粟田口鍛冶は、国頼の子国家を祖とし、その子である国友・久国・国安・国清・有国・国綱の六人兄弟、国儔 の子則国。孫の国吉・国光、さらに国吉の子と伝える藤四郎吉光など、鎌倉時代初期から中期にかけ名工を輩出している。久国は、粟田口六兄弟の四番目で、名を四郎兵衛といい、山城鍛冶の中でも、鍛えと匂口のよさに定評があり、品格高く技量が優れている。重要文化財・重要美術品にも指定されている。この刀は、身幅やや狭く、反りやや深く、腰反りつく優美な小太刀の姿で、小板目肌に小杢目肌つみ、地沸が微塵に厚くつき、地景細かく入る所謂梨子地肌と呼称される明るく冴えた地鉄に乱れ映りが立ち、直刃に、小足入り、小沸よくつき、金筋掛り、匂口明るい格調高い名品である。明治の大鑑定家本阿弥長識の子親善による明治27年に書かれた折紙が附帯する。


Awataguchi (Yamashiro) · 山城 · 1190-1199頃
藤代 最上作 · 刀剣大鑑 上位1%
粟田口久国は鎌倉時代初期の山城粟田口の刀工で、粟田口六人兄弟の次兄にあたり、藤次郎と称した。説明書は一門を整理して伝える。祖は国家といい、その子に国友・久国・国安・国清・有国・国綱の六人兄弟があり、いずれも揃って名工であった。山城粟田口に鍛冶が居たことは鎌倉初頭の説話集『宇治拾遺物語』にも見え、その地は同時代の文献に位置を持つ由緒ある鍛冶場である。
その一門の中での格がまず第一の見どころである。第十四回特別重要刀剣はその作風を「名工の多い粟田口物の中でも最も格調の高い」[[c:2]]と評し、第四十二回重要刀剣は技術・品格ともに筆頭と記す。久国は国友らと共に後鳥羽院の番鍛冶に数えられ、ある説明書はさらに進んで「帝王の師」と伝える。歴史は飾りではなく、細身の静かな刃が帯びる格の拠りどころである。
その手は純然たる山城の作域で知れる。よく約んだ小板目に地沸密につき、静かな直刃が浅くのたれごころとなり、小互の目・小乱れを交え、小足・葉が入り、匂口締りごころに明るく、刃中に金筋・砂流しがかかる。帽子は穏やかな小丸で、しばしば掃きかけを伴う。ある特別重要刀剣の刀は帽子を「帽子直ぐに掃きかけて焼詰め風」[[c:3]]と正に記し、同じ掃きかける鋩子が太刀にも短刀にも繰り返し見える。鍛えには所謂たたきつめの趣があり、地鉄は古来「鉄色青く、刃白し」[[c:4]]と称される粟田口の鋼である。
兄弟の中で、鑑識は殊に沸をもって久国を挙げる。第二十四回重要刀剣は地刃に最も沸の強い工とし、時に荒めの沸を交えると記し、第二十二回重要刀剣の太刀は「兄弟の中では最も鍛の上手」[[c:5]]と言い切り、締まった小板目とうるみごころの深い匂口は弟の国安に通ずるという。短刀にも同じ冴えが宿る。身幅広く反りのある重要美術品の短刀は粟田口には異風とされ、これに付された本間の談は、粟田口短刀に間々見る異風の姿こそ来一派との相違であると説く。
山城の鋼の本道におけるその位置は、来との対比に通じる。久国ら兄弟が粟田口に定めた精錬な沸の直刃は来の名工が汲んだ源であり、ひいては東国の相州がこれに続く。久国に擬される刀の一つは来国次の金象嵌銘を負い、初期山城と後の来の手が極めの上でいかに近いかを物語る。在銘は最も少なく、太刀・短刀が僅かにあり、その多くは太鏨と細鏨の二字銘で、稀な藤次郎久国の長銘は古刀書『光徳刀絵図』『光山押形』に照らして肯認される。作は大名家の名を負う。紀州徳川家、伊達家、西条の松平家、秋元家に伝来し、ある短刀は延宝九年本阿弥光常の折紙を伴う。
収集の観点では数は厳しい。国宝一口と少数の重要文化財がその名に立ち、その幾つかは東京国立博物館・日光東照宮・厳島神社などに蔵されて市場には出ない。特別重要刀剣・重要刀剣の級はわずかで、いずれも古い大名伝来に占められている。個人蔵の久国は、草創期の刀を学ぶ者が出会いを望みうる最も稀なものの一つであり、出会えば、それは後世の華やぎではなく、御番鍛冶の静かで品位ある沸の直刃にほかならない。
久國の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
山城伝 · 山城
現在6点販売中
かねに潤いがあってよく冴える、という一語が、この一門の解説に幾度も立ち返る。よく約んだ小板目を極くつめて地沸を微塵に厚く均しく敷き、細かな地景を入れて沸映りを立てる手は、古来「梨子地肌」と称され、本流派の名を負う精錬の極みである。山城国粟田口、すなわち京都から近江へ通じる街道筋に居を構えた鍛冶の集まりであり、その地に鍛冶が住したことは鎌倉初頭の説話集『宇治拾遺物語』にも見える。祖は国家といい、その子に国友・久国・国安・国清・有国・国綱の六人兄弟があって、いずれも揃って名を成した。長兄国友をはじめ、久国・国安らは後鳥羽院の番鍛冶、すなわち院に月番で仕えた工に召され、活躍期は承久(一二一九〜二二)の頃にあたる。末弟国綱は後に北条氏の招きで鎌倉へ下向し、相州鍛冶草創の一人に数えられる。長兄国友の子則国を経て、左兵衛尉国吉、その子または弟子の藤四郎吉光へと、御番鍛冶の世代から短刀の名手の世代へと一門は続き、別流の新藤五国光は相州伝の事実上の創始者として行光・正宗・則重を育てた。 作域の核は、備前の華やかな丁子の対極にある、静かで抑えた直刃にある。よく約んだ小板目に地沸を厚くつけた精美な地の上へ、小沸出来の細直刃ないし直刃調の小乱れを匂深く焼き、小互の目・小丁子・小足・葉を交え、金筋・砂流しを細かにかける。匂口は締りごころに明るく冴え、帽子は穏やかな小丸に返り、しばしば掃きかけを伴う。表裏には護摩箸・素剣・梵字を彫り、その護摩箸は間隔狭く棟に寄せて彫るのが一門共通の手癖である。同じ作風の中にも工ごとの標識が宿る。久国は兄弟の中で最も沸が強く、国友・国安は匂口がうるみ、国安は連れごころの小互の目に押し詰まった小乱れを守って一派の乱れの手を担い、則国は国吉・吉光に通じつつ比較的沸が強い。国吉・吉光に至って刃は明るい直刃へ傾き、二重刃や帽子下の沸の喰下がりがその手癖となる。来時代へ下るにつれ穏雅な細直刃の比重が増す一方、国綱のみは板目が肌立って刃沸の目立つ剛壮な異風を見せ、来たるべき相模の力強い作風へ傾く。 鑑定の拠りどころは明快である。梨子地状の精美な小板目地、潤って冴えるかね、締まって明るい直刃調の刃に細かくかかる金筋・砂流し、これらが揃えば初期粟田口と鑑せられる。各工は解説中の物差しによって分かたれる。久国は格調の高さで、国安は安の字の崩しと連れごころの小互の目で、国清は兄国安への親近で、則国は子国吉に近い国の字で読まれる。そして一門を貫く対比は来派との別である。粟田口の地刃の沸は来物より一段と厚く強く感じられ、寸法の割に身幅狭く重ね厚い造込みは来にまず見ない。位置づけの頂点には、相模国の新藤五国光と並ぶ短刀の名人吉光が立ち、江戸期には正宗・江と共に天下三作の筆頭に挙げられた。流暢な二字銘そのものが鑑識の対象である。代表作の重みは伝来に表れ、名物鬼丸国綱は天下五剣の一つとして皇室に納まり、一期一振藤四郎は太閤秀吉の蔵刀、陸奥新藤五は奥州伊達家重代として伝わる。山城の精錬な沸の直刃は来の名工が汲んだ源であり、ひいては新藤五国光から相州伝へと展開する源流でもあって、本流派は日本刀の地鉄の最高峰を示すとともに、後世の二大潮流の発端に立つ。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイト商品発送後の返品・交換・キャンセルには、基本的に対応しておりません。商品に重大な瑕疵がある場合のみ、当サイトでご購入いただいた商品到着後3日以内であれば返品•交換が可能です。
粟田口鍛冶は、国頼の子国家を祖とし、その子である国友・久国・国安・国清・有国・国綱の六人兄弟、国儔 の子則国。孫の国吉・国光、さらに国吉の子と伝える藤四郎吉光など、鎌倉時代初期から中期にかけ名工を輩出している。久国は、粟田口六兄弟の四番目で、名を四郎兵衛といい、山城鍛冶の中でも、鍛えと匂口のよさに定評があり、品格高く技量が優れている。重要文化財・重要美術品にも指定されている。この刀は、身幅やや狭く、反りやや深く、腰反りつく優美な小太刀の姿で、小板目肌に小杢目肌つみ、地沸が微塵に厚くつき、地景細かく入る所謂梨子地肌と呼称される明るく冴えた地鉄に乱れ映りが立ち、直刃に、小足入り、小沸よくつき、金筋掛り、匂口明るい格調高い名品である。明治の大鑑定家本阿弥長識の子親善による明治27年に書かれた折紙が附帯する。


Awataguchi (Yamashiro) · 山城 · 1190-1199頃
藤代 最上作 · 刀剣大鑑 上位1%
粟田口久国は鎌倉時代初期の山城粟田口の刀工で、粟田口六人兄弟の次兄にあたり、藤次郎と称した。説明書は一門を整理して伝える。祖は国家といい、その子に国友・久国・国安・国清・有国・国綱の六人兄弟があり、いずれも揃って名工であった。山城粟田口に鍛冶が居たことは鎌倉初頭の説話集『宇治拾遺物語』にも見え、その地は同時代の文献に位置を持つ由緒ある鍛冶場である。
その一門の中での格がまず第一の見どころである。第十四回特別重要刀剣はその作風を「名工の多い粟田口物の中でも最も格調の高い」[[c:2]]と評し、第四十二回重要刀剣は技術・品格ともに筆頭と記す。久国は国友らと共に後鳥羽院の番鍛冶に数えられ、ある説明書はさらに進んで「帝王の師」と伝える。歴史は飾りではなく、細身の静かな刃が帯びる格の拠りどころである。
その手は純然たる山城の作域で知れる。よく約んだ小板目に地沸密につき、静かな直刃が浅くのたれごころとなり、小互の目・小乱れを交え、小足・葉が入り、匂口締りごころに明るく、刃中に金筋・砂流しがかかる。帽子は穏やかな小丸で、しばしば掃きかけを伴う。ある特別重要刀剣の刀は帽子を「帽子直ぐに掃きかけて焼詰め風」[[c:3]]と正に記し、同じ掃きかける鋩子が太刀にも短刀にも繰り返し見える。鍛えには所謂たたきつめの趣があり、地鉄は古来「鉄色青く、刃白し」[[c:4]]と称される粟田口の鋼である。
兄弟の中で、鑑識は殊に沸をもって久国を挙げる。第二十四回重要刀剣は地刃に最も沸の強い工とし、時に荒めの沸を交えると記し、第二十二回重要刀剣の太刀は「兄弟の中では最も鍛の上手」[[c:5]]と言い切り、締まった小板目とうるみごころの深い匂口は弟の国安に通ずるという。短刀にも同じ冴えが宿る。身幅広く反りのある重要美術品の短刀は粟田口には異風とされ、これに付された本間の談は、粟田口短刀に間々見る異風の姿こそ来一派との相違であると説く。
山城の鋼の本道におけるその位置は、来との対比に通じる。久国ら兄弟が粟田口に定めた精錬な沸の直刃は来の名工が汲んだ源であり、ひいては東国の相州がこれに続く。久国に擬される刀の一つは来国次の金象嵌銘を負い、初期山城と後の来の手が極めの上でいかに近いかを物語る。在銘は最も少なく、太刀・短刀が僅かにあり、その多くは太鏨と細鏨の二字銘で、稀な藤次郎久国の長銘は古刀書『光徳刀絵図』『光山押形』に照らして肯認される。作は大名家の名を負う。紀州徳川家、伊達家、西条の松平家、秋元家に伝来し、ある短刀は延宝九年本阿弥光常の折紙を伴う。
収集の観点では数は厳しい。国宝一口と少数の重要文化財がその名に立ち、その幾つかは東京国立博物館・日光東照宮・厳島神社などに蔵されて市場には出ない。特別重要刀剣・重要刀剣の級はわずかで、いずれも古い大名伝来に占められている。個人蔵の久国は、草創期の刀を学ぶ者が出会いを望みうる最も稀なものの一つであり、出会えば、それは後世の華やぎではなく、御番鍛冶の静かで品位ある沸の直刃にほかならない。
久國の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
山城伝 · 山城
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かねに潤いがあってよく冴える、という一語が、この一門の解説に幾度も立ち返る。よく約んだ小板目を極くつめて地沸を微塵に厚く均しく敷き、細かな地景を入れて沸映りを立てる手は、古来「梨子地肌」と称され、本流派の名を負う精錬の極みである。山城国粟田口、すなわち京都から近江へ通じる街道筋に居を構えた鍛冶の集まりであり、その地に鍛冶が住したことは鎌倉初頭の説話集『宇治拾遺物語』にも見える。祖は国家といい、その子に国友・久国・国安・国清・有国・国綱の六人兄弟があって、いずれも揃って名を成した。長兄国友をはじめ、久国・国安らは後鳥羽院の番鍛冶、すなわち院に月番で仕えた工に召され、活躍期は承久(一二一九〜二二)の頃にあたる。末弟国綱は後に北条氏の招きで鎌倉へ下向し、相州鍛冶草創の一人に数えられる。長兄国友の子則国を経て、左兵衛尉国吉、その子または弟子の藤四郎吉光へと、御番鍛冶の世代から短刀の名手の世代へと一門は続き、別流の新藤五国光は相州伝の事実上の創始者として行光・正宗・則重を育てた。 作域の核は、備前の華やかな丁子の対極にある、静かで抑えた直刃にある。よく約んだ小板目に地沸を厚くつけた精美な地の上へ、小沸出来の細直刃ないし直刃調の小乱れを匂深く焼き、小互の目・小丁子・小足・葉を交え、金筋・砂流しを細かにかける。匂口は締りごころに明るく冴え、帽子は穏やかな小丸に返り、しばしば掃きかけを伴う。表裏には護摩箸・素剣・梵字を彫り、その護摩箸は間隔狭く棟に寄せて彫るのが一門共通の手癖である。同じ作風の中にも工ごとの標識が宿る。久国は兄弟の中で最も沸が強く、国友・国安は匂口がうるみ、国安は連れごころの小互の目に押し詰まった小乱れを守って一派の乱れの手を担い、則国は国吉・吉光に通じつつ比較的沸が強い。国吉・吉光に至って刃は明るい直刃へ傾き、二重刃や帽子下の沸の喰下がりがその手癖となる。来時代へ下るにつれ穏雅な細直刃の比重が増す一方、国綱のみは板目が肌立って刃沸の目立つ剛壮な異風を見せ、来たるべき相模の力強い作風へ傾く。 鑑定の拠りどころは明快である。梨子地状の精美な小板目地、潤って冴えるかね、締まって明るい直刃調の刃に細かくかかる金筋・砂流し、これらが揃えば初期粟田口と鑑せられる。各工は解説中の物差しによって分かたれる。久国は格調の高さで、国安は安の字の崩しと連れごころの小互の目で、国清は兄国安への親近で、則国は子国吉に近い国の字で読まれる。そして一門を貫く対比は来派との別である。粟田口の地刃の沸は来物より一段と厚く強く感じられ、寸法の割に身幅狭く重ね厚い造込みは来にまず見ない。位置づけの頂点には、相模国の新藤五国光と並ぶ短刀の名人吉光が立ち、江戸期には正宗・江と共に天下三作の筆頭に挙げられた。流暢な二字銘そのものが鑑識の対象である。代表作の重みは伝来に表れ、名物鬼丸国綱は天下五剣の一つとして皇室に納まり、一期一振藤四郎は太閤秀吉の蔵刀、陸奥新藤五は奥州伊達家重代として伝わる。山城の精錬な沸の直刃は来の名工が汲んだ源であり、ひいては新藤五国光から相州伝へと展開する源流でもあって、本流派は日本刀の地鉄の最高峰を示すとともに、後世の二大潮流の発端に立つ。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
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