応永期の長船則光は、「備州長船則光」と銘し応永三十三年二月日の年紀をもつ短刀によって知られ、平成三年第三十七回重要刀剣に指定された。説明は「日頃経眼する備前則光は応永備前と末備前物との間に位置する年代のものが多いが」とし、その遠祖は鎌倉末期の長光門人で、嘉元三年紀の短刀が実存すると述べる。さらに「銘鑑ではこれを初代として、二代を延文頃、三代応永で家助の子とし、四代が永享頃、以降室町末期まで名跡の継承があったことを記している」と記す。
この短刀の意義はまずその年紀にある。説明は「これまで嘉元のあと南北朝期より応永年間にかけての則光の遺例は知られていなかったが、此の度、応永三十三年紀の本短刀が出現したもので、その資料的価値は頗る高い」とする。銘鑑が三代を当てる応永期の作であるが、説明自体は作者の代数を記していない。
形状は平造、庵棟、身幅の割に寸が延び重ねが厚く、説明はこれを応永備前に特有のものとする。鍛えは小板目肌つみ、地沸細かに厚くつき、地景入り、刃寄りに直ぐ状の映り立つ。刃文は中直刃に浅く湾れごころを帯び、小沸つき、匂口明るい。帽子は直ぐに小丸。表に護摩箸、裏に腰樋を彫る。説明は「刃文は直刃を品よく焼いており、総体に傑れた出来ばえを示している」と結ぶ。
もう一口、二字銘「則光」の太刀が昭和五十四年第二十六回重要刀剣に指定されている。年紀はなく、説明も代数を示していないため、便宜上ここに置かれる。説明は初代を長光門と伝えたうえで、「途中名跡がとだえ、室町期に至って復活している」と記す。
この太刀は磨上ながら反り高く、身幅広めで重ねが厚い。鍛えは板目肌つみ映り立ち、刃文は丁子に互の目交じり華やかに乱れ、匂い勝ちに小沸つく。帽子は乱れ込み小丸ごころに返る。説明は「本作は丁子に腰開きの互の目を交えた応永備前風の出来で華やかであり、則光中でも上々作といえよう」と評する。