室町の長船は輸出産業であった。明との勘合貿易はおよそ十二万八千振の日本刀を海の彼方へ運び、国内では戦国の軍勢が買い手となった。注文主の俗名を銘に刻む注文打ちが、兵卒用の数打ち物と並んで鍛えられている。
文安三年紀が刻された備前國長舩経家の(注1)、至近の敵に応戦する刀として太刀に差し添えられた作。当時、備前の守護赤松氏の庇護の下では、盛光、康光、家助等刀剣史上「応永備前」と呼ばれる優工が活躍していた。経家もその一人で、加賀前田家の支藩大聖寺家伝来の二字銘の太刀(注2)(重美)に代表される優品を手掛けた名手であった。 表題の作は、元来一尺九寸程の長さがあり、真の棟で腰反り高く中鋒の小太刀風の美しい姿。地鉄は小板目に杢、流れごころの肌を交えて詰み澄み、地景が入り、地沸が微塵に付き、刃の際の暗帯部に沿って直調の映りがふわりと立ち昇り、差裏は地斑風の肌を交えて一段と濃淡の変化があり、その温潤味のある美肌は宛ら応永備前盛光や康光。直刃調の刃文は逆ごころの小互の目を交え、白雪のような沸で匂口きっぱりと明るく、小さな逆足が入り、刃中は匂で澄み冴える。帽子は浅く乱れ込み、先が突き上げて蠟燭の芯のような形となって僅かに返る応永備前帽子。茎の目釘穴は轆轤鑚で表裏から穿たれた古風な仕立て。細鑚で伸びやかに刻された銘字は入念作なることを証している。優美で、操作性に加えて刃味も優れた武士(ものゝふ)好みの一振となっている。 茶石目地塗鞘の肥後拵(ひごこしらえ)が付されている。 注...『長船町史刀剣編図録』では「技量はほかの応永備前物に匹敵するほど」と絶賛されている。


















備前伝 · 備前 · 1429-1462頃
藤代 Chu-jo saku · 刀剣大鑑 上位31%
現在1点販売中
経家は備州長船派の刀工であり、銘鑑には畠田派の刀工と伝えられる。初代は鎌倉中期とあるものの、現存する作刀で応永以前に遡るものは極めて稀である。盛光・康光に次ぐ応永備前の良工として知られ、家助らと同時代に活躍した。作風は同時代の則光などと共通する室町中期の典型的な作風を示すものもある。
作風としては、太刀・脇指ともに、尋常な身幅の割に長寸となる体配を特徴とする。地鉄は小板目肌に杢目を交え、地沸がつき、地景が入る。棒映りが立つ作も多く見られる。刃文は腰の開いた互の目に丁子を交えるものが多いが、直刃もまた得意とする。直刃は、僅かに尖りごころの小互の目を交え、匂主調となる。互の目乱れは、小丁子や小のたれを交え、小足が入り、匂口締りごころに冴える。帽子は乱れ込み、先尖って返るものや、小丸ごころに返るものがある。茎は生ぶで、先栗尻、鑢目は筋違または勝手下りとなる。銘は指表目釘孔下中央に長銘を刻むものと、佩表棟寄りに小さく二字銘を刻むものがある。
経家の刀は、地刃の出来が良く、健全であることが評価される。地鉄が錬れて明るく冴え、姿・地刃全てにわたって保存が良いものが好ましいとされる。応永備前の作風がよく示されたもので、特に重ねの厚い堂々とした体配のものが評価が高い。作風は同期の康光に類似する点が見られる。
經家の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
在銘年紀作が示す、確実に活動していた年代
備前伝 · 備前
時期区分: 応永備前· 1390–1441
現在20点販売中
概要・位置づけ 応永備前とは、室町時代初期の応永年間を中心に、備前国長船の地に繁栄した刀工群ならびにその作刀を汎称する呼称である。長船派の長い歴史のなかで、南北朝末期の身幅広く鋒の延びた大柄な姿から脱却し、室町中期へと至る一時代区分を形づくる作風期に当たる。この期を代表する刀工としては盛光・康光・家助・経家等が挙げられ、なかでも盛光と康光は「応永備前の双璧」と称される。盛光は一説に師光の子と伝え、その作刀年紀は応永から文明に亘り、初・二代の存在が指摘される。康光もまた応永・正長・永享・嘉吉等の年紀があり、正長以後は二代の作とされる。応永備前の継承は永享期にも及び、則光・祐光は所謂永享備前の双璧として名高く、長船の伝統は室町前期を通じてなお活力を保った。実光・重光等の同派一類に属する工も知られ、これらが応永備前の作域を共有している。 作風 応永備前の刀工達の理想は鎌倉時代の復古にあったとみられ、優美な太刀姿や、南北朝期には廃れていた丁子刃の再現にそれが窺われる。一見、鎌倉期の一文字派や長船物の作域を想わせる格調高い出来があるが、同じ太刀姿でも先反りが加わり、鍛えには板目に杢が目立って交じり、肌立った地鉄に地景風のかねが入る点に一派の個性が表示される。地鉄には乱れ映り、あるいは棒映りが鮮明に立つ。刃文には二様があり、その一は腰の開いた互の目に丁子・小互の目・角がかる刃などを交え、大模様に華やかに乱れて足・葉入り、匂勝ちに小沸つき、匂口明るい乱れ刃である。その二は穏健な直刃調の作で、これも上手とされる。帽子は焼深く乱れ込み、先が小さく尖って返る、いわゆる「ローソクの芯」と称せられる特徴的な態となるところが一派の標識である。彫物では表裏の棒樋を区上で丸止めにする点が見どころとされ、八幡大菩薩・一宮大明神等の神号や梵字の重ね彫を伴う作も少なくない。 評価・伝承 応永備前の諸工は、優美な太刀姿と健全な地刃を兼ね備えた作を多く遺し、その地鉄は潤いある優れた質を有する。盛光の作には乱れの頭がゆったりと丸いところに見処があり、康光の太刀は丁子刃が目立って華やかに乱れ、出来の優れたものがままみられる。生ぶの茎を留め、銘字・鑢目の鮮明な作例は、同工の技倆と作域を知るうえで好資料とされる。所載作には紀州徳川家伝来の太刀や靖國神社所蔵の大太刀があり、伝来の確かな優品も含まれる。腰開きの互の目による華やかな乱れであれ、古雅な直刃であれ、応永備前は鎌倉期への復古を志しつつ独自の個性を確立した一作風期として、備前鍛冶の歴史のなかでも屈指の充実をみた時代と評される。 詳しく見る →
室町時代の備前
室町の長船は輸出産業であった。明との勘合貿易はおよそ十二万八千振の日本刀を海の彼方へ運び、国内では戦国の軍勢が買い手となった。注文主の俗名を銘に刻む注文打ちが、兵卒用の数打ち物と並んで鍛えられている。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
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