戦国の関は一つの産業であった。春日神社を氏神と仰ぐ鍛冶たちが、中部日本の軍勢を武装させた。孫六兼元の三本杉と之定の最上作は、量産の町に第一級の技が息づいていたことの証である。
出ました出ました加賀前田家の武士であった古いお家から孫六兼元として代々伝わった名脇差が出ました。天下に有名な孫六兼元は刀剣愛好家の垂涎の的です。兼元の作品を一生の内に所持したいのは日本男子の本懐の証です。兼元家は代々孫六を称し天下に有名な作品です。本兼元は孫六兼元として伝わった脇差ですが兼元の銘から、室町時代永禄頃(1560年)(466年前)の孫六兼元系の三代目兼元の脇差でしょう。兼元は戦国時代から大業物で良く斬れると言われ余りにも有名です。加賀前田家の名物二念仏兼元は斬られた相手が念仏を2度唱えるまで切られた事が判らなかったほど切味が素晴らしかったとして名づけられた名刀です。本脇差は元身幅広く先身幅との差のある反りの有る健全な良い脇差姿を現し。地金は板目肌に良く鍛えられ、地には地沸が付き、刃紋は匂い出来に小沸の付いた家伝の三本杉の互の目尖り刃を見事に焼き如何にも物切れする兼元の刃紋です。高級武士にしか持てない江戸時代の金着せ一重はばきだけでも現在作れば20万円以上するはばきの付いた豪華な拵えが本兼元の脇差のお持ち主様の地位の高さと本兼元の脇差に一層華を添えています。この度加賀前田家の武士の古いお家の方から家代々大切にしてきた孫六兼元として伝わった脇差ですが自分達も年を取りましたので大切にして頂ける方にお安くお譲り下さいとお預かりした為に世の中に初めて出た為にお手入れ不足も有りますので特別に超格安価格にて御提供いたします、憧れの的の兼元の迫力のある脇差を是非お楽しみ下さいませ。



























Sue-Seki / Akasaka (Mino), Kanemoto line · 美濃 · 1521-1528頃
藤代 上々作 · 刀剣大鑑 上位14%
現在5点販売中
室町時代後期の美濃鍛冶のうち、説明書は兼定と並べて兼元を関の伝統の代表の一人に挙げる。名は数代が継いだが、最も技術的にすぐれているのは二代、すなわち世上「孫六兼元」と呼ばれる工であり、その力強い二字銘の作が鑑定の基準をなす。本工は美濃赤坂に住し、家は孫六を代々の通称とした。明応・永正の年紀を伴う「濃州赤坂住兼元」の長銘は初代を確定し、二字銘の作はこの賞翫される二代の手と読まれる。二字銘で年紀のある作は調査されておらず、ゆえに説明書はその極めを年紀ではなく銘振りと刃文に拠らせ、各代の区別がなお確定していないことを率直に記す。
その作の核は「三本杉」と呼ばれる刃文で、本工がその創始を帰される尖り互の目の刃文で、尖った互の目を密に連れて焼く。説明書が作ごとに立ち返るのは、二代がこれを規則正しい三つ並びに整わせない点である。すなわち「二代は互の目の頭が処々丸みをおびて変化を見せ、画一的でないのが特色である」[[c:1]]。刃は焼に高低を見せて行草に乱れ、三つのほかに「二本杉・四本杉・五本杉」[[c:2]]へと崩れる。後代の兼元が鋭角的で幾何学的になるのに対してである。足よく入り、匂口は匂勝ちに明るく、砂流しかかり、上手の作には金筋・湯走り・飛焼が集まる。ある説明はある刀を「同作中でも一段と行草に乱れた三本杉」[[c:3]]と評して際立たせる。
その刃の下にあるのが美濃の不変の地鉄である。杢を交えた板目が柾に流れてやや肌立ち、地沸細かにつき地景入り、その上に関の鉄らしい白け映りが立ち、美濃刀を示す淡い映りとなる。帽子は刃に応じ、乱れ込んで地蔵風の小丸となり、返りはしばしば倒れ、先に掃きかける。姿は豪壮で実用に即した末関の刀である。身幅やや広く先反りつよく中鋒の延びた鎬造の刀、三ツ棟・内反りの平造短刀が見られる。
すべての作が三本杉を保つわけではない。数口はこれを離れて静かな直刃を焼く。説明書はこれを常態ではなく幅の証として扱い、ある刀について「兼元には稀な直刃を焼いている」[[c:4]]と記す。大永七年・享禄二年といった年紀がこれらの作に付き、ほかに乏しい年紀を補う。直刃の短刀の一口は来写しと極められ、京物を写して「兼之を想わせる」、姿態も地刃も典雅である。説明書は来写しの工の見どころが帽子の倒れる点にあるとし、本作にもそれが窺われると添える。彫物は本工には珍しく、殊に梵字は稀で、一口の脇指に見えるのみである。
二代を分かつものは、それゆえ借り物の比較ではなく本工自身の作から引かれる。型にはまらぬ丸みをおびた行草の三本杉、関の地鉄の上の明るい匂口、そして倒れる地蔵風の帽子である。説明書は本工をしばしば末関の代表刀工の筆頭に置き、個々の作を孫六兼元の典型且つ出色の出来と称し、規則正しい幾何学的な三本杉を本工の後に立つ後代の標と読む。
藤代の極めは上々作。指定を受けた作は三十口で、国宝・重要文化財・特別重要刀剣はない。重要刀剣二十七口、姉川の戦で真柄真隆を討ったと伝える青木兼元の刀一口が重要美術品、そして本間による御物台帳に所載の刀二口である。台帳は二口とも三本杉の作として掲げ、「兼元には直刃もあり、稀に皆焼などもあるが、三本杉が最も得意の刃文である」[[c:7]]とする。来歴は切れる刀を尊んだ武家の連なりである。越前松平家、柳生家、谷干城、そして金象嵌銘によって一口に笹露兼元の号を与える槙嶋監物昭重がこれを蔵した。この作のほとんどが秘蔵の級に入らないため、在銘の孫六兼元は真に著名な古刀の名のうちでは比較的入手し得るものに属するが、来歴の確かな健全な二字銘の佳品が世に出るのは時折に過ぎず、出会えば収集家にとって注目すべきものである。
兼元の位置づけを、日本刀全体および伝法・時代・時期ごとに示します。各区分(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
在銘年紀作が示す、確実に活動していた年代
美濃伝 · 美濃
現在22点販売中
兼元は、美濃国関を本拠とした末美濃の刀工で、室町時代後期に和泉守兼定と並んで美濃鍛冶を代表する家系である。同名が相継いで栄えたが、なかでも最も技量にすぐれるのは二代で、世上この兼元を指して「孫六兼元」と呼称し賞翫してきた。「孫六」は兼元家代々の通称であり、二代がとりわけ著名であることから、この称がそのまま二代の代名詞として用いられている。居住地を明示した作には「濃州赤坂住」と切るものがあり、赤坂を一つの拠点としていたことが知られる。説示には明応・享禄・大永などの年紀を有する作が挙げられ、紀年銘の比較的少ない同家にあって、これらは作期や系統を研究するうえで好資料とされている。 作風の中核をなすのは、三本杉と称される尖り互の目の連れた刃文である。各代を通じてこの刃文を得意とするが、二代と後代とでは趣を異にする。代が下ると尖り刃の形が鋭角的で規則正しく揃うのに対し、二代は互の目の頭が処々丸みをおびて変化を見せ、三本杉のほかに二本杉・四本杉・五本杉といった群落を交えるなど画一的でないところに特色がある。説示はこれを行草の体の三本杉と評し、刃取りに起伏を見せて変化に富む点を二代の見どころとする。地鉄は板目に杢・流れ柾を交えて肌立ちごころとなり、地沸が細かにつき、地景が入り、白け映りが立つのが常で、帽子は乱れ込んで先丸く地蔵状に返るものが多い。一方、初代はあまり三本杉が目立たず、互の目に互の目丁子を交え、時に湯走り・飛焼を伴うものが多く、年紀は明応六年を最も古いものとし、居住地はすべて濃州赤坂住と切られる。二代と初代、さらに後代との別は、こうした刃文の構成と地鉄の風合いから見分けられる。 伝来をみると、二代兼元は実戦刀としての評価が高く、元亀元年の姉川の戦で青木一重が真柄真隆を討ったと伝える青木兼元、また截断銘を裏に施した作などが知られ、切れ味を尊ぶ風が早くから付随していた。金象嵌で笹露と号した作のように、所持者の名とともに伝えられた優品もある。作刀は薙刀・刀・脇指・短刀に及び、長寸で先の張った雄勁な造込みのものから、来写し・京物写しと目される稀な直刃の上品な短刀まで幅があり、二代の技量の振幅を伝えている。説示はこれらを孫六兼元の典型かつ出色の出来口として位置づけ、行体の三本杉が匂口明るくよく沸え、地刃ともに冴える点を賞するとともに、末関を代表する刀工としての名声を確かなものとしている。 詳しく見る →
室町時代の美濃
戦国の関は一つの産業であった。春日神社を氏神と仰ぐ鍛冶たちが、中部日本の軍勢を武装させた。孫六兼元の三本杉と之定の最上作は、量産の町に第一級の技が息づいていたことの証である。
お客様ご都合による返品の場合はお客様ご負担となります。ご了承くださいませ。弊社の誤送、商品不良等による返品の場合は弊社にて負担いたします。