粟田口久国は鎌倉時代初期の山城粟田口の刀工で、粟田口六人兄弟の次兄にあたり、藤次郎と称した。説明書は一門を整理して伝える。祖は国家といい、その子に国友・久国・国安・国清・有国・国綱の六人兄弟があり、いずれも揃って名工であった。山城粟田口に鍛冶が居たことは鎌倉初頭の説話集『宇治拾遺物語』にも見え、その地は同時代の文献に位置を持つ由緒ある鍛冶場である。
その一門の中での格がまず第一の見どころである。第十四回特別重要刀剣はその作風を「名工の多い粟田口物の中でも最も格調の高い」と評し、第四十二回重要刀剣は技術・品格ともに筆頭と記す。久国は国友らと共に後鳥羽院の番鍛冶に数えられ、ある説明書はさらに進んで「帝王の師」と伝える。歴史は飾りではなく、細身の静かな刃が帯びる格の拠りどころである。
その手は純然たる山城の作域で知れる。よく約んだ小板目に地沸密につき、静かな直刃が浅くのたれごころとなり、小互の目・小乱れを交え、小足・葉が入り、匂口締りごころに明るく、刃中に金筋・砂流しがかかる。帽子は穏やかな小丸で、しばしば掃きかけを伴う。ある特別重要刀剣の刀は帽子を「帽子直ぐに掃きかけて焼詰め風」と正に記し、同じ掃きかける鋩子が太刀にも短刀にも繰り返し見える。鍛えには所謂たたきつめの趣があり、地鉄は古来「鉄色青く、刃白し」と称される粟田口の鋼である。
兄弟の中で、鑑識は殊に沸をもって久国を挙げる。第二十四回重要刀剣は地刃に最も沸の強い工とし、時に荒めの沸を交えると記し、第二十二回重要刀剣の太刀は「兄弟の中では最も鍛の上手」と言い切り、締まった小板目とうるみごころの深い匂口は弟の国安に通ずるという。短刀にも同じ冴えが宿る。身幅広く反りのある重要美術品の短刀は粟田口には異風とされ、これに付された本間の談は、粟田口短刀に間々見る異風の姿こそ来一派との相違であると説く。
山城の鋼の本道におけるその位置は、来との対比に通じる。久国ら兄弟が粟田口に定めた精錬な沸の直刃は来の名工が汲んだ源であり、ひいては東国の相州がこれに続く。久国に擬される刀の一つは来国次の金象嵌銘を負い、初期山城と後の来の手が極めの上でいかに近いかを物語る。在銘は最も少なく、太刀・短刀が僅かにあり、その多くは太鏨と細鏨の二字銘で、稀な藤次郎久国の長銘は古刀書『光徳刀絵図』『光山押形』に照らして肯認される。作は大名家の名を負う。紀州徳川家、伊達家、西条の松平家、秋元家に伝来し、ある短刀は延宝九年本阿弥光常の折紙を伴う。
収集の観点では数は厳しい。国宝一口と少数の重要文化財がその名に立ち、その幾つかは東京国立博物館・日光東照宮・厳島神社などに蔵されて市場には出ない。特別重要刀剣・重要刀剣の級はわずかで、いずれも古い大名伝来に占められている。個人蔵の久国は、草創期の刀を学ぶ者が出会いを望みうる最も稀なものの一つであり、出会えば、それは後世の華やぎではなく、御番鍛冶の静かで品位ある沸の直刃にほかならない。