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概要·鑑定·指定·伝来·刀姿·銘·系譜·流派
概要鑑定指定伝来刀姿銘系譜流派
  1. 流派
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  3. 光包

Rai Mitsukane

光包

特重
巻 6, 番 8 · 短刀

Rai Mitsukane

光包

評価作品15点

国山城時代Kagen (1303–1306)時代区分鎌倉流派Rai伝法山城伝師匠Kunitoshi種別刀工コードMIT94
4重要文化財
3特別重要刀剣8重要刀剣

概要

光包は鎌倉時代末期の山城の刀工で、来国俊の門人であり、説明書は繰り返し「来派中異色の刀工」と評する。備前長船に赴いて長光にも師事したと伝え、その順序については「はじめ長光に学び、のち来国俊の門に入ると記す伝書が多い」とされる。近江国戸津の地に在住して作刀したことから「戸津来」、比叡山延暦寺の根本中堂に籠って鍛刀したとの言い伝えから「中堂来」と呼ばれる。銘は光包と二字に切り、来の字は冠しない。遺例について記録は明確であり、「経眼する遺例は極めて少なく、太刀はなく、短刀のみで」、在銘の作も短刀に限られる。

その作はまず造込みに現れる。平造・三ツ棟、やや寸延びて身幅広めのものが多く、内反りがつき、説明書は定型句として「重ねの厚い丈夫な造込みであることと、帽子の丸みが大きく且つ返りの焼幅が広く長く返る」点を見どころに挙げる。最古の説明は既に「師の来国俊よりもむしろ刃中の変化があり、帽子の返りは長いのが常である」と記す。刃文は師風の直刃ながら「来国俊より広い直刃を焼き」とされ、小乱れ・小丁子ごころ・小互の目ごころや喰違刃を交え、小足・葉が入り、匂深く、小沸が厚くつき、金筋・砂流しがかかって匂口は明るく冴える。

地鉄こそ公言された持味である。後年の説明はほぼ逐語的に「地沸を一際厚く敷いて強く見えるのが持味で、いわゆる来肌と称されるゆるんだ弱い肌合いは一般に少ない」と繰り返す。鍛えは小板目がよくつみ、裏や刃寄りに流れ肌、腰元に大肌を交え、地沸が微塵に厚くつき、沸映りが立ち、かねが冴える。「地がねが来国俊や来国光よりも強く冴えている点も見処である」と対照を派全体に広げる説明もあり、古鑑定書『如手引抄』の「国俊より地色青く底まで澄みて、沸細かにあざやかにして、粟田口吉光景気の沸のごとし」という一節が引かれる。彫物は護摩箸に太い腰樋を添えるもの、素剣・梵字を施すものが少数ある。

この直刃の主流に対し、説明はほぼ毎回ひとつの例外を挙げる。「唯一口、長光門人説を裏付けるような互の目主調の乱れ刃を焼いた作」、すなわち名物乱光包(重要文化財)で、一見備前を想わせる出来である。本コーパス最古の説明は備前の師を長光ではなく景光とし、この類の作は殆ど「景光に彷彿たるものがあり、景光よりは地刃の沸がつよい」と述べるが、後の説明は長光に定まる。現存作は銘でも分かれる。在銘は細直刃の二字銘短刀であり、広直刃の大振りの作は無銘・朱銘に見られる。なかでも本阿弥家が光包と鑑して朱銘を施した寸延びの脇指は「在銘の光包を凌ぐほどの出来映え」と評され、附属する古鞘の由緒書から、延宝八年に五代将軍綱吉が子徳松の江戸城西ノ丸移徒の祝儀として贈ったものと知られる。

鑑定上、光包は来派の強の極に立つ。来のゆるんだ肌合に対して、よくつんだ小板目に厚く沸を敷き、師の優しい姿に対して重ねが厚く寸が延び、直刃は広く、刃中の動きは多く、帽子は丸みが大きく深長に返る。その沸の冴えは来の同門ではなく粟田口吉光に擬えられる。説明に門人や後継の記載はなく、その作風は一代で閉じる。残るのは小さくまとまった短刀の一群であり、優品には中堂来光包の典型的作風が文字通り顕現されていると記される。

公の指定記録に十五口が載る。重要文化財四口(名物乱光包、伊達家伝来の有銘短刀を含む)、特別重要刀剣三口、重要刀剣八口で、特重・重要の級に計十一口、在銘五口に無銘十口である。伝来は江戸期の大家を経る。『享保名物帳』所載の「名物桑山光包」は桑山伊賀守元晴の所持に因んで号し、三代将軍家光へ上り、前田利常が拝領して以来前田家に伝来した生ぶ茎無銘の短刀で、現在は特別重要刀剣に列なる。朱銘の脇指は大徳川家の伝来である。所在の知られるものは東京国立博物館・ふくやま美術館・黒川古文化研究所に蔵され、一口が個人の有に帰す。重要文化財の四口は文化財として永く保存され、特重・重要の計十一口が蒐集家の出会いうる範囲であるが、「経眼する遺例は極めて少なく」と説明書自身が記す工であり、その一口が市に現れることは稀である。

鑑定

典型は一作風、中堂来の直刃短刀。重ね厚く内反りの平造短刀・寸延びの小脇指に、来国俊風の直刃を、一際強い沸の地鉄の上に焼き、帽子は丸み大きく深長に返る。その傍らに唯一口、名物乱光包の互の目の乱れ刃という備前風の極が立つ。在銘は二字銘の短刀のみで稀、指定作の多くは無銘の極めである

光包は鎌倉時代末期の来国俊門人で、比叡山延暦寺の根本中堂に籠って鍛刀したとの言い伝えから中堂来、近江国戸津の地に在住したことから戸津来とも呼ばれ、来派中異色の刀工と評される。はじめ長船長光に学び、のち来国俊の門に入ると記す伝書が多い。遺例は極めて少なく、太刀はなく短刀のみで、殆どが来国俊風の直刃を見せるが、重ねの厚い丈夫な造込み、地沸を一際厚く敷いて強く見える地鉄が持味で、来肌と称されるゆるんだ弱い肌合は少なく、師の来国俊よりもむしろ刃中に変化があり、帽子は丸みが大きく且つ返りの焼幅が広く長く返る。唯一口、名物乱光包が備前を想わせる互の目の乱れ刃を焼き、長光門人説を裏付けている。

鑑定の決め手

作品の57% ・ 来国俊比 3.4倍

作品の36% ・ 来国俊比 6.0倍

作品の29% ・ 来国俊比 7.1倍

作品の50% ・ 来国光比 3.1倍

作風の変遷

典型(中堂来の直刃短刀)

現存作の殆ど全て。平造・三ツ棟、重ね厚く内反り、やや寸延びの頑健な短刀・小脇指。鍛えは小板目がよくつみ、裏や刃寄りに流れ肌を交え、腰元に大肌の交じるものがあり、地沸が微塵に厚くつき、沸映りが立ち、かねが冴える。刃文は細直刃から広直刃まで、小乱れ・小丁子ごころ・小互の目ごころや喰違刃を交え、小足・葉入り、匂深く、小沸厚くつき、金筋・砂流しがかかって匂口明るく冴え、師よりも刃中の変化に富む。帽子が見どころで、丸みの大きい小丸、時に尖りごころや掃きかけを見せ、返りは焼幅広く深く長い。彫物は護摩箸に太い腰樋を添えるもの、素剣・梵字を施すものが少数ある。在銘は細直刃の二字銘短刀、広直刃は大振りの無銘・朱銘の作に見られる。

姿 Sugata
地鉄 Jigane
刃文 Hamon
帽子 Bōshi

備前風の極(名物乱光包)

確証はやや弱い唯一口、名物乱光包(重要文化財)。長光門人説を裏付ける作としてほぼ全ての説明に引かれる乱れ刃の一口で、本コーパス外の作

直刃の主流に対し、説明は唯一口の例外を挙げる。互の目主調の乱れ刃を焼いた名物乱光包で、一見備前を、古い説明では殆ど景光を彷彿させるが、景光よりは地刃の沸がつよいとされる。この一口こそ、長船に赴いて長光に師事したという伝の裏付けと読まれている。この極はその重要文化財の一口のみによって知られ、本コーパス中にこの作域の作はない。

刃文 Hamon
研究

修業の順序が論点で、「はじめ長光に学び、のち来国俊の門に入ると記す伝書が多い」と繰り返され、その証は唯一口の乱れ刃の作に懸かる。

本コーパス最古の説明は備前の師を長光ではなく景光とし、乱光包の類は殆ど景光に彷彿として地刃の沸がつよいと述べる。後の説明は長光に定まる。

「光包と二字にきり「来」の字は冠していない」と明記され、在銘の作は短刀に限られる。

『如手引抄』が引かれる。「国俊より地色青く底まで澄みて、沸細かにあざやかにして、粟田口吉光景気の沸のごとし」と。

近江国戸津の地に在住したことから戸津来と呼ばれ、経眼する遺例は極めて少ないと記される。

指定

国宝—
重要文化財4
重要美術品—
御物—
特別重要刀剣3
重要刀剣8

名工ランク

0.47 (指定作品15点)

刀工の上位5%

伝来

伝来記録10件 の鑑定作品における Mitsukane

伝来ランク

名家所蔵8点、伝来記録10件

刀工の上位13%

素点:2.29 / 10

刀姿

評価作品15点の分布

銘

評価作品15点の銘の種類

販売中

系譜

師匠Kunitoshi
Mitsukane

Rai派

Rai派の他の刀工

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