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概要·鑑定·栄誉·指定·伝来·刀姿·銘·系譜·流派
概要鑑定栄誉指定伝来刀姿銘系譜流派
  1. 流派
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  3. 國次

Rai Kunitsugu

國次

特重
巻 3, 番 7 · 刀

Rai Kunitsugu

國次

評価作品65点

享保名物帳正宗十哲
国山城時代Ocho (1311–1312)時代区分鎌倉流派Rai伝法山城伝代1st師匠Masamune藤代Jo-jo saku刀工大鑑1,500(上位5%)種別刀工コードKUN1544
1国宝
4重要文化財
6重要美術品
14特別重要刀剣40重要刀剣

概要

『名物帳』所収の短刀「鳥養国次」について、説明書は「来一派の中では地刃の沸が一番強い」のが来国次の作であると記し、この一文に同工の本領が尽きている。説明書は彼を鎌倉時代最末期に置き、その活躍は南北朝初期に及ぶとし、やや先輩格の来国光と並んで来派本流の最終期を担う二人の名手とする。系譜は所伝が分かれ、通説に来国俊の弟子、一説に来国光の従兄弟、また国俊の子、国光の弟とも伝えている。古来「正宗十哲」の一人に数えられ、「鎌倉来」と呼称されるが、説明書はその名の由来を作風そのものに求める。

その作風とは、それまでの来派に見られなかった乱れ主調の刃文である。のたれに互の目を交え、沸は厚く明るく、金筋・砂流しが刃中を駆け、刃縁には湯走りがかかる。鍛えは板目に地沸が厚くつき、地景が頻りに入り、処々肌立ちごころとなる。説明書はこれを繰り返し「相州伝の影響を多分に受けた出来口」と評し、重要美術品の短刀に対する本間談も同じ線上にあって、「来一派の中でも地刃の沸が目立って強い」という。欠如もまた同じ方向を指す。一般の来派の作に比して、その地には「来肌なども少く」と指摘される。この作域の帽子は乱れ込み、あるいは尖りごころとなり、掃きかけを伴うことが多い。

相州的な色彩の下で、地鉄は飽くまで来である。上作では小板目がよくつみ、地沸が微塵に厚く、地景が細かに入り、淡く沸映りが立つ。これが作を京物に留める錨である。現存最多の作域は大磨上無銘の刀で、身幅広く、輪反りが深くつき、中鋒が延びごころとなる。直刃調に小互の目・小丁子を交え、足・葉が長く太く絶え間なく入り、沸が厚く刃に深くつき、金筋・砂流しがかかり、二重刃風の湯走りが刃縁に遊ぶ。無銘極めの着眼は明文化されており、地刃がことに明るく沸づきが強い上に、「刃中の沸足が目立っている点に着眼すれば来国次と鑑するのが妥当」とされる。ある重要刀剣の刀は「宛ら同工の短刀に焼く乱れを太刀にあらわした感」と評されている。

有銘作はほとんど短刀・小脇指であり、説明書は太刀の現存が僅少で、剣・槍は極めて稀にしか遺らないことを繰り返す。短刀は目釘孔の下中央に太鏨大振りの三字銘を切り、腰反り高く細身の在銘太刀は縦長・細鏨・小振りの銘字をもち、説明書はこれを初期の手と鑑して、年代による作域の変遷を知る上で貴重とする。少数ながら来派の旧様をそのまま守る作があり、静かな直刃に小丁子を交え、沸づきは尋常である。上杉家伝来の短刀は「来派の伝統を墨守した穏やかな作域」と記され、同作には極めて稀有とされる。年紀作はほとんどなく、嘉暦二年(1327)の剣が現存最古の年紀で、この期の他工同様に大和伝で制作されている点が注目され、正慶元年(1332)の短刀が現存し、元徳の年紀は古い刀絵図に所載されるのみである。正宗門下の所伝については説明書自身が慎重であり、同様の沸の強い作風は来国光にも往々見られるところから、「直ちに来国次が正宗門人説を肯定することは早計である」と戒めている。

彼の位置を定めるのは来国光との対置である。国光にも伝統的な直刃出来のほかに乱出来があるが、その数量は直刃の方がはるかに多く、「来国次はそれとは反対」と説明書は記す。さらにある重要刀剣の説明は、先輩国光の沸を強調した乱れ刃よりも「それ以上に沸出来をあらわして」おり、かつての来派には見られぬ作風と判じている。来国行・二字国俊・来国俊・来国光という一派の先人の中で、伝統的な京風を最も残さないのが国次であり、そこにこそ正宗門人という古来の説が注目される所以がある。一方で鑑定は幅も認めており、同工には種々の「変り出来」もあるとされ、数少ない有銘太刀は相互に作風を異にする。国光と共に南北朝初期に来派本流の最終期を飾り、「鎌倉来」の称は一派の相州伝寄りの極にあることを示している。

藤代の極めで上々作。国宝一口と重要文化財四口は市場の外に保たれた文化財であり、その下に特別重要刀剣十四口・重要刀剣四十口、この二段で五十四口を数える。指定を受けた作は六十五口、うち在銘二十九口に対し無銘三十六口である。名物『鳥養国次』は昭和八年に重要美術品に認定された。伝来は第一級で、説明書は旧将軍家伝来と旧前田家伝来の太刀を有名なものに挙げ、徳川実紀に載る一振りは元禄十五年(1702)に将軍綱吉から柳沢吉保に下され、家康の長男松平信康から家老平岩親吉に下賜された刀があり、上杉家・浅野家・大久保家・鍋島家・生駒家の短刀、土佐山内家伝来で享保五年(1720)に遺物として将軍家へ献上された一口が知られる。現所在の知られるものは東京国立博物館・佐野美術館・彦根城博物館などに蔵される。蒐集家にとっての実像は、指定作が動くことより蔵されることのはるかに多い来派の大家であり、重要刀剣級の無銘の刀・脇指は時に現れ、在銘の短刀は稀にしか現れず、『鳥養国次』級の作に逢うことは一つの事件として待つほかない。

鑑定

二様の主調(沸の強い「鎌倉来」の乱れ刃、生ぶ在銘の寸延び短刀に最も純粋。大磨上の刀は沸の強い直刃調に小丁子・小互の目、足・葉繁し)+稀な来派伝統の穏やかな作域(細身の在銘太刀は初期作と鑑せられる)+稀な剣・槍(大和伝)

来国次は通説に来国俊の弟子(一説に国俊の子、また来国光の従兄弟あるいは弟)と伝え、鎌倉時代末期から南北朝初期に活躍(年紀は嘉暦二年1327・正慶元年1332)。やや先輩格の来国光と共に来派本流の最終期を担う。古来、正宗十哲の一人に数えられ「鎌倉来」と呼称される。乱れ主調の沸の強い刃文、地沸厚く地景の入る鍛えは来一派の中で最も沸が強く、一方でよくつんだ地鉄と沸映りは来の伝統を守る。有銘作はほとんど短刀・小脇指で、太刀の有銘は数口に止まる。

鑑定の決め手

作品の86%

作品の53% ・ 来国光比 1.8倍

作品の37% ・ 正宗(相州の極)比 5.3倍

短刀は目釘孔下中央に太鏨大振りの三字銘。初期の銘字は縦長・細鏨・小振り。年紀は稀有(嘉暦二年1327の剣、正慶元年1332の短刀、元徳紀は刀絵図所載のみ)

作風の変遷

「鎌倉来」=沸の強い乱れ主調(相州伝的色彩・典型)

在銘作=幅広・寸延びの短刀と小脇指、多くは生ぶ茎(短刀の寸延び6/16、在銘短寸物ののたれ9/17)

呼称の由来となった作域。それまでの来派に見られなかった乱れ主調の刃文で、のたれに互の目を交え、明るく厚い沸に金筋・砂流しがかかり、刃縁には湯走り、時に焼幅が広い。鍛えは板目に地沸厚く地景頻りに入り、処々やや肌立つ。地刃の沸は来一派の中で一番強いと評され、ここに相州伝的色彩が読まれる。名物鳥飼国次はその適例。帽子は乱れ込み、尖りごころとなり、掃きかけを伴うことが多い。

地鉄 Jigane
刃文 Hamon
帽子 Bōshi

大磨上の刀の主流=沸の強い直刃調(小丁子・小互の目交じり、足・葉繁し)

大磨上無銘の刀(直刃調は刀29/37対短刀3/16、輪反り10/37)

現存最多の作域。大磨上無銘の刀で、身幅広く、輪反り深く、中鋒延びごころ。小板目つみ、地沸微塵に厚く、地景細かに入る鍛えに、中直刃・広直刃調に小互の目・小丁子を交え、足長く太く、葉と共に繁く入り、沸厚くつき、金筋・砂流しかかり、刃縁に二重刃風の湯走りを見せる。地刃の沸が一般の来物より一段と強く明るく、地景・沸足の目立つ点が極めの拠り所。帽子は直ぐに小丸、掃きかけを伴う。

姿 Sugata
地鉄 Jigane
刃文 Hamon
帽子 Bōshi

来派の伝統を墨守した穏やかな作域(稀。細身の太刀は初期作と鑑せられる)

縦長・細鏨・小振りの初期銘をもつ細身の在銘太刀(太刀の細身4/12)。まれに伝統風の短刀

少数ながら来派の伝統を墨守した穏やかな作域がある。静かな直刃・広直刃調に小丁子・小乱れを交え、地刃の沸づきは尋常で、総じて典雅。腰反り高く踏張のつく細身で優美な在銘太刀は、縦長・細鏨・小振りの銘字から初期の手と鑑せられ、年代による作域の変遷を知る上で貴重とされる。上杉家伝来の短刀のような伝統的な直刃の短刀は、同作には極めて稀有とされる。

姿 Sugata
地鉄 Jigane
刃文 Hamon
帽子 Bōshi

稀な剣・槍=大和伝の作域

嘉暦二年(1327)紀の剣(重要・特別重要の両記録)。槍の作も知られる

剣・槍の作例は極めて稀。嘉暦二年(1327)紀の剣は現存最古の年紀で、総じて柾ごころに流れ、地沸微塵につき、沸映りが立つ。刃文は焼の低い静かな直刃に細かなほつれを交え、金筋・砂流しが小さくかかり、帽子は喰違って焼詰め風となる。この期の他工同様、短刀の作域とは相違して大和伝で作られている点が注目される。

地鉄 Jigane
刃文 Hamon
帽子 Bōshi
研究

年紀作は稀有。嘉暦二年(1327)の剣が現存最古、正慶元年(1332)の短刀が現存し、元徳紀は刀絵図に所載されるのみ。

系譜は諸説あり。国俊の弟子、国俊の子、国光の従兄弟あるいは弟と、資料により所伝が分かれる。

正宗門人説については、同様の沸の強い作風が来国光にも往々見られるため、これのみで肯定するのは早計と説明書自身が戒める。

銘字の編年が示される。縦長・細鏨・小振りの銘は初期の手と鑑せられ、年代による作域の変遷を知る上で貴重とされる。

栄誉

享保名物帳Kyōhō Meibutsu Chō (Catalog of Celebrated Blades)

名物2・焼失4・追記1(計7口)

享保4年(1719年)、本阿弥家が八代将軍徳川吉宗に献上した名物刀剣の台帳。平安〜南北朝の刀剣約274口(現存168口+焼失約80口+追記約26口)を刀工別に収載し、号の由来・寸法・代付・伝来を記す。本栄誉は名物帳に作品が所載される刀工に付与され、詳細欄には刊行集計による口数(正確な場合)または所載名物の号を記す。

正宗十哲Masamune Juttetsu (Ten Brilliant Students of Masamune)

正宗十哲・「鎌倉来」

正宗十哲 ― 幕末の『刀剣正纂』(文久2年・1862)に初出する後世の括りで、同書自体が「後人ノ憶説ナレバ、今取ラズ」と注記する。兼光・長義・金重・直綱は年代的に直弟子とは考え難く、則重は新藤五国光門下の相弟子とするのが通説。しかしNBTHK説明には頻繁に言及され、鑑定用語として定着している。名簿には異同があり(直綱に代えて貞宗を数える説、金剛兵衛盛高を来国次または直綱に代える説)、本栄誉は標準的な十工に付す。

指定

国宝1
重要文化財4
重要美術品6
御物—
特別重要刀剣14
重要刀剣40

名工ランク

0.82 (指定作品65点)

刀工の上位3%

伝来

伝来記録26件 の鑑定作品における Kunitsugu

伝来ランク

名家所蔵17点、伝来記録26件

刀工の上位3%

素点:3.42 / 10

刀姿

評価作品65点の分布

銘

評価作品65点の銘の種類

販売中

系譜

師匠Masamune
Kunitsugu
弟子(2名)
  1. 1.國秀Kunihide7指定
  2. 2.國次Kunitsugu1 販売中1指定

Rai派

Rai派の他の刀工

  1. 1.國行Kuniyuki1 販売中125指定
  2. 2.國俊Kunitoshi84指定
  3. 3.國俊Kunitoshi5 販売中208指定
  4. 4.國光Kunimitsu4 販売中269指定
  5. 5.光包Mitsukane15指定
  6. 6.國眞Kunizane1 販売中26指定
  7. 7.國秀Kunihide7指定
  8. 8.倫國Tomokuni5指定
  9. 9.國末Kunisue1指定
  10. 10.光重Mitsushige2指定
  11. 11.國武Kunitake1指定
  12. 12.國宗Kunimune1指定