説明

重要刀剣『兼長』 刀剣種別 『刀』 Katana 無銘 『兼長』 KANENAGA 日本刀 鑑定書『日本美術刀剣保存協会 重要刀剣』 NBTHK 『Juyo Paper』 時代『南北朝期 貞治頃』 Production age 『AD1362』 兼長は長船長義の門下と伝えている。現存する在銘の作例は極めて少ないが、同作中に重要美術品認定の貞治五年紀の脇指があり、皆焼風の作柄を示している。これに対して、重要刀剣指定の至徳四年、及び特別重要刀剣指定の嘉慶二年紀の各短刀が遺存し、この二者は前者以上に沸が強く、地刃の働きも豊富で、長義の作風に近似しながらもそれ以上に相州伝が強調された出来口を示している点が注目される。刃の場合、その殆どが無銘の極めものであるが、長義に似て一段と沸が強く、刃中よく働くもの、或いは丁字風の刃を交えたやや乱れの大模様な出来のものなどが多く見られる。 この刀は、鍛えは板目に杢が交じった鍛えに、地沸が微塵によくつき、地斑を交え地景が細かに入り、淡く乱れ風の映りが立ち、刃文は焼きが高く、多種の刃を交えて大模様に乱れ、足・葉・金筋・砂流し・湯走り等の働きが豊富な出来口を示している。兼長極めの中でも、焼きが一段と高く、大模様に乱れた一口で、幅広・中鋒延びごころの堂々とした体配と相俟って、変化に富み威風堂々とした迫力のある出来栄えを示している優品である。 『形状』鎬造、庵棟、身幅広く・元先の幅差ややつき、重ね厚く、反りやや浅くつき、中鋒伸びごころ。 『鍛』板目肌、肌立ちごころ、少し杢交じり、地沸微塵につき、地景細かに入り、淡く乱れ風の映り立つ。 『刃文』総体に焼き高く、互の目・丁字・角張る刃・腰の開いた刃など頻りに交え、大模様に乱れ、足・葉よく入り、小沸つき、所々小さな湯走り・飛焼交え、金筋・砂流しかかり、匂口締まりごころ。 『帽子』表は乱れ込み、丸く返って地蔵風となり、裏はのたれ込んで小丸となる。 『茎』大磨上、先切り、鑢目勝手下がり、目釘孔二。無銘。 『彫』表裏に棒樋、茎中で丸留、茎裏は丸留下に爪の痕跡。 『附』白鞘 『寸法(Size)』 長さ(Blade length)66.4cm、反り(Sori)1.9cm、 元幅(Width of moto)3.1cm、先幅(Width of saki)2.2cm、 元重(Thickness of moto)0.7cm 先重(Thickness of saki)0.45cm

ご注文・お問い合わせ
売切れ
Tokuju売切れ

ご注文・お問い合わせ

不明

売却済

世界81社の刀剣商を横断追跡 · 価格履歴 · 売却アーカイブ

仕様

長さ

66.4 cm

反り

1.9 cm

元幅

3.1 cm

先幅

2.2 cm

作者について

Kencho兼長

4 重要美術品11 特別重要刀剣79 重要刀剣

備前の兼長、銘は「兼長」と記し、説明書は長船長義の門と伝え(長船長義の門と伝え)、正宗に発する相州伝を備前の地に取り込んだ相伝備前の系の工とする。在銘作の遺存が極めて少ないことを説明書は率直に記す。基準作は、重要美術品認定の貞治五年(一三六六)紀の脇指、及び至徳四年(一三八七)・嘉慶二年(一三八八)紀の各短刀であり、後二者は前者以上に沸が強く地刃の働きも豊富である。これら僅かな年紀作から、説明書は同工の極め全体を支える判断を導く。すなわち、その出来口は「長義の作風に近似しながらもそれ以上に相州伝が強調された」ものである、と。ただし鑑定の実際はそこにはなく、その名で遺るものはほとんどが、銘ではなく作柄によって同工に極められた豪壮な大磨上無銘の刀である。 その多数を占める一群について、説明書は、「長義に似て一段と沸が強く、刃中よく働く」刀と描く。記される姿そのものが見どころの一であって、身幅広く元先の幅差殆どなく、重ね厚く、反りやや深くつき、大鋒あるいは中鋒の延びる、南北朝の豪壮な体配を大磨上に留める。刃文は、のたれ又は互の目を基調に、互の目・小互の目に丁子・角ばる刃・尖り刃を交え、振りを与える腰開きの互の目を交えた大模様の乱れである。足・葉よく入り、匂口は深く明るく、沸はよくつき処々荒めに沸づき、金筋・砂流しが頻りにかかる。小さな湯走り・飛焼が刃の上に飛び、帽子は乱れ込んで尖りごころに掃きかけ、火焔風となるものが多い。 地鉄は、その相州伝の刃を載せる備前の地である。説明書は、板目に杢・大杢目を交え、処々流れ肌を交えて肌立ち、地沸が微塵に厚くつき、地景がよく入ると記す。備前の映りは現れるが淡く、繰り返し淡く乱れ映り立つ(淡く乱れ映り立つ)と記される。その淡さこそが見どころで、相州伝を強く推せば推すほど備前地は薄れ、最も相州伝の強い作では映りはほとんど引く。説明書はその残る映りを国の証と読み、ある刀を「映りが現れていることから、相伝備前と鑑せらる」ものと判ずる。 作はそれゆえ二様に分かれる。稀な年紀の在銘作が基準で、貞治の脇指は皆焼風に傾き、至徳・嘉慶の短刀は相州伝を極めて、説明書はこれを則重に擬し、「一見則重にも紛れる位に相州伝の強調された」作と書く。これら年紀作の銘の書風と鏨使いが、この手が長義派に連なることを首肯せしめるという。これに対して大半を占めるのが、長義その人よりも放胆で大模様な大磨上無銘の刀の群である。説明書はまた本間の談として年代の問題を留める。すなわち、貞治の兼長の銘振りは長義と相違し、後の至徳・嘉慶・明徳の作は長義の応安頃の銘振りに通ずるため、「通説を検討すべき」であり、貞治の兼長は「長義とは別系であり、至徳以後の兼長が長義の門下であろう」と説く。説明書はこれを定説ではなく検討の余地ある問題として提示する。 長義一類の中で、同工の位置は最も相州伝が強調された極にある。説明書は度合をもって長義と分かつ。長義に極める常の大磨上無銘がやや静かに納まるのに対し、兼長のそれは一段と放胆で大模様、沸の強い手であり、ある特別重要刀剣の刀を「長義一類の中でも兼長に最も擬すべき」ものと判ずる。腰開きの互の目はその最も特有の見どころで、正系備前の同類には見られぬ振りであり、砂流し・金筋は最も豊かに、飛焼は最も執拗に現れる。かくして、丁子の備前線に近い正系備前寄りの兼光・元重とは作風を異にし、相伝備前の相州寄りを最も推し進めた長義門の工として、長義と並ぶ。 兼長は藤代の極めで上作、刀剣美術の評価において刀工大鑑九〇〇。在銘作が極めて少ないにもかかわらず、その名を負う指定の重みは厚く、国の文化財指定を受けた作はないものの、特別重要刀剣十一口、重要刀剣七十九口、上位二級で九十口に達し、重要美術品に認定された作も数口を遺す。来歴には格のある名が録され、真田家・藤堂家・酒井忠以・土浦土屋家・山内、米国の蒐集家ウォルター・A・コンプトンらの手を経る。所在の知れるもののうち、二口は備前長船刀剣博物館・厳島神社の所蔵にかかり、他は私蔵に帰す。在銘がほとんど遺らず、極めの刀自体も多くは出ぬため、兼長が市に現れることは稀であり、最上級の文化財指定に永く封ぜられた作はないものの、所在の知れる作は特別重要刀剣・重要刀剣の級にあって、その多くは取引されず保たれている。一口が世に出るのは、求めて得られるものではなく、出れば一事件というべきものである。

刀剣商

タイセイ堂

taiseido.biz

売切れ