






Enju (Higo) · 肥後 · 1275-1278頃
藤代 Jo-jo saku · 刀剣大鑑 上位8%
国村は肥後国延寿派の祖で、その作風は山城の来派の流れに連なる。通説に、大和千手院派の弘村の子で、来国行の娘聟となり、来国行の外孫として伝えられ、来の工房に学んだとされる。延寿の名は来の一字に通う。その門葉には国吉・国時・国泰・国友・国資・国信・国綱らの上手が輩出し、鎌倉時代末葉から南北朝期にかけて菊池郡隈府の地に大いに繁栄した。年代は鎌倉時代末期に置かれ、平成二十四年指定の特別重要刀剣たる在銘の太刀は、長さ八七・八糎の生ぶの姿を保ち、茎中央にやや太鏨の二字銘がある。
説明は延寿の作風を、来の山城の風を地方に移したものとし、「概ね来派に類似する」[[c:1]]と明記する。これを分かつのは、その京の作風に加わった地方の味である。鍛えは「柾ごころが目立ち白け映りが立ち」[[c:11]]、この白け映りこそ延寿第一の見どころで、来の明るい地鉄とは異なる冷たい映りである。刃文は中直刃あるいは細直刃で、匂口が幾分沈みごころとなって穏やかに沈み、しばしば二重刃を見せる。帽子は、来が小丸に締めて返るのに対し、先の丸味がやや大きい大丸となり、返りが浅く短い。
地鉄は小板目がよくつんで詰み、杢を交え刃寄りに流れ肌を交える。地沸が細かによくつき、地景が細かに入り、処々強く流れて柾がかる。その上に説明の繰り返し立ち返る淡い白け映りが立つ。直刃は匂深く小沸がつき、小足や時に小互の目ごころを交え、細かに砂流しがかかる。刃中の働きは穏やかで、上出来のものは沈みながらも匂口が明るく冴える。特別重要の太刀につき、説明は「来派の伝統をひいた直刃」[[c:3]]が「深みのある渋い味わい」[[c:4]]を醸し出すと記す。匂口は締まり、小沸は穏やかで、全体に派手ならぬ渋さである。
その作は太刀のみに遺り、説明は「その作刀は太刀に限られ」[[c:5]]、未だ短刀その他を見ないと記す。長寸の太刀は生ぶ、あるいは大磨上げて刀となって伝わり、在銘のものは皆太刀である。作中に二様が読める。在銘の生ぶ太刀は、細身で長寸、元先の幅差が一段と目立ち、反り高く踏張りがつき、小鋒に結ぶ。この細身・幅差顕著・小鋒の姿態を、説明は「同派の中でも国村独特のもの」[[c:6]]と称し、まさにこの姿態をもって無銘の延寿を国村に絞り込みうる。大磨上無銘の刀がもう一様で、かかる太刀を磨上げたものとして同じ理によって極められる。ある特別重要の刀には、磨上げの際に切断された在銘の茎尻を、亡失を防ぐため額銘として施入したものがある。
説明が重んじる見分けは延寿と来の別であり、それを国村自身の特色から引き出す。ある重要の刀は、輪反り風に「京物とりわけ来派の風情を感じる」[[c:7]]ものの、匂口の深さや締まり加減より延寿と観るべしとされ、また別の一口は来を基盤としつつ「大和気質が窺われて」[[c:8]]と評される。重要美術品の説明に本間は、延寿は「来に似てやや異なる」[[c:9]]とし、多少の白気と柾気を帯び、その直刃は「刃中の働きが来一派の直刃よりも淋しい」[[c:10]]と記す。その淋しく冷えた趣こそ一派の眼目で、これを定めたのが国村である。
藤代の極めで上々作、刀工大鑑は同工を一千円に評し、地方の祖として高い位である。指定は重要文化財一口、特別重要刀剣二口、重要刀剣八口に及び、特別重要・重要の級に十口を数え、在銘と大磨上無銘とがほぼ相半ばする。来歴も相応に厚く、重要文化財は黒田家、太刀の一口は徳川家達・徳川家、他は南部利英・伊東治正・山田復之助の手を経る。所在の知られるものに、林原美術館・出光美術館・岡山美術館の蔵がある。重要文化財は世に伝えるべき宝で、市に出ることはない。残る特別重要・重要の太刀も、市に現れるのは折にふれてのことであり、延寿の祖の在銘生ぶ太刀は、肥後物を集める者にとって稀なものの一つで、遺るものの多くは在銘ではなく大磨上無銘の極めである。
國村の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
山城伝 · 肥後
現在22点販売中
肥後国菊池郡隈府の地に興った延寿派は、京の来の作風を九州へ移した一門である。その祖を太郎国村とし、通説に大和千手院派の弘村の子で来国行の娘聟となり、その外孫として来の工房に学んだと伝える。延寿の名はその来の一字に通うとされ、一門の出自を山城の血脈に結ぶ。国村のまわりには国時・国泰・国資・国吉・国信・国友・国綱らの上手がほぼ時を同じくして輩出し、鎌倉時代末葉から南北朝期にかけて菊池郡の地に大いに繁栄した。延寿の工は南朝に忠なる菊池氏に属し、年紀ある作には正平・延元など南朝の年号を刻むものがあって、一門の活動とその歴史を地に結びつけている。 延寿の作は概ね来派に類似し、各工に際立った個性が少ないため、一門は個々の手よりも一団として読まれる。その共通の語法は地鉄に最もよく現れる。鍛えは小板目がよくつんで詰み、杢を交え刃寄りに流れて柾ごころを帯び、地沸が微塵に厚くつき、地景が細かに入る。その上に立つのが一門第一の見どころたる白け映りで、明るく冴える来の地鉄とは異なる、冷たく霞んだ映りである。刃文は中直刃あるいは細直刃を本体とし、小互の目・小足を交え、しばしば二重刃を見せ、匂口は幾分沈みごころとなって穏やかに焼く。帽子は来が小丸に締めて返るのに対し、先の丸味がやや大きい大丸となって返り浅く、先に掃きかけるものが多い。これらの柾ごころ・白け映り・沈みごころの匂口・穏やかな刃中の働き・丸味の大きい大丸帽子が、来に似てやや異なる延寿の見どころであり、真の来から一門を分かつ要となる。本間は延寿を「来に似てやや異なる」[[c:2]]とし、その直刃の刃中の働きを来一派の直刃よりも淋しいと記す。その淋しく冷えた趣こそ一派の眼目である。 延寿の鑑定の勘所は、なべてこの来との別にある。輪反りや京風が一見来を想わせても、地の流れ・白け映り・沈む匂口より延寿と看取し、来に比して地刃やや弱しとされる。一門に個性が少ないがゆえに、主要工はその一様の中から程度の差によって絞られる。祖国村は細身で元先の幅差が顕著、反り高く小鋒に結ぶ独特の姿態をもって無銘の延寿を己に引き寄せる。国時は遺例が比較的多く作柄の平均点も高い代表工で、一門の抑えた直刃を誰よりも賑やかに働かせる。国泰は地刃の沸が一門の中で最も強くつき、佳作は明るく冴える。国資は刃中の働きが最も豊かで、寸延びの作に火焰風の帽子という一門に類のない働きを示す。国吉は地刃の冴えにおいて延寿の弱点を脱した垢抜けた手を遺し、国信は遺例こそ少ないが刃に沿う二重刃を殊に鮮明に見せる。これらの諸工はいずれも国の字を冠し、その「国」構の右半を耳形に切る銘振りを共有して他派にまぎれず、藤代に上々作以上の格を得る。伝来も地方工としては厚く、来歴の確かな作が黒田家・徳川家・伊達家・上杉家・細川家などの旧家を経、林原美術館・出光美術館・徳川美術館・佐野美術館をはじめとする機関に蔵される。在銘生ぶの太刀や身幅広い在銘の短刀は遺るものが少なく、多くは大磨上無銘の極めとして伝わるため、肥後の山城風を手に取りうる機会はおのずから限られている。
販売店の出品ページで鑑定書を確認できませんでした。日本刀および刀装具は通常、NBTHK(または NTHK)の鑑定を受けます。鑑定書がない場合、極めは販売店の見解にとどまり、第三者による確認は行われていません。ご購入前に販売店へ鑑定書の有無をお問い合わせのうえ、慎重にご判断ください。
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Enju (Higo) · 肥後 · 1275-1278頃
藤代 Jo-jo saku · 刀剣大鑑 上位8%
国村は肥後国延寿派の祖で、その作風は山城の来派の流れに連なる。通説に、大和千手院派の弘村の子で、来国行の娘聟となり、来国行の外孫として伝えられ、来の工房に学んだとされる。延寿の名は来の一字に通う。その門葉には国吉・国時・国泰・国友・国資・国信・国綱らの上手が輩出し、鎌倉時代末葉から南北朝期にかけて菊池郡隈府の地に大いに繁栄した。年代は鎌倉時代末期に置かれ、平成二十四年指定の特別重要刀剣たる在銘の太刀は、長さ八七・八糎の生ぶの姿を保ち、茎中央にやや太鏨の二字銘がある。
説明は延寿の作風を、来の山城の風を地方に移したものとし、「概ね来派に類似する」[[c:1]]と明記する。これを分かつのは、その京の作風に加わった地方の味である。鍛えは「柾ごころが目立ち白け映りが立ち」[[c:11]]、この白け映りこそ延寿第一の見どころで、来の明るい地鉄とは異なる冷たい映りである。刃文は中直刃あるいは細直刃で、匂口が幾分沈みごころとなって穏やかに沈み、しばしば二重刃を見せる。帽子は、来が小丸に締めて返るのに対し、先の丸味がやや大きい大丸となり、返りが浅く短い。
地鉄は小板目がよくつんで詰み、杢を交え刃寄りに流れ肌を交える。地沸が細かによくつき、地景が細かに入り、処々強く流れて柾がかる。その上に説明の繰り返し立ち返る淡い白け映りが立つ。直刃は匂深く小沸がつき、小足や時に小互の目ごころを交え、細かに砂流しがかかる。刃中の働きは穏やかで、上出来のものは沈みながらも匂口が明るく冴える。特別重要の太刀につき、説明は「来派の伝統をひいた直刃」[[c:3]]が「深みのある渋い味わい」[[c:4]]を醸し出すと記す。匂口は締まり、小沸は穏やかで、全体に派手ならぬ渋さである。
その作は太刀のみに遺り、説明は「その作刀は太刀に限られ」[[c:5]]、未だ短刀その他を見ないと記す。長寸の太刀は生ぶ、あるいは大磨上げて刀となって伝わり、在銘のものは皆太刀である。作中に二様が読める。在銘の生ぶ太刀は、細身で長寸、元先の幅差が一段と目立ち、反り高く踏張りがつき、小鋒に結ぶ。この細身・幅差顕著・小鋒の姿態を、説明は「同派の中でも国村独特のもの」[[c:6]]と称し、まさにこの姿態をもって無銘の延寿を国村に絞り込みうる。大磨上無銘の刀がもう一様で、かかる太刀を磨上げたものとして同じ理によって極められる。ある特別重要の刀には、磨上げの際に切断された在銘の茎尻を、亡失を防ぐため額銘として施入したものがある。
説明が重んじる見分けは延寿と来の別であり、それを国村自身の特色から引き出す。ある重要の刀は、輪反り風に「京物とりわけ来派の風情を感じる」[[c:7]]ものの、匂口の深さや締まり加減より延寿と観るべしとされ、また別の一口は来を基盤としつつ「大和気質が窺われて」[[c:8]]と評される。重要美術品の説明に本間は、延寿は「来に似てやや異なる」[[c:9]]とし、多少の白気と柾気を帯び、その直刃は「刃中の働きが来一派の直刃よりも淋しい」[[c:10]]と記す。その淋しく冷えた趣こそ一派の眼目で、これを定めたのが国村である。
藤代の極めで上々作、刀工大鑑は同工を一千円に評し、地方の祖として高い位である。指定は重要文化財一口、特別重要刀剣二口、重要刀剣八口に及び、特別重要・重要の級に十口を数え、在銘と大磨上無銘とがほぼ相半ばする。来歴も相応に厚く、重要文化財は黒田家、太刀の一口は徳川家達・徳川家、他は南部利英・伊東治正・山田復之助の手を経る。所在の知られるものに、林原美術館・出光美術館・岡山美術館の蔵がある。重要文化財は世に伝えるべき宝で、市に出ることはない。残る特別重要・重要の太刀も、市に現れるのは折にふれてのことであり、延寿の祖の在銘生ぶ太刀は、肥後物を集める者にとって稀なものの一つで、遺るものの多くは在銘ではなく大磨上無銘の極めである。
國村の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
山城伝 · 肥後
現在22点販売中
肥後国菊池郡隈府の地に興った延寿派は、京の来の作風を九州へ移した一門である。その祖を太郎国村とし、通説に大和千手院派の弘村の子で来国行の娘聟となり、その外孫として来の工房に学んだと伝える。延寿の名はその来の一字に通うとされ、一門の出自を山城の血脈に結ぶ。国村のまわりには国時・国泰・国資・国吉・国信・国友・国綱らの上手がほぼ時を同じくして輩出し、鎌倉時代末葉から南北朝期にかけて菊池郡の地に大いに繁栄した。延寿の工は南朝に忠なる菊池氏に属し、年紀ある作には正平・延元など南朝の年号を刻むものがあって、一門の活動とその歴史を地に結びつけている。 延寿の作は概ね来派に類似し、各工に際立った個性が少ないため、一門は個々の手よりも一団として読まれる。その共通の語法は地鉄に最もよく現れる。鍛えは小板目がよくつんで詰み、杢を交え刃寄りに流れて柾ごころを帯び、地沸が微塵に厚くつき、地景が細かに入る。その上に立つのが一門第一の見どころたる白け映りで、明るく冴える来の地鉄とは異なる、冷たく霞んだ映りである。刃文は中直刃あるいは細直刃を本体とし、小互の目・小足を交え、しばしば二重刃を見せ、匂口は幾分沈みごころとなって穏やかに焼く。帽子は来が小丸に締めて返るのに対し、先の丸味がやや大きい大丸となって返り浅く、先に掃きかけるものが多い。これらの柾ごころ・白け映り・沈みごころの匂口・穏やかな刃中の働き・丸味の大きい大丸帽子が、来に似てやや異なる延寿の見どころであり、真の来から一門を分かつ要となる。本間は延寿を「来に似てやや異なる」[[c:2]]とし、その直刃の刃中の働きを来一派の直刃よりも淋しいと記す。その淋しく冷えた趣こそ一派の眼目である。 延寿の鑑定の勘所は、なべてこの来との別にある。輪反りや京風が一見来を想わせても、地の流れ・白け映り・沈む匂口より延寿と看取し、来に比して地刃やや弱しとされる。一門に個性が少ないがゆえに、主要工はその一様の中から程度の差によって絞られる。祖国村は細身で元先の幅差が顕著、反り高く小鋒に結ぶ独特の姿態をもって無銘の延寿を己に引き寄せる。国時は遺例が比較的多く作柄の平均点も高い代表工で、一門の抑えた直刃を誰よりも賑やかに働かせる。国泰は地刃の沸が一門の中で最も強くつき、佳作は明るく冴える。国資は刃中の働きが最も豊かで、寸延びの作に火焰風の帽子という一門に類のない働きを示す。国吉は地刃の冴えにおいて延寿の弱点を脱した垢抜けた手を遺し、国信は遺例こそ少ないが刃に沿う二重刃を殊に鮮明に見せる。これらの諸工はいずれも国の字を冠し、その「国」構の右半を耳形に切る銘振りを共有して他派にまぎれず、藤代に上々作以上の格を得る。伝来も地方工としては厚く、来歴の確かな作が黒田家・徳川家・伊達家・上杉家・細川家などの旧家を経、林原美術館・出光美術館・徳川美術館・佐野美術館をはじめとする機関に蔵される。在銘生ぶの太刀や身幅広い在銘の短刀は遺るものが少なく、多くは大磨上無銘の極めとして伝わるため、肥後の山城風を手に取りうる機会はおのずから限られている。
販売店の出品ページで鑑定書を確認できませんでした。日本刀および刀装具は通常、NBTHK(または NTHK)の鑑定を受けます。鑑定書がない場合、極めは販売店の見解にとどまり、第三者による確認は行われていません。ご購入前に販売店へ鑑定書の有無をお問い合わせのうえ、慎重にご判断ください。
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