説明

刃長43.71センチ 反り3.72センチ 元幅30.3ミリ 元重ね8.3ミリ 物打幅33.5ミリ 物打重ね7.0ミリ 松葉先重ね7.3ミリ 裸身重量709グラム。 江戸前期寛永頃(1624~) The early period of Edo era 昭和47年9月21日 福岡県登録 附属 銃砲刀剣研究会鑑定書、拵残欠、絡繰白鞘 新藤氏。俗名を助右衛門と称す。信國吉政初代は筑前信國十二代吉貞の子として生まれ、父、吉貞と共に豊前国(大分県)から筑前国(福岡県)へと移住しました。 父、吉貞より山城伝を学び、後年には備前国に赴いて備前伝を修めたものの、それが父の怒りを買って廃嫡され、同家を弟である吉次(二代)に譲って分家したと伝えられ、筑州信國派随一の名手として名高く、初め「平助吉貞」「平四郎」、晩年は「善雅」と銘切ります。正応二年十二月四日没。 二代吉政は元和八年に生まれ、貞享五年八月に六十七歳で没しました。初代同様に備前伝を得意としており、初代の作風を継承しています。 二代の銘振りは初代に比して、やや太鏨となるのが通例で、初代は銘文に「作」の字を用いますが、二代にはそれが見られません。 この薙刀はやや大振りで、先張って力強く、吉政が筑州信國派随一と謳われるだけあって、姿が非常に良く纏め上げられています。地鉄は小板目がよく練れて詰み、地沸付いて微細な地景が入り、刃文は匂口明るく冴えた互ノ目に互ノ目丁字と重花調の丁字を巧みに焼き上げ、刃中には足と葉が盛んに入り、金筋・稲妻がかり、物打からフクラに掛けては特に乱れが複雑さを増し、千変万化の景色を見せ、鋩子は乱れ込んで先丸く返り、鍛錬疵は見受けられず、吉政の技量の高さをまじまじと見せる薙刀の名品です。 現状は古研ぎであるため、変色程度の薄錆がわずかに見受けられますが、このままでも鑑賞に大きな支障はありません。とはいえ名品であるだけに、余力のある方にはぜひ再研磨を施し、特別保存刀剣同時審査をお受けいただきたいところです。 切断されたことこそ惜しまれるものの、拵柄の残欠が附属しております。白鞘絡繰仕掛が施された非常に手の込んだ造りで、刀身を引き抜くと白鞘の棟側が開き、納めると自動的に閉じる趣向になっています。刀身に余計な空気を当てぬよう工夫された鞘師の智慧が窺え、何とも興味深く面白い逸品です。

源信國平四郎吉政- Minamoto Nobukuni Heishiro Yoshimasa- 6-093
Tokuho

源信國平四郎吉政- Minamoto Nobukuni Heishiro Yoshimasa- 6-093

薙刀

¥550,000

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仕様

長さ

43.71 cm

反り

3.72 cm

元幅

3.03 cm

先幅

3.35 cm

流派について

Nobukuni School信国派

2 重要刀剣

信国派は山城国京都に興った名門で、その流れは南北朝時代に遡る。一派の祖と仰がれる信国は了戒系の京鍛冶で、血脈の上では来の伝統を承けながら、修業の上では相州貞宗の門に入って貞宗三哲の一人に数えられた。来の系譜と相州伝という二つの根がこの一門の作のすべてを導く。銘鑑は祖を建武に置くが、説明書はこれを繰り返し退ける。建武年間の作は残らず、現存最古の延文・貞治の年紀作が貞宗に直結することから、本会は延文・貞治の工をもって初代と見做す。南北朝の末期には永徳・至徳・明徳の代替りの信国が続き、同銘数工があったと見られる。室町初期には左衛門尉・式部丞を冠する応永信国が栄え、これを通常三代と数える。一派は後に豊前へ、さらに筑前へ移り、慶長の頃より明治初年まで福岡藩黒田家の抱え鍛冶として吉貞・吉政・吉次・吉包・重包の代々を出し、新々刀期まで栄えた。 一派に通う語法は、まず地鉄に現れる。鍛えは杢を交えた板目で、刃寄りに流れて柾となりやや肌立ち、地沸を厚くとり地景が頻りに入り、よくつんだ作には淡い沸映りが立つ。刃寄りに流れる鍛えは了戒系の所伝を首肯せしめる証とされ、厚い地沸と頻りの地景は貞宗に学んだ相州伝の痕跡として読まれる。刃文は文様の如何を問わず沸で焼かれ、砂流し・金筋が絶えず働き、匂口は明るい。その作域は二様を基とする。一つは来派の伝統を示した直刃で、中直刃・細直刃に小沸つき、細かにほつれ喰違刃・二重刃ごころを交えて京物の格調を伝える。いま一つは貞宗風ののたれ乱れで、小のたれに互の目・小互の目を交え、足・葉入り、沸厚く明るく、刃縁にほつれ湯走りがかかり、最も多く出会う作域をなす。帽子はのたれ込みまたは乱れ込んで小丸となり掃きかける。御家芸とも言うべき濃密な彫物も貞宗譲りで、梵字・素剣・護摩箸・三鈷剣・倶利迦羅を重ね彫りにし、刀身に八幡大菩薩の神号を切る作もあって、彫物によって一門を見分けうる。代を下ると差異が明瞭となる。南北朝末期の後代は一派に初めて太刀を生み、二様に加えて互の目主調の乱れ刃を新たに見せ、互の目が二つ宛連れたものを腰の低い小のたれで繋ぐ矢筈状の刃を見どころとする。応永信国は左衛門尉が「国」の字のクニ構えの中を左字に作る点を大きな鑑別点とし、直刃と互の目乱れの双方に冴えた沸を宿す。筑前に移った吉包・重包は相州伝の志向と、流れ肌の乱れ映りを伴う一派の丁子乱れとを高い技倆で並べ持ち、重包は名物写しの名手として石堂風に紛う華やかな丁子を、地沸・地景・刃中の沸の顕著さによって石堂と分かった。 鑑定の勘所は明快である。刃寄りに流れる柾がかった肌、厚い地沸と頻りの地景、沸で焼いた直刃と貞宗風ののたれ乱れ、重ね彫りの宗教彫物が一門を束ね、相州の同門とも後世の備前丁子とも分かつ拠りどころとなる。無銘極めも代の弁別も延文三年紀の作との照合によって決せられ、後代は連れ互の目と矢筈刃で、応永信国は逆字の銘で、筑前の工は流れ肌の乱れ映りで読み分けられる。藤代の極めは初代信国を上々作とし、後代から応永信国まで京古刀の上位に列し、筑前の吉包・重包は地方新刀の堅実な工として上作の評を得る。在銘作は祖において短刀・小脇指に限られて稀であり、それゆえ年紀のある後代の太刀・薙刀は何よりの好資料として貴ばれる。伝来は大名家と社寺に厚く、黒田家・浅野家・山内家・佐竹家らの蔵刀に加え、本願寺名物や富士山本宮浅間大社に奉納された式部丞の脇指がある。上位指定の多くは公私の蔵に秘められて市に現れず、在銘の信国が世に出ること自体が稀であって、現れた時は南北朝以来の山城物の蒐集で特筆すべき機会となる。

刀剣商

刀心

shop.nihontou.jp

¥550,000

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