説明

刃長46.65センチ 反り1.2センチ 元幅26.7ミリ 元重ね5.6ミリ 物打幅22.2ミリ 物打重ね4.8ミリ 横手位置幅19.3ミリ 松葉先重ね4.3ミリ 裸身重量376グラム 室町中期~後期 The middle ~ latter period of Muromachi era 昭和61年6月24日 岐阜県登録 附属 保存刀剣鑑定書、素銅地二重はばき、白鞘 備後国三原派は、備前・備中の両国の近くにありながら、備前伝及び山城伝いずれの影響も受けず、鎌倉末期より室町末期まで一貫して大和伝を遵守しています。 従来は、正家が祖であるとされてきましたが、同工の年紀入りの作刀がいずれも南北朝期である為、最近では鎌倉末期の国分寺助国を祖とするという説が有力となっています。 年代で大きく三つに区分し、南北朝より以前を古三原、室町初中期を三原、室町末期を末三原と呼称し、古い時代から評価が高く、現在でも国の指定である重要文化財や重要美術品などに多くの作刀が指定されるなど、斯界で高く評価されています。 この脇指は、大磨上ながらも元先の幅差が開き、中切先やや延び、地鉄は小板目杢目交じりで肌立ち、刃文は匂口明るく冴えた直刃を焼き上げた作品で、刃縁には細かな変化や砂流が見られ、鋩子は直ぐに先丸く返っています。 三原の刀はよく斬れる利刀として著名で、数多の戦国武将が愛蔵しました。小疵こそありますが、戦国浪漫を感じさせる一振です。

無銘(末三原) -Mumei(Sue Mihara)- 3-935

無銘(末三原) -Mumei(Sue Mihara)- 3-935

脇差

¥176,000

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仕様

長さ

46.65 cm

反り

1.2 cm

元幅

2.67 cm

先幅

2.22 cm

流派について

Mihara School三原派

備後国三原派の起源と展開 備後国三原派は、鎌倉時代末期の正和または正中年間(一三一二〜一三二六)頃に正家を祖として興り、南北朝時代を経て室町時代末期に至るまで繁栄した一派である。一派のうち鎌倉末期より南北朝期にかけてのものを古三原と汎称し、正家・正広を双璧とし、他に正光・政清・正信・政広などの工が知られる。備後国はもとより古代から鉄製品の産地として名高く、『政事要略』の延喜十四年(九一四)の条にもその記述が見られる。この地方は永く大和の東寺や蓮華王院、高野山など畿内中央の社寺の荘園が多く置かれており、大和との交流が頻繁に行われていた。三原派の作風に大和気質が色濃く窺われるのは、こうした地理的・社会的背景によるものと推察される。 三原派の作風と技術的特質 三原派の作風は前述の如く大和気質が顕著にあらわれるものであるが、大和本国のものに比べては地刃の沸が弱いのが一般的で、独特の特色を備えている。鍛えは板目に杢目や流れ肌が交じり、処々強く流れて柾がかり、総体に肌立ちごころとなり、地沸が微塵につき、淡く白け映りが立つ点が顕著である。刃文は直刃を基調とし、細直刃調に小互の目を交えて焼き、匂口が締まりごころとなり、小沸がつき、刃縁に細かなほつれや打のけ、喰違い刃などが頻りに交じり、匂口が沈みごころとなるのが特徴的である。帽子は直ぐに小丸または大丸風に返り、先を細かに掃きかける、いわゆる「三原もの独特の滝落とし風」となって穏やかな趣を示す。姿は南北朝時代の特色を反映し、身幅が広めで元先の幅差が目立たず、反りが浅くつき、中鋒または大鋒に結んだ堂々とした体配を呈するものが多く、また鎬が高めとなり、この点にも大和気質の影響が認められる。 伝承と文化的意義 古三原の作刀は、大和伝の技術的影響を受けながらも備後国独自の個性を確立した点において、日本刀史上重要な位置を占めている。その地刃の様相に大和色を強くあらわしながらも、白け映りの立つ独特の地鉄や締まった匂口など、大和本国とは異なる特質を顕現させており、大和伝亜流としての独自性を如実に物語っている。堂々とかつ雄渾な姿形には迫力があり、刃縁にあらわれた細かな働きは味わい深く、頑健な体配と相俟って武用に適した実践的な美を備えている。藩政時代には吉川家など諸大名家に伝来したものも多く、その評価の高さが窺われる。本阿弥家による鑑定においても三原極めの折紙が数多く伝存しており、江戸時代以降の刀剣鑑賞史においても重視されてきた一派である。

刀剣商

刀心

shop.nihontou.jp

¥176,000

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