Ginza Choshuya 東京都中央区銀座3-10-4 月–土 9:30–17:30 最上大業物作者として遍く知られる長舩秀光は、南北朝時代後期の至徳頃が活躍期。同銘は南北朝初期から室町時代初期の応永頃まで数えるが、中でもこの秀光が小反と呼ばれる一類の最先端を走り、長舩の正系兼光などの作風を下地と��しながらも新時代を予感させる刃文を展開し、刃味鋭いことから殊に実戦の場で重宝されたのである。


備前伝 · 備前 · 1334-1372頃
藤代 Jo-jo saku · 刀剣大鑑 上位17%
現在1点販売中
備州長船秀光は、銘鑑によれば初代を建武とし、以後応安・至徳・応永と同名四代を挙げているが、厳密な代別については今後の研究を俟つ。現存する年紀作から、南北朝時代中期から同時代末期にかけて活躍した刀工と見られ、所謂「小反り物」の一人と位置づけられる。作風から、兼光一門や長義、元重、大宮一門とは異なる、南北朝時代末期の刀工群に属すると考えられている。同銘の刀工が複数代にわたり存在したと考えられ、「左衛門尉」の任官名を持つものも存在する。
秀光の作風は、板目肌が特徴的で、杢目や流れ肌を交える作例が見られる。肌立ちごころとなることもあり、地沸がつき、地景が入り、映りが立つ。特に「乱れ映り」が立つ点が指摘されている。刃文は、中直刃を基調とするものから、互の目、小互の目、角互の目、尖り刃など、多様な刃文を焼いている。これらの刃文が複雑に交じり合い、総じて「小模様」となる傾向がある。足・葉が入り、匂口は締まりごころで、小沸がつき、砂流しや金筋がかかる。帽子は直ぐ、または乱れ込みとなり、小丸、尖りごころに返る。姿は、鎬造、庵棟で、身幅尋常、腰反りがつき、中鋒となるものが多い。南北朝時代の体配を示し、元先の幅差がさほど開かない点も特徴である。作風は、隣国青江派に近似すると評されることもある。
秀光の刀剣は、地刃が健全で、地鉄がよく錬れて精美である点が評価されている。匂口が明るく冴えた作は、特に高く評価される。一方で、作柄は兼光一派に及ばないものが多いとされる。年紀銘が残る作が多く、特に永徳、至徳、明徳といった年紀銘は、作風を特定する上で貴重な資料となる。総じて、小反り物の特色をよく示しており、資料的価値も高いと評価されている。
秀光の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
在銘年紀作が示す、確実に活動していた年代
備前伝 · 備前
現在24点販売中
小反は、南北朝時代末期から室町時代初期にかけて備前長船の地に働いた一群の刀工を、血脈ではなく除外によって括った呼称である。すなわち兼光一門、長義、元重、大宮一門といった当時の長船の主立った系統のいずれにも直接の師弟関係を結ばぬ周縁の手を、まとめて一名のもとに集めたものであり、その名の意味するところは今日なお漠然としていると本会は率直に記す。秀光、家助、成家、家守、師光、守助らがこれに数えられ、銘鑑はおのおのを数代に立てて初代を鎌倉後期から建武・暦応の頃に置くが、確たる初代作を経眼せず、現存の有銘作はおおむね文和・貞治から永徳・明徳を経て応永一桁代に及ぶ。それゆえ各遺例は一手に確定的に帰すよりも、作風と年紀によって読まれるのを常とする。師光が倫光の子にして応永備前の盛光の父と伝えられ、家助が畠田派を承けて応永備前の一角をなすように、この一群は長船嫡流の華やかな本流とその次代の応永備前との間に、静かな周縁の地帯をなして横たわる。 この一派を貫く手は小模様の乱れである。兼光一門が太く円い互の目を焼くのに対し、小反の工はおおむね同じ趣を小さくこずんだ刃に収め、小のたれを本位として小互の目を連れごころに焼き、これに尖り刃、角ばる刃、腰の開いた互の目を交え、処々逆ごころを見せて、総じて小さくこずむ。足・葉よく入り、匂を主調にわずかに小沸つき、金筋・砂流しが細かに働き、丁子を交えてもなお控えめにとどまる。地鉄は板目に杢を交えて流れごころとなり、肌やや立って地沸細かにつき、地景が黒く沈み、時に地斑を交え、その上に淡い、あるいは鮮明な乱れ映りが立つ。短刀・平造の作では棒映り、直ぐ状の映りとなるものも見え、いずれにせよこの映りが、同時代の相州風の手から一派を分かち、備前の地に繋ぎ止める最も確かな標となる。帽子は刃文に従って乱れ込み尖りごころに掃きかけ、あるいは小丸に結ぶ。棒樋を掻き、梵字、護摩箸、倶利迦羅などを彫る作もある。一派の常を越えて、師光の至徳の太刀のように腰の開いた互の目に高低を見せて華やかに乱れ、応永備前を予兆させる作もあり、家守の応永の太刀のごとく重ね厚く先反りを加えて次代の姿に近づくものもある。 収集の観点から小反の物が求められるのは、何よりそれが資料として明瞭であるからである。鑑定の勘所は二つの敷居を分かつことにある。一つは兼光本流との別で、模様の小さくこずむ点と、やや控えめな作位とによってこれを読み、いま一つは応永備前との別で、腰の開いた互の目と棒映りのうちに次代の萌芽を見ながら、なお南北朝の古調の姿と抑えた焼きにとどまる点をもって分かつ。主要な工の格はおのずから別れ、師光は上々作に位し、秀光、家助、成家、守助、家守らは中上作の位を占める。在銘の作はおおむね生ぶで年紀を備えた太刀として遺り、成家のように大磨上無銘の刀によって主に知られる工もあるが、いずれの場合も、年紀の確かな南北朝の備前として頗る貴重とされる。伝来は概して薄いが確かで、黒田家、加賀前田家、庄内酒井家、皇室の手を経た作や、林原美術館、東京国立博物館、京都国立博物館、春日大社に伝わる作が知られ、その多くは伝持されて市場に現れることは稀である。在銘有年紀の小反物が世に出るのは折に触れてに過ぎず、根気を要するが、現れればそれは、長船派が南北朝の世をいかに閉じ、応永の再興へといかに身を運んだかを、一年一年読みうる確かな文書となる。
販売店の出品ページで鑑定書を確認できませんでした。日本刀および刀装具は通常、NBTHK(または NTHK)の鑑定を受けます。鑑定書がない場合、極めは販売店の見解にとどまり、第三者による確認は行われていません。ご購入前に販売店へ鑑定書の有無をお問い合わせのうえ、慎重にご判断ください。
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Ginza Choshuya 東京都中央区銀座3-10-4 月–土 9:30–17:30 最上大業物作者として遍く知られる長舩秀光は、南北朝時代後期の至徳頃が活躍期。同銘は南北朝初期から室町時代初期の応永頃まで数えるが、中でもこの秀光が小反と呼ばれる一類の最先端を走り、長舩の正系兼光などの作風を下地と��しながらも新時代を予感させる刃文を展開し、刃味鋭いことから殊に実戦の場で重宝されたのである。


備前伝 · 備前 · 1334-1372頃
藤代 Jo-jo saku · 刀剣大鑑 上位17%
現在1点販売中
備州長船秀光は、銘鑑によれば初代を建武とし、以後応安・至徳・応永と同名四代を挙げているが、厳密な代別については今後の研究を俟つ。現存する年紀作から、南北朝時代中期から同時代末期にかけて活躍した刀工と見られ、所謂「小反り物」の一人と位置づけられる。作風から、兼光一門や長義、元重、大宮一門とは異なる、南北朝時代末期の刀工群に属すると考えられている。同銘の刀工が複数代にわたり存在したと考えられ、「左衛門尉」の任官名を持つものも存在する。
秀光の作風は、板目肌が特徴的で、杢目や流れ肌を交える作例が見られる。肌立ちごころとなることもあり、地沸がつき、地景が入り、映りが立つ。特に「乱れ映り」が立つ点が指摘されている。刃文は、中直刃を基調とするものから、互の目、小互の目、角互の目、尖り刃など、多様な刃文を焼いている。これらの刃文が複雑に交じり合い、総じて「小模様」となる傾向がある。足・葉が入り、匂口は締まりごころで、小沸がつき、砂流しや金筋がかかる。帽子は直ぐ、または乱れ込みとなり、小丸、尖りごころに返る。姿は、鎬造、庵棟で、身幅尋常、腰反りがつき、中鋒となるものが多い。南北朝時代の体配を示し、元先の幅差がさほど開かない点も特徴である。作風は、隣国青江派に近似すると評されることもある。
秀光の刀剣は、地刃が健全で、地鉄がよく錬れて精美である点が評価されている。匂口が明るく冴えた作は、特に高く評価される。一方で、作柄は兼光一派に及ばないものが多いとされる。年紀銘が残る作が多く、特に永徳、至徳、明徳といった年紀銘は、作風を特定する上で貴重な資料となる。総じて、小反り物の特色をよく示しており、資料的価値も高いと評価されている。
秀光の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
在銘年紀作が示す、確実に活動していた年代
備前伝 · 備前
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小反は、南北朝時代末期から室町時代初期にかけて備前長船の地に働いた一群の刀工を、血脈ではなく除外によって括った呼称である。すなわち兼光一門、長義、元重、大宮一門といった当時の長船の主立った系統のいずれにも直接の師弟関係を結ばぬ周縁の手を、まとめて一名のもとに集めたものであり、その名の意味するところは今日なお漠然としていると本会は率直に記す。秀光、家助、成家、家守、師光、守助らがこれに数えられ、銘鑑はおのおのを数代に立てて初代を鎌倉後期から建武・暦応の頃に置くが、確たる初代作を経眼せず、現存の有銘作はおおむね文和・貞治から永徳・明徳を経て応永一桁代に及ぶ。それゆえ各遺例は一手に確定的に帰すよりも、作風と年紀によって読まれるのを常とする。師光が倫光の子にして応永備前の盛光の父と伝えられ、家助が畠田派を承けて応永備前の一角をなすように、この一群は長船嫡流の華やかな本流とその次代の応永備前との間に、静かな周縁の地帯をなして横たわる。 この一派を貫く手は小模様の乱れである。兼光一門が太く円い互の目を焼くのに対し、小反の工はおおむね同じ趣を小さくこずんだ刃に収め、小のたれを本位として小互の目を連れごころに焼き、これに尖り刃、角ばる刃、腰の開いた互の目を交え、処々逆ごころを見せて、総じて小さくこずむ。足・葉よく入り、匂を主調にわずかに小沸つき、金筋・砂流しが細かに働き、丁子を交えてもなお控えめにとどまる。地鉄は板目に杢を交えて流れごころとなり、肌やや立って地沸細かにつき、地景が黒く沈み、時に地斑を交え、その上に淡い、あるいは鮮明な乱れ映りが立つ。短刀・平造の作では棒映り、直ぐ状の映りとなるものも見え、いずれにせよこの映りが、同時代の相州風の手から一派を分かち、備前の地に繋ぎ止める最も確かな標となる。帽子は刃文に従って乱れ込み尖りごころに掃きかけ、あるいは小丸に結ぶ。棒樋を掻き、梵字、護摩箸、倶利迦羅などを彫る作もある。一派の常を越えて、師光の至徳の太刀のように腰の開いた互の目に高低を見せて華やかに乱れ、応永備前を予兆させる作もあり、家守の応永の太刀のごとく重ね厚く先反りを加えて次代の姿に近づくものもある。 収集の観点から小反の物が求められるのは、何よりそれが資料として明瞭であるからである。鑑定の勘所は二つの敷居を分かつことにある。一つは兼光本流との別で、模様の小さくこずむ点と、やや控えめな作位とによってこれを読み、いま一つは応永備前との別で、腰の開いた互の目と棒映りのうちに次代の萌芽を見ながら、なお南北朝の古調の姿と抑えた焼きにとどまる点をもって分かつ。主要な工の格はおのずから別れ、師光は上々作に位し、秀光、家助、成家、守助、家守らは中上作の位を占める。在銘の作はおおむね生ぶで年紀を備えた太刀として遺り、成家のように大磨上無銘の刀によって主に知られる工もあるが、いずれの場合も、年紀の確かな南北朝の備前として頗る貴重とされる。伝来は概して薄いが確かで、黒田家、加賀前田家、庄内酒井家、皇室の手を経た作や、林原美術館、東京国立博物館、京都国立博物館、春日大社に伝わる作が知られ、その多くは伝持されて市場に現れることは稀である。在銘有年紀の小反物が世に出るのは折に触れてに過ぎず、根気を要するが、現れればそれは、長船派が南北朝の世をいかに閉じ、応永の再興へといかに身を運んだかを、一年一年読みうる確かな文書となる。
販売店の出品ページで鑑定書を確認できませんでした。日本刀および刀装具は通常、NBTHK(または NTHK)の鑑定を受けます。鑑定書がない場合、極めは販売店の見解にとどまり、第三者による確認は行われていません。ご購入前に販売店へ鑑定書の有無をお問い合わせのうえ、慎重にご判断ください。
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