長享二年八月紀の短刀に、長船宗光は重ね厚く内反り強く、ふくら枯れごころの平造を造り、精良な小板目に地沸つき地景入る地に、明るく冴えた中直刃を焼いて金筋をかける。説明書はこれを「同作中の傑作と称して過言でない」とする。作者は左京進を名乗り、六郎左衛門尉祐光の次男、右京亮勝光の弟である。説明書は本工を、末備前と総称される室町末期の長船鍛冶を代表する刀工の一人に数える。一派が焼の高い華やかな刃で知られるのに対し、宗光は直刃で知られる。
説明書は本工の個性を明言する。末備前特有の複式互の目の作例もあるが、それ以上に「直刃の上手として定評がある」。通常の作は室町末の片手打の打刀で、寸さほど延びず、先反りつき、片手の抜打のために茎短い。その上に明るい直刃を、あるいは細く、あるいは中直刃に、あるいは広直刃に焼く。永正二年(一五〇五)紀の刀は左京進宗光の典型的作風を示すとされ、広直刃調に足・葉がよく働き、地刃共に明るく冴える。その銘下には九字が切られ、さらに一字「勝」があり、説明書はこれを勝光との合作を示すものか、勝利の意かにわかに決し難いとする。勝光と並べれば違いは刃文の規模にある。説明書は本工の作を、勝光などより「刃文が小模様で宗光によくみる作風を示している」とする。
地鉄はよくつんだ小板目に地沸細かにつき地景入り、乱れ映りが立ち、控えめな作には棒映りとなって現れる。文明十一年(一四七九)紀の刀には源加賀守宗吉の所持銘もある。説明書はこの刀について、地がねがよく整い、棒映りが立ち、細直刃に匂口締りごころの、一見やや古調ある趣を記す。本間による御物台帳に所載の文明十三年紀の脇指については、末備前物としては「映気が強く、一寸時代を上げて見たくなる出来である」と記す。直刃の作の帽子は直ぐに丸く返る。表裏には倶利迦羅・梵字・素剣、八幡大菩薩や摩利支尊天の神号など当代の宗教的彫物を施し、説明書はこれを本工のみならず時代と系統の特色とする。
本工は華やかな手も焼き、それは永正年間の身幅広い脇指に最もよく見える。小板目よくつみ地沸微塵に厚くつき乱れ映りの立つ地に、焼幅広く、腰の開いた互の目に丁子・複式互の目風の刃を交える。足・葉入り、小さな飛焼を交え、砂流し・金筋入り、匂口明るく冴える。帽子は乱れ込んで長く返る。説明書はこれをこの期の長船鍛冶の典型的な作風とする。また互の目の中に目立つ丁子刃は末備前のうち勝光に最も多く、次いで宗光に多い見どころであるとし、「互の目の中に丁子刃が目立つ」と記す。作刀期間が長く、甥の二郎左衛門尉勝光との合作銘も残るところから、説明書は宗光の名が二代に及んだとみて、永正の作を二代に当てる。ただし初・二代の確たる時代区分は難しいとする。
勝光・宗光の合作は世上「宗勝」と称して珍重されたと説明書は記し、兄勝光との合作銘は勝光の名のもとに収められる。本工自身の記録に残る合作は前後の世代とのものである。甥二郎左衛門尉勝光と合作した永正五年紀の脇指について、説明書は年紀を添えた合作銘が「研究をする上で資料的にも大変貴重である」とする。祐光次男と銘し天照大神宮の神号を彫った文明九年紀の短刀は、「恐らく父子合作の意であろう」と読まれる。文明十三年紀の脇指には長船左京進宗光と銘し、説明書はこれを長船が既に地名から姓に変っていたことを示すものとする。説明書はまた、長享二年に将軍足利義尚の命に応じ兄勝光と共に近江の陣中に上って作刀し、備前・備中の各地に駐槌し、赤松政則の配下として合戦に加わったとの伝えを記す。
宗光の作は十二口が記録に残り、重要刀剣十口、本間による御物台帳に所載の二口である。国宝・重要文化財・重要美術品・特別重要刀剣はなく、藤代は上々作とする。永正六年紀の刀に附された江戸中期の変り塗半太刀拵は伊達家の伝来で、先に重要刀装に指定され、のち刀と合わせて指定された。個人の蒐集家にとって現実に出会いうるのは重要刀剣の作であり、なかでも年紀ある作は、長い作刀期間と二代問題を示すものとして殊に重んじられる。在銘年紀の宗光は末備前の名としては比較的数多く残るが、年紀の明らかな健全な一口が世に出るのは時折のことであり、銘の確かな合作はさらに稀である。