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概要·鑑定·栄誉·指定·伝来·刀姿·銘·系譜·流派
概要鑑定栄誉指定伝来刀姿銘系譜流派
  1. 流派
  2. 来
  3. 國俊

Rai Kunitoshi

國俊

特重
巻 8, 番 5 · 短刀

Rai Kunitoshi

國俊

評価作品208点

享保名物帳
国山城時代Shoo (1288–1293)時代区分鎌倉流派Rai伝法山城伝代1st師匠Kuniyuki藤代最上作刀工大鑑3,500(上位1%)種別刀工コードKUN1410
5国宝
7重要文化財
28重要美術品
4御物
21特別重要刀剣143重要刀剣

概要

説明書は来国俊の記録を一つの確かな事実から書き起こす。すなわち「来派で最初に来の字を冠した刀工で、以後皆これに倣った」。来国行の子と伝え、鎌倉時代末期の京に作刀し、その経歴は自身の銘から異例なほど読み取れる。年紀作は正応・永仁に始まり、しばらく途絶えた後、正和に再び現れて文保・元応・元亨に及ぶ。徳川美術館所蔵の正和四年(1315)紀の太刀には「七十五歳」の行年銘があり、元亨元年(1321)八十二歳の作がほぼ終末と見られる。この年紀群こそ鎌倉末期来派の編年の骨格を成す。

典型の手は来派本流の最も精錬されたものである。太刀は細身もしくは尋常の身幅に元先の幅差が目立ち、反りは腰反り、磨上のものは輪反りを呈し、小鋒・中鋒に結ぶ。刃文は小沸出来の中直刃・細直刃に小丁子・小互の目を交え、足・葉がよく入り、足は時に茎方向へ斜めに傾く京逆足となる。働きは静かで、処々に二重刃がかかり、細かな金筋・砂流しが刃中に入り、匂口は締まって明るい。帽子は穏やかな小丸に返り、先は僅かに掃きかける。説明書がこの総体に与える評は一貫して「いかにも京物らしい上品で穏やかな作風」である。

極めの根拠の半ばは地鉄にある。鍛えは小板目がよく約み、地沸が厚く時に微塵につき、細かな地景を交えて沸映りが立つ。ある重要刀剣の説明は「殊に地鉄の精良さは特筆される」と記す。所々に「来肌」と称せられる大模様の柔らかい肌合が交じり、短刀では流れて柾がかる箇所もあるが、いずれも疵ではなく一派の見どころとして受け取られている。よく約んだ小板目、その上の微塵の地沸、鮮明な沸映りの取り合わせこそ、無銘の作を同工に帰す際に説明書が立ち返る要点である。

公刊された記録のほぼ半数は短刀で、これは一派の他の初期の巨匠がほとんど手がけなかった作域である。説明書は、二字国俊の短刀の遺例が名物愛染国俊の唯一口であるのに対し、来国俊には多くの短刀が現存すると繰り返し記す。平造・三ツ棟、身幅尋常もしくはやや寸延びで、鎌倉末期特有の静かな内反りがつき、直刃は時に浅くのたれ、小丸帽子の返りはしばしば長く焼き下げ、区際を焼き込むことが多い。彫物は常習で、刀樋の傍らに細い腰樋や素剣を添え、この添え彫の手法は「来物に特有」とされる。直刃が主調を成す一方、丁子を焼く一群が華やぎの極限に立つ。その代表は国宝指定の太刀であり、第二十七回特別重要に上がった小太刀は、細身で腰反り高く、房の大きい丁子を交えて刃沸がよくつき、「同工作例中で最も華やかな作域」を示し、「宛ら二字国俊を彷彿とさせる」と評される。この彷彿こそ一派の古典的な問いの核心である。二字国俊と来国俊三字銘が同人か別人かは古来の論点であるが、両銘の年紀を合わせると弘安元年(1278)から元亨元年(1321)の約四十年に及び、一人の刀工の作刀期間として無理はなく、七十五歳の行年銘から逆算すれば二字国俊唯一の年紀作は三十八歳にあたる。そして「近年両者の作風・銘字の再検討による同人説が定着しつつあり、別人説の再考を促している」。銘にはなお研究の種が残る。元応頃の銘字はやや草体となって晩年作か二代かが問われ、稀に源の字を添えた銘があり、島津齊宣の指料であった元亨二年折返銘の刀では国の字形が門人来国次の書風に一致し、「来国次の代銘した数少ない例」と推察され、此の手の銘振りは三例を数えるという。

二字国俊との対比は同工の説明の定型である。豪壮な体配に猪首鋒、華やかな丁子主調の乱れを得意とする二字国俊に対し、三字銘の作は細身か尋常の体配に直刃あるいは直刃調に小模様の乱れを交え、総じて穏やかな出来口を示す。同人説が開かれたままであっても、両者の手は作域の上で区分できる。むしろ彼の隣人は派内にいる。最も静かな細直刃は「一見了戒に紛れる」とされ、最も穏やかで大柄な短刀はまず来国光を思わせるが、「格調が一段高く」、極めは国俊に帰着する。門人の来国光・来国次は鎌倉末まで来派を担い、師弟の線の細さは、『名物帳』所収の「名物結城来国俊」が一見国光・国次を思わせると記されることにも表れている。

この位の巨匠としては異例なほど手の届く存在である。藤代の極めは最上作。国宝五口・重要文化財十一口を数え、その下に特別重要刀剣二十一口・重要刀剣百四十三口、両指定で百六十四口が立つ。在銘作が豊富で、ここでは在銘百三十四口に対し無銘九十一口であり、編年が書けるのもそのためである。十口は国宝・重要文化財の級にあって市場に出ることはなく、日光二荒山神社の小太刀はその一つである。徳川美術館は七十五歳の行年銘の太刀を蔵し、ほかに東京国立博物館・根津美術館・佐野美術館・黒川古文化研究所などに収まる。六十一口に伝来が録され、豊臣秀吉、将軍徳川秀忠・家光、尾張・紀州徳川家、前田家、上杉家、鹿児島島津家、信州松代真田家を経る。一方で三十六口が個人の所蔵と記録され、取引可能な重要刀剣の級にはなお多数が残るから、直刃の短刀や太刀、すなわち鎌倉末期山城物の最も純粋な形を示す一口は、真剣な収集家にとって現実に到達し得る目標であり続ける。対して丁子の作と年紀作は、事実上市場の外にある。

鑑定

形(太刀と豊富な短刀)で分かれる一様の精錬な作風に、稀に二字国俊へ遡る丁子の縁辺があり、そこに同人説の鍵が懸かる

来国俊は来国行の子と伝え、来派で最初に銘へ来の字を冠した刀工で、以後皆これに倣った。年紀作は正応(1288)から元亨元年(1321)に及び、正和四年紀の太刀には七十五歳の行年銘があり、八十二歳の作がほぼ終末となる。その手は来派本流の最も精錬されたもので、細身もしくは尋常の体配に、小板目のよくつんだ地沸厚き鍛えと沸映りの上に小沸出来の直刃を焼き、帽子は穏やかな小丸、そして一派に類を見ぬ多数の短刀を遺す。二字国俊との同人・別人は来派の古典的な論点であり、近年は同人説へ傾きつつある。

鑑定の決め手

国俊問題全体の軸を成す直刃対丁子。直刃は自身83%に対し二字国俊55%、逆に丁子乱れは自身6%に対し二字国俊45%。来派本流で最も穏やかな直刃の手である

作品の20% ・ 二字国俊比 5.0倍

穏やかな小丸帽子が77%を占め、短刀ではしばしば長く焼き下げる。二字国俊の乱れ込み14%・焼詰め16%と対照的で、自身の焼詰めは僅か4%である

説明書216通中98通が短刀で、二字国俊の説明書99通中では2通に過ぎない。二字国俊の短刀は名物愛染国俊の唯一口と繰り返し記され、来国俊三字銘の内反り短刀はそれ自体が一つの作域を成す

作風の変遷

精錬な直刃の手(典型・太刀/刀の作域)

細身もしくは尋常の体配に元先の幅差が開き、小鋒・中鋒に結び、反りは腰反り、磨上のものは輪反りを呈する。鍛えは小板目がよく約み、地沸が厚く時に微塵につき、細かな地景を交え、沸映りが立ち、所々に来肌と称せられる肌合が交じる。刃文は小沸出来の中直刃・細直刃に小丁子・小互の目を交え、足は時に茎方向へ斜めに入る京逆足となり、二重刃・金筋・砂流しがかかり、匂口は締まって明るい。帽子は穏やかな小丸に返り、先僅かに掃きかける。

姿 Sugata
地鉄 Jigane
刃文 Hamon
帽子 Bōshi

短刀の作域(同工を定義づける形)

短刀という形そのもの。説明書216通中98通が短刀で、二字国俊の短刀の遺例は僅かに一口と繰り返し記される。来国俊三字銘の豊富な短刀群はそれ自体が作域の指標である

平造、三ツ棟、身幅尋常もしくはやや寸延びで、鎌倉末期特有の静かな内反りがつく。同じく約んだ小板目に地沸微塵、沸映りの地に中直刃、時に浅くのたれ、小丸帽子の返りはしばしば長く焼き下げ、区際を焼込むことが多い。彫物は常習で、刀樋の傍らに細い腰樋や素剣を添え、あるいは梵字に護摩箸を刻し、この添え彫の手法は来物に特有と記される。

姿 Sugata
地鉄 Jigane
刃文 Hamon
帽子 Bōshi

稀な丁子の縁辺(二字国俊への接点)

直刃が主調を成す中に、真の丁子を焼く一群が少数ある。説明書は国宝指定の太刀をその代表とし、第四十一回重要・第二十七回特別重要の小太刀は、細身で腰反り高く踏張りがつき、房の大きい丁子を交えて刃沸がよくつき、同工作例中で最も華やかな作域、宛ら二字国俊を彷彿とさせると評される。また三字銘最古の正応・永仁を降らぬ太刀も、来国俊としては異例に身幅広く二字国俊をおもわせるという。これらは同人説を展開する上で重要な資料、彼の側からの架橋と位置づけられる。

刃文 Hamon
研究

年紀作は正応・永仁に始まり、しばらく途絶えた後、正和に再び現れて文保・元応・元亨に及ぶ。徳川美術館の正和四年(1315)紀の太刀には七十五歳の行年銘があり、元亨元年(1321)八十二歳の作がほぼ終末となる。鎌倉末期の一工の経歴がその銘自体から読み取れる。

年齢の計算が同人説を支える。両銘の年紀を合わせると弘安元年(1278)から元亨元年(1321)の約四十年に及ぶが、一人の刀工の作刀期間として無理はなく、七十五歳の太刀から逆算すれば二字国俊唯一の年紀弘安元年は三十八歳にあたる。

論点は近年動いた。両者の作風・銘字の再検討により同人説が定着しつつあり、説明書も別人説の再考を促すと記すに至った。

一門内の代銘が記録される。元亨二年折返銘の刀と短刀の「国」の字形が門人来国次の書風に一致し、国次の代銘した数少ない例と読まれ、此の手の銘振りは三例を数える。

栄誉

享保名物帳Kyōhō Meibutsu Chō (Catalog of Celebrated Blades)

所載(鳥飼国俊・愛染国俊・結城来国俊 ほか)

享保4年(1719年)、本阿弥家が八代将軍徳川吉宗に献上した名物刀剣の台帳。平安〜南北朝の刀剣約274口(現存168口+焼失約80口+追記約26口)を刀工別に収載し、号の由来・寸法・代付・伝来を記す。本栄誉は名物帳に作品が所載される刀工に付与され、詳細欄には刊行集計による口数(正確な場合)または所載名物の号を記す。

指定

国宝5
重要文化財7
重要美術品28
御物4
特別重要刀剣21
重要刀剣143

名工ランク

0.90 (指定作品208点)

刀工の上位2%

伝来

伝来記録78件 の鑑定作品における Kunitoshi

伝来ランク

名家所蔵39点、伝来記録78件

刀工の上位1%

素点:4.40 / 10

刀姿

評価作品208点の分布

銘

評価作品208点の銘の種類

販売中

系譜

師匠Kuniyuki
Kunitoshi
弟子(10名)
  1. 1.國光Kunimitsu4 販売中269指定
  2. 2.國次Kunitsugu2 販売中65指定
  3. 3.光包Mitsukane15指定
  4. 4.了戒Ryokai1 販売中95指定
  5. 5.國長Kuninaga1 販売中58指定
  6. 6.國眞Kunizane1 販売中26指定
  7. 7.倫國Tomokuni5指定
  8. 8.友重Tomoshige5指定
  9. 9.國俊Kunitoshi
  10. 10.國俊Kunitoshi

Rai派

Rai派の他の刀工

  1. 1.國行Kuniyuki1 販売中125指定
  2. 2.國俊Kunitoshi84指定
  3. 3.國光Kunimitsu4 販売中269指定
  4. 4.國次Kunitsugu2 販売中65指定
  5. 5.光包Mitsukane15指定
  6. 6.國眞Kunizane1 販売中26指定
  7. 7.國秀Kunihide7指定
  8. 8.倫國Tomokuni5指定
  9. 9.國末Kunisue1指定
  10. 10.光重Mitsushige2指定
  11. 11.國武Kunitake1指定
  12. 12.國宗Kunimune1指定