政権は鎌倉にあったが、美意識はなお京都が定めた。粟田口派の梨子地肌は完璧の代名詞となり、来派は公家にも上級の武家にも大寺にも、堂々たる太刀を納めている。
短刀 無銘 伝粟田口国安 黒漆塗桐紋蒔絵合口拵付 粟田口派は鎌倉時代初期、国友をはじめとする六兄弟の卓越した技量によってその名を馳せました。三男の国安は藤三郎と称し、兄の国友や久国らと共に、後鳥羽院番鍛冶の四月番を務めた名工として知られています。国安の現存作は主に太刀や刀であり、短刀については現在、有銘・無銘を合わせても僅か二口が確認されているに過ぎません。 本作は、板目に微かに肌立つような馬目(まさめ)を交えた地鉄に、ほつれや打ちのけ(二重刃)を伴う直刃を焼き、国安の洗練された技量を示すと共に、極めて健全な姿を保っています。 附帯する拵は、黒漆に桐紋を配した気品ある蒔絵合口拵であり、金着二重木ハバキにも同様の桐紋が精緻に彫り込まれています。 短刀 無銘 伝粟田口国安 黒漆塗桐紋蒔絵合口拵付



















Awataguchi (Yamashiro) · 山城 · 1199-1201頃
藤代 最上作 · 刀剣大鑑 上位3%
粟田口国安は鎌倉時代初期、山城国粟田口の刀工で、国友・久国・国安・国清・有国・国綱と続く名高い六人兄弟の三男にあたり、藤三郎と称した。説明書は兄の国友・久国と共に本工を後鳥羽院の番鍛冶に数え、銘鑑は活躍期を承久(一二一九〜二二)頃と伝える。粟田口に鍛冶が在住したことは鎌倉初期の説話集「宇治拾遺物語」に見えるとされ、六人兄弟は何れも技術が高いと記される。現存する在銘作は太刀に限られながら比較的多く、第三十一回重要刀剣指定の在銘短刀は、その存在が「極めて貴重」と評される。藤代の極めは最上作である。
その作は細身で腰反り高く小鋒に結び、先に行って伏しごころを帯びる時代の姿をよく示し、ある説明書はその体配を「優しい手弱女振り」[[c:15]]と評する。刃文は小沸出来の小乱れを主調に、直刃調に小丁子・小互の目を交えた小模様で、金筋・砂流しが細かにかかる。乱れの間は押し詰まり、「乱れの間がつまったものが多い」[[c:2]]とされ、小互の目が連れごころとなる点に至っては、大磨上無銘の一刀について「一派の中でも国安と特定することが可能」[[c:3]]とまで記される。匂口は「国友と同様に匂口がうるむ」[[c:4]]点を特色とし、焼頭の上には湯走りが交じって「本工の手癖」が明らかに窺われ、別の一刀では「焼頭に雁股状の打ちのけを見せ」[[c:16]]、刃縁の雁股状の景色と匂口のうるみに同工の特色が見出される。帽子は直ぐに小丸、時に焼詰め、先は掃きかけごころとなる。
鍛えは二様に分かれ、説明書は「肌立つものと約むもの二様あり」[[c:6]]と明記する。約む方は小板目がよくつみ、地沸が微塵に厚くつき、地景が細かに入り、時に鎬寄りに淡く沸映りが立って、「同派特有の梨子肌」[[c:7]]と呼ばれる肌合を呈し、この手は「久国に近い方の作風」[[c:8]]と読まれる。肌立つ方は板目の肌目が立ち、地斑を交え、地景の目立つもので、説明書はこれを在銘作に結びつけて「本工在銘作には比較的板目の肌立ったものが多い」[[c:9]]と説く。
この二様は銘の有無と緩やかに対応する。無銘の極め物の多くは梨子地風の精美な手で、本阿弥光遜の金粉銘、本阿弥光忠の金象嵌、元文三年(一七三八)の本阿弥光勇折紙など、本阿弥家の極めを伴って伝わる。評価は率直である。刃のしずんだ趣について、古い説明書は「見どころと云うよりはむしろ欠点である」[[c:10]]とまで断じ、後の説明書はうるみごころを「同工の見どころの一つである」[[c:11]]と数える。銘は二字銘に大小があり、「いずれも安の字に特徴がある」[[c:12]]とされ、安の字のくずしが常に同じである点が銘の鑑定上の大きな見どころとなる。また極め物の姿について本間は「ままこの刀の様に幅広のものがある」[[c:13]]と述べ、常の細身に対し剛壮な幅広の作の存することを認める。
粟田口一派の中で本工は乱れの手である。一派はのち則国から国吉・吉光へと続いて明るい直刃に傾くが、国安は押し詰まった小乱れとうるむ匂口を守る。姿は久国同様で、約んだ鍛えは久国に紛れるほど近づくが、連れごころの小互の目は一派の中で本工に特定を許す見どころであり、乱れの間のつまりとうるみは国友とのみ分かち合う。在銘短刀への評は端的で、「則国や国吉などにくらべると刃中がよく働いて」[[c:14]]おり、粟田口物の味わいの深さを十分に見せるという。
指定を受けた作は二十三口。重要文化財三口は何れも在銘の太刀で、ほかに重要美術品五口、特別重要刀剣二口、重要刀剣十二口を数え、特重・重刀の級は併せて十四口にのぼる。記録の上では在銘九口に対し無銘十一口である。伝来の知られる作は十一口に及び、将軍徳川綱吉から尾張家四代徳川吉通への拝領刀(元禄十年の本阿弥光忠折紙付)をはじめ、尾張徳川家・津軽家・南部家・松平家・溝口家・細川家、さらに皇室の手を経る。現所蔵の知られるものは徳川美術館・東京国立博物館・佐野美術館、また日本美術刀剣保存協会に蔵され、私蔵は僅かである。重要文化財の三口は文化財として永く守られ、市に出ることはない。級の上で取引の可能な作はおよそ十五口にとどまり、その多くも蔵されて動かない。説明書自身が国安在銘の太刀を「まま見るところ」と記す通り、後鳥羽院の番鍛冶の作に廻り合う望みが絶えているわけではないが、重要刀剣の一口が市場に現れることは稀であり、その折はひとつの出来事となる。
國安の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
山城伝 · 山城
現在4点販売中
かねに潤いがあってよく冴える、という一語が、この一門の解説に幾度も立ち返る。よく約んだ小板目を極くつめて地沸を微塵に厚く均しく敷き、細かな地景を入れて沸映りを立てる手は、古来「梨子地肌」と称され、本流派の名を負う精錬の極みである。山城国粟田口、すなわち京都から近江へ通じる街道筋に居を構えた鍛冶の集まりであり、その地に鍛冶が住したことは鎌倉初頭の説話集『宇治拾遺物語』にも見える。祖は国家といい、その子に国友・久国・国安・国清・有国・国綱の六人兄弟があって、いずれも揃って名を成した。長兄国友をはじめ、久国・国安らは後鳥羽院の番鍛冶、すなわち院に月番で仕えた工に召され、活躍期は承久(一二一九〜二二)の頃にあたる。末弟国綱は後に北条氏の招きで鎌倉へ下向し、相州鍛冶草創の一人に数えられる。長兄国友の子則国を経て、左兵衛尉国吉、その子または弟子の藤四郎吉光へと、御番鍛冶の世代から短刀の名手の世代へと一門は続き、別流の新藤五国光は相州伝の事実上の創始者として行光・正宗・則重を育てた。 作域の核は、備前の華やかな丁子の対極にある、静かで抑えた直刃にある。よく約んだ小板目に地沸を厚くつけた精美な地の上へ、小沸出来の細直刃ないし直刃調の小乱れを匂深く焼き、小互の目・小丁子・小足・葉を交え、金筋・砂流しを細かにかける。匂口は締りごころに明るく冴え、帽子は穏やかな小丸に返り、しばしば掃きかけを伴う。表裏には護摩箸・素剣・梵字を彫り、その護摩箸は間隔狭く棟に寄せて彫るのが一門共通の手癖である。同じ作風の中にも工ごとの標識が宿る。久国は兄弟の中で最も沸が強く、国友・国安は匂口がうるみ、国安は連れごころの小互の目に押し詰まった小乱れを守って一派の乱れの手を担い、則国は国吉・吉光に通じつつ比較的沸が強い。国吉・吉光に至って刃は明るい直刃へ傾き、二重刃や帽子下の沸の喰下がりがその手癖となる。来時代へ下るにつれ穏雅な細直刃の比重が増す一方、国綱のみは板目が肌立って刃沸の目立つ剛壮な異風を見せ、来たるべき相模の力強い作風へ傾く。 鑑定の拠りどころは明快である。梨子地状の精美な小板目地、潤って冴えるかね、締まって明るい直刃調の刃に細かくかかる金筋・砂流し、これらが揃えば初期粟田口と鑑せられる。各工は解説中の物差しによって分かたれる。久国は格調の高さで、国安は安の字の崩しと連れごころの小互の目で、国清は兄国安への親近で、則国は子国吉に近い国の字で読まれる。そして一門を貫く対比は来派との別である。粟田口の地刃の沸は来物より一段と厚く強く感じられ、寸法の割に身幅狭く重ね厚い造込みは来にまず見ない。位置づけの頂点には、相模国の新藤五国光と並ぶ短刀の名人吉光が立ち、江戸期には正宗・江と共に天下三作の筆頭に挙げられた。流暢な二字銘そのものが鑑識の対象である。代表作の重みは伝来に表れ、名物鬼丸国綱は天下五剣の一つとして皇室に納まり、一期一振藤四郎は太閤秀吉の蔵刀、陸奥新藤五は奥州伊達家重代として伝わる。山城の精錬な沸の直刃は来の名工が汲んだ源であり、ひいては新藤五国光から相州伝へと展開する源流でもあって、本流派は日本刀の地鉄の最高峰を示すとともに、後世の二大潮流の発端に立つ。 詳しく見る →
鎌倉時代の山城
政権は鎌倉にあったが、美意識はなお京都が定めた。粟田口派の梨子地肌は完璧の代名詞となり、来派は公家にも上級の武家にも大寺にも、堂々たる太刀を納めている。
特別保存刀剣の中から、特に出来が優れ、国認定の重要美術品に準ずると判断された名品です。年に一度の重要刀剣審査で選ばれます。
極めて選別的で、日本に登録された約250万口の刀剣のうち、重要刀剣に達したものは12,307口(約203口に1口)にすぎません。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイト商品到着後7日以内にご連絡ください。その際の送料はお客様ご負担とさせていただきます。ご返金は、商品到着後お送りしたときと同じ状態であることを確認の上、翌日ご指定の口座にお振込みさせていただきます。
短刀 無銘 伝粟田口国安 黒漆塗桐紋蒔絵合口拵付 粟田口派は鎌倉時代初期、国友をはじめとする六兄弟の卓越した技量によってその名を馳せました。三男の国安は藤三郎と称し、兄の国友や久国らと共に、後鳥羽院番鍛冶の四月番を務めた名工として知られています。国安の現存作は主に太刀や刀であり、短刀については現在、有銘・無銘を合わせても僅か二口が確認されているに過ぎません。 本作は、板目に微かに肌立つような馬目(まさめ)を交えた地鉄に、ほつれや打ちのけ(二重刃)を伴う直刃を焼き、国安の洗練された技量を示すと共に、極めて健全な姿を保っています。 附帯する拵は、黒漆に桐紋を配した気品ある蒔絵合口拵であり、金着二重木ハバキにも同様の桐紋が精緻に彫り込まれています。 短刀 無銘 伝粟田口国安 黒漆塗桐紋蒔絵合口拵付



















Awataguchi (Yamashiro) · 山城 · 1199-1201頃
藤代 最上作 · 刀剣大鑑 上位3%
粟田口国安は鎌倉時代初期、山城国粟田口の刀工で、国友・久国・国安・国清・有国・国綱と続く名高い六人兄弟の三男にあたり、藤三郎と称した。説明書は兄の国友・久国と共に本工を後鳥羽院の番鍛冶に数え、銘鑑は活躍期を承久(一二一九〜二二)頃と伝える。粟田口に鍛冶が在住したことは鎌倉初期の説話集「宇治拾遺物語」に見えるとされ、六人兄弟は何れも技術が高いと記される。現存する在銘作は太刀に限られながら比較的多く、第三十一回重要刀剣指定の在銘短刀は、その存在が「極めて貴重」と評される。藤代の極めは最上作である。
その作は細身で腰反り高く小鋒に結び、先に行って伏しごころを帯びる時代の姿をよく示し、ある説明書はその体配を「優しい手弱女振り」[[c:15]]と評する。刃文は小沸出来の小乱れを主調に、直刃調に小丁子・小互の目を交えた小模様で、金筋・砂流しが細かにかかる。乱れの間は押し詰まり、「乱れの間がつまったものが多い」[[c:2]]とされ、小互の目が連れごころとなる点に至っては、大磨上無銘の一刀について「一派の中でも国安と特定することが可能」[[c:3]]とまで記される。匂口は「国友と同様に匂口がうるむ」[[c:4]]点を特色とし、焼頭の上には湯走りが交じって「本工の手癖」が明らかに窺われ、別の一刀では「焼頭に雁股状の打ちのけを見せ」[[c:16]]、刃縁の雁股状の景色と匂口のうるみに同工の特色が見出される。帽子は直ぐに小丸、時に焼詰め、先は掃きかけごころとなる。
鍛えは二様に分かれ、説明書は「肌立つものと約むもの二様あり」[[c:6]]と明記する。約む方は小板目がよくつみ、地沸が微塵に厚くつき、地景が細かに入り、時に鎬寄りに淡く沸映りが立って、「同派特有の梨子肌」[[c:7]]と呼ばれる肌合を呈し、この手は「久国に近い方の作風」[[c:8]]と読まれる。肌立つ方は板目の肌目が立ち、地斑を交え、地景の目立つもので、説明書はこれを在銘作に結びつけて「本工在銘作には比較的板目の肌立ったものが多い」[[c:9]]と説く。
この二様は銘の有無と緩やかに対応する。無銘の極め物の多くは梨子地風の精美な手で、本阿弥光遜の金粉銘、本阿弥光忠の金象嵌、元文三年(一七三八)の本阿弥光勇折紙など、本阿弥家の極めを伴って伝わる。評価は率直である。刃のしずんだ趣について、古い説明書は「見どころと云うよりはむしろ欠点である」[[c:10]]とまで断じ、後の説明書はうるみごころを「同工の見どころの一つである」[[c:11]]と数える。銘は二字銘に大小があり、「いずれも安の字に特徴がある」[[c:12]]とされ、安の字のくずしが常に同じである点が銘の鑑定上の大きな見どころとなる。また極め物の姿について本間は「ままこの刀の様に幅広のものがある」[[c:13]]と述べ、常の細身に対し剛壮な幅広の作の存することを認める。
粟田口一派の中で本工は乱れの手である。一派はのち則国から国吉・吉光へと続いて明るい直刃に傾くが、国安は押し詰まった小乱れとうるむ匂口を守る。姿は久国同様で、約んだ鍛えは久国に紛れるほど近づくが、連れごころの小互の目は一派の中で本工に特定を許す見どころであり、乱れの間のつまりとうるみは国友とのみ分かち合う。在銘短刀への評は端的で、「則国や国吉などにくらべると刃中がよく働いて」[[c:14]]おり、粟田口物の味わいの深さを十分に見せるという。
指定を受けた作は二十三口。重要文化財三口は何れも在銘の太刀で、ほかに重要美術品五口、特別重要刀剣二口、重要刀剣十二口を数え、特重・重刀の級は併せて十四口にのぼる。記録の上では在銘九口に対し無銘十一口である。伝来の知られる作は十一口に及び、将軍徳川綱吉から尾張家四代徳川吉通への拝領刀(元禄十年の本阿弥光忠折紙付)をはじめ、尾張徳川家・津軽家・南部家・松平家・溝口家・細川家、さらに皇室の手を経る。現所蔵の知られるものは徳川美術館・東京国立博物館・佐野美術館、また日本美術刀剣保存協会に蔵され、私蔵は僅かである。重要文化財の三口は文化財として永く守られ、市に出ることはない。級の上で取引の可能な作はおよそ十五口にとどまり、その多くも蔵されて動かない。説明書自身が国安在銘の太刀を「まま見るところ」と記す通り、後鳥羽院の番鍛冶の作に廻り合う望みが絶えているわけではないが、重要刀剣の一口が市場に現れることは稀であり、その折はひとつの出来事となる。
國安の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
山城伝 · 山城
現在4点販売中
かねに潤いがあってよく冴える、という一語が、この一門の解説に幾度も立ち返る。よく約んだ小板目を極くつめて地沸を微塵に厚く均しく敷き、細かな地景を入れて沸映りを立てる手は、古来「梨子地肌」と称され、本流派の名を負う精錬の極みである。山城国粟田口、すなわち京都から近江へ通じる街道筋に居を構えた鍛冶の集まりであり、その地に鍛冶が住したことは鎌倉初頭の説話集『宇治拾遺物語』にも見える。祖は国家といい、その子に国友・久国・国安・国清・有国・国綱の六人兄弟があって、いずれも揃って名を成した。長兄国友をはじめ、久国・国安らは後鳥羽院の番鍛冶、すなわち院に月番で仕えた工に召され、活躍期は承久(一二一九〜二二)の頃にあたる。末弟国綱は後に北条氏の招きで鎌倉へ下向し、相州鍛冶草創の一人に数えられる。長兄国友の子則国を経て、左兵衛尉国吉、その子または弟子の藤四郎吉光へと、御番鍛冶の世代から短刀の名手の世代へと一門は続き、別流の新藤五国光は相州伝の事実上の創始者として行光・正宗・則重を育てた。 作域の核は、備前の華やかな丁子の対極にある、静かで抑えた直刃にある。よく約んだ小板目に地沸を厚くつけた精美な地の上へ、小沸出来の細直刃ないし直刃調の小乱れを匂深く焼き、小互の目・小丁子・小足・葉を交え、金筋・砂流しを細かにかける。匂口は締りごころに明るく冴え、帽子は穏やかな小丸に返り、しばしば掃きかけを伴う。表裏には護摩箸・素剣・梵字を彫り、その護摩箸は間隔狭く棟に寄せて彫るのが一門共通の手癖である。同じ作風の中にも工ごとの標識が宿る。久国は兄弟の中で最も沸が強く、国友・国安は匂口がうるみ、国安は連れごころの小互の目に押し詰まった小乱れを守って一派の乱れの手を担い、則国は国吉・吉光に通じつつ比較的沸が強い。国吉・吉光に至って刃は明るい直刃へ傾き、二重刃や帽子下の沸の喰下がりがその手癖となる。来時代へ下るにつれ穏雅な細直刃の比重が増す一方、国綱のみは板目が肌立って刃沸の目立つ剛壮な異風を見せ、来たるべき相模の力強い作風へ傾く。 鑑定の拠りどころは明快である。梨子地状の精美な小板目地、潤って冴えるかね、締まって明るい直刃調の刃に細かくかかる金筋・砂流し、これらが揃えば初期粟田口と鑑せられる。各工は解説中の物差しによって分かたれる。久国は格調の高さで、国安は安の字の崩しと連れごころの小互の目で、国清は兄国安への親近で、則国は子国吉に近い国の字で読まれる。そして一門を貫く対比は来派との別である。粟田口の地刃の沸は来物より一段と厚く強く感じられ、寸法の割に身幅狭く重ね厚い造込みは来にまず見ない。位置づけの頂点には、相模国の新藤五国光と並ぶ短刀の名人吉光が立ち、江戸期には正宗・江と共に天下三作の筆頭に挙げられた。流暢な二字銘そのものが鑑識の対象である。代表作の重みは伝来に表れ、名物鬼丸国綱は天下五剣の一つとして皇室に納まり、一期一振藤四郎は太閤秀吉の蔵刀、陸奥新藤五は奥州伊達家重代として伝わる。山城の精錬な沸の直刃は来の名工が汲んだ源であり、ひいては新藤五国光から相州伝へと展開する源流でもあって、本流派は日本刀の地鉄の最高峰を示すとともに、後世の二大潮流の発端に立つ。 詳しく見る →
鎌倉時代の山城
政権は鎌倉にあったが、美意識はなお京都が定めた。粟田口派の梨子地肌は完璧の代名詞となり、来派は公家にも上級の武家にも大寺にも、堂々たる太刀を納めている。
特別保存刀剣の中から、特に出来が優れ、国認定の重要美術品に準ずると判断された名品です。年に一度の重要刀剣審査で選ばれます。
極めて選別的で、日本に登録された約250万口の刀剣のうち、重要刀剣に達したものは12,307口(約203口に1口)にすぎません。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイト商品到着後7日以内にご連絡ください。その際の送料はお客様ご負担とさせていただきます。ご返金は、商品到着後お送りしたときと同じ状態であることを確認の上、翌日ご指定の口座にお振込みさせていただきます。