沸が微塵によくつき、地景が細かに入って、淡く白け映りが立つ。刃文は中直刃を基調に小互の目や小乱れを交え、小足・葉がよく入り、刃縁には細かなほつれ・喰違い刃を交えて、洗練された直刃に変化を見せる。匂口は締まりごころに小沸がよくつき、金筋・砂流しがかかり、帽子は直ぐ調に焼詰め風あるいは掃きかけとなって穏やかに返るのが常である。大和本国のものに比して地刃の沸がやや弱く、白けごころを帯びる点も見どころとなる。後代の末三原が次第に作域を狭め質を落としていくのに対し、古三原は地刃の働きが豊かで、匂口の冴えと地鉄の精良さにおいて一段と清雅・精良であり、ここに両区分の差がはっきりとあらわれる。 鑑定にあたっては、まず大和奈良の諸派との別が要点となる。鎬の高い造込みや直刃調の作風は手白沢や保昌などと紛れやすいが、地鉄に杢が一際目立ち、白け映りが立ち、匂口が締まって沈みごころとなる点に三原物の見どころが示される。あわせて末三原との見極めも肝要で、初期の清雅な地刃と後代のやや緩んだ出来との差を読むことになる。主要工は正家と正広で、正家には豪壮な大鋒の作例が多く、正広には中鋒の尋常なものが多いと伝える。同派は大和気質ゆえに在銘の遺例が乏しく、無銘の大磨上げを正家・正広と極めたものが多く伝わり、本阿弥光徳の金象嵌銘を施した一口など、後世の鑑識を経て価値を保ってきた作が知られる。伝来の面でも靖國神社の蔵刀や伊達家旧蔵の作、近衛家を経て陽明文庫に伝わったものなどがあり、古三原が長く重んじられてきた一派であることを物語っている。
銘が正しい、または無銘でも年代・国・系統を確実に指摘できる、保存に値する真正の作と鑑定されたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
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