説明

鑑定書内容:財)日本美術刀剣保存協会 特別保存刀装具[N.B.T.H.K]Tokubetsu Hozon Tosougu 横谷宗珉作(よこや そうみん)、小柄の特別保存刀装具指定作品。横谷宗珉ははじめ後藤家の門に学んで幕府の御用を務めていたが、後に禄を辞して野に下り、自由な世界で大いに腕を振るい、一門を形成、名人を多数輩出して「町彫の祖」とまで称される名人となった。本作は弓を構える中国の武人を描いた図で、春秋時代の楚の武将、養 由基(よう ゆうき)を描いたものである。養由基は弓の名人として知られ、その弓勢の強さは甲冑7枚を貫き、百歩の距離から柳の葉を射て百発百中であったともいう。当時由基が軍前に出れば敵は生きては帰れないと恐れられ神射将軍と呼ばれていたという。掲出の小柄は四分一地に彼の創始である片切彫で今まさに弓を放ったところを三面に渡って見事に描き出している。宗珉は図案・意匠については当時狩野派出身の画家、英一蝶について指導を受けたといわれているが、同工の卓越した技量と斬新な画面構成を示した優品である。

横谷宗珉作 小柄
売切れ
Tokuho売切れ

横谷宗珉作 小柄

小柄

売却済

世界81社の刀剣商を横断追跡 · 価格履歴 · 売却アーカイブ

作者について

Yokoya Somin宗珉

4 重要文化財15 重要美術品6 特別重要刀剣23 重要刀剣

横谷宗珉は横谷家の三代目にあたり、寛文十年(一六七〇)に江戸に生まれ、名を友常、通称を長二郎と称した。祖父の初代宗興(宗與)は後藤家七代顕乗の三男殷乗の門で学び、幕府の御用を務めた。宗珉も初めは家彫を学んで幕府に抱えられたが、後に禄を辞して野に下り、自由な世界で大いに腕を振るって大成し、「町彫の祖」と称された。享保十八年、六十四歳で没している。 宗珉の作風は大別すると高彫色絵と、彼の創始である片切彫の両手がある。当時の狩野派出身の画家英一蝶と親交を結び、図案・意匠について指導を受けたといわれる。赤銅魚子地を下地とした高彫色絵の作では、「圧倒的な肉置きの豊かさと高低の変化は自由闊達な鏨捌きと相俟って、正に王者の風格を堂々とあらわしている」と評される。独特の「横谷獅子」は筋骨隆々たる姿態に眼光鋭く、「他工の追随を許さない厳しさと凄味がある」と繰り返し称賛される。竪図にして獅子・虎・馬などを正面または背面から描いた小柄の構図は斬新で、後世の金工に多大な影響を与えた。一方、片切彫の作では四分一磨地に深浅自在の鏨さばきを駆使し、水墨画を思わせる緩急を生み出している。阿倍仲麻呂図小柄にみる抑揚のある片切や、三国志図鐔における太鏨と極細の毛彫を使い分ける手腕は、宗珉の技術の幅を端的に示している。さらに表裏で仕立や彫法を変えて一枚の作品に調和させる技巧にも長じ、福禄寿図鐔では表の高彫と裏の片切彫を見事に統合している。 宗珉の出来は「横谷一門の統帥としての貫禄と抜群の技術」と総括され、後藤本家の作に比しても「優るとも劣らぬ」と評される。その出自が後藤家にあり、かつ十分に学んでいたことが作品の格調に顕著に表れている。容彫の肉取りが薄手である点、根が陰陽根である点も同工の鑑定上の見どころとされる。空間使いに巧みで、重厚な画題を闘達に展開する構成力は「流石に宗珉」と繰り返し称えられ、江戸金工の最大流派たる横谷派を築き上げた宗珉の卓越した技術と品格は、特別重要・重要刀装具に指定された数多の遺例を通じて遺憾なく証されている。

刀剣商

飯田高遠堂

iidakoendo.com

売切れ