江戸は刀の目利きの時代である。本阿弥の鑑定、1719年の享保名物帳、盛んな刀剣書が、戦で抜かれることのなくなった刀を学問の対象へと変えていった。
重量刀身のみ748gr 出ました出ました幕末肥後熊本細川藩54万石の藩工延寿宣利刀匠の名刀が出ました。宣利刀匠は有名な熊本細川藩藩工延寿宣勝刀匠本名武永喜三右衛門の子供です、父宣勝刀匠は藩命で江戸へ留学し幕末の巨匠で新々刀の祖と言われる水心子正秀の門下で有名な巨匠細川正義刀匠の門になります。帰国して肥後熊本藩藩工を務めました。本刀は子供の現存刀が幕末の廃刀令の為に少ない宣利刀匠本名武永喜三郎氏の細川藩の高級武士の為に作られた特別注文の刀です。時は幕末文久2年(1862年)(164年前)の作で、明治天皇の父120代仁孝天皇の皇女和宮内親王が江戸幕府14代将軍徳川家茂公に嫁いだ時、薩摩藩の前藩主島津久光公の一行が、横浜近郊の生麦で、行列を横切ったイギリス人を薩摩藩士が斬った生麦事件が起こった時です。本刀の姿は高級武士の注文の為に抜き打ちに適した寸法がやや短く、腰反りで元身幅と先身幅との差の有る切っ先のやや大きい豪快な刀姿を現し、地金は小板目肌に鍛え明るい良い地金を現し、刃紋は匂い出来に小沸の付いた互の目刃、互の目丁子刃、丁子刃を覇気有る明るい刃を焼いています。この度古い御数寄者様から自分も年を取りましたので大切にして頂ける方にお安くお譲り下さいとお預かりした為に特別保存刀剣には直ぐに成りますがご厚意で特別に超格安にて御提供いたします。有名ですが現存作が少ない特に熊本県には大切な肥後熊本細川藩の延寿宣利刀匠の貴重な名刀を是非お楽しみ下さい。
取扱店 明倫産業
鑑定書は旧鑑定書(緑紙・貴重刀剣など)のみで、現在の日刀保ではほとんど認められていません。現在の審査を通っているかを刀剣商にお尋ねください。 — Hoshi
























山城伝 · 肥後
現在14点販売中
肥後国菊池郡隈府の地に興った延寿派は、京の来の作風を九州へ移した一門である。その祖を太郎国村とし、通説に大和千手院派の弘村の子で来国行の娘聟となり、その外孫として来の工房に学んだと伝える。延寿の名はその来の一字に通うとされ、一門の出自を山城の血脈に結ぶ。国村のまわりには国時・国泰・国資・国吉・国信・国友・国綱らの上手がほぼ時を同じくして輩出し、鎌倉時代末葉から南北朝期にかけて菊池郡の地に大いに繁栄した。延寿の工は南朝に忠なる菊池氏に属し、年紀ある作には正平・延元など南朝の年号を刻むものがあって、一門の活動とその歴史を地に結びつけている。 延寿の作は概ね来派に類似し、各工に際立った個性が少ないため、一門は個々の手よりも一団として読まれる。その共通の語法は地鉄に最もよく現れる。鍛えは小板目がよくつんで詰み、杢を交え刃寄りに流れて柾ごころを帯び、地沸が微塵に厚くつき、地景が細かに入る。その上に立つのが一門第一の見どころたる白け映りで、明るく冴える来の地鉄とは異なる、冷たく霞んだ映りである。刃文は中直刃あるいは細直刃を本体とし、小互の目・小足を交え、しばしば二重刃を見せ、匂口は幾分沈みごころとなって穏やかに焼く。帽子は来が小丸に締めて返るのに対し、先の丸味がやや大きい大丸となって返り浅く、先に掃きかけるものが多い。これらの柾ごころ・白け映り・沈みごころの匂口・穏やかな刃中の働き・丸味の大きい大丸帽子が、来に似てやや異なる延寿の見どころであり、真の来から一門を分かつ要となる。本間は延寿を「来に似てやや異なる」[[c:2]]とし、その直刃の刃中の働きを来一派の直刃よりも淋しいと記す。その淋しく冷えた趣こそ一派の眼目である。 延寿の鑑定の勘所は、なべてこの来との別にある。輪反りや京風が一見来を想わせても、地の流れ・白け映り・沈む匂口より延寿と看取し、来に比して地刃やや弱しとされる。一門に個性が少ないがゆえに、主要工はその一様の中から程度の差によって絞られる。祖国村は細身で元先の幅差が顕著、反り高く小鋒に結ぶ独特の姿態をもって無銘の延寿を己に引き寄せる。国時は遺例が比較的多く作柄の平均点も高い代表工で、一門の抑えた直刃を誰よりも賑やかに働かせる。国泰は地刃の沸が一門の中で最も強くつき、佳作は明るく冴える。国資は刃中の働きが最も豊かで、寸延びの作に火焰風の帽子という一門に類のない働きを示す。国吉は地刃の冴えにおいて延寿の弱点を脱した垢抜けた手を遺し、国信は遺例こそ少ないが刃に沿う二重刃を殊に鮮明に見せる。これらの諸工はいずれも国の字を冠し、その「国」構の右半を耳形に切る銘振りを共有して他派にまぎれず、藤代に上々作以上の格を得る。伝来も地方工としては厚く、来歴の確かな作が黒田家・徳川家・伊達家・上杉家・細川家などの旧家を経、林原美術館・出光美術館・徳川美術館・佐野美術館をはじめとする機関に蔵される。在銘生ぶの太刀や身幅広い在銘の短刀は遺るものが少なく、多くは大磨上無銘の極めとして伝わるため、肥後の山城風を手に取りうる機会はおのずから限られている。 詳しく見る →
江戸時代
江戸は刀の目利きの時代である。本阿弥の鑑定、1719年の享保名物帳、盛んな刀剣書が、戦で抜かれることのなくなった刀を学問の対象へと変えていった。
本作はNBTHKの旧鑑定書(貴重・特別貴重)を有しますが、これらは現在発行されておらず、現在の日刀保ではほとんど認められていません。極めを確認するには、公的な鑑定機関(NBTHK・NTHKなど)に再提出し、現行の鑑定を受けることもご検討ください。
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