鎌倉時代は備前の頂点である。伝えでは一文字派の工が後鳥羽上皇の御番鍛冶に列し、世紀の半ばには光忠が長船派を興して、注文は公家からも武家政権からも流れ込んだ。国宝刀剣の数で備前に並ぶ国はない。
守久 -Morihisa- 刃長63.5センチ 反り1.9センチ 元幅25.7ミリ 元重ね6.2ミリ 物打幅20.8ミリ 横手位置幅15.8ミリ 物打重ね4.8ミリ 松葉先重ね3.2ミリ 目釘穴1個 裸身重量482グラム 拵に納めて鞘を払った重量763グラム 鎌倉後期 The latter period of Kamakura era 昭和31年1月28日 福岡県登録 附属 特別保存刀剣鑑定書、保存刀装具鑑定書、特別貴重刀剣認定書、特別貴重小道具認定書、素銅地金着太刀はばき、白鞘、継木、茶石目塗鞘太刀拵、桐箱 守久を名乗る刀工は複数存在し、本刀については制作国を特定するには至っていないものの、鎌倉後期の「守久」在銘作として特別保存刀剣鑑定書が交付された貴重な一振です。元来より短寸に鍛えられた小太刀の類と考えられ、後世に磨上げを受けながらも茎尻には「守久」の二字銘がしっかりと残され、刃長63.5センチ、反り1.9センチという小振りな寸法の中に、踏ん張りある鎌倉古作らしい古雅な姿を留めています。長大で腰反りの深い馬上用太刀とは趣を異にし、殿中あるいは徒士用として佩用された小太刀を想起させる姿であり、短寸ながらも太刀としての品格を失っていません。 地鉄は柾目を主体に杢目を交えてよく錬れ、肌立ちごころとなり、地には淡く乱れ映りが立っています。刃文は直刃を基調として所々に小湾れを交え、沸がよく付き匂口は明るく冴え、刃中には金筋、稲妻が働き、刃縁には打除が連なって部分的に二重刃風を呈するなど、古作ならではの変化を随所に見せています。華やかな刃文で目を引く類ではなく、地鉄と刃中の細かな働きを見込むほどに味わいを増す作で、柾がかった鍛えと直刃調の焼刃、二重刃を思わせる働きなどには大和物を想起させる趣があり、従来より千手院系を考えさせる一刀として見てきた作品です。ただし現在の鑑定では制作国まで特定されていないため、これはあくまで地刃から受ける作風上の所感となります。 附属する茶石目塗鞘太刀拵も本刀の価値を大きく高める存在で、唐草文を施した鐔を中心に、総金具には花菱文、目貫には剣花角文を配し、大切羽には四方猪目透が施されています。足金物部分には金属製の山形金具ではなく練革を用いた古格ある構成が見られ、亀甲文様の太刀緒も両端に傷みを生じながら今日まで残存しています。白鮫を着せた柄、金色の金具類、落ち着いた茶石目塗鞘が調和し、華美に流れることなく品格を備えた外装に仕立てられており、永い時代を経た太刀拵ならではの風情をよく伝えています。鐔鳴りを僅かに認めるものの柄に目立ったがたつきはなく、拵に納めて鞘を払った重量は763グラムと軽快で、実際に手にすると短寸の刀身と相まって手元に収まりのよい均整の取れた姿を感じさせます。 本刀には昭和47年4月14日付の特別貴重刀剣認定書が伝来し、太刀拵にも旧来の特別貴重小道具認定書ならびに現在の保存刀装具鑑定書が附属しています。かつて平成26年5月の審査では保留となった経緯を持ちますが、このたび改めて審査を経て、鎌倉後期の「守久」在銘作として新たに特別保存刀剣鑑定書が交付されました。これは本刀を評価するうえで極めて重要な点であり、従来の旧認定だけでは判断の難しかった時代と銘について、現在の鑑定によって鎌倉後期まで遡る在銘古刀として評価されたことになります。 鎌倉時代まで遡る刀そのものが今日では貴重ですが、本刀は無銘の古刀ではなく「守久」の二字銘を残し、さらに特別保存刀剣として評価された在銘品であるところに大きな価値があります。制作国が特定されていない点は評価上考慮すべきものの、鎌倉後期という時代、在銘であること、地刃に古作としての見所を備えること、そして古い太刀拵まで一括して伝来していることを総合すれば、単純に著名工の序列だけで価値を測るべき作品ではありません。旧認定書から現在の特別保存刀剣鑑定書に至る鑑定履歴まで残されており、一口の太刀が歩んできた評価の変遷そのものを辿ることができる点も興味深いところです。 古雅な短寸の太刀姿、鎌倉古作らしい地刃、「守久」の在銘、そして時代を経た太刀拵を併せて今日まで伝えた内外揃いの一口であり、刀身だけを切り離して見るのではなく、長い年月を経て残された太刀として総体を鑑賞していただきたい作品です。新たに特別保存刀剣鑑定書が交付されたことによって、本刀が本来備えていた価値を改めて評価できる環境が整った今、鎌倉後期の在銘古刀を太刀拵とともに所蔵できる機会として、じっくりとお勧めしたい一刀です。





















備前伝 · 備前 · 1362-1368頃
刀剣大鑑 上位31%
現在2点販売中
守久の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
備前伝 · 備前
現在29点販売中
小反は、南北朝時代末期から室町時代初期にかけて備前長船の地に働いた一群の刀工を、血脈ではなく除外によって括った呼称である。すなわち兼光一門、長義、元重、大宮一門といった当時の長船の主立った系統のいずれにも直接の師弟関係を結ばぬ周縁の手を、まとめて一名のもとに集めたものであり、その名の意味するところは今日なお漠然としていると本会は率直に記す。秀光、家助、成家、家守、師光、守助らがこれに数えられ、銘鑑はおのおのを数代に立てて初代を鎌倉後期から建武・暦応の頃に置くが、確たる初代作を経眼せず、現存の有銘作はおおむね文和・貞治から永徳・明徳を経て応永一桁代に及ぶ。それゆえ各遺例は一手に確定的に帰すよりも、作風と年紀によって読まれるのを常とする。師光が倫光の子にして応永備前の盛光の父と伝えられ、家助が畠田派を承けて応永備前の一角をなすように、この一群は長船嫡流の華やかな本流とその次代の応永備前との間に、静かな周縁の地帯をなして横たわる。 この一派を貫く手は小模様の乱れである。兼光一門が太く円い互の目を焼くのに対し、小反の工はおおむね同じ趣を小さくこずんだ刃に収め、小のたれを本位として小互の目を連れごころに焼き、これに尖り刃、角ばる刃、腰の開いた互の目を交え、処々逆ごころを見せて、総じて小さくこずむ。足・葉よく入り、匂を主調にわずかに小沸つき、金筋・砂流しが細かに働き、丁子を交えてもなお控えめにとどまる。地鉄は板目に杢を交えて流れごころとなり、肌やや立って地沸細かにつき、地景が黒く沈み、時に地斑を交え、その上に淡い、あるいは鮮明な乱れ映りが立つ。短刀・平造の作では棒映り、直ぐ状の映りとなるものも見え、いずれにせよこの映りが、同時代の相州風の手から一派を分かち、備前の地に繋ぎ止める最も確かな標となる。帽子は刃文に従って乱れ込み尖りごころに掃きかけ、あるいは小丸に結ぶ。棒樋を掻き、梵字、護摩箸、倶利迦羅などを彫る作もある。一派の常を越えて、師光の至徳の太刀のように腰の開いた互の目に高低を見せて華やかに乱れ、応永備前を予兆させる作もあり、家守の応永の太刀のごとく重ね厚く先反りを加えて次代の姿に近づくものもある。 収集の観点から小反の物が求められるのは、何よりそれが資料として明瞭であるからである。鑑定の勘所は二つの敷居を分かつことにある。一つは兼光本流との別で、模様の小さくこずむ点と、やや控えめな作位とによってこれを読み、いま一つは応永備前との別で、腰の開いた互の目と棒映りのうちに次代の萌芽を見ながら、なお南北朝の古調の姿と抑えた焼きにとどまる点をもって分かつ。主要な工の格はおのずから別れ、師光は上々作に位し、秀光、家助、成家、守助、家守らは中上作の位を占める。在銘の作はおおむね生ぶで年紀を備えた太刀として遺り、成家のように大磨上無銘の刀によって主に知られる工もあるが、いずれの場合も、年紀の確かな南北朝の備前として頗る貴重とされる。伝来は概して薄いが確かで、黒田家、加賀前田家、庄内酒井家、皇室の手を経た作や、林原美術館、東京国立博物館、京都国立博物館、春日大社に伝わる作が知られ、その多くは伝持されて市場に現れることは稀である。在銘有年紀の小反物が世に出るのは折に触れてに過ぎず、根気を要するが、現れればそれは、長船派が南北朝の世をいかに閉じ、応永の再興へといかに身を運んだかを、一年一年読みうる確かな文書となる。 詳しく見る →
鎌倉時代の備前
鎌倉時代は備前の頂点である。伝えでは一文字派の工が後鳥羽上皇の御番鍛冶に列し、世紀の半ばには光忠が長船派を興して、注文は公家からも武家政権からも流れ込んだ。国宝刀剣の数で備前に並ぶ国はない。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトお求めになられた商品とは異なる商品をお届けしてしまった場合や、表記内容と現物とに大きな隔たりなどがあった場合を除き、基本的に返品はお受けいたしません。返品をご要望の場合は、商品到着後3日以内に御連絡の上ご返送下さい。

¥6,600,000
守久 -Morihisa- 刃長63.5センチ 反り1.9センチ 元幅25.7ミリ 元重ね6.2ミリ 物打幅20.8ミリ 横手位置幅15.8ミリ 物打重ね4.8ミリ 松葉先重ね3.2ミリ 目釘穴1個 裸身重量482グラム 拵に納めて鞘を払った重量763グラム 鎌倉後期 The latter period of Kamakura era 昭和31年1月28日 福岡県登録 附属 特別保存刀剣鑑定書、保存刀装具鑑定書、特別貴重刀剣認定書、特別貴重小道具認定書、素銅地金着太刀はばき、白鞘、継木、茶石目塗鞘太刀拵、桐箱 守久を名乗る刀工は複数存在し、本刀については制作国を特定するには至っていないものの、鎌倉後期の「守久」在銘作として特別保存刀剣鑑定書が交付された貴重な一振です。元来より短寸に鍛えられた小太刀の類と考えられ、後世に磨上げを受けながらも茎尻には「守久」の二字銘がしっかりと残され、刃長63.5センチ、反り1.9センチという小振りな寸法の中に、踏ん張りある鎌倉古作らしい古雅な姿を留めています。長大で腰反りの深い馬上用太刀とは趣を異にし、殿中あるいは徒士用として佩用された小太刀を想起させる姿であり、短寸ながらも太刀としての品格を失っていません。 地鉄は柾目を主体に杢目を交えてよく錬れ、肌立ちごころとなり、地には淡く乱れ映りが立っています。刃文は直刃を基調として所々に小湾れを交え、沸がよく付き匂口は明るく冴え、刃中には金筋、稲妻が働き、刃縁には打除が連なって部分的に二重刃風を呈するなど、古作ならではの変化を随所に見せています。華やかな刃文で目を引く類ではなく、地鉄と刃中の細かな働きを見込むほどに味わいを増す作で、柾がかった鍛えと直刃調の焼刃、二重刃を思わせる働きなどには大和物を想起させる趣があり、従来より千手院系を考えさせる一刀として見てきた作品です。ただし現在の鑑定では制作国まで特定されていないため、これはあくまで地刃から受ける作風上の所感となります。 附属する茶石目塗鞘太刀拵も本刀の価値を大きく高める存在で、唐草文を施した鐔を中心に、総金具には花菱文、目貫には剣花角文を配し、大切羽には四方猪目透が施されています。足金物部分には金属製の山形金具ではなく練革を用いた古格ある構成が見られ、亀甲文様の太刀緒も両端に傷みを生じながら今日まで残存しています。白鮫を着せた柄、金色の金具類、落ち着いた茶石目塗鞘が調和し、華美に流れることなく品格を備えた外装に仕立てられており、永い時代を経た太刀拵ならではの風情をよく伝えています。鐔鳴りを僅かに認めるものの柄に目立ったがたつきはなく、拵に納めて鞘を払った重量は763グラムと軽快で、実際に手にすると短寸の刀身と相まって手元に収まりのよい均整の取れた姿を感じさせます。 本刀には昭和47年4月14日付の特別貴重刀剣認定書が伝来し、太刀拵にも旧来の特別貴重小道具認定書ならびに現在の保存刀装具鑑定書が附属しています。かつて平成26年5月の審査では保留となった経緯を持ちますが、このたび改めて審査を経て、鎌倉後期の「守久」在銘作として新たに特別保存刀剣鑑定書が交付されました。これは本刀を評価するうえで極めて重要な点であり、従来の旧認定だけでは判断の難しかった時代と銘について、現在の鑑定によって鎌倉後期まで遡る在銘古刀として評価されたことになります。 鎌倉時代まで遡る刀そのものが今日では貴重ですが、本刀は無銘の古刀ではなく「守久」の二字銘を残し、さらに特別保存刀剣として評価された在銘品であるところに大きな価値があります。制作国が特定されていない点は評価上考慮すべきものの、鎌倉後期という時代、在銘であること、地刃に古作としての見所を備えること、そして古い太刀拵まで一括して伝来していることを総合すれば、単純に著名工の序列だけで価値を測るべき作品ではありません。旧認定書から現在の特別保存刀剣鑑定書に至る鑑定履歴まで残されており、一口の太刀が歩んできた評価の変遷そのものを辿ることができる点も興味深いところです。 古雅な短寸の太刀姿、鎌倉古作らしい地刃、「守久」の在銘、そして時代を経た太刀拵を併せて今日まで伝えた内外揃いの一口であり、刀身だけを切り離して見るのではなく、長い年月を経て残された太刀として総体を鑑賞していただきたい作品です。新たに特別保存刀剣鑑定書が交付されたことによって、本刀が本来備えていた価値を改めて評価できる環境が整った今、鎌倉後期の在銘古刀を太刀拵とともに所蔵できる機会として、じっくりとお勧めしたい一刀です。





















備前伝 · 備前 · 1362-1368頃
刀剣大鑑 上位31%
現在2点販売中
守久の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
備前伝 · 備前
現在29点販売中
小反は、南北朝時代末期から室町時代初期にかけて備前長船の地に働いた一群の刀工を、血脈ではなく除外によって括った呼称である。すなわち兼光一門、長義、元重、大宮一門といった当時の長船の主立った系統のいずれにも直接の師弟関係を結ばぬ周縁の手を、まとめて一名のもとに集めたものであり、その名の意味するところは今日なお漠然としていると本会は率直に記す。秀光、家助、成家、家守、師光、守助らがこれに数えられ、銘鑑はおのおのを数代に立てて初代を鎌倉後期から建武・暦応の頃に置くが、確たる初代作を経眼せず、現存の有銘作はおおむね文和・貞治から永徳・明徳を経て応永一桁代に及ぶ。それゆえ各遺例は一手に確定的に帰すよりも、作風と年紀によって読まれるのを常とする。師光が倫光の子にして応永備前の盛光の父と伝えられ、家助が畠田派を承けて応永備前の一角をなすように、この一群は長船嫡流の華やかな本流とその次代の応永備前との間に、静かな周縁の地帯をなして横たわる。 この一派を貫く手は小模様の乱れである。兼光一門が太く円い互の目を焼くのに対し、小反の工はおおむね同じ趣を小さくこずんだ刃に収め、小のたれを本位として小互の目を連れごころに焼き、これに尖り刃、角ばる刃、腰の開いた互の目を交え、処々逆ごころを見せて、総じて小さくこずむ。足・葉よく入り、匂を主調にわずかに小沸つき、金筋・砂流しが細かに働き、丁子を交えてもなお控えめにとどまる。地鉄は板目に杢を交えて流れごころとなり、肌やや立って地沸細かにつき、地景が黒く沈み、時に地斑を交え、その上に淡い、あるいは鮮明な乱れ映りが立つ。短刀・平造の作では棒映り、直ぐ状の映りとなるものも見え、いずれにせよこの映りが、同時代の相州風の手から一派を分かち、備前の地に繋ぎ止める最も確かな標となる。帽子は刃文に従って乱れ込み尖りごころに掃きかけ、あるいは小丸に結ぶ。棒樋を掻き、梵字、護摩箸、倶利迦羅などを彫る作もある。一派の常を越えて、師光の至徳の太刀のように腰の開いた互の目に高低を見せて華やかに乱れ、応永備前を予兆させる作もあり、家守の応永の太刀のごとく重ね厚く先反りを加えて次代の姿に近づくものもある。 収集の観点から小反の物が求められるのは、何よりそれが資料として明瞭であるからである。鑑定の勘所は二つの敷居を分かつことにある。一つは兼光本流との別で、模様の小さくこずむ点と、やや控えめな作位とによってこれを読み、いま一つは応永備前との別で、腰の開いた互の目と棒映りのうちに次代の萌芽を見ながら、なお南北朝の古調の姿と抑えた焼きにとどまる点をもって分かつ。主要な工の格はおのずから別れ、師光は上々作に位し、秀光、家助、成家、守助、家守らは中上作の位を占める。在銘の作はおおむね生ぶで年紀を備えた太刀として遺り、成家のように大磨上無銘の刀によって主に知られる工もあるが、いずれの場合も、年紀の確かな南北朝の備前として頗る貴重とされる。伝来は概して薄いが確かで、黒田家、加賀前田家、庄内酒井家、皇室の手を経た作や、林原美術館、東京国立博物館、京都国立博物館、春日大社に伝わる作が知られ、その多くは伝持されて市場に現れることは稀である。在銘有年紀の小反物が世に出るのは折に触れてに過ぎず、根気を要するが、現れればそれは、長船派が南北朝の世をいかに閉じ、応永の再興へといかに身を運んだかを、一年一年読みうる確かな文書となる。 詳しく見る →
鎌倉時代の備前
鎌倉時代は備前の頂点である。伝えでは一文字派の工が後鳥羽上皇の御番鍛冶に列し、世紀の半ばには光忠が長船派を興して、注文は公家からも武家政権からも流れ込んだ。国宝刀剣の数で備前に並ぶ国はない。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトお求めになられた商品とは異なる商品をお届けしてしまった場合や、表記内容と現物とに大きな隔たりなどがあった場合を除き、基本的に返品はお受けいたしません。返品をご要望の場合は、商品到着後3日以内に御連絡の上ご返送下さい。

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