大和を支えた大寺の力は室町を通じて衰え、諸派もこれとともに細った。末手掻が古風な柾目を量産のうちに伝えている。1567年の東大寺大仏殿の炎上が、寺院の時代の幕を引いた。
重量刀身のみ610gr 出ました出ました有名な備州三原住正近刀匠の名刀が出ました。刀剣界で素晴らしく有名で一度は持ちたい刀です。有名な「大食、上戸、大餅喰然共鍛冶下手也」「おおぐいで、おおざけのみで、おおくのもちを食べるがしかし刀を作るのは下手」と素晴らしくウイットの有る銘を入れた作品を作って残している本刀はその名工備後の三原正近の名刀です。備後は現在の広島県三原です。本刀は室町時代天文18年(1549年)(477年前)の年紀の有る古い古い貴重な名刀です。時は後に天下の将軍となる徳川家康公が当時は弱小国の悲哀で東海の太守今川義元公への人質に出されてから2年後、フランシスコ・ザビエルが天文18年に鹿児島へ到着し日本でのキリスト教の布教が始った丁度その時。織田、今川、武田、北条、大内、島津氏などの有力大名が各地で勢力争いを始めた頃です。本刀の姿は元は2尺4寸程の刀を後世の武士がどうしても本正近の刀を自分の差料にしたくて自分の剣法に合わせてやや短くした刀です。刀の姿は鎬が高く元は腰反りで元身幅と先身幅の差の有る反りの少ない良い刀姿を現し、地金は板目肌に柾目肌を交え地には地景を現し、地には元から先まで鮮明な乱れ映りを現し趣が有ります。刃紋は匂い出来に小沸の付いた直調の刃に互の目を交え刃縁に小足を入れ沸が付き如何にも良く切れる刃を焼いています。研ぎの関係で帽子が良くは見えませんが三原の滝落しと言われる急に深く返った帽子でしょう。大和風が強く鎌倉時代正中頃(1324年)(702年前)大和鍛冶が三原に一部が移住した事が大変良くわかる刀です。この度古いお家の方から家代々大切にしてきた刀ですが自分達も年を取りましたので大切にして頂ける方にお安くお譲り下さいとお預かりした為に特別に超格安にて御提供いたします、皆様ゆめゆめ油断のならない様にして下さい備後三原鍛冶の代表刀匠の正近刀匠の非常に現存作少ない名刀を是非お楽しみ下さいませ。






















大和伝 · 備後 · 1532-1555頃
藤代 Jo saku · 刀剣大鑑 上位60%
現在2点販売中
大和伝 · 備後
時期区分: 末三原· 1394–1596
現在5点販売中
末三原は、備後三原派のうち室町時代に下る後期の諸工を汎称するものである。鎌倉末期から南北朝期に正家・正広らを中心として展開した古三原の作風を引き継ぎながら、その系統は室町時代を通じて備後国に存続した。備後国にはこの時期、三原のほか国分寺、法華一乗、鞆、辰房、五阿弥といった諸派が並び立って栄えており、なかでも法華一乗派は三原あるいは国分寺の一派と伝え、応永頃を初代として室町末期に及ぶ同名数代の工を擁した。法華一乗派の作風は概ね三原風を示すと伝えられ、室町期の備後鍛冶のなかで三原系の作域がなお広く受け継がれていたことが窺われる。草戸千軒の地に活躍した金次や、正盛をはじめとする貝三原の工など、この期の作者は地名や姓を冠して銘するものが多い。 末三原の作風は、古三原以来の地刃の特質を残しつつ、室町期相応の姿に移っている。鍛えは板目に杢や流れ肌が交じり、処々柾がかって総体に肌立ちごころとなり、地沸がつき、白け映りが立つ。刃文は直刃調から小互の目の連れて乱れるものまでを焼き、足が入り、小沸がつき、砂流しや金筋のかかるものがあって、焼を低く穏やかに焼くなかに大和気質が窺われる。帽子は乱れ込んで掃きかけ、あるいは焼詰風となるものがある。姿は身幅の割に寸が延びごころとなる短刀や、先反りのついた室町期の太刀姿を示すものが見られ、堂々として精美に整った古三原の体配に比べると、肌合がやや粗く立ち、匂口も沈みごころとなって、全体の調子が緩んでくる点に時代の下降が認められる。資料の限られるなかではあるが、こうした作風の弛緩が古三原と末三原とを分かつ一つの目安となる。 鑑定の上では、白け映りの立つ肌立ちごころの地鉄と、焼の低い直刃調に小互の目を交えた穏やかな刃文、掃きかけや焼詰の帽子といった大和系の名残を捉えつつ、肌の粗さと姿の崩れから室町の所為を読むことが要点となる。この期の主要な工としては、正盛をはじめとする貝三原の諸工、法華一乗の一乗・吉次・信兼ら、また草戸の金次などが知られ、いずれも在銘の遺例が乏しく、年紀作や生ぶ茎の在銘品はとりわけ資料性が高い。伝来の上でも、これらの作は備後鍛冶の一端を伝える遺品として珍重されてきた。 詳しく見る →
室町時代の大和
大和を支えた大寺の力は室町を通じて衰え、諸派もこれとともに細った。末手掻が古風な柾目を量産のうちに伝えている。1567年の東大寺大仏殿の炎上が、寺院の時代の幕を引いた。
銘が正しい、または無銘でも年代・国・系統を確実に指摘できる、保存に値する真正の作と鑑定されたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトお客様ご都合による返品の場合はお客様ご負担となります。ご了承くださいませ。弊社の誤送、商品不良等による返品の場合は弊社にて負担いたします。
¥390,000
重量刀身のみ610gr 出ました出ました有名な備州三原住正近刀匠の名刀が出ました。刀剣界で素晴らしく有名で一度は持ちたい刀です。有名な「大食、上戸、大餅喰然共鍛冶下手也」「おおぐいで、おおざけのみで、おおくのもちを食べるがしかし刀を作るのは下手」と素晴らしくウイットの有る銘を入れた作品を作って残している本刀はその名工備後の三原正近の名刀です。備後は現在の広島県三原です。本刀は室町時代天文18年(1549年)(477年前)の年紀の有る古い古い貴重な名刀です。時は後に天下の将軍となる徳川家康公が当時は弱小国の悲哀で東海の太守今川義元公への人質に出されてから2年後、フランシスコ・ザビエルが天文18年に鹿児島へ到着し日本でのキリスト教の布教が始った丁度その時。織田、今川、武田、北条、大内、島津氏などの有力大名が各地で勢力争いを始めた頃です。本刀の姿は元は2尺4寸程の刀を後世の武士がどうしても本正近の刀を自分の差料にしたくて自分の剣法に合わせてやや短くした刀です。刀の姿は鎬が高く元は腰反りで元身幅と先身幅の差の有る反りの少ない良い刀姿を現し、地金は板目肌に柾目肌を交え地には地景を現し、地には元から先まで鮮明な乱れ映りを現し趣が有ります。刃紋は匂い出来に小沸の付いた直調の刃に互の目を交え刃縁に小足を入れ沸が付き如何にも良く切れる刃を焼いています。研ぎの関係で帽子が良くは見えませんが三原の滝落しと言われる急に深く返った帽子でしょう。大和風が強く鎌倉時代正中頃(1324年)(702年前)大和鍛冶が三原に一部が移住した事が大変良くわかる刀です。この度古いお家の方から家代々大切にしてきた刀ですが自分達も年を取りましたので大切にして頂ける方にお安くお譲り下さいとお預かりした為に特別に超格安にて御提供いたします、皆様ゆめゆめ油断のならない様にして下さい備後三原鍛冶の代表刀匠の正近刀匠の非常に現存作少ない名刀を是非お楽しみ下さいませ。






















大和伝 · 備後 · 1532-1555頃
藤代 Jo saku · 刀剣大鑑 上位60%
現在2点販売中
大和伝 · 備後
時期区分: 末三原· 1394–1596
現在5点販売中
末三原は、備後三原派のうち室町時代に下る後期の諸工を汎称するものである。鎌倉末期から南北朝期に正家・正広らを中心として展開した古三原の作風を引き継ぎながら、その系統は室町時代を通じて備後国に存続した。備後国にはこの時期、三原のほか国分寺、法華一乗、鞆、辰房、五阿弥といった諸派が並び立って栄えており、なかでも法華一乗派は三原あるいは国分寺の一派と伝え、応永頃を初代として室町末期に及ぶ同名数代の工を擁した。法華一乗派の作風は概ね三原風を示すと伝えられ、室町期の備後鍛冶のなかで三原系の作域がなお広く受け継がれていたことが窺われる。草戸千軒の地に活躍した金次や、正盛をはじめとする貝三原の工など、この期の作者は地名や姓を冠して銘するものが多い。 末三原の作風は、古三原以来の地刃の特質を残しつつ、室町期相応の姿に移っている。鍛えは板目に杢や流れ肌が交じり、処々柾がかって総体に肌立ちごころとなり、地沸がつき、白け映りが立つ。刃文は直刃調から小互の目の連れて乱れるものまでを焼き、足が入り、小沸がつき、砂流しや金筋のかかるものがあって、焼を低く穏やかに焼くなかに大和気質が窺われる。帽子は乱れ込んで掃きかけ、あるいは焼詰風となるものがある。姿は身幅の割に寸が延びごころとなる短刀や、先反りのついた室町期の太刀姿を示すものが見られ、堂々として精美に整った古三原の体配に比べると、肌合がやや粗く立ち、匂口も沈みごころとなって、全体の調子が緩んでくる点に時代の下降が認められる。資料の限られるなかではあるが、こうした作風の弛緩が古三原と末三原とを分かつ一つの目安となる。 鑑定の上では、白け映りの立つ肌立ちごころの地鉄と、焼の低い直刃調に小互の目を交えた穏やかな刃文、掃きかけや焼詰の帽子といった大和系の名残を捉えつつ、肌の粗さと姿の崩れから室町の所為を読むことが要点となる。この期の主要な工としては、正盛をはじめとする貝三原の諸工、法華一乗の一乗・吉次・信兼ら、また草戸の金次などが知られ、いずれも在銘の遺例が乏しく、年紀作や生ぶ茎の在銘品はとりわけ資料性が高い。伝来の上でも、これらの作は備後鍛冶の一端を伝える遺品として珍重されてきた。 詳しく見る →
室町時代の大和
大和を支えた大寺の力は室町を通じて衰え、諸派もこれとともに細った。末手掻が古風な柾目を量産のうちに伝えている。1567年の東大寺大仏殿の炎上が、寺院の時代の幕を引いた。
銘が正しい、または無銘でも年代・国・系統を確実に指摘できる、保存に値する真正の作と鑑定されたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトお客様ご都合による返品の場合はお客様ご負担となります。ご了承くださいませ。弊社の誤送、商品不良等による返品の場合は弊社にて負担いたします。
¥390,000