鑑定書内容:財)日本美術刀剣保存協会 保存刀装具[N.B.T.H.K]Hozon Tosougu 横谷宗珉作(よこや そうみん)、小柄の保存刀装具指定作品。横谷宗珉ははじめ後藤家の門に学んで幕府の御用を務めていたが、後に禄を辞して野に下り、自由な世界で大いに腕を振るい、一門を形成、名人を多数輩出して「町彫の祖」とまで称される名人となった。享保十八年六十四歳で没す。掲出の小柄は同作の得意とした四分一地の竪図に馬上揮毫(ばじょうきごう)図、すなわち馬上にて毫(ふで)を揮(ふる)う姿を描いたものであるが、小縁を省き、刃方と棟方の三面に跨って描き出した構図、馬を背面から捉えて描き出すなどの意匠表現は後藤家のものには見られず、家彫に飽きたらず自由な写生風に新境地を拓いた宗珉のまさに真骨頂を表す斬新さである。また力感溢れる馬が静止する状態を同じく同作が創始したという片切彫で表しているが、その力強さを片切鏨の捌き方一つで描き出す勢いと技量の高さは流石であり、横谷宗珉の特徴をよく表している。なお本作の銘は常の銘よりも小さな銘振となっており、古来この手の銘は若い頃の銘であるとし「小銘宗珉」と呼び習わしており、刀装小道具銘字体系並びに金工銘鑑にて紹介されている現品そのものである。






宗珉
江戸
在銘
保存 (NBTHK)
町彫 · Edo
現在1点販売中
横谷宗珉は横谷家の三代目にあたり、寛文十年(一六七〇)に江戸に生まれ、名を友常、通称を長二郎と称した。祖父の初代宗興(宗與)は後藤家七代顕乗の三男殷乗の門で学び、幕府の御用を務めた。宗珉も初めは家彫を学んで幕府に抱えられたが、後に禄を辞して野に下り、自由な世界で大いに腕を振るって大成し、「町彫の祖」と称された。享保十八年、六十四歳で没している。
宗珉の作風は大別すると高彫色絵と、彼の創始である片切彫の両手がある。当時の狩野派出身の画家英一蝶と親交を結び、図案・意匠について指導を受けたといわれる。赤銅魚子地を下地とした高彫色絵の作では、「圧倒的な肉置きの豊かさと高低の変化は自由闊達な鏨捌きと相俟って、正に王者の風格を堂々とあらわしている」[[c:1]]と評される。独特の「横谷獅子」は筋骨隆々たる姿態に眼光鋭く、「他工の追随を許さない厳しさと凄味がある」[[c:2]]と繰り返し称賛される。竪図にして獅子・虎・馬などを正面または背面から描いた小柄の構図は斬新で、後世の金工に多大な影響を与えた。一方、片切彫の作では四分一磨地に深浅自在の鏨さばきを駆使し、水墨画を思わせる緩急を生み出している。阿倍仲麻呂図小柄にみる抑揚のある片切や、三国志図鐔における太鏨と極細の毛彫を使い分ける手腕は、宗珉の技術の幅を端的に示している。さらに表裏で仕立や彫法を変えて一枚の作品に調和させる技巧にも長じ、福禄寿図鐔では表の高彫と裏の片切彫を見事に統合している。
宗珉の出来は「横谷一門の統帥としての貫禄と抜群の技術」[[c:3]]と総括され、後藤本家の作に比しても「優るとも劣らぬ」と評される。その出自が後藤家にあり、かつ十分に学んでいたことが作品の格調に顕著に表れている。容彫の肉取りが薄手である点、根が陰陽根である点も同工の鑑定上の見どころとされる。空間使いに巧みで、重厚な画題を闘達に展開する構成力は「流石に宗珉」と繰り返し称えられ、江戸金工の最大流派たる横谷派を築き上げた宗珉の卓越した技術と品格は、特別重要・重要刀装具に指定された数多の遺例を通じて遺憾なく証されている。
宗珉の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
町彫 · Edo
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横谷派は、江戸時代中期に横谷宗珉によって創始された装剣金工の一派である。宗珉は従来の後藤家の伝統的技法に加え、片切彫という新たな彫刻技法を確立し、四分一磨地に繊細な線刻表現を施す独自の様式を生み出した。その後、養子である二代宗興が享保十八年(一七三三)、三十四歳で家督を継承し、横谷派の技術的頂点を築いた。宗興は元禄十三年(一七〇〇)江戸生まれで、師父宗珉より優れた片切彫の技術を継承しつつ、赤銅魚子地に高彫象嵌色絵を施す作風も展開した。 宗興の作域は四分一磨地に片切彫を施す作柄が多数を占めるが、赤銅魚子地に高彫象嵌色絵を用いた作品も僅少ながら現存しており、いずれも横谷宗珉の後継者としての高い力量と品格を備えた見事な出来映えを示している。片切彫の作では、師父宗珉譲りの卓抜した技術を遺憾なく発揮し、細部にまで行き届いた精緻な彫刻表現において他の追随を許さない。高彫象嵌色絵の作では、人物の表情や手の仕草、衣の襞に至るまで丁寧かつ写実的に表現され、空間を巧みに利用した構図の計算性も高く評価される。福禄寿図や大森彦七図などの作品に見られる肉感的な描写と躍動感は、宗興の卓越した写実力と彫技の冴えを示す真骨頂といえる。 横谷派の技術は、宗興の門人である三宅英光(自立軒)や桂永寿らによって継承され、江戸時代後期まで高い水準を保った。英光は肥前長崎の出身とされ、横谷四代目宗与の門人となり江戸京橋に住して、赤銅魚子地に高彫金色絵の豪華な作風を展開した。桂永寿は久留米有馬藩の抱工として、目結や家紋を配した格調高い金具を制作し、大名家の儀式用拵に用いられた。横谷派の作品は、片切彫という独自の技法と、写実的かつ精緻な表現力によって、装剣金工史において重要な位置を占めている。
銘が正しい、または無銘でも年代・流派を指摘でき、美術工芸的価値が認められる、保存に値する真正の刀装具と鑑定されたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
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鑑定書内容:財)日本美術刀剣保存協会 保存刀装具[N.B.T.H.K]Hozon Tosougu 横谷宗珉作(よこや そうみん)、小柄の保存刀装具指定作品。横谷宗珉ははじめ後藤家の門に学んで幕府の御用を務めていたが、後に禄を辞して野に下り、自由な世界で大いに腕を振るい、一門を形成、名人を多数輩出して「町彫の祖」とまで称される名人となった。享保十八年六十四歳で没す。掲出の小柄は同作の得意とした四分一地の竪図に馬上揮毫(ばじょうきごう)図、すなわち馬上にて毫(ふで)を揮(ふる)う姿を描いたものであるが、小縁を省き、刃方と棟方の三面に跨って描き出した構図、馬を背面から捉えて描き出すなどの意匠表現は後藤家のものには見られず、家彫に飽きたらず自由な写生風に新境地を拓いた宗珉のまさに真骨頂を表す斬新さである。また力感溢れる馬が静止する状態を同じく同作が創始したという片切彫で表しているが、その力強さを片切鏨の捌き方一つで描き出す勢いと技量の高さは流石であり、横谷宗珉の特徴をよく表している。なお本作の銘は常の銘よりも小さな銘振となっており、古来この手の銘は若い頃の銘であるとし「小銘宗珉」と呼び習わしており、刀装小道具銘字体系並びに金工銘鑑にて紹介されている現品そのものである。






宗珉
江戸
在銘
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横谷宗珉は横谷家の三代目にあたり、寛文十年(一六七〇)に江戸に生まれ、名を友常、通称を長二郎と称した。祖父の初代宗興(宗與)は後藤家七代顕乗の三男殷乗の門で学び、幕府の御用を務めた。宗珉も初めは家彫を学んで幕府に抱えられたが、後に禄を辞して野に下り、自由な世界で大いに腕を振るって大成し、「町彫の祖」と称された。享保十八年、六十四歳で没している。
宗珉の作風は大別すると高彫色絵と、彼の創始である片切彫の両手がある。当時の狩野派出身の画家英一蝶と親交を結び、図案・意匠について指導を受けたといわれる。赤銅魚子地を下地とした高彫色絵の作では、「圧倒的な肉置きの豊かさと高低の変化は自由闊達な鏨捌きと相俟って、正に王者の風格を堂々とあらわしている」[[c:1]]と評される。独特の「横谷獅子」は筋骨隆々たる姿態に眼光鋭く、「他工の追随を許さない厳しさと凄味がある」[[c:2]]と繰り返し称賛される。竪図にして獅子・虎・馬などを正面または背面から描いた小柄の構図は斬新で、後世の金工に多大な影響を与えた。一方、片切彫の作では四分一磨地に深浅自在の鏨さばきを駆使し、水墨画を思わせる緩急を生み出している。阿倍仲麻呂図小柄にみる抑揚のある片切や、三国志図鐔における太鏨と極細の毛彫を使い分ける手腕は、宗珉の技術の幅を端的に示している。さらに表裏で仕立や彫法を変えて一枚の作品に調和させる技巧にも長じ、福禄寿図鐔では表の高彫と裏の片切彫を見事に統合している。
宗珉の出来は「横谷一門の統帥としての貫禄と抜群の技術」[[c:3]]と総括され、後藤本家の作に比しても「優るとも劣らぬ」と評される。その出自が後藤家にあり、かつ十分に学んでいたことが作品の格調に顕著に表れている。容彫の肉取りが薄手である点、根が陰陽根である点も同工の鑑定上の見どころとされる。空間使いに巧みで、重厚な画題を闘達に展開する構成力は「流石に宗珉」と繰り返し称えられ、江戸金工の最大流派たる横谷派を築き上げた宗珉の卓越した技術と品格は、特別重要・重要刀装具に指定された数多の遺例を通じて遺憾なく証されている。
宗珉の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
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横谷派は、江戸時代中期に横谷宗珉によって創始された装剣金工の一派である。宗珉は従来の後藤家の伝統的技法に加え、片切彫という新たな彫刻技法を確立し、四分一磨地に繊細な線刻表現を施す独自の様式を生み出した。その後、養子である二代宗興が享保十八年(一七三三)、三十四歳で家督を継承し、横谷派の技術的頂点を築いた。宗興は元禄十三年(一七〇〇)江戸生まれで、師父宗珉より優れた片切彫の技術を継承しつつ、赤銅魚子地に高彫象嵌色絵を施す作風も展開した。 宗興の作域は四分一磨地に片切彫を施す作柄が多数を占めるが、赤銅魚子地に高彫象嵌色絵を用いた作品も僅少ながら現存しており、いずれも横谷宗珉の後継者としての高い力量と品格を備えた見事な出来映えを示している。片切彫の作では、師父宗珉譲りの卓抜した技術を遺憾なく発揮し、細部にまで行き届いた精緻な彫刻表現において他の追随を許さない。高彫象嵌色絵の作では、人物の表情や手の仕草、衣の襞に至るまで丁寧かつ写実的に表現され、空間を巧みに利用した構図の計算性も高く評価される。福禄寿図や大森彦七図などの作品に見られる肉感的な描写と躍動感は、宗興の卓越した写実力と彫技の冴えを示す真骨頂といえる。 横谷派の技術は、宗興の門人である三宅英光(自立軒)や桂永寿らによって継承され、江戸時代後期まで高い水準を保った。英光は肥前長崎の出身とされ、横谷四代目宗与の門人となり江戸京橋に住して、赤銅魚子地に高彫金色絵の豪華な作風を展開した。桂永寿は久留米有馬藩の抱工として、目結や家紋を配した格調高い金具を制作し、大名家の儀式用拵に用いられた。横谷派の作品は、片切彫という独自の技法と、写実的かつ精緻な表現力によって、装剣金工史において重要な位置を占めている。
銘が正しい、または無銘でも年代・流派を指摘でき、美術工芸的価値が認められる、保存に値する真正の刀装具と鑑定されたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
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