室町の長船は輸出産業であった。明との勘合貿易はおよそ十二万八千振の日本刀を海の彼方へ運び、国内では戦国の軍勢が買い手となった。注文主の俗名を銘に刻む注文打ちが、兵卒用の数打ち物と並んで鍛えられている。
Eikyo era (A.D.1429-1440, early Muromachi period) Moto-haba (Width at Ha-machi) approx. 2.79cm Saki-haba(Width at Kissaki) approx.1.94cm Engraving: "Bo-hi" maru-dome on the both sides 長舩経家は室町初期の永享頃を主活躍期とし、有力守護大名赤松氏の庇護を受けた盛光、康光、家助らと共に、一文字や長舩光忠、長光など鎌倉期の名工に倣って作刀に励み、加賀前田家の支藩大聖寺家伝来の二字銘の太刀(重要美術品)等をはじめとする優品の数々を遺した、永享備前を代表する名流(注)。応永備前の作風を受け継いで良く詰んだ地鉄に覇気が溢れ、片手での操作性を追求した実戦的造り込みとしている。











備前伝 · 備前 · 1429-1462頃
藤代 中上作 · 刀剣大鑑 上位31%
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経家は備州長船派の刀工であり、銘鑑には畠田派の刀工と伝えられる。初代は鎌倉中期とあるものの、現存する作刀で応永以前に遡るものは極めて稀である。盛光・康光に次ぐ応永備前の良工として知られ、家助らと同時代に活躍した。作風は同時代の則光などと共通する室町中期の典型的な作風を示すものもある。
作風としては、太刀・脇指ともに、尋常な身幅の割に長寸となる体配を特徴とする。地鉄は小板目肌に杢目を交え、地沸がつき、地景が入る。棒映りが立つ作も多く見られる。刃文は腰の開いた互の目に丁子を交えるものが多いが、直刃もまた得意とする。直刃は、僅かに尖りごころの小互の目を交え、匂主調となる。互の目乱れは、小丁子や小のたれを交え、小足が入り、匂口締りごころに冴える。帽子は乱れ込み、先尖って返るものや、小丸ごころに返るものがある。茎は生ぶで、先栗尻、鑢目は筋違または勝手下りとなる。銘は指表目釘孔下中央に長銘を刻むものと、佩表棟寄りに小さく二字銘を刻むものがある。
経家の刀は、地刃の出来が良く、健全であることが評価される。地鉄が錬れて明るく冴え、姿・地刃全てにわたって保存が良いものが好ましいとされる。応永備前の作風がよく示されたもので、特に重ねの厚い堂々とした体配のものが評価が高い。作風は同期の康光に類似する点が見られる。
經家の位置づけを、日本刀全体および伝法・時代・時期ごとに示します。各区分(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
在銘年紀作が示す、確実に活動していた年代
備前伝 · 備前
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備前国邑久郡長船の地に興り、鎌倉時代中期から室町時代末期に至るまで連綿と鍛刀を続けた、刀剣史上最大の流派である。事実上の祖は光忠で、近忠の子と伝えるが近忠の作刀が知られないため、長船本流の起点はこの工に置かれる。古伝はその源を古備前正恒の一類が長船に移り住んだことに求め、光忠はその流れを承けて一門を興したと説く。すなわち本流派は、古備前の地盤の上に、丁子を主調とする華麗な作風をもって自立した備前鍛冶の本系である。光忠の下に長光、真長、景光らが輩出し、以後、相伝備前の兼光・長義・元重、室町初期の応永備前を経て末備前に至るまで、備前伝の中核を担い続けた。 作風は備前伝を基盤とし、よく錬れて杢を交えた板目に地沸が微塵につき、地景が細かに入り、地に乱れ映りが鮮明に立つ鍛えを共通の地とする。この乱れ映りこそ、在銘無銘を問わず一門の作を備前へ繋ぎ止める最も確かな標である。刃文には世代ごとの軸がある。草創の古長船にあって光忠は蛙子丁子を看どころとし、子の長光は頭の丸いふくらみのある丁子を加え、孫の景光は片落ち互の目を完成して逆がかりの足を看どころとした。この光忠、長光、景光の三代が長船嫡流の背骨をなし、近景がその影として景光をほぼ完璧に映し、真長は同じ地に締まる匂口の直刃を得意とした。南北朝期に入ると兼光が嫡流を承けつつのたれ主調の大模様を加え、相州伝を摂取した相伝備前の作風が現れる。長義は耳形の刃を看どころに兼光以上に相州伝を強調し、長重と兼長がこれに連なり、義景は匂口の沈むところに、元重は焼頭の揃った角ばる刃と青江気質に、それぞれ別系の個性を示した。体配もまた時代を映し、鎌倉の腰反り高い太刀から、南北朝の身幅広く大鋒の延文貞治型へ、さらに応永備前では古作への復古を志して優美な太刀姿と丁子刃が甦る。康光と盛光を双璧とする応永備前は、腰の広く開いた互の目とローソクの芯と称する尖り返る帽子を看どころとし、その腰開き互の目と棒映りは末備前へと受け継がれた。長光景光以来の梵字、三鈷剣、倶利迦羅、八幡大菩薩などの刀身彫もまた、末備前まで絶えず継承された一門の標である。 鑑定にあっては、まず鮮明な乱れ映りで一門を備前と読み、次に世代と系統の看どころで工を分かつ。蛙子丁子は光忠、丸い頭の丁子は長光、逆がかる片落ち互の目は景光、のたれと角互の目は兼光、耳形の刃は長義、角ばり逆がかる刃と蝉の羽根の肌は元重、ローソクの芯の帽子は応永備前という具合に、看どころが系統と時代を指し示す。嫡流の光忠、長光、景光、兼光は藤代の最上作に列し、なかでも長光は重要文化財の指定数が全刀工中最多で、嫡流の作には名物大般若長光や小龍景光をはじめ、織田信長、徳川家康、上杉謙信ら天下を握った者の手を経た作が多い。相伝備前の長義や兼長、応永備前の康光や盛光もそれぞれ重きをなし、別系の元重もまた南北朝備前の大きな名を保つ。嫡流の在銘作が市に現れることは稀で、大半は大磨上無銘の極めとして伝わるが、長光のごとく銘を惜しまなかった工の作はなお蒐集家の手の届く範囲にある。後世への影響は計り知れず、本流派の作風と刀身彫の伝統は末備前を通じて室町備前の主流をなし、備前伝そのものの規範となった。 詳しく見る →
室町時代の備前
室町の長船は輸出産業であった。明との勘合貿易はおよそ十二万八千振の日本刀を海の彼方へ運び、国内では戦国の軍勢が買い手となった。注文主の俗名を銘に刻む注文打ちが、兵卒用の数打ち物と並んで鍛えられている。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
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