国村は肥後国延寿派の祖で、その作風は山城の来派の流れに連なる。通説に、大和千手院派の弘村の子で、来国行の娘聟となり、来国行の外孫として伝えられ、来の工房に学んだとされる。延寿の名は来の一字に通う。その門葉には国吉・国時・国泰・国友・国資・国信・国綱らの上手が輩出し、鎌倉時代末葉から南北朝期にかけて菊池郡隈府の地に大いに繁栄した。年代は鎌倉時代末期に置かれ、平成二十四年指定の特別重要刀剣たる在銘の太刀は、長さ八七・八糎の生ぶの姿を保ち、茎中央にやや太鏨の二字銘がある。
説明は延寿の作風を、来の山城の風を地方に移したものとし、「概ね来派に類似する」と明記する。これを分かつのは、その京の作風に加わった地方の味である。鍛えは「柾ごころが目立ち白け映りが立ち」、この白け映りこそ延寿第一の見どころで、来の明るい地鉄とは異なる冷たい映りである。刃文は中直刃あるいは細直刃で、匂口が幾分沈みごころとなって穏やかに沈み、しばしば二重刃を見せる。帽子は、来が小丸に締めて返るのに対し、先の丸味がやや大きい大丸となり、返りが浅く短い。
地鉄は小板目がよくつんで詰み、杢を交え刃寄りに流れ肌を交える。地沸が細かによくつき、地景が細かに入り、処々強く流れて柾がかる。その上に説明の繰り返し立ち返る淡い白け映りが立つ。直刃は匂深く小沸がつき、小足や時に小互の目ごころを交え、細かに砂流しがかかる。刃中の働きは穏やかで、上出来のものは沈みながらも匂口が明るく冴える。特別重要の太刀につき、説明は「来派の伝統をひいた直刃」が「深みのある渋い味わい」を醸し出すと記す。匂口は締まり、小沸は穏やかで、全体に派手ならぬ渋さである。
その作は太刀のみに遺り、説明は「その作刀は太刀に限られ」、未だ短刀その他を見ないと記す。長寸の太刀は生ぶ、あるいは大磨上げて刀となって伝わり、在銘のものは皆太刀である。作中に二様が読める。在銘の生ぶ太刀は、細身で長寸、元先の幅差が一段と目立ち、反り高く踏張りがつき、小鋒に結ぶ。この細身・幅差顕著・小鋒の姿態を、説明は「同派の中でも国村独特のもの」と称し、まさにこの姿態をもって無銘の延寿を国村に絞り込みうる。大磨上無銘の刀がもう一様で、かかる太刀を磨上げたものとして同じ理によって極められる。ある特別重要の刀には、磨上げの際に切断された在銘の茎尻を、亡失を防ぐため額銘として施入したものがある。
説明が重んじる見分けは延寿と来の別であり、それを国村自身の特色から引き出す。ある重要の刀は、輪反り風に「京物とりわけ来派の風情を感じる」ものの、匂口の深さや締まり加減より延寿と観るべしとされ、また別の一口は来を基盤としつつ「大和気質が窺われて」と評される。重要美術品の説明に本間は、延寿は「来に似てやや異なる」とし、多少の白気と柾気を帯び、その直刃は「刃中の働きが来一派の直刃よりも淋しい」と記す。その淋しく冷えた趣こそ一派の眼目で、これを定めたのが国村である。
藤代の極めで上々作、刀工大鑑は同工を一千円に評し、地方の祖として高い位である。指定は重要文化財一口、特別重要刀剣二口、重要刀剣八口に及び、特別重要・重要の級に十口を数え、在銘と大磨上無銘とがほぼ相半ばする。来歴も相応に厚く、重要文化財は黒田家、太刀の一口は徳川家達・徳川家、他は南部利英・伊東治正・山田復之助の手を経る。所在の知られるものに、林原美術館・出光美術館・岡山美術館の蔵がある。重要文化財は世に伝えるべき宝で、市に出ることはない。残る特別重要・重要の太刀も、市に現れるのは折にふれてのことであり、延寿の祖の在銘生ぶ太刀は、肥後物を集める者にとって稀なものの一つで、遺るものの多くは在銘ではなく大磨上無銘の極めである。